2008年1月7日月曜日

七草粥

今朝、七草粥を食べた。

「あんまり美味いものではないねぇ」
と、私。
「縁起物だから、文句言わないの」
と細君。
「縁起物と言っても、子供の頃にそういう習慣はなかったからねぇ。食べなくても私は十分幸せだったし」
「子供の頃って、少なくとも結婚してからは毎年出してるんだけど、気付かなかった?それに、幸せだった、ってなんで過去形なわけ?」
「いや、それは、まぁ、、、、そういえば、結婚してからは毎年菖蒲湯(しょうぶゆ)にしてもらっているし」
「菖蒲湯?なに季節外れの話をしてるのよ」
「あれっ、菖蒲湯っていつ入るんやったっけなぁ」
「とにかく、屁理屈つけて口に合わない食べ物から逃げようとするのやめてくれない?今に始まったことじゃないけど」
「へいへい」

菖蒲湯に入ると繊細な肌の私は必ず背中が痒くなる、という話題は今日は我慢した。

2008年1月6日日曜日

LOVE STORY

ブックオフで往年の名作DVD『LOVE STORY』(邦題「ある愛の詩」)を購入して昨夜見た。
どうしても観たかったからではなく、安かったからである。

主演は若き日のアリ・マッグロウとライアン・オニール。
アリ・マッグロウが先に書いてあるということは、こっちが格上か。
ライアン・オニールといえば、『がんばれベアーズ』のテイタム・オニールの父上のはずだ。

自称映画好きであるが(映画をよく観るわけでもなく、映画に詳しいわけでもなく、根拠もなく自称しているだけだが)アリ・マッグロウ、初めて姿を見たのであるが、それはそれはキュートであった。
たしかステーブ・マックィーンとも結婚していたはず。
高校の宗教の時間に(カソリック系なので“道徳”の時間みたいなもの)、どういった経緯か、スティーブ・マックィーン主演の映画でも有名になった『パピヨン』の話になり、当時担当のB神父(ベルギー人)が
「Oh!それ、知ってまーす!」
と、叫んで授業中に自分の部屋(学校の中に住まいがあった)に戻り、持って来たのが分厚い本で『PAPILLON』
確か原作はアンリ・シャリエールという人だったが、B神父は興奮気味に(よく興奮する人だった)
「作者は、ホリ・シャリエールでぇすぅねぇ!」
と。
今になって調べてみると作者はHenri Charriereというフランス人。
なるほど、発音の仕方の違いか。

で、なんでアリ・マッグロウの話になったかというと他愛もない話で、当時スケベで有名だった同級生のM岡がB神父に向かって
「スティーブ・マックィーンが、あの可愛いアリ・マッグロウと結婚して●●●●●●●と思うと、悔しくて悔しくて!」
と、叫ぶと、B神父は真っ赤な顔になり(いい年であったが)口を手で押さえて笑いを堪えていた。
そんなことがあり、一度アリ・マッグロウなる女優を見てみたいもんだと思っていたのである。

映画は1970年という時代の独特の雰囲気を醸し出し、ハーバード大学に通う金持ち坊ちゃんと貧乏だが才能ある娘が恋に落ち、やがて娘は病魔に侵されて・・・と、ベタなストオリイにも関わらず、若い二人が惹かれあい、仲睦まじく触れ合う姿が、見事に美しく描かれ、淀川長治さんは当時この映画をどう解説したのであろうか。
10年前に縁あってハーバード大学を訪問したが、伝統的な東部独特の景色は1970年のそれと変わっておらず、景観を含む伝統を維持する力に改めて感心した。

場面は違うが二人が口にした台詞(せりふ)は、本作のキイワアドになっている。
“love means never having to say you’re sorry”(愛とは決して後悔しないこと)

後悔ばかりしている私は、まだ本当の愛に巡り合っていないことになる。

愛を求めて彷徨(ほうこう)する旅は続く・・・

2008年1月5日土曜日

関東事情

ベテラン女子アナI田さんから携帯に謹賀新年メイルが届いた。
帰省しているとのことで、今日は須磨の海が穏やかできれいで、穏やかな一年になりますようにとの由。
夕方に散歩した湘南の海も穏やかであった。
気まぐれにボードウォークで犬の写真を撮り添付して返信した。
湘南と神戸との日没の違いに気づいてくれるだろうか。

