2008年4月14日月曜日

恐ろしいもの

昨日は2週間振りにジムに行ったので、今日は頗(すこぶ)る体が痛い。

久しぶりにジム行く時は足取りも重いが、矢張(やは)りジムに着いてしまうと気合が入る。

懐かしいような汗臭い匂いと響き渡る音楽、そして3分経ったことを知らせるブザー。
30秒休憩のあとにまたブザーで3分間がスタートする。

リングに上がる。
白いカンバスには血の跡が所所に着いている。
新しい血痕、古い血痕。
兵(つわもの)どもが夢の跡。
恐ろしいものだ。

リングでシャドーのあとは、サンドバッグだ。
4回戦ボオイの練習を横から見る。
痩(や)せっぽちな体だ。
ワンツーのあと、繰り出す左フック。
重いサンドバッグが、ビシリと悲鳴を上げる。
恐ろしいものだ。

ストレッチを終え、そのあたりに置いていた自分のグローブとタオルを拾い上げる。
ふと目の前に、選手が共用するヘッドギアが吊り下がっているのが見えた。
「しまった!」
と思ったその瞬間は手遅れだ。
この世のものとは思えない悪臭が私を襲う。
恐ろしいことだ。

2008年4月13日日曜日

人の恋路を邪魔する者は

京都、染井吉野はもう過ぎたが、山桜、枝垂桜は見ごろとのこと。

京都というのは、不思議な街。

京都人の意地の悪さを表現するのに決まって語られる話。
京都で人の家を訪ねて、そろそろ帰ろうとすると
「まぁ夕飯でも食べていってください」
と、言われる。
「いえいえ、そろそろお暇(いとま)しないと」
「いや、そんなこと言わんと食べていっておくれやす」
「いやいや、もうほんまに帰ります」
「まぁ、そんな遠慮なんかしたらあきませんえぇ」
「いや、遠慮なんて、そんな。もう帰らなあきませんのや」
「いや、そんなことゆーても、もう夕飯の準備もしてるんですわ」
「えっ?そうですかぁ。ほんならご馳走になりましょか」
という会話のあと、京都人は慌てて夕飯の準備をして、客人が帰ったあとに
「常識のない人や」
と陰口を言う。

あとこれもよく語られる話。
京都に他所(よそ)から嫁いだ人が、朝起きて表の掃除をしようとすると、隣の奥さんが
「やぁ、おはようさんどす。ごゆっくりどすなぁ」
と言う。

これらは、よくある“都会のなんとか伝説”のように、まことしやかに語り継がれているが、真偽のほどは定かではない。

そんな住むには難渋しそうな京都であるが、旅行者には魅力的な街である。
私も小学校時代は毎年夏休みになると山科の親戚宅でひと夏過ごして、もともと常識のない私は、人の家のご飯が美味しい性質(たち)だったのでいつも太って帰ったものだ。
高校時代には朝起きて母に
「ちょっと京都行ってくるわ」
とフラリと出て行ってユースホステルを拠点に大原や嵯峨野を巡ったものだ。
尼寺ではないのだが、女性の駆け込み寺として有名な直指庵(じきしあん)がブームになったのはその頃で、嵯峨野も随分混んでいた気がする。

京都と言えば(主に)夏の“風物詩”の一つに鴨川河川敷のアベックがある。
鴨川の三条大橋から四条大橋までの川縁(かわべり)にアベックが座るのだが、それが見事に等間隔になっているというやつである。
一度テレビの企画が何かでやってもらいたいのだが、大勢のアベックを雇って、ドドーンとあそこに投入して、等間隔に座っているアベックの間をアベックで埋めてしまうのだ。
そうすると“本物のアベック”はどうなってしまうのだろう。
是非見てみたいものである。
アベックはどうなるかは別にして、私は馬に蹴られて死んでしまうことは間違いない。

2008年4月12日土曜日

禁煙

自戒や願掛けを目的にして禁煙した、という話をたまに耳にするが、それはフェアではないし、それで願いが叶えようというのも虫のいい話である。
なぜなら禁煙をするのは、健康のためであって、辛いことをしてでも頑張ろうという発想ではないからである。
事実、多くのスモーカーは本当はタバコを止めたがっている。

もし本気でやるなら本当に好きなことを止めなければならない。

私なら、毎年やっている多額の寄付や、海や山を掃除するボランティアや日々楽しくてしょうがない仕事や家庭での炊事洗濯がそれに当たる。
あとは毎年のモナコグランプリの観戦や、豪華客船でのバカンスや、世界各国の閣僚との晩餐会などを中止しないと、誰も私が本気だとは思ってくれないだろう。

うな丼や寿司やお好み焼きを断つことや、DVDを二度と観ないことや、前から歩いてくる女の子をチェックすることを止めるなど、誰でも簡単にできることでは駄目なのだ。


[註]
多額の寄付・・・コンビニでつり銭をレジにある寄付の箱にたまに入れる
掃除ボランティア・・・犬の散歩でフンを持ち帰っている
楽しい仕事・・・仕事中、たまに意味不明の笑いを発する
炊事洗濯・・・たまにやらされる
モナコG観戦・・・テレビ観戦
豪華客船・・・屋形船
閣僚との晩餐会・・・報道ステーションを見ながらの晩飯

