2008年7月23日水曜日

あとがき - A Love Supreme

最愛の友から教えてもらった占いサイトに『天国からのメッセージ』がある。
久しぶりに入力して占ってみた。
久しぶりでも結果は変わらないと思うが・・・

2008年の僕へ。
元気ですか?
2008年ごろの自分のことを懐かしく思い出します。
僕は93歳で、つまり西暦2052年に、寿命を全うして生涯を終えます。
振り返ってみると、良くも悪くも、自分らしい人生だったと満足しています。
だたひとつだけ過去の自分に、つまり今のあなたに伝えておきたい事があります。
それは 2009年の風の強いある日、僕は自然な成り行きによって、ある家のディナーに招待されます。
そこで、その後を左右する大事件が起こるのです。
メモしておいてください。
最後にひと言、93年間生きてみて思ったのは「世の中たいがいの事は、やれば何とかなる」ってこと。
それでは、またいつか会いましょう。
残りの人生を存分にたのしんでください。

と、私は2052年に93歳で死ぬことになっている。
短命である。
まぁ、当たるも八卦当たらぬも八卦と笑い飛ばすしかない。
だいたい、私が死んだ後もこの世が続いている筈(はず)がない。
それに、いまもって人からは
「若い若い」
と、云われる。
「とても48歳には見えません。どうみても44歳です」
なぞと。

私自身は16歳から大して年を喰ったように思えないので、どうもこの調子で行くと300歳くらいまで生きそうだ。
私の死亡年齢を2259年と占うサイトこそ本物だ。

むかーし、上岡龍太郎が深夜のテレビ番組で、棺おけに入って登場した。
ゲストの大竹まことだったか、彼も棺おけに入って、あと数人のゲストも棺おけに入ったまま、互いの顔はモニターで確認しながらトークしていた。
「狭いけど案外落ち着くなぁ」
とは、上岡氏のコメントだったと思う。

私は狭いのは嫌いだ。
せめて手を伸ばして背中を掻(か)けるくらいの余裕が欲しい。

うん、今の書斎くらいがちょうどいい。
Good bye

2008年7月22日火曜日

ヒポクラテスたち

朝の通勤電車でのこと。
戸塚で松葉杖(まつばづえ)の女性が乗ってきた。
一瞬しか見えなかったが年の頃はアラフォーか。
手で掴(つか)む所謂(いわゆる)グリップ部分は滑り止めに包帯が巻きつけてあり、色はまだ白い。
歩き方がぎこちない。
一目見て怪我をしている人だと判った。
ああ、と思っているうちに人影に隠れ、電車が揺れるとチラチラ見える位置にいた。
グリグリと人を掻(か)き分けるほどテンションは高くない。
電車は横浜に着いて大勢が降りる。
その人も動きを見せて降りるかなと思ったが、私の斜め前に立った。
縦のバーを握ることができるポジションで、さっきまでの真ん中よりは安全だと思ったのだろう。
スジから云って、私の隣のおっちゃん(伯父ではない)、つまりその女性の前の人が席を譲るべきだろう。
しかし、眠ったままだ。
こういうこともあるのだから、電車でグースカと寝るのはいかがなものかと思う。
しかも、横浜から川崎、そして品川は、東海道線の中で最も混む区間だ。
左を見ると茶髪のにーちゃん(兄ではない)が、これまたグースカピースカと寝ている。
スジから云ってこのにーちゃんが
「あっ、僕、若造ですから」
と、人を掻き分けて譲るべきだろう。

「義を見てせざるは勇なきなり!」
席を立って
「どーぞ!」
と、堤真一のように譲った。
堤真一になるのも一苦労である。

品川で乗り換え田町で降りて歩いていると後姿の素敵な女性が前を歩いている。
素敵な後ろ姿と云うのはもちろんお尻である。
ええい!
ここでジロジロ見ながら歩いていては堤真一ではない!
と、意を決して追い抜いた。
しかも、振り返らなかって顔を見ることも我慢したのだ。
堤真一になるのも大変である。

高校時代の現代国語教師のH崎氏。
我々があまりにも女の子の話に興じていたのが癪(しゃく)に障(さわ)ったのか、こう云った。
「おまえらなぁ、女の尻を追いかける男より、男に追いかけられるような男になれ」
本質はhypocriteだった(と思う)H崎氏にしては至言であった。

