2008年6月30日月曜日

新婚旅行

高校の世界史のH先生、大学を出て間もない若い先生だったが、ある日の授業でわれわれに向かってこう仰った。
「今になって云えることやけど、社会に出るとなかなか忙しくて本が読めなくなる。せやから若いうちにとにかく一杯本を読んどいたほうがええよ」

今になって思う。
そんなことないな、と。
世の中の本、それはそれは面白い。
けど、やはり本は読み手によって、値打ちが変わってしまう。
本を読むためには、それなりの土壌が必要である。
土壌を作るために必要なものの多くは学問や読書!かもしれない。
しかし決定的なものは、人生経験だろう。

使うに容易(たやす)く、稼ぐに辛(つら)いお金の苦労。
旅行に出かけて人と出会ったり、はたまた途方に暮れてみたり。
世の中にこんな素敵な女性がいたのかと、胸を焦がしたり。
大切な人との永遠の別れに涙したり。

1冊の本も、感想が百出(ひゃくしゅつ)するのは当然だ。
しかし一人の人間でも、人生のどの過程で読むかによって、同じ本でもまったく感じ方が変わるものだ。
いま私は、読書適齢期ではないかと思う。
健やかにそして爽やかに、そうキアヌ・リーブスのように性慾が残っており、またローレンス・オリヴィエのように老いと云うことも判り始めている。
だから本への感受性も、イチローなみに守備範囲が広い。

H先生は、その後結婚を宣言した。
新婚旅行から帰ってきて第一声はこうだ。
「え~、、、新婚旅行というものは、疲れるものでして」
まるでネタのようなコメントだが、われわれにご祝儀の気持ちもあったのか、ドッとウケた。
しかし、疲れた発言が本音だったとしたら、H先生は昭和史に残る“品行方正”な人だったことになる。

「え~、、、あまり若いうちから一杯本を読まないように。お楽しみはこれからだ」
くらい、云ってくれたら、われわれの間で名前を残せたかもしれない。

2008年6月29日日曜日

わな

先週Kさんが、卓上用のスピーカを購入した、と云っていた。
私の書斎の卓上スピーカ、何年も使っていたが遂に左側から音が出なくなり、今日ヤマダ電機で購入した。
これも何かの縁か。
渋い色が好みなので、選んだのは濃い色の木目調の卓上スピーカ、2980円也。
意外と安価で助かる。
レジに行く。
二人並んでいる。
他のレジを見渡しても“隣のレジをご利用ください”と書かれた立て札のオンパレード。
夜も7時過ぎになると、店員も閉店に向けて片付けモードだ。
やっと前の客が、新たに開けたレジに呼ばれる。
なるべく客を待たせようとしないセブンイレブンを見習って欲しいものだ。
私の順番が来た。
店員のにーちゃん(兄ではない)がPOSでピッと処理をしている間に、財布から3000円と30円を取り出し、現金を置く皿に置いた。
店員のにーちゃんその皿を手元に持ってレジを打ち込みこう云った。
「3000と20円お預かりしましたので40円のお返しになりまーす」
グッと堪(こら)えた。
さすが人格者の私である。
人格者だから、
「いや、ちょっと・・・」
と、しか云わなかった。
私が人格者で店員はラッキーである。
私が普通の人だったら、彼はこう云われていた筈(はず)である。
「おい、ちゃんと見んかい。客から渡された金を確認せずにレジに打ち込むアホがおるかい。だいたいどこの世界に2980円の買い物して、3020円渡すヤツがおるんや」

にーちゃんに優しく接したことで、一日一善をしたような気分でヤマダ電機をあとにして帰宅した。
早速スピーカを開封してみると今まで使っていた簡易式のものではなく、コンセントにつなぐ本格的なものだった。
充分な音量と、良好な音質が期待できる。
最初に何を聴こうか。
ふと机を見るとキャンディーズの3人、特にミキちゃんが私を見て微笑んでいる。
『キャンディーズ ゴールデンベスト』のCD1をCDウォークマンに入れてスイッチを入れる。
おお!
キャンディーズの元気な歌声が!
青春が蘇(よみがえ)る。
特に“哀愁のシンフォニー”の「こっちを向いて~、涙をふいて~」の部分は圧巻だ。
この曲なら一日に8回聴いてもいい。

キャンデーズファンの多くはランちゃんファンのようだが、私はずっとミキちゃんファンだ。
会計士のK井さんは古典的にスーちゃんファンだ。
キャンディーズの最初のメインヴォーカルはスーちゃんだった。
やがてランちゃんになってキャンディーズはブレイクした。
そしてこのままミキちゃんはメインを張れないのかと気を揉んでいたら、やっとキャンディーズの末期に“わな”でメインヴォーカルとなった。
夏の甲子園でほぼ負けが決まり打席に立つ控えの選手のようでもあったが、喝采した。

