2008年4月30日水曜日

味噌餡

お昼を買いにスーパーに行った。
催事コーナーで柏餅(かしわもち)を売っていた。
もうそんな季節か。

子供の頃、端午の節句の前になると、祖父は山に入っていって柏の葉を取ってきた。
母は餡(あん)を炊いてくれて、米粉で作った餅に餡をくるんで、さらに柏の葉で包んで蒸し上げる。
今思うと、柏餅は各家庭で作るものだったし、ましてや柏の葉まで当たり前のように山から調達してきていた。
そういえば祖父は手先が器用で、年末になると家の田んぼで残った藁(わら)を編んで正月のお飾りを作っていたし、山の中のことも熟知していて、鏡餅に敷くシダの葉なども山から持ち帰っていた。

おはぎを作ってくれるときは、つぶ餡だったが、柏餅の時は決まって漉(こ)し餡だった。
であるから、今でも柏餅は漉し餡派だ。

昨年の今頃、後輩女子Kさんは、味噌餡が好きだという話を聞いた。
???
なんや、そりゃ、と思った。
播州地方には存在しない。
試しに買って食べてみた。
悪くない。
味を表現するなら“味噌味の餡が入った柏餅”だ。

お昼を買ったあとで、漉し餡2つと味噌餡1つ買って帰った。
後輩女子KさんとKちゃんに味噌餡と漉し餡、それと私に漉し餡だ。
子供のときの味覚は、そう簡単には変わらない。

柏の香りが鼻腔(びこう)をくすぐると、赤穂の山が浮かんだ。

2008年4月29日火曜日

MRI

日曜日に続いて、今日もジムに行った。
少し筋肉痛が残っていたが、頑張って行った。
今月はこれでも3回目で、週一すなわち月に4回は行かねばと考えているので、いささか不本意だ。
バイクを15分間漕ぎウォーミングアップをしてからストレッチ。
シャドウ3R(ラウンド)、サンドバッグ2Rやって、会長に声を掛ける。
「ミットお願いします」
ミット打ちを終えたら会長が
「もう1R頑張りましょう。もう物足りないでしょう」
物足りていたが、そう云われれば私も男の子だ。
「1R休みますか」
「いえ、お願いします」
ミット打ち2R終え、ウェイトトレーニングを挟み、再びサンドバッグ2R、シャドウ1Rでやっとクールダウンのロープ(縄跳び)1R。
念入りにストレッチをやり稽古終了。

『ピストン堀口道場』主催の興行が6月1日にあり、だんだん近づいてきたので、ジムはいつもの休みの日より熱気を帯びている。
堀口会長が選手に飛ばす言葉もいつになく厳しい。
張り紙があった。
“徳州会病院でMRIが受けられるように交渉したので、スパーリングをする選手は受けて健康管理に気をつけてください”
選手の引退後のことにも気を配る会長らしい。

ロッカー(と云っても扉もない本棚のような造りだが)の前で、たまに言葉を交わす若者と挨拶した。
「随分、絞ったね。確か50kg落としたとか」
「はい、150kgが今では90まで落ちました」
「そりゃすごい。もともとハンサムだし、ますます大したもんだ。欧米系の顔をしているようだが」
「はい、母がアメリカ人なので」
「なるほど。では市民権は?」
「もうすぐ選択しないといけないのですが、アメリカ国籍は捨てるつもりです」
「ほぉ」
「だって、戦争なんて行かされたら、タマんないっすもんねぇ」

戦いはリングの中だけではないようだ。

2008年4月28日月曜日

ロハ

外出からオフィスに戻り、
「嗚呼、今日はゆっくり珈琲を飲む閑(ひま)も無かった」
と、理不尽な思いに囚(とら)われながら、一杯分の濾過式珈琲と珈琲を淹(い)れたら一緒に食べようと箱から取り出した明治チョコレート2ピースを持って、夕刻に給湯室に行った。
するとさすが神の子である私の心を見透かしたように、妙齢の美女Yさんがそこにいた。

下を向いて何やら一所懸命である。
「ごきげんよう」
いつものように声を掛けた。
ハッと猫が驚いたように、Yさんがこちらに顔を向けると、手元にテプラが見えた。
このあたりがYさんのYさんたる所以(ゆえん)である。
不思議美少女(年齢はおそらく30を超えているが)なのだ。
なんで給湯室でテプラなのか、そのあたりを追究するのも野暮というもの。
不思議に思いながら手元を見ると、どうもテプラに入っていた電池を交換していたようであるが(なんで給湯室で?と訊くのも野暮というもの)古い電池をどこに捨てたらよいか逡巡していたようだ。

