今朝の朝刊に15段(1ページ全面)広告が掲載されていた。
ミュージカル『ミス・サイゴン』だ。
10年前の5月に、某経済団体の訪米調査団に加わった際、スケジュールの最後がニューヨークだったため、1日延泊してゆるりと過ごした。
一人でブロードウェイをブラブラしていると『ミス・サイゴン』の看板が見えたので迷わず劇場に入り、夜の公演を予約した。
S席で65ドルだったと思う。
笑った。
泣いた。
もちろん全編英語で、もちろん字幕なぞなかったにも関わらず、である。
(日本語同時説明ガイドテープの貸出しがあることが、劇場を出るときに分かったが、それを聞いて100%内容を理解しようとするのも無粋と云うもので、矢張り生の声を聴く方がよい)
21年前にもブロードウェイを訪ねて『スターライトエクスプレス』『オーカルカッタ』なぞを観たが、『ミス・サイゴン』は格段に面白かった。
カーテンコールの“演出”が、兎(と)に角(かく)素晴らしい、心憎いのだ。
DJで映画評論家の浜村淳の言い方を借りれば、まさに
“これでもか、これでもか”
と、いう感じで盛り上げて、公演の感動を心に焼き付けてくれるのだ。
あまりによかったので、何年か前にCDを買い求めた。
『Miss Saigon』
2枚組で、ほぼ全編カヴァーされていて、聴いていると瞼(まぶた)に浮かんでくる。
中でも一番好きな歌は“I STILL BELIEVE”だ。
「私の葬式で、出棺のときには是非ともこの曲を流して欲しい」
と、細君に頼んだのだが
「なに考えてんの。あなたのその能天気さとその我儘(わがまま)な性格で、私は苦労に苦労を重ねて私が早く死ぬに決まってるじゃない。娘たちに頼んどきなさいよ」
「なんの。佳人薄命と云うではないか」
と、云っても取り付く島もない。
姫たちに頼むと曲を取り違えられそうで、死んでも死にきれない。
日本公演は帝国劇場で明日から幕が開く。
S席は13,500円か。。。
行きたいなぁ。
行きたいなぁ。
そんなことを考えながら、キッチンで顔を洗っていると、誰かが私のおしりをピシッと叩いた。
石鹸で洗っていたので、目を開けられなかった。
思い浮かぶ容疑者は男子で2名、女子で3名いるので、捜査本部は5秒で解散し迷宮入りした。
2008年7月16日水曜日
2008年7月15日火曜日
役者やのぉ
島国根性って、言葉がある。
何かで読んだが、大昔の日本人は自分たちの国が“島国”とは知らなかったはずだ。
確かに!
では日本人が日本を島国って気付いたのは伊能忠敬以降ではないか。
しかし、地球的に見ると、大陸とて島である。
日経新聞の日曜版は、教養面が充実していて面白い。
一昨日の紙面の『語る』というコラムに英文学者の外山滋比古(とやましげひこ)氏が面白いことを書いていた。
いや、待てよ。
この名前。。どこかで。。
書斎の本棚を調べてみるとやはりあった。
『読み書き話す』という1980年発行の初版本を購入して読んでいた。
最初の方を読むと、ふむふむ、なるほど面白い。
いかんいかん。
買うだけ買って読んでいない本がけっこうあるのに、古本を読み返している時ではない。
将来、悠々自適の生活を送るようになったら、軽井沢の別荘でゆるりと。。。
“悠々自適”と“軽井沢の別荘”を持つのに、宝くじに当たることが条件なのが、ちとキツいが。
いや、3億円当たってもそれは無理か。
コラムの見出しは“日本で独創的思考をつむぐ”。
~外山も「英語を学ぶなら一度は本土の土を踏まなくちゃ」と何度となく説得されたが、今に及ぶまで日本を出たことがない。「百害あって一利なし」との確信があったからだ。「源氏物語の研究者は平安時代に行けるわけではないが、それでも研究はできる」~
その通りである。
島国なんて云う言葉そのものが僻(ひが)み根性だ。
要は創造力なのだ。
かの劇画の最高傑作『博多っ子純情』を生み出した長谷川法世氏は、あるインタビューを受けて、主人公が同作の中でラグビーをやっていたことから、氏も経験あるのでは、と問われて、こう答えたと云う。
「やったことないですよ」
「でも描写が具体的だ」
「じゃ、人殺しのストオリィを上手に書く人は、実際に人を殺したのか」
稀代の天才映画スタア、ブルース・リーは『燃えよドラゴン』で、その溢れる才能を世界に見せつけた。
本作が日本で公開されたときにはブルース・リーはすでにこの世にはいなかったので、いろんな伝説が一人歩きした。
“彼は世界一強い男だったのではないか”の類(たぐい)。
ある映画評論が当を得ていた。
“彼はスクリーンの中で世界一強く見えるように演じて演出した男だ”と云うもの。
私は、人から見ると随分と怠け者に見えるらしい。
しかも、スケベそうにも見えるらしい。
つまり私は天才役者なのだ。
何かで読んだが、大昔の日本人は自分たちの国が“島国”とは知らなかったはずだ。
確かに!