キャンディーズと云えば、昭和52年の日比谷野音でのコンサアト中のコメント
「私たちは普通の女の子に戻ります!」
が、あまりにも有名だが、結局本当に普通の女の子に戻ったのはミキちゃんだけである。
律儀ではないか。
やはりキャンディーズはミキちゃんが最高である。

2008年6月28日土曜日

“退化”の“改心”

予てより引退を表明していたマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏が、27日MS社で引退スピーチをしたとの報が流れた。
数年前に彼とは同じテーブルでミーティングをしたことがあるが、彼はずっと体を前後に揺すっていた。

家庭でのアイスクリーマーは、容器にアイスクリームの材料を入れて冷やし、中が固まらないように羽根か何かでかき混ぜ続ける原理のようだが、ゲイツ氏の動きは周りの空気をずっと攪拌(かくはん)することによって、自分が一定の場所に縛られてしまうのを恐れているようにも見えた。
自分が話すときに、少しだけ振幅が狭くなるものの、雲古でもしたいのかと心配になるほど、ずっと動き続けていた。
兎(と)に角(かく)落ち着きがないのだ。

私も小学校の6年間、通信簿に“落ち着きがない”と書かれ続けた。
それで頑張って、今では徳川家康のごとく落ち着いた人物に成長した。
しかし、ゲイツ氏の成功物語を見ると、私が落ち着きのなさと訣別したことは、成長ではなく退化だったのかもしれない。

この年からでも落ち着きのなさを取り戻してみようかと思う。

しかしそうなると、退化が加速しそうな懸念もあるが。

2008年6月27日金曜日

秋葉原

小学生高学年の頃だったか、裏に住んでいたおばちゃんが起業した。
近所でお好み焼き屋を開業したのだ。
最初は不味かったが、私の母のアドバイスもあり徐々に美味しくなり、私がファンになるくらいのレベルに達した。
ある日、お好み焼きを食べていると、おばちゃんが他の客と話していた。
変な男が包丁を持ってうろついていたとのこと。
おばちゃん曰く、
「あんなへっぴり腰では、刺されても腹には刺さらんわな」
そんなヤクザなコメントが、所謂(いわゆる)シロウトのおばちゃんの口から出て少し驚いた。

今夜は、秋葉原に行った。
駅から降りると妙に緊張感が走った。
歩きながらも、自分の脇腹に鋭利な刃物が刺さることを想像してしまって、少し足が竦(すく)んだ。
街は、先日の無差別殺傷事件がなかったかのように、ビジネスマン風の人や、定番のオタク風の人が行き交う。

駅近くの東京都中小企業振興公社へ。
今夜は6時半から、知り合いの大手スポーツクラブルネサンス幹部Tさんが主催する私的な勉強会“経験価値研究会”があり、それに出席するためだ。
会費二千円を支払い会場に入ると100人は軽く超えている。
私は初めての参加だが活況で驚いた。
開会の時にTさんは、半年以上も勉強会を開催しなかったことを詫びた。
ルネサンス佐世保で昨年12月14日に起こった銃乱射事件の影響だ。
凶悪事件が私の心に影を落とす。
半世紀近く生きてきたら色んなことがあってしょうがないことなのか、あるいは今の世の中が異常なのか、複雑な気持ちで勉強会に臨む。

最初のコマは早稲田大学大学院准教授の池上氏による『最新戦略論体系とマーケティングの関係-デルタモデル・ブルーオーシャン戦略・ポーターの戦略論等の統合マーケティング』。
いま流行のブルーオーシャンだけあって、なかなか面白い話が聞けた。
ただ90分の授業4つ分くらいの話を、50分で話したとのことなので、まぁそこはそういうことである。
続いて、NPO TABLE FOR TWO International事務局長の小暮氏による自らの団体の紹介。
氏によると、世界人口60数億人が食べるに十分な食料は地球上にあるそうだが、問題は配分が均等ではないということ。
飽食も問題だが、飢餓の国があるのに、食べ物を粗末にするわが国は猛省すべきだ。
ますます“食べ残しは許しまへんでぇ”の精神が必要だ。
最後のコマでは、NHKでも有名(らしい)な山梨大学准教授の中山氏が、現代の子供体力事情を軸に、文科省や体育協会、各地の教育委員会の現状などを話してくれた。
最近の子供の運動能力の低下は目を覆うばかりとのこと。
いろいろな遊びをやっていないので、高いところからの飛び降り方が分からず、極端な例では二段目の階段から飛び降りて、両足を骨折した子もいたらしい。
これでは『太陽にほえろ!』の七曲署の刑事にはなれそうにないな。