高校の一級先輩のS田氏のごとく、後(のち)に“男の<尻>を追いかける男”が出現したのは、歴史の皮肉としか言いようがないが。

2008年7月21日月曜日

NEVER GIVE UP

3連休の最終日、夏本番という天気だ。
自宅の前の体育館跡地は芝生で覆われているが、流石(さすが)に暑すぎて子供も遊んでいない。
蝉(せみ)がいないからか。
いや、最近は蝉を追いかける子供も見かけなくなった。
暑さごときに負けるな、子供たち。

ローテーションから云えば、今日は散髪に行くはずだった。
しかし、今日は行かない。
しばらく行かない。
伸ばす。
まるで禁煙の失敗者のように、髪伸ばしには何度も失敗して、いつも角刈りに戻るが。

才色兼備Nさんの好みの男性は、石黒賢と堤真一との由。
石黒賢?
実写版映画『めぞん一刻』の五代君の役をやったことくらいしか知らない・・・。
堤真一は、先日DVDで観た『ALWAYS 続・三丁目の夕日』での名演が記憶に新しい。
検索してみると、私と同じ兵庫県人ではないか。

今までは真田広之になることを目指してきて、ほぼ達成したので、ここらで方向転換してみようと思う。
勿論、目指すは石黒賢か堤真一だ。
両者の写真を見ると、石黒賢になるよりも、堤真一になるほうがハードルが低そうだ。
かといって、偏向するのではなく、二人の共通点にも気をつけておかねばならない。
眼鏡をかけていない。
よし、ジム以外でのコンタクト復活だ。
目力(めぢから)があるな。
これはクリア。
爽やかな熱血漢。
これくらい、これから身に付ければよろしい。
髪は?
長い。
よし、伸ばそう。

堤真一になると決めたら、新作を見ないと。
映画『クライマーズ・ハイ』
12:20からあるな。
よし行こう。
ジムに行く準備をして家を出た。
今日は、映画を観てからジムに行くことにした。
汗だらだらになりながら、映画館に辿(たど)り着いた。
久々に来たが、毎度ポップコーンの匂いには閉口する。
さて、チケット売り場へ。
“12:20からのクライマーズ・ハイはすべて売り切れました”
下手糞な手書きの張り紙が、先進的な電光掲示板のタイムスケジュールの横で、私を見てぴらぴらと笑っていた。
NEVER GIVE UP...

2008年7月20日日曜日

カイコウケン?

夕方、ふらりと一人で出かけた。
暑いので裸足(はだし)にTOP SIDERもどきのストライパーを履いて、湘南ボオイを気取ってみた。
痛い。
ちょっと歩いただけで痛い。
戻るのは面倒だ、頑張るしかない。
電車に乗って、茅ヶ崎駅で降りる。
目指すは『開高健記念館』だ。
彼がチンギス・ハーンの陵墓を探すことをライフワークにしていたことに興味を持ち、何か参考になることはないか訪ねた次第だ。
ない。
モンゴル関連の資料を展示していた時期もあったそうだが、今日現在では一切見当たらなかった。
館内の案内の人が
「モンゴルで釣をしたときのビデオをご覧になりますか」
と、云ってくれたが、そのNHKスペシャルは既に観たので、その旨告げて丁重にお断りした。

開高健と云えば、昔から読み方にイマイチ確信が持てなかった。
いろいろ調べた結果“カイコウタケシ”だ、との自信はあったのだが、人と喋ると何割かの人が“カイコウケン”と云う。
“カイタカケン”と云う人さえたまにいるが、それは論外だ。
展示室に入ると、開高氏が着ていた背広が展示してあった。
わざと背広の裏地が見えるような細工がしてある。
あっ!イニシャルが!
“K.K.”
カイコウケンか?
自信を失いかけた。
しかし、ベトナムにいる開高氏に宛てた知人からの手紙には“Mr.Takeshi Kaiko”とある。
開高氏がベトナムから日本に居る自分の娘に宛てた手紙には“T.Kaiko”と自署してあった。
背広の謎はよく分からないが、“カイコウケン”と称することもあったのかもしれない。