丁度、美人のKさんが来たのでこれ幸いに訊いてみると、電池は“燃えないゴミ”のBOXでよいとのこと。
Yさんも納得して電池を捨てた。

「Yさんって、LOHAS(ロハス)な方ですな」
と、私。
LOHASとは、少し流行遅れかもしれないが、そう云ってみた。
「えっ?こういうのをロハスって云うんですかぁ」
薀蓄(うんちく)に火が点いた。
「そう、確かLifestyles Of Health And Sustainabilityの頭文字で、健康や環境問題に関心が高い人びとのことを云うのだよ」
「あ~、LOHASのHって健康のことなんですね~」

本当はこのあたりで気づくべきだった。
Yさんは実は私よりも遥かに聡明な女性なのである。
あとで思うとすでにこのあたりからYさんは冷静に私を観察していた。
それでも美人を前にした私は続けてしまう。
「そうHは健康、Sはサスティナビリティで、昔は環境報告書なんて云っていたものが、そのうちサスティナビリティ報告書に変わって、最近はCSR報告書なんてどんどん変わりますなぁ」

もう殆(ほとん)ど、みっともないくらいのしたり顔である。
考えてみればYさんは以前は旅行代理店に勤務していたのだ。
世の中でLOHASの概念が誕生するはるか前に、LOHASな生活は経験済みだった可能性があるし、下手すると実生活は高樹沙耶よりもLOHASかもしれない。
一通りYさんに喋った私だが、底を見透かされてしまったような敗北感に苛(さいな)まれながら、給湯室をあとにしたのだった。

夜8時50分頃にオフィスを出て、東興飯店に急いだ。
入店するときに入り口に書いてある営業時間を見ると“夜9時ラストオーダー”とある。
時計は8時59分だ。
入店して
「まだ、いいですか」
と訊くと
「はい、どうぞー」
と、いつもは無愛想なおばさんが笑顔を見せた。
このまま一人残されて、ハンサムな私はどこか海外にに売り飛ばされるのではないかと少し不安になったが、食欲が勝(まさ)った。

野菜炒め単品と、少し辛めの南国チャーハンをオーダーした。
カウンターにはニラレバ炒めとライスのにーちゃん(兄ではない)が一人と、テーブル席にはおっちゃん(叔父ではない)とにーちゃん(兄ではない)二人とねーちゃん(姉ではない)の4人のグループ。
4人のグループは、一通り食べ終わり紹興酒を飲んでいる。
おっちゃんは
「だいたい、おめぇよぉ」
とか
「だから俺はよぉ」
と、どうも私の苦手なタイプにようだ。
若手はいつも大変である。

レバニラのにーちゃんが早々に食べ終わり退店して、私もやや急ぎ気味に食べてまもなく終わる頃に、件(くだん)のおっちゃんは
「おあいそお願いしまーす」
と、先ほどまでの傲慢な人が、頭でも打って何かに変身したのかと思うほどトーンの違う声で、おばちゃんに終了を告げてレジに近づいた。
あれだけ“吠えて”いたのだから、どうせ領収証だろう、と思ったが意外にも
「領収証くださーい」
とは云わなかった。
「まぁ、おっさんのストレス発散代やな」
と思っていると、おっちゃん
「じゃ、一人1000円づつ徴収ね」

えっ!

一瞬間あとに、おっちゃん
「いいのいいの!タナカちゃんはいいんだよ」
どうやら、おねーちゃんことタナカちゃんの分は要らないと云っているようである。
「いえいえ、私も払いますよ~」
「いいんだよいいんだよ!ほんとにさぁ!」
「いえ1000円くらい、私にも払わせてくださいよぉ」

この瞬間に、おっちゃんは気づくべきだった。
タナカちゃんは、割り勘にしたいと云っているわけではないことに。
“おっさんなぁ、ここ中華料理店やで。やっすい店や。こんな店でどんだけ食うてどんだけ飲んでもしれてるやんけ。それであんだけ吹いて吠えて、男の子には1000円負担せぇってか?どないな了見やねん、あんた。普通は若いモンには、タダでええでと云うのがスジやろ。ええ加減にしぃやぁ”
こうタナカちゃんが心の中で(何故か関西弁で)訴えていることに気づかないおっちゃんであった。

むかし、無料のことを符丁(ふちょう)で“ロハ”と云うことがあった。
無料(ただ)から引っ掛けて“只(ただ)”を上下ばらして“ロハ”にしたのである。
LOHASとは全く関係ないが・・・。

只(ただ)よりも高いものはないと云うが、只(ロハ)より怖いものもないのである。

2008年4月27日日曜日

生きていりゃこそ

4月25日、JR福知山線脱線事故が3年経ったことが報じられた。
あの事故では運転士は死亡してしまったが、当時は細君も
「(運転士は)かわいそうだけど、亡くなっててよかったのかもね」
と云い、私も
「そやなぁ、生き残ってたら、生き地獄やったやろなぁ」
と、知ったような会話をした。