では日本人が日本を島国って気付いたのは伊能忠敬以降ではないか。
しかし、地球的に見ると、大陸とて島である。
日経新聞の日曜版は、教養面が充実していて面白い。
一昨日の紙面の『語る』というコラムに英文学者の外山滋比古(とやましげひこ)氏が面白いことを書いていた。
いや、待てよ。
この名前。。どこかで。。
書斎の本棚を調べてみるとやはりあった。
『読み書き話す』という1980年発行の初版本を購入して読んでいた。
最初の方を読むと、ふむふむ、なるほど面白い。
いかんいかん。
買うだけ買って読んでいない本がけっこうあるのに、古本を読み返している時ではない。
将来、悠々自適の生活を送るようになったら、軽井沢の別荘でゆるりと。。。
“悠々自適”と“軽井沢の別荘”を持つのに、宝くじに当たることが条件なのが、ちとキツいが。
いや、3億円当たってもそれは無理か。
コラムの見出しは“日本で独創的思考をつむぐ”。
~外山も「英語を学ぶなら一度は本土の土を踏まなくちゃ」と何度となく説得されたが、今に及ぶまで日本を出たことがない。「百害あって一利なし」との確信があったからだ。「源氏物語の研究者は平安時代に行けるわけではないが、それでも研究はできる」~
その通りである。
島国なんて云う言葉そのものが僻(ひが)み根性だ。
要は創造力なのだ。
かの劇画の最高傑作『博多っ子純情』を生み出した長谷川法世氏は、あるインタビューを受けて、主人公が同作の中でラグビーをやっていたことから、氏も経験あるのでは、と問われて、こう答えたと云う。
「やったことないですよ」
「でも描写が具体的だ」
「じゃ、人殺しのストオリィを上手に書く人は、実際に人を殺したのか」
稀代の天才映画スタア、ブルース・リーは『燃えよドラゴン』で、その溢れる才能を世界に見せつけた。
本作が日本で公開されたときにはブルース・リーはすでにこの世にはいなかったので、いろんな伝説が一人歩きした。
“彼は世界一強い男だったのではないか”の類(たぐい)。
ある映画評論が当を得ていた。
“彼はスクリーンの中で世界一強く見えるように演じて演出した男だ”と云うもの。
私は、人から見ると随分と怠け者に見えるらしい。
しかも、スケベそうにも見えるらしい。
つまり私は天才役者なのだ。
2008年7月14日月曜日
Ca
今朝、後輩女子Tちゃんが近づいてきて私に云った。
「カルシウム持ってません?」
「カルシウム?うーん、、、そうや、ワカメなら持ってるよ」
「ワカメ?乾燥ワカメってこと?」
「そうそう、カルシウムたっぷり、、、多分」
「どうしろって云うの?」
「お湯で戻して食べる」
「あのねぇ・・・」
「あっ、お吸い物がある。それに入れれば?」
「うーん、、、他には?」
「うーん、カルシウムと云われようがマグネシウムと云われようが、いま持ってるのはチョコとキャンディーだけ」
「そっかぁ」
「カルシウムって何に入ってたっけ?」
「例えば、牛乳とか」
「そっかぁ。さすがに牛乳は買い置きしてないなぁ」
そんなわけでランチは外出せずに、コンビニに行って弁当を買い、その足でカルシウムのサプリみたいのなのがないか店内を探した。
、、、ない。
牛乳くらいはあるだろうと思って飲料コーナーに行ったが、セブンイレブンやローソンのようなちゃんとしたコンビニではないので、品揃えが悪く置いてない。
他をウロウロすると、あったあった♪
『かっぱえびせん』
Caたっぷりと書いてある。
意気揚々とオフィスに戻り、Tちゃんにあげた。
数分後、ふと思った。
急にカルシウムが欲しくなるなんて、どういうことだろう。
Tちゃんがカルシウムを所望したのは初めてだ。
そう云えば、カルシウム不足になるとイライラする、とはよく聞く話だ。
そうか!