それにしてもこの勉強会に出席して、志の高さに感服。
ルネサンスのTさん、仕事に役立つからこのように健康に関する勉強会をやっているという感じではなくて、元々やりたいこと、すなわち世の中の人を健康にしたいという思いがあってのことであり、そもそも自分の仕事はその一つにすぎないのだ、という律儀さを感じた。
この感覚は“心洗われる心地よさ”とでも云おうか、初心に帰ることができたいい会合だった。
勉強会終了後、階下で4000円飲み放題で懇親会をやるとのことだが、あまりに大勢での会は苦手なので早々にその場は辞した。

電気街の方へ歩き、フラリと昭和29年創業の老舗居酒屋『赤津加(あかつか)』へ。
初めて入った店だが、店構えは入りにくかったが、入ってしまうと古臭さも手伝いなかなかに落ち着く。
お銚子を頼み、白身のお造りでチビリと。
品書きの“鶏のモツ煮込み”に目がとまり頼んでみる。
脱帽!
お銚子が一本増えてしまった。

路地を出てすぐにラーメン屋があったので入った。
屋号は『だるまのめ』。
最近乱立気味のラーメン専門店には、独特の雰囲気が醸成されたように思う。
客に品(ひん)がないのだ。
店も客に品を求めていない。
それが一体化してしまっている。
今流行(はやり)の品格という大げさな話ではない。
うまく説明できないのだが、客の頼み方、待ち方、食べ方、帰り方の行儀が悪いのだ。
猥雑(わいざつ)な飲み屋での、戯(ざ)れ言(ごと)や嬌声、またそこでの猥談(わいだん)にも、品はあるのである。
矢張(やは)り、うまく説明できない。
当(とう)を得ていないかもしれないが、本来は気楽なメニューであるべきラーメンなのに、何やら理窟(りくつ)を付けてみたり、行儀を強制する店主を、メディアが持ち上げてしまったことに遠因があるように思う。
とまれラーメンが食べたくなったら、中華料理屋に行くことにして、もうこの手のラーメン屋に行くのは止(よ)すことにした。
カウンターで左隣に座っていたにーちゃん(兄ではない)も、なんかイライラしていた。
接客は全員中国人スタッフの女の子だったが、兎(と)に角(かく)目配りがない。
隣のにーちゃんが替え玉と追加スープを頼んで、替え玉が来たのはいいが、一向にスープが来ず、にーちゃんが催促しても、女姐(しゃおちえ)たちは
「ショウショウオマチクダーイ」
を繰り返すのみ。
やっと来たスープを入れてにーちゃんは食べ始めたが、よほど憤慨したのか半分くらい残して帰ってしまった。
にーちゃんがヒステリーを起こして、悠然と食べている私を横から刺さないかと、小心な私はヒヤヒヤした。
帰るときまで秋葉原には緊張だ。

2008年6月26日木曜日

天狗伝説

後輩のアメリカ人S君とはトイレで時々挨拶する程度だったが、今日の夕方の珈琲タイムに初めてゆっくり喋った。
米国留学経験もありTOEIC900点超を誇る東京人I君も一緒だった。

会話の内容は日本語で表記しておく。
私「S君、君の手には拳(けん)ダコがあるようだが、空手でもやっていたのかい」
S「はい、そうです。アメリカにいるときに」
私「私も少しやっていたのだよ」
I「ははは、じゃあ対決すればいいじゃないですか」
私「流派は?」
S「剛柔流です」
私「私は円心(えんしん)だ。本部はコロラド州デンバーにあるのだよ」
I「ははは、円心は知らないでしょ」
私「一応、極真の流れなのだけどね」
S「Oh!極真は空手じゃないです」
I「ははは、云われてますよ」
私「伝統空手からすると確かにそうかもしれない」
S「もうキックボクシングに近いですよね」
私「うん、それに至近距離で殴り合ってるの見てると相撲にも見えてくる」
I「ははは、さすがに相撲の決まり手に、回し蹴りはないでしょ」

久しぶりの武道論、それもアメリカ人とできるとは思わなかった。
ちなみに“会話の内容は日本語で表記しておく”とは書いたが、会話は日本語であったことは付しておこう。
S君は、めちゃ日本語が堪能で、下手すると私よりも上手い。