大学時代に関東に出てきている同郷の友人H原が
「こっちにきて、日の暮れるのが早くて最初は戸惑ったよな」
と、言ったが、当方はいつもボーッとしていて、ましてや日暮れと時刻の相関関係など意識することもなかったので、そんな発言に新鮮な驚きを感じたものである。
そんな話を同じく同郷のS賀に話すと、当時でもすでに珍しかった白黒テレビ(みんなカラーテレビだった)を指差して
「ほら、こっちはこんなに暗いのに、この平和台球場はこんなに明るい」
と、具体例まで示して日本国内の「時差」を証明した。

晩熟(おくて)な関西女性に比べて、東京の女性は進んでいるというのが我々の常識であったので、内心
「同じ門限であっても、関東のほうが早く暗くなるから、男女関係も進行が早く、当地の女性はいきおい“発展家”になるのだろう」
と、わけのわからぬ理屈に自己満足したものである。

今日もメイルだけでなく何通か年賀状が届いた。
月曜日が7日なので、そのあたりで年賀状騒動も終わる。
子供の頃は松の内は15日までであったが、関東では7日までらしい。
気ぜわしい限りである。
昔の正月は15日までのんびりとしていたに違いない。

されど今年は子年。
ちょこまかと働く年になるのか。
たまに都会で見るねずみは猫のような大きさでギョッとする。
あれでは、猫も二の足を踏むのではないか。

関東に来て四半世紀を超えているのに、関東事情に驚くことだけは変わりない。

2008年1月4日金曜日

年賀状

年賀状なるもの、まことに厄介なものである。
虚礼廃止が叫ばれて久しいが、さりとて年賀状ごときで、不義理な輩(やから)と思われるのも理不尽なので、年内には投函するよう毎年頑張っている。
ここ数年はパソコンで管理するようになったのでずいぶん楽になったと思うが、拙宅のパソコンは図版を印刷するのに一枚3分もかかる骨董品なので、矢張りストレスがかかることには変わりない。
いっそのこと毎年親戚を一人ずつ「殺し」て喪中で逃げられれば、と年末がくると毎年思ってしまう。
かと言って、キチンと近況を報せてくるような年賀状は好感が持てるので、私は出さなくても、そういうのは寄越すべきである。
できれば、お年玉クジがいいものが当たる葉書が望ましい。(何十年も調べていないが・・・)

年賀状で毎年不可思議に思うのは、三が日に来る枚数が、私が出した枚数をいつも下回ることである。
私に年賀状を出す予定にしている人は11月中には事前に葉書で通知して欲しいものである。
そうすればその人たちにだけ頑張って年賀状を出せば済むようになる。

パソコンで住所録を管理するようになってよかったのは、“自分欄”と“相手欄”があって、そこには“出”“受”や“喪”などが入力できることである。
普段の付き合いも減り、どちらからともなく疎遠になって、数年“空白”が続くと、ああこれで年賀状を出さなくて済むと、ほくそえんでしまう。

厄介なのは、今年からはもう出さなくても大丈夫だろうと安心していると、その相手から元旦に届いてしまうことである。
先方の住所録の管理ミスだろうと、一年のあいだ息を潜めていると翌年また元旦に届いたりする。
あわてて返事を出して、出すリストに登録して、翌年に律儀に出すと、これって“返事”じゃないか?というくらいのタイミングで届く。
まことに厄介である。

お互い一年交代で“喪中”が続くと2回分は年賀状の交換がなかったわけで、もう大丈夫だろうと出さないでいると、むこうからも出して来ない。
ルーレットで当てたような爽快感がある。

互いの引越し連絡がうまくいかず、“尋ね当たらず”の返送が何度か繰り返されて疎遠になっていくケースも、美しく終息できるパターンと言えよう。

先方誰しも岐度(きっと)出来ることなら年賀状なぞ出したくない筈なので、こういったさまざまな駆け引きはあと10年は続くものと思われる。

内容で言うと、宛名と裏面すべて印刷で、一言もコメントなし、という年賀状も厄介である。
「私に出していること、分かってるのか?」
と疑いたくなる。
そんな年賀状が微妙に住所表記、例えば“1-1-1”と“1の1の1”で二枚来ることなどあると、もうこれは“無意識”で出していること必定であろう。
あとは、いまだに写真年賀状が流行し始めた80年代のように、子供だけの写真の年賀状というのも厄介である。正月早々、DNAの鑑定など勘弁願いたい。