Tちゃんが近づいてきたので、得意顔で私は云った。
「ひょっとして、なんかイライラしてるんでないの?」
「大きな声で云わないのっ!朝はそれを伝えたかったのっ!」
なんのことはない、私はカルシウムの入った食品の会話をするべきでもなければ、コンビニに行ってカルシウムを調達するべきでもなく、イライラを解消してあげるべきだったのだっ。
気づくのが3時間ほど遅かった。
「カルシウム持ってません?」
「カルシウム?うーん、、、そうや、ワカメなら持ってるよ」
「ワカメ?乾燥ワカメってこと?」
「そうそう、カルシウムたっぷり、、、多分」
「どうしろって云うの?」
「お湯で戻して食べる」
「あのねぇ・・・」
「あっ、お吸い物がある。それに入れれば?」
「うーん、、、他には?」
「うーん、カルシウムと云われようがマグネシウムと云われようが、いま持ってるのはチョコとキャンディーだけ」
「そっかぁ」
「カルシウムって何に入ってたっけ?」
「例えば、牛乳とか」
「そっかぁ。さすがに牛乳は買い置きしてないなぁ」
そんなわけでランチは外出せずに、コンビニに行って弁当を買い、その足でカルシウムのサプリみたいのなのがないか店内を探した。
、、、ない。
牛乳くらいはあるだろうと思って飲料コーナーに行ったが、セブンイレブンやローソンのようなちゃんとしたコンビニではないので、品揃えが悪く置いてない。
他をウロウロすると、あったあった♪
『かっぱえびせん』
Caたっぷりと書いてある。
意気揚々とオフィスに戻り、Tちゃんにあげた。
数分後、ふと思った。
急にカルシウムが欲しくなるなんて、どういうことだろう。
Tちゃんがカルシウムを所望したのは初めてだ。
そう云えば、カルシウム不足になるとイライラする、とはよく聞く話だ。
そうか!
Tちゃんが近づいてきたので、得意顔で私は云った。
「ひょっとして、なんかイライラしてるんでないの?」
「大きな声で云わないのっ!朝はそれを伝えたかったのっ!」
なんのことはない、私はカルシウムの入った食品の会話をするべきでもなければ、コンビニに行ってカルシウムを調達するべきでもなく、イライラを解消してあげるべきだったのだっ。
気づくのが3時間ほど遅かった。
2008年7月13日日曜日
仮面の告白
三島由紀夫の名作のひとつ『仮面の告白』を読了した。
自伝的小説とのことだが、よくここまで書けたものだと感心した。
要はホモであることのカミングアウト本なのだが、主人公が逞(たくま)しい男の体に欲情する描写は気持ち悪いの一語に尽きる。
しかし、それにもまして悪魔の儀式のように人を傷つけるおどろおどろしい想像シーンもあって、私はこんな本をカバーもつけずに電車で読んでいて変な目で見られていないだろうか、と思わず見回したものだ。
発禁になっていないのが不思議なくらいの本だ。
そんな中でもニヤリとする記述が一箇所だけあった。
主人公は一丁前に園子と謂(い)う女性と恋に落ちている。(ふりをしているのだが)
本作の終わりの方で主人公は園子に接吻(せっぷん)をする。
場所は、長野だったか、とあるゴルフ場の黄色い野菊の草むらだ。
翌日も野菊が踏み荒らされた同じ場所で接吻する。
次の日には主人公は帰京する。
園子は、一人でその場所に行く。
園子は、踏み荒らされた野菊を見る。
ただそれだけのことなのだが、こういう感受性は大好きだ。
もう黴(かび)が生えるくらい随分昔のことだが、、、
