2008年3月31日月曜日

Skyscraper

今日は年に一度の人間ドック。
今年も新宿にある東京医大。
高層ビル街のほぼ真ん中に位置する。

1975年、初めて上京しあのビル群を見た時の驚きと言ったら。
あまりにも高いビルばかりに驚き、ずっと空を見上げていたら一緒に来てた同級生のF原が
「おのぼりさん丸出しで恥ずかしいから止(や)めてくれ」
と、言うが
「いやぁ、これが噂のスカイスクレイパァかぁ」
と意に介さず見続けたものだ。
中学の時の英語の教科書にニューヨークのSkyscraperに関する記述があり、訳は摩天楼。
直訳は“空を引っ掻く”
なんやそら?という感じで、摩天楼になるとさらに意味が判らなかった。
新宿に来てその意味がわかったのだ。
確かにビルが空を引っ掻いている。

それでも1987年、初めてニューヨークに行った時には新宿との桁違いのビル群に仰天し、
「そうか、これはほんまに空を引っ掻いとるなぁ」
と“本家”を見て納得した次第。

10年以上、この季節になると、いつもそのことを思い出しながら歩く。

2008年3月30日日曜日

花は桜木

桜が満開である。
花見の季節である。
不思議と目を奪われる。
魅力的な花である。
花?
花という感じがしない。
桜は、木か。
梅も木のような。
花というものは、柔らかい茎に咲いていてこそ、花という言葉がしっくりくる。
私だけだろうが。
何故だろう。

『同期の桜』という有名な軍歌がある。
♪咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ国の為♪
桜の散り際の潔(いさぎよ)さをモチーフに、“さぁ軍人さん、未練がましいのはいけません。桜のようにパッと散りましょう”と戦場に行く人を鼓舞した歌(だと思う)だが、最近その矛盾点に気づいた。
そう、桜は確かに潔く散るけれども、一年後にはまた咲くのである。
次の年も、その次の年もである。
春になると忘れず咲く。
これは潔いというよりも、むしろ強(したた)かである。
人びとが「そろそろかなぁ」と思ったころには、ちゃんと仕事をする、そう、竹内まりやや桑田佳祐みたいな、強かさを感じる。
いずれにしても、桜を潔さの象徴にするのはおかしなことである。

今でも、上野公園では乱痴気騒ぎをするのだろうか。
若い社員に場所取りをさせるような会社がまだあるのだろうか。
そうだとしたら、桜にとっては不本意だろう。
桜はそういう花見を好まないような気がする。
私の花見は専(もっぱ)ら“たまたま派”だ。
歩いていてたまたま見えるか、電車の車窓からたまたま見えるか。
それでも一度やってみたい花見は、穴子の押し寿司をアテに赤ワインを飲みながらする花見だ。
今でもあるのかどうか分からないが、西武池袋百貨店の地下食品街にあるテナント『瀬戸』の穴子の押し寿司は美味だ。
関東では珍しいちゃんとした焼き穴子が乗っている。
焼き穴子には、重めの赤ワインか日本酒なら濃い味の、、、そう!『磯自慢』か『田酒』が合うような気がする。

軍歌だ、酒だ、と言ってみても、桜に一番似合うのは学校だろう。
その年によってまた地区によって、卒業して行く生徒を見送る桜もあれば、入学を祝う桜もある。
どちらも本当によく似合う。
絵になるのである。
ずいぶん昔のことだが、新学期はアメリカに合わせて9月にしてはどうか、などという議論が起こったことがある。
何故そんな議論が起こったのか、よく分からない。
冬に受験するよりも、夏の明るい季節にするほうが受験生の自殺が減るのではないかなど、冗談にもならない意見もあった。
そんな議論は不要である。
新学期の境目には矢張り桜が必須である。

そうか。
桜は木に宿って、毎年児童や生徒を見守っているのかもしれない。

2008年3月29日土曜日

揺れるまなざし

電車の車内でふと見上げると不自然な空間があった。
一箇所吊り広告がない。
なくなったのか、元からなかったのかは判らない。

初めて上京したとき、電車に乗って網棚の上にまで広告が貼られていて驚いた。
関西では、大阪や神戸のような都会でも見たことがなかった。
そんな些細なことだが、花のお江戸の購買力に感心したものだ。

アナログ文化の1970年代は、有名人のブロマイドやポスターといった紙媒体が華やかなりしころで、電車の吊り広告にアグネスラムや真行寺君枝などが出ているとよく盗まれたものだ。

今日の車内のあの空間はなぜ生まれたのか想像を巡らせた。
あそこにいたのは誰か。
長沢まさみか、ハセキョーか、小雪か、上村愛子か、オグシオの小椋か、天気予報の市川さんか。
案外かわいいトイプードルだったりして。

「ポスターなんて」
と、思われてしまう、豊かで成熟した世間より、
「おおっ!あれええやん!」
という劣情で、たまに盗まれてしまうことがあるほうが、ある意味健全な気がする。

2008年3月28日金曜日

座敷、恐るべし

屋形船で花見と洒落(しゃれ)込んだ。
勝どきから船に乗る。
「あっ」
そうか、掘りごたつ式ではないのか。。。
座敷である。
苦手である。
正座がまず辛い。
早速、別に座布団を2枚調達してきて3枚敷いて足を伸ばす。
まるで“笑点”だが、これで足が少し楽になるのだからしょうがない。

宴会が始まり、早速恐怖の瞬間がやってきた。
そう、他の卓からのお酌である。
まだ自分の卓の中でゆるりと注(さ)しつ注されつならよいが、他の卓から
「やぁやぁ、どーもどーも」
なんて調子でやってこられて、お酌されるのはどうにも苦手だ。
まず、そういう輩(やから)は初期はビール片手にやってくる。
乾杯の時にビールを飲んで、もう十分なのにビールを持ってこられては選択肢がない。
暫(しばら)くするとお銚子など持って来る。
自分の杯(さかずき)は持参しないので、そのあたりの適当な杯を使っている。
オー!ノー!と叫びたくなる。
ご返杯とか言って、私の杯を取られたりする。
最悪だ。