奥に進むと“書斎”と案内板がある。
書斎に入らせてくれるのか?
進むと書斎方面らしき廊下にはロープが張ってあり、見学路は外へ出る方向だ。
なんや、窓の外から見るんかいな。
思わず開高氏のような口調を思い浮かべる。
“書斎は生前のままです”と注意書きがある。
案外片付いている。
書斎なので机がある。
座椅子があるので、正座か胡坐(あぐら)か、と思ったが、なんとその部分だけ掘り炬燵(こたつ)式になっていた。
正座はもちろん胡坐も苦手な私は、なぜか安心した。

来るときは2kmの道のりをなんとか我慢して歩いたが、帰りには靴擦(ず)れが余りに痛くてバスに乗った。
バスなぞ何年ぶりか。
座席に腰を下ろし、入館した時にパンフレットを貰ったことを思い出し目を落とした。
表紙にはこう書いてある。

    ~茅ヶ崎市~
開  高  健  記  念  館
      THE
KAIKO TAKESHI HOUSE
    Chigasaki

ふふふ。

2008年7月19日土曜日

刺青

昨日“野茂英雄が引退を表明”のニュースが駆け巡った。
新聞各紙も様々なコメントを載せた。
申し合わせたように賞賛記事だが、野茂のプロ野球人としての戦績は勿論のこと、大リーグのドアをこじ開けたチャレンジ精神を考えると真っ当な評価と云うものだ。
中でも印象に残ったコメント。
今朝の読売新聞のコラム『編集手帳』で、米国の作家ジョン・スタインベックの言葉
「天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である」
を引用して、称えている。
野茂は、
「普通は“これで悔いはありません”と言うのでしょうが、私は悔いが残る」
とコメントしている。
『編集手帳』では、スタインベックの言葉を単純に引用して野茂天才説を唱えるのではなく、“頂上からの眺望は眼中になし、少年の目は今も幻の蝶を追っているのだろう”と評している。

最近読んだ記事で、心を抉(えぐ)られるような言葉に出合った。
7月3日付の日経夕刊のインタビュウ記事。
《群れないで生きる》丸山健二さんに聞く
中にはこうある。
~丸山さんは、親しいノンフィクション作家の梯久美子さんが『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したときにこう忠告したという。「心の中に刺青(いれずみ)を入れなさい」。創作活動中は名誉・金・出世と無関係で、賞をもらったからといって舞い上がってはいけないと諭したのである。~

思った。
天才たりえない人間が、自らのプリンシプルを堅持しようと思ったら“心の中に刺青を入れ”なければならないのだと。

私にも天才を超えたいと云う矜持(きょうじ)はある。
心の中に刺青を入れるような覚悟はしていないが、名誉・金・出世さらに女性にモテることとも無関係で、賞をもらったわけではないがいつも蝶のように舞い上がっている。

2008年7月18日金曜日

ハートカクテル

心にささくれができるような感覚を久々に味わった。
魅力的な女性と会食をしたあとの、独特の感覚だ。
爽やかな気分のような、後味が悪いような、とにかく日常と違うような、油断するとふと思い出してしまう、気だるい感覚だ。
経験上この感覚は、最低3日は続く。

16日生まれが親睦する“一六会(いちろくかい)”と云う会がある。
今夜はその会合だった。
後輩女子Nさんは8月16日、後輩女子Uさんは7月16日、後輩I君は5月16日、そして私が11月16日生まれだ。
ただ問題は、そんな会の名前を私が勝手につけているだけで、誰もそんな会に組み込まれているという認識がないことだ。
ともあれ第一回“一六会”は、武蔵小山の『釧路食堂』で開催された。
7月5日発売のビッグコミクオリジナルで安くて美味い店と紹介されていたので、早速訪ねてみた次第。
名物のザンギと云われる鳥の唐揚も、ジンギスカンもなかなかの美味で、しかも安かったので満足だ。
とはいえ、特筆すべきは矢張(やは)り、Nさんとの久々の会食だ。

Nさんは“お嫁さんにしたい女性”と云う言い方がぴったりの才色兼備の女性だ。
元祖“お嫁さんにしたい女性”と云えば女優の竹下景子さん。
元運輸大臣の荒船清十郎氏(1907~1980年)が1976年頃のテレビ番組で、司会の竹下景子さんに
「是非うちの息子の嫁に」
と云った言葉が流行語になった。
そういえば、竹下景子もNさんも、トンジョ(東京女子大学)卒だ。