さっきまで彼女が部屋にいた痕跡(こんせき)、例えば二人で食べたラーメン鉢が残っている、忘れていった髪留めが無造作に転がっている、メモ用紙に書いた落書き。
そんな“さっきまで彼女がいたという”物的証拠は、なんとも云えないものだ。
自伝的小説とのことだが、よくここまで書けたものだと感心した。
要はホモであることのカミングアウト本なのだが、主人公が逞(たくま)しい男の体に欲情する描写は気持ち悪いの一語に尽きる。
しかし、それにもまして悪魔の儀式のように人を傷つけるおどろおどろしい想像シーンもあって、私はこんな本をカバーもつけずに電車で読んでいて変な目で見られていないだろうか、と思わず見回したものだ。
発禁になっていないのが不思議なくらいの本だ。
そんな中でもニヤリとする記述が一箇所だけあった。
主人公は一丁前に園子と謂(い)う女性と恋に落ちている。(ふりをしているのだが)
本作の終わりの方で主人公は園子に接吻(せっぷん)をする。
場所は、長野だったか、とあるゴルフ場の黄色い野菊の草むらだ。
翌日も野菊が踏み荒らされた同じ場所で接吻する。
次の日には主人公は帰京する。
園子は、一人でその場所に行く。
園子は、踏み荒らされた野菊を見る。
ただそれだけのことなのだが、こういう感受性は大好きだ。
もう黴(かび)が生えるくらい随分昔のことだが、、、
さっきまで彼女が部屋にいた痕跡(こんせき)、例えば二人で食べたラーメン鉢が残っている、忘れていった髪留めが無造作に転がっている、メモ用紙に書いた落書き。
そんな“さっきまで彼女がいたという”物的証拠は、なんとも云えないものだ。
2008年7月12日土曜日
復讐
昨夜、駅の自動販売機でお茶を買おうとした。
財布の中を見ると100円玉1枚、50円玉1枚、10円玉2枚。
350mlのお茶は120円だったので20円を投入して、切りがいいので残りの100円分はSuicaで、と思ってかざしたが無反応だ。
融通が利かない奴だ、と思って仕方なく財布からお金をつまんで入れたら入れたのは50円玉だった。
まぁいいか、と思って100円玉を投入してボタンを押した。
するとお釣が出てきたのだが、なんと10円玉5枚が出てきたのだ。
てっきり私が入れた50円玉が返ってくると思ったのだが。
自動販売機は独り言のように呟(つぶや)いた。
「ああ!細かい金が一杯で重かったんや。ちょっとすっきりした」
「お前、ワシのこと融通利かんと思ったやろ?ちょっとした復讐(ふくしゅう)や・・・」
自宅でのトレーニングでは、ダンベルもよく使う。
通信販売で購入したもので、同じ重さのものが2セットある。
けっこう重く、引越しの時など引越し屋のにーちゃん(兄ではない)は、少し嫌な顔をする。
私もこれを使うときは結構気合を入れる。
「うんし、うんし!」
と、持ち上げて、
「さすがに12.5kgは重いなぁ」
と、長年思っていた。
ある日、気まぐれに体重計に乗せて驚いた。
15kg?!
なんと、長年勘違いしていたのだ。
不思議なもので、12.5kgだと思っていたダンベルが15kgだと思うと、ダンベルが急に前より重くなったような気がした。
ダンベルの復讐のように思えて仕方がない。
“彼ら”には、何も悪いことはした覚えがないのだが。
“復讐”という言葉を含む諺(ことわざ)は、欧米には意外とある。
Revenge is a dish that can be eaten cold.