数日後、実家(事故現場には遠いが、同じ兵庫県である)に電話をしたときに、その事故の話が出た。
母は
「あの運転士はかわいそうになぁ。親孝行のええ子やったらしいで。仕事が辛かったんやろなぁ」
と。

ハッとした。
確かにあの若い運転士が生存していたら、世間の糾弾に遭っていたかもしれない。
しかし、彼はこの世に生を受けた人間であり、親にしてみれば孝行息子であることには変わりない。
生涯十字架を背負うことになったのかもしれないが、やはり人生は生きていてこそなのである。

2008年4月26日土曜日

頑張れ、あぶさん

最近自分の新しい癖に気づいた。
新聞や雑誌などでプロファイル欄の年齢を確認することである。
小説家など創作を生業(なりわい)にしている人や、○○評論家と言われる人やJAZZ演奏家など、なんとなく自分の中で憧れを持っている人は特に。
そして自分より年上だと安心する。
自分より年下だと、“そぉかぁ”と小さく溜息のような諦念にも似たものを口から吐き出す。
そんなことを繰り返している。

子供の頃、いつも夏休み(春休みにもあるが)に見ていた高校野球。
高校球児は自分よりもはるかに年上の男たちだった。
中学生になっても、山口百恵、桜田淳子、森昌子の“花の中三トリオ”はひとつ年上だった。
高校生になったある日、高校球児が(当たり前であるが)同世代であることに気づいた。
それでもまだたくさんの“年長者”がいて安心出来た。
幸い芸能界では“花の中三トリオ”以来、目だった活躍をする人がいなくて内心ホッとしているが、他の世界ではそうもいかない。
まずは現役寿命の比較的短い角界の力士たち。
彼らの年齢にいつしか追いつき、さっさと追い越してしまった。
そして球界から引退する人たちよりも年を喰ってしまった。
いや、まだホークスの“あぶさん”がいるか。

演歌歌手の年齢も若い人が増えて、私がその世界の人間ならすっかりベテランだ。
ピーターパン症候群と揶揄(やゆ)されようと、いつまでものほほんと生きていたい。
とはいえ、あと数年で同級生に孫ができるヤツも出現するだろう。
同窓会で孫自慢か。。。
考えただけで、恐ろしい。

最後には“金さん、銀さん”みたいな世界レベルの長寿の人たちだけが私の拠り所となるのだろうな。

2008年4月25日金曜日

黄色いカップ

長野が喧(かまびす)しい。
明日、北京五輪の聖火がリレーされるからだ。

1964年、郷里の播州赤穂でも東京オリンピックの聖火はリレーされた。
しかし、あのような田舎でも本当にリレーされたのだろうか。
あの年の11月で5歳になったということは、リレーは4歳の時、記憶間違いなのではないかと時々思う。
記憶では近所に住む親戚のおじさんに連れられて、聖火リレーを見に行ったことがインプットされている。
人垣も覚えている。
ただ、聖火はまったく記憶にない。

黄色いカップの明治アイスクリームを、その辺で買ってもらって、食べたことしか記憶にない。
平和な時代の話である。

2008年4月24日木曜日

ペットボトル

「恋愛は、性欲の詩的表現に過ぎない」芥川龍之介『侏儒の言葉』より
高校の同級生K月が、自分がもてないことを逆恨みしてか、ガールフレンドのいる友人に向かって多用した言葉だ。
もちろんそんなことを云われる側の方は、むしろ余裕綽々(しゃくしゃく)である。

K月に拓郎の歌の話をしても
「音楽なんて空気の振動に過ぎん」
と取り合わない。
と云いつつ彼は月刊『明星』(今の『Myojo』)の付録である新曲の冊子に収められていた麻生よう子のデビュー曲“逃避行”(1974年日本レコード大賞最優秀新人賞受賞曲)の歌詞をコピーさせてほしいと懇願してきたが。

帰りに駅のホームで電車が入ってきたとき、手に持っていたミネラルウォータアのペットボトルが電車の音に呼応して振動した。
細かな震えを手で感じたとき、
「成る程、音は空気の振動だ」
などと感心していると、ふとそんなK月のことを思い出した。

“坂本竜馬も一人の男に過ぎなかった”
数多(あまた)ある幕末モノを探せば一ヶ所くらいそんな表現がありそうな気がする。
どうやら
「○○なぞ○○に過ぎない」
の称号を獲得するのは、
「○○と云えば○○」
の称号を獲得するよりも難易度が高そうである。

そうか、K月は本当は拓郎が好きで、それでもって彼は彼なりに“恋に恋していた”に違いない。

それにしても
「女と云えばハセキョー」
「動物園と云えば王子動物園」
「芝居と云えば忠臣蔵」
などは、世間も納得するだろうが
「性欲と云えば恋愛」
では、どうにも締まらない。