日本好きのS君、日本に来てからは剣道と居合いの3段を習得したとか。
空手はアメリカで初段だったとか、大学時代は柔道もやっていたとか。
ひょろひょろに見えたのだが、なかなかやるじゃないかね。
「空手は、お金儲けばかり。他流派に行くと白帯からやり直し。剣道で段位を取ると、どこに行っても有段者」
なかなか的を射るようなことを云う奴だ。
確かに今の空手界は、拝金主義が支配している。

英語もたまに入れて会話していたので、語学力の話から、英検の話になった。
私「私の英語も所詮(しょせん)は3級?いや違った2級やからなぁ」
I「ははは、3級ってことはないでしょう」
私「うん、2級、2級。大学のときに力試しに取った」
S「えっと、2級のひとつ下は、何級ですか?」
私「うん?3級」
S「You're welcome.」
私「???ああ!サンキューか。しかしなぁ、これはSank youや。ありがとうは、正しくはThank youや。英語の発音はちゃんと覚えなあかんで」
S「Oh!スミマセーン」
私「こやつ、白人やのに、ボビー・オロゴンみたいやなぁ」
とはいえ、顔は典型的英国紳士のような上品な顔立ちだ。

江戸時代にどこかの港に流れ着いたりしたら、その辺一帯では間違いなく天狗伝説が伝わったであろう、鼻筋の通った端正な顔をしている。
I君によると、S君は兎(と)に角(かく)肉が好きで、店なぞはT.G.I.Friday'sが好きとのこと。
そんなとこよりも、もう少し気の利いた店に誘ってやろうじゃないか。
アメリカ人と一緒にいるというだけで、ひょっとしたら、モテるかもしれないからな。

2008年6月25日水曜日

枯れ草を持つ少女

美術品なぞと云うものは、株や小豆(あずき)と同じであろう。
人の手によって値が付くということは、それらは絶対価値ではなく、好みや思惑が反映された投機物に過ぎないということだ。

テレビのニュースで見たことがあるが、中国の広東省深圳(しんせん)には絵画の複製市場がある。
あの巧さを見ていると、絵画は美術品と云うよりも工芸品であることに気付く。
ゴッホの『ひまわり』をウン十億円で取引していた美術品バブル時代を思い出してみると、絵画なぞ工芸品と割り切ることも必要ではないか。

かく云う私も『枯れ草を持つ少女』という、おそらく時価総額は、ウン十億円は下らないであろう油絵を所持している。
しかも我が家の玄関にさり気なく飾っている。
ただ、ウン十億円と見積もっているのは私だけで、かかったのはカンバス代だけだった。
いや、額のほうが絵よりも遥かに高かった。

大学時代、美術部が学際で出展した絵を見に行き、一目で惚れてしまった絵だ。
製作者をを示すカアドを見ると、学年から云って同級生のようだが、面識のない“K出さん”という女子だった。
幸い美術部には知り合いの女子K玉さんが在籍していた。
K玉さんの顔は竹内まりあを美形にした感じで、おそらく彼女も意識したのか、竹内まりあのようなソバージュにして、またそれがよく似合っていた。
そんなK玉さんに、『枯れ草を持つ少女』が欲しいので製作者を紹介してくれるよう頼んだ。
彼女は
「私の描(か)いた絵は欲しくないの?」
と訊いてきたので、不要である旨を簡潔に伝えた。
彼女はかなり不機嫌になり、一瞬危険を感じたが、なんとかK出さんに取り次いでくれた。
私の人徳だ。

K出さんも美人だった。
やや背が低く、色白の少し眠そうな表情は、私好みだ。
なので、少し照れながら云った。
「あの・・・『枯れ草を持つ少女』すごくいいですね」
「えっ?そうですか。ありがとうございます」
「是非、あの絵を売って欲しいのですが」
「えっ?私の絵をですか?」
「はい、是非」
「そんなに気に入っていただいたんなら・・・」
「本当ですか?!おいくらお支払いすればいいですか」
「いくらだなんて。カンバス代だけで結構ですよ」
のような、やり取りがあり、名画『枯れ草を持つ少女』は私の所有物となった。

『枯れ草を持つ少女』を見るたびに、ゴッホの『ひまわり』にウン十億円の価値なぞあるのだろうか、と素朴に思ってしまう。
私の一番好きな絵はミレーの『晩鐘』だが、あれだっていくら私が大金持ちでも、大金を払ってまで購入しようとは思わない。

しかしいま考えてみるとK出さんには悪いことをしたのかもしれない。
K出さんの言葉を額面どおり受け取って、カンバス代だけしか払わなかったのだから