SPACE ALCによると
“復讐は、冷めても食べられる料理。/復讐は、何時までたっても果たしたいもの。”とのこと。
同じような言い回しで、こんなのを何かで読んだことがある。
イタリアの諺だったと思うが、
“復讐という料理は、冷めた頃が一番美味しい”
さすがマフィアの国、というか、なかなかに含蓄(がんちく)のある諺だと思う。
これを聞くと、長い付き合いの人間ほど潜在的には恐ろしいと謂(い)うことになる。
小学校時代の友人で付き合いのある人間はいない。
高校時代、大学時代が要注意か。
いや、待てよ。
来年3月で、結婚20年だ・・・。
財布の中を見ると100円玉1枚、50円玉1枚、10円玉2枚。
350mlのお茶は120円だったので20円を投入して、切りがいいので残りの100円分はSuicaで、と思ってかざしたが無反応だ。
融通が利かない奴だ、と思って仕方なく財布からお金をつまんで入れたら入れたのは50円玉だった。
まぁいいか、と思って100円玉を投入してボタンを押した。
するとお釣が出てきたのだが、なんと10円玉5枚が出てきたのだ。
てっきり私が入れた50円玉が返ってくると思ったのだが。
自動販売機は独り言のように呟(つぶや)いた。
「ああ!細かい金が一杯で重かったんや。ちょっとすっきりした」
「お前、ワシのこと融通利かんと思ったやろ?ちょっとした復讐(ふくしゅう)や・・・」
自宅でのトレーニングでは、ダンベルもよく使う。
通信販売で購入したもので、同じ重さのものが2セットある。
けっこう重く、引越しの時など引越し屋のにーちゃん(兄ではない)は、少し嫌な顔をする。
私もこれを使うときは結構気合を入れる。
「うんし、うんし!」
と、持ち上げて、
「さすがに12.5kgは重いなぁ」
と、長年思っていた。
ある日、気まぐれに体重計に乗せて驚いた。
15kg?!
なんと、長年勘違いしていたのだ。
不思議なもので、12.5kgだと思っていたダンベルが15kgだと思うと、ダンベルが急に前より重くなったような気がした。
ダンベルの復讐のように思えて仕方がない。
“彼ら”には、何も悪いことはした覚えがないのだが。
“復讐”という言葉を含む諺(ことわざ)は、欧米には意外とある。
Revenge is a dish that can be eaten cold.
SPACE ALCによると
“復讐は、冷めても食べられる料理。/復讐は、何時までたっても果たしたいもの。”とのこと。
同じような言い回しで、こんなのを何かで読んだことがある。
イタリアの諺だったと思うが、
“復讐という料理は、冷めた頃が一番美味しい”
さすがマフィアの国、というか、なかなかに含蓄(がんちく)のある諺だと思う。
これを聞くと、長い付き合いの人間ほど潜在的には恐ろしいと謂(い)うことになる。
小学校時代の友人で付き合いのある人間はいない。
高校時代、大学時代が要注意か。
いや、待てよ。
来年3月で、結婚20年だ・・・。
2008年7月11日金曜日
1 year or less
新聞記事によると、セルフレジが普及しつつあるとか。
6年ほど前にハワイのアウトレット、ワイケレショッピングセンターで初体験した。
どんなシステムか忘れてしまったが、案外便利やないか、という快感の記憶だけはある。
それ以前、日本にまだセルフスタンドがなかった頃、レンタカーを満タン返しにする時に経験してみたが、なかなかに合理的なものだと思った。
ただ、なんでもかんでも客にやらせるのか、と腑(ふ)に落ちない気持ちもある。
日本で客にやらせる商売と云えば、焼肉や大阪風お好み焼きか。
あと昔は駄菓子屋の軒下に自動綿菓子機なるものがあった。
10円入れると自動的にざらめが投入され、出てくる綿菓子を備え付けの割り箸でクルクルと巻いていくのだ。
衛生面で問題もあるのだろう、最近は見かけない。
自分のテーブルで焼くようなお好み焼き屋でも、面倒くさいので
「焼いてきてんか」
と云うことが多い。
ただ、店員に任せると下手な焼き方をされて後悔することもある。
ハワイのスーパーマーケットでいいなと思ったのはこんなレジがあることだ。(確か本土にもある)
“Express Lane 10 Items or Less”
つまり10品以下の買い物の人専用レジだ。
これは優れものサービスだ、と思った。
売上が伸びないと悩むスーパーマーケットが多い中、日本にこのサービスがないのが不思議である。
ついでに、こんなことを私に謳(うた)ってくれる美人が次々と現れてほしいものだ。
“交際希望、 1 year or less”