そんなNさんは1980年代の短編漫画不朽の名作『ハートカクテル』から飛び出してきたような、清楚で明るく慎み深い女性だ。
たまに“若さに嫉妬する”という言い方を耳にするが、Nさんに対する感覚は“純粋さに嫉妬する”が近い。
故(ゆえ)にNさんと相対(あいたい)すると気後(きおく)れして、悪く言うとリラックスできない思いがあった。

帰りの電車でのこと。
私の犬の散歩の話から、よく行く海岸の話になり、そこでやっているビーチバレーの話になった。
Nさんも昔、4人制ビーチバレー(って、あるらしい)をやっていたとのことで、中学ではバレーボールをやっていたらしい。
私も中学のときにバレーボールをやっていたこと、その頃はミュンヘンオリンピックで男子バレーが強かったことを話したら、
「猫田を知っていますか?」
と、Nさんは尋ねてきた。
知っているも何も、猫田がセッターをやっていて男子バレーボール黄金期で金メダルを獲ったミュンヘンオリンピックのまさにその時に、私はバレーボール少年だったのだ。
Nさんが生まれる前の出来事だ。
夢中で話した。
猫田の名セッター振りは勿論、エースアタッカー大古のこと、横田が腰痛を堪えるために自転車のチューブを腰に巻きつけて試合に出たこと、“無謀”にも五輪直前に男子バレーチームをテーマにしたアニメ『ミュンヘンへの道』が放映されたこと、東京五輪では女子バレーチームが回転レシーブをやり始めたが、ミュンヘンで男子はフライングレシーブを開発したこと、対ブルガリア戦での奇跡の大逆転のこと、敗者復活の決勝で東ドイツを破って金メダルを獲得したこと。
「じゃ、猫田も活躍したんですね?」
一瞬、猫田に嫉妬したが
「勿論!猫田のトスがなければ、大古や森田や横田のアタックも活きなかった」
と、胸を張った。

あっ。
Nさんと自然に喋っている自分に気づいた。
そうか、自然体でいいのだ。
生(き)のままの、この少年のような純粋な気持ちで喋ればNさんという女性は受け止めてくれるのだ。
ただ、ささくれはあと2、3日は治りそうにない。

2008年7月17日木曜日

汚れた英雄

最近やたらと周りに鬱(うつ)病が多い。
なのでカウンセラーを目指す人も増えているような気がする。
知り合いのシガニー・ウィーバー似の美女Iさんは、アパレル企業を辞めてその道に進み既に活躍しているし、後輩女子Hさんもその手の学校に通っている。
Hさんが、カウンセラーを目指す人のために配布しているらしき小冊子を貸してくれた。
帰りの電車でパラパラ読むと、こんな項が。
“あんなオヤジのようになりたくない”人ほど“あんなオヤジ”のようになってしまうカラクリ。
これはよくある話で、他人事ではない。
解説はこうだ。
要は“ああは絶対なりたくない”と、強く念じているため、いつもそんなことを考えている。
つまりいつもイメージしているのだ。
人はいつもイメージしている姿に近づくものらしい。
処方箋(しょほうせん)はこうだ。
なりたいと思う人、つまり目標人物のことを強くイメージすること、とのこと。

バイクのコーナリングに似ている。
バイクというやつは、ライダーが“見ている”方向に向かう性質がある。
マシンと一体なので、ハンドル操作をする四輪とは違うところだ。
なので、バイクのレースを見ていると分かるが、ライダーはコーナリングのとき、首をグイと曲げてキッとコーナーの出口を見ている。
歌舞伎の見栄のような首の向きだ。
私もモトクロスをやっていたので経験があるが、コーナーで思い切ってマシンを倒してコーナーの出口を睨(にら)みつけると、バイクはそっちへ向ってくれるのだが、恐いと思ってコーナーの外をチラと見てしまうと、たいがいそっちへ吹っ飛ばされる。

やはりどんな時でも、イメージすることは大切なようだ。
では、私は、なりたい人になれたか。
子供の頃は鉄腕アトムになりたかったが、なれなかった。
マジンガーZにもなれなかった。
タイガーマスクにもなれなかった。
真田広之になれたくらいである。
人生は甘くないのである。

じゃ、バイクのコーナリングよろしく、せめて好きな女の子を見続けよう。
恋の成就は叶わなくとも、ストーカーにはなれる。