2008年4月11日金曜日

捜査一課

S新聞社の敏腕記者、富山美人のT記者と京橋にある行きつけのタイ料理『ワンタイ』で会食。

大きな企画でお世話になったので、打ち上げと称しての飲み会だ。
記者に限らないことだが、性格がよく頭の切れる人との会話はリラックスできる。

されど事前情報は必要と、昨日彼女のブログに目を通したところ、匂いに敏感であるとの記述があり、タイ料理を選択したことを少し悔やむ。
汗かきの私は辛い料理が出たら頭から汗が吹き出すに違いない。
つまらぬことを気にする私を尻目に、彼女は気持ちいいくらいにぐいぐい飲み、精力的に食べてくれる。

それにしても、美人は近くで見ても美人なのが美人の美人たる所以だ、と改めて思った次第。
それはそれでありがたいのだが、なんといっても彼女が“活字好き”であることは、私にとってはなんともありがたく、そういう人は人生の友たりえる。

社会部志望だった彼女が記者になり、念願叶い事件を追い掛けていたが、そこで“特殊な人”を取材する立場から、図らずも経済部に異動になり彼女自身と同じ“仕事人(しごとじん)”や“数字”を追い掛ける立場になった。
移る前は、経済を無味乾燥な世界と紋切り型に考えていたというが、経済そしてその裏にある数字は全て“人”が織り成すもの、と軽快に看破する。
プリンシプルのある人は強い。
そうして彼女は上司も太鼓判を押すやり手記者になった。

そういえば様々なジャンルの人間を取材した彼女が、客観的に私を見ると、普通のビジネスマンには見えず、刑事、しかも一課の刑事に近いとのこと。
一課の扱う事件は、殺人、強盗、放火、誘拐、強姦、強制わいせつ等の重要犯罪である。
サツ回りの経験も豊富な彼女によると、一課の刑事には強面(こわもて)の人は案外少なく、多くは軽妙洒脱なタイプで、そういう人がズバッと切り込んでいくのだそうだ。
なんとも面映ゆいが、せめて一課の刑事にお世話にならないようにすることが、彼女に対し義を通すことになるだろう。

2008年4月10日木曜日

ほな、また

高校友人H原と夕刻に芝の東京プリンスホテルで待ち合わせた。
H原が常務を務める会社が、ある政治家のパーティー券に付き合わねばならず
「2枚買ったから来ないか?」
とのこと。
久しぶりに会いたかったし、まぁ一応食事も出るからと御成門へ。

さすが、大きな派閥だけあって、すごい来場者数。
H原は、この手のパーティーは初めてで
「すごい人やなぁ」
と驚きつつも
「あっちで“揖保の糸”(播州地方の有名なそうめん)があったで」
と目ざとい。
まずは、そうめんで腹ごしらえ。
そして立食ではお約束の寿司コーナーへ。
混雑(><)
なにせ来場者は“付き合い”で買わされたパーティー券なので、半分腹いせのような感じでバクバク食べる。
ステーキのコーナーには3、40人の行列。
「そんなにまでしてステーキ食べたいかのぉ」
などと話しながら、中華を少し食べてやっと一息つきワインなぞ。

やはりこの手のパーティーでガツガツ食っても、心の胃袋は満たされない。
以心伝心で、どちらからともなく
「外で飲みなおすか」

地下鉄で大手町に行き、たまに行く『エスカール アビタ』へ。
ビールで乾杯。
互いに疲れているようなので早々に散会。

「ほな、また」
と挨拶して35年。

2008年4月9日水曜日

レストルームズ リアリズム

ダイハード、ターミネイター、ゴルゴ13、ダヴィンチコードなど、映画にしても劇画にしても小説にしても心躍る作品は多い。

しかし!
あの主人公たちは、いったいいつ下(しも)の用を足しているのか?
人間は定期的にトイレに行かなければならないのだという現実を踏まえて、それこそ想像力を働かせて映画や劇画や小説を楽しむことも必要だ。

そうすると矢張り理論的に無理があるような展開例が見受けられる。

どんなに緊迫した場面が続くストオリィであっても、トイレタイムがあってこそのリアリズムだと思うが。

2008年4月8日火曜日

缶コーヒー考

4連休明けの仕事は辛い。
ほとんど拷問である。
しかも強い雨で電車が遅れる。
どうせなら昼まで不通になってくれれば、ゆっくりとスタバで読書ができたのに。

オフィスをうろうろしていると、向こうから自動販売機が呼んでいる。
「なんやねん?」
と近づくと、
「そうかぁ」
と思う。
缶コーヒーを含めてお茶など全部の商品が“COLD”になっている。
“HOT”が消え去った。
自販機は春を告げていたのである。

キリンの自販機に新しい缶コーヒーが入っていた。
新製品は飲んでみる主義だ。
購入する。
冷たい。
缶コーヒーの飲み頃は、夏でも冬でも“室温”だと思っている。
喫茶店の珈琲を目指してもらってもこまるのだ。
「珈琲が飲みた~い」
と思ってもないときに急場をしのぐのが缶コーヒーの役割である。
安っぽいカレーを食べた後に、飲みたくなることもあるのが缶コーヒーだ。

給湯器のところに行って、熱湯を出し、火傷をしないよう注意しながら缶を温める。
室温まで温度が戻ったら飲む。
新製品はやはり美味い。
初期のUCC缶コーヒーの味を彷彿とさせる。
昔の駅の売店に缶コーヒーを置き始めた頃は、室温だったと思う。
自販機も冷蔵一辺倒ではなく、環境にも配慮するとかなんとか理屈をつけて、室温の飲み物も提供して欲しいものである。