6年ほど前にハワイのアウトレット、ワイケレショッピングセンターで初体験した。
どんなシステムか忘れてしまったが、案外便利やないか、という快感の記憶だけはある。
それ以前、日本にまだセルフスタンドがなかった頃、レンタカーを満タン返しにする時に経験してみたが、なかなかに合理的なものだと思った。
ただ、なんでもかんでも客にやらせるのか、と腑(ふ)に落ちない気持ちもある。
日本で客にやらせる商売と云えば、焼肉や大阪風お好み焼きか。
あと昔は駄菓子屋の軒下に自動綿菓子機なるものがあった。
10円入れると自動的にざらめが投入され、出てくる綿菓子を備え付けの割り箸でクルクルと巻いていくのだ。
衛生面で問題もあるのだろう、最近は見かけない。
自分のテーブルで焼くようなお好み焼き屋でも、面倒くさいので
「焼いてきてんか」
と云うことが多い。
ただ、店員に任せると下手な焼き方をされて後悔することもある。
ハワイのスーパーマーケットでいいなと思ったのはこんなレジがあることだ。(確か本土にもある)
“Express Lane 10 Items or Less”
つまり10品以下の買い物の人専用レジだ。
これは優れものサービスだ、と思った。
売上が伸びないと悩むスーパーマーケットが多い中、日本にこのサービスがないのが不思議である。
ついでに、こんなことを私に謳(うた)ってくれる美人が次々と現れてほしいものだ。
“交際希望、 1 year or less”
2008年7月10日木曜日
それでも、僕は・・・
午後のひととき、後輩女子Tがいたので話しかけた。
私が生まれるよりも20年と1ヶ月だけ遅い1979年12月生まれ、たまに二人でランチにも行く仲良しだ。
「やぁ!」
「・・・はい」
「あれっ?怒ってる?」
「そういうこと言うから怒ってなくても腹が立ってくるんですよ」
「いや、まぁ。ところで最近おぬしのことをたまに考えてるんやけどね」
「・・・」
「いや、まぁ、若い若いと思ってたけど、考えたらおぬしも来年は30よなぁ」
「それがどうしたんですか」
「いや、まぁ、そうなると、どんどん私の年齢に近づいてくるなぁと思ったら嬉しくてね」
「自分の年齢はそのままだと思ってるんですか」
「いや、まぁ。けどな、私が40歳ならおぬしは20歳で、比率は50%やん?けど、来年になったら、私は50になるが、おぬしは30で60%やん?ほら、近づいてるやん?」
「ものは云いようですけど、絶対に追いつくことはありませんから」
「いや、まぁ、けど私が1,370歳になったら、おぬしは1,350歳やん?そんなの誤差みたいなもんやん?」
「あの、私忙しいから、もういいですか」
夜に、私が帰宅しようとしたら、Tがチラッとこちらを見るのが分かった。
「なんだよ、私は働いてるのにお前はもう帰るのか」
と、言いたげだ。
で、目を合わそうと思ったら、視線を逸(そ)らされた。
なので、声を掛けた。
「じゃ!よいお年を~!」
「また、年の話かぁ?!」
本当に仲良しなのである。
本当は仲良しなのである。
それでも仲良しなのである。
私が生まれるよりも20年と1ヶ月だけ遅い1979年12月生まれ、たまに二人でランチにも行く仲良しだ。
「やぁ!」
「・・・はい」
「あれっ?怒ってる?」
「そういうこと言うから怒ってなくても腹が立ってくるんですよ」
「いや、まぁ。ところで最近おぬしのことをたまに考えてるんやけどね」
「・・・」
「いや、まぁ、若い若いと思ってたけど、考えたらおぬしも来年は30よなぁ」
「それがどうしたんですか」
「いや、まぁ、そうなると、どんどん私の年齢に近づいてくるなぁと思ったら嬉しくてね」
「自分の年齢はそのままだと思ってるんですか」
「いや、まぁ。けどな、私が40歳ならおぬしは20歳で、比率は50%やん?けど、来年になったら、私は50になるが、おぬしは30で60%やん?ほら、近づいてるやん?」
「ものは云いようですけど、絶対に追いつくことはありませんから」
「いや、まぁ、けど私が1,370歳になったら、おぬしは1,350歳やん?そんなの誤差みたいなもんやん?」
「あの、私忙しいから、もういいですか」
夜に、私が帰宅しようとしたら、Tがチラッとこちらを見るのが分かった。
「なんだよ、私は働いてるのにお前はもう帰るのか」
と、言いたげだ。
で、目を合わそうと思ったら、視線を逸(そ)らされた。
なので、声を掛けた。
「じゃ!よいお年を~!」
「また、年の話かぁ?!」
本当に仲良しなのである。
本当は仲良しなのである。
それでも仲良しなのである。
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