しかし、こんなことを言っていると、本当に年賀状が来なくなるかもしれない。
来なくなるのは構わないのだが、来なくなったら細君や姫たちは必ず揶揄(やゆ)するであろうから、それはそれで厄介なことになる。
バレンタインのように、「自分で自分に」年賀状を書くはめに陥ることだけは避けたいものである。

2008年1月3日木曜日

フジヤマ

本日、自宅に戻った。
新幹線から見える富士山、秀麗という言葉がピッタリの美しい姿を見せてくれた。
数え切れないくらい東海道新幹線に乗っているが、どうしても富士山が気になる。
見えなくなるまで見送ることもしばしばだ。

朝の通勤電車の車窓からも富士山が見えることがある。
やはり見入ってしまい、大学時代のある日のことを思い出す。

上京(大学は横浜であるが、西の人間にとっては横浜も東京も同じである)して間もなく、同級生で地元出身のK子(男である。苗字である)と京浜急行に乗ったときのこと。
車窓から綺麗な山が見えた。
富士山そっくりの山だったので、思わず
「うわっ綺麗な山!富士山みたいやなぁ!!」
なぜかK子は下を向いている。
なんだ、こいつは?あんな綺麗な山に興味を示さないのか?と訝(いぶか)りながら、なおも外を指差して
「ほら、あれあれ!見てみぃ!富士山そっくり!!」
K子は、アリスのべーやん似の顔をこちらに向けて
「おい、もうやめてくれよ。あれは富士山だよ」
と、声を抑えながら一言。。。

驚いた。
富士山というのは、新幹線からありがたく拝むものだと思っていたが、まさか日常の風景に富士山があるとは思わなかった。
今でも海岸から富士山が見えると幸せな気分になる。
と同時に、K子の
「頼むから騒がないでくれよぉ」
と、目で訴える情けない顔が思い浮かぶ。

2008年1月2日水曜日

ワシらのフォーク村

『いつも見ていた広島―小説吉田拓郎 ダウンタウンズ物語』田家秀樹著(小学館)を読了。

喘息持ちの少年がやがてモンスターになる。
吉田拓郎というモンスター。
幕末の小説を読んでいるよう。
そう「竜馬が行く」を読んだときのような興奮。
「竜馬~」でもそうであったように、本書も隠し絵のように当時の「人物」が随所に。
世に出る前の森進一。
小学生の西城秀樹。
わくわく。
最後にはまだ高校生だった井庭啓子(拓郎の最初の奥さん)まで。
私が分からないだけで、きっともっとトラップがあるのかもしれない。

初恋の人に出会った時のような
そんな懐かしい
胸が熱くなる
そんな思いに
なるわきゃないじゃろが
ワシらのフォーク村

曲名は知らないが、拓郎のライブ盤で歌われた。
憶えやすいので、暗記している。

伝説の『つま恋コンサート』まで描かれているのかと思ったが、広島フォーク村の誕生秘話で終わった。
60年代の激動の時代をフォークソングの胎動を通して描いた。
いや、吉田拓郎の青春を通して。
いや、拓郎の下積み生活、苦渋、苦節を通して。
続編が楽しみな本である。

2008年1月1日火曜日

新右衛門さん

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

とんちで有名な一休宗純の歌として知られている。
元旦に棒にさした髑髏(されこうべ)をかざしながら街を歩き、上記の歌を吟じたと何かで読んだことがある。
そのエピソードを聞くだけでも、一休さんという坊主は、そのときよほど何か思うところあったのか、よほどの変わり者であったに違いない、とさすがの私も驚かざるを得ない。

後輩女子Tはアニメ『一休さん』でいつも
「いっきゅうさ~ん!一大事でござる~!」
とワンパターンで安国寺に駆け込んでくる寺社奉行蜷川新右衛門さんが好きだったという。
予備校時代の同級生で今は地方局のベテラン女子アナのI田さんは、『宇宙戦艦ヤマト』の中で好きだったのは古代進でも古代守でも徳川艦長でも佐渡酒造でもなく、デスラー総統だった。

私が好きになる女の子もみな変わり者である。