隅田川の河川敷は桜が満開だ。
そこかしこに屋形船が停泊している。
キュートなKさんに誘われて屋形船の屋根に上がる。
船から見る夜桜は初めてだが、幽玄な世界が広がる。
肌寒いが、Kさんの純真な瞳と向こうに浮かぶ夜桜の組み合わせは格別だ。

船内に戻る。
矢張り・・・
そう、「民族移動」が始まっていた。
元の席順は殆ど関係なくなっている。
こうなると、もう自分の箸は誰かに陵辱(りょうじょく)されている可能性もある。
もしY君が使っていたらどうなるのか。
ジステンバーでも伝染(うつ)されたら大変だ。
私はそういう病気に抵抗力を発揮する自信がない。
幸い、私の席には大好きなKさんが座っていたので、自分の席に戻る動きを見せて、隣に詰めて座った。
ただこういう幸運はあくまでも例外である。

船内で揚げられた天麩羅が運ばれてくる。
屋根に上がる前に自分でセットしておいた天つゆの器が見当たらない。
岐度(きっと)斜め前のK君が使っている器がそうだろう。
折角(せっかく)多めに大根すりを入れて、おろし生姜も少々入れて万全の体制を敷いていたというのにガッカリである。
穴子の天麩羅が出てきたときに、上から天つゆをかけ、刺身で余っていたワサビを少々乗せて食した。
美味である。
この食べ方ができたのは、K君に天つゆの器を略奪されたせいか。
小さな小さな、悲しいくらい小さな収穫である。

2008年3月27日木曜日

オッケー!

『月刊ゴルフダイジェスト5月号』の電車吊り広告の見出しに
“オッケー!がもらえるピッチ&ラン”
とある。

ゴルフでホール近くまで球を寄せた時に、いくらなんでもあと1回のパターで入るよな、と対戦相手が判断して宣言するのが“オッケー!”である。
これがもらえるような、ホールへの寄せ技術の特集だろうか。

しかし、この“オッケー!”が許されるのは1ホールごとに勝ち負けを決して合計勝ち数を争うマッチプレイだけのはずなのに、一般ゴルファーがラウンドするストロークプレイでも宣しているのを聞いたことがある。

いちいちホールアウトしていたら遅くなるから、とプレイの迅速化を気遣っているようでもない。
安くもないプレイフィーだ。
多少時間はかかっても、とことん愉しまねば勿体無い。

“オッケー!”と自分で宣言するやつまでいるのにはこまったものだ。
そんな輩に限って、その“オッケー!”分の1打を足していなかったりする。

それにしても、である。
どんなにホール近くまで寄せたとしても、あのカップインしたときの“カッコン!”がゴルフの醍醐味ではないのか。

何年も行ってないけど。

2008年3月26日水曜日

鎖国

幕末物を読んでいて思うことがある。
現代(いま)の日本の荒廃ぶりを見ていると、鎖国は解くべきではなかったのではないか、という思いに囚われる時がある。
もちろん幕藩体制の瓦解は避けられなかっただろうが、今の政治の無力、官僚制度の疲弊を見ると、庶民が苦労するのは日本国のDNAかもしれない、、、、
なぞと、つい厭世(えんせい)的なことを思ってしまう。

定年退職の挨拶にみえた元美人記者のKさんが
「あと何年かしたら定年はきっと70歳になるわよ」
なんて私に言ったからだ。
(>_<)

江戸時代の平均寿命は50歳とか55歳なんて、何かで読んだことがあるが、あれは言葉のギミック(からくり)ではないかと思う。
江戸時代やそれ以前にも、90歳100歳まで長生きした人の記録はあるのだから、55歳なんていう平均寿命は当時医学の遅れのために早世した多くの乳幼児を入れて計算したのではないかと疑ってしまう。
55歳よりあとの余生は江戸時代と同じなのに、その年で楽隠居できるどころか70歳まで定年延長とは、走っても走ってもゴールのテープが遠のくみたいなもので、まるでドリフターズのコントである。

2008年3月25日火曜日

葛飾北斎

わが家のキッチンにはテフロン加工のフライパンがふんだんにある。
戯れに数えてみるとザッと8枚もあった。
いろいろな大きさが取り揃えられているかというとそうでもなく、用途別に購入したわけでもなさそうであることは、供される料理からも分かる。

私がいつも強火で料理することに対して細君は
「そうやって強火で使うからテフロンが駄目になっちゃうんでしょ!」
と文句を言うが、強火でテフロンのフライパンを傷めることと、フライパンが溜まっていくこととはそれほど関係ないように思う。
開いた牛乳パックの山や冷蔵庫に死蔵されている食品群を見ると、どうも細君には“収集癖”があるようだ。

ちなみに私の「婿入り道具」とも言える中華鍋は、大学時代から使っているので、もう四半世紀を超えるが今でも現役だ。
もう一枚、これも鉄製のちゃんとした平たいフライパンも購入して20年近くになるが、使ったらすぐにタワシでお湯洗いして、強火で一気に乾かすことを怠らないので、使うほどに味が出る。
両方とも細君は焦げ目を付ける料理以外には好んでは使わないようで、専(もっぱ)らテフロンだ。

葛飾北斎は、浮世絵を描きまくって家が汚れると引っ越すことを繰り返して、生涯での引越しは90回を超えたという。
テフロン加工のフライパンを見ていると、細君は葛飾北斎の末裔かもしれないと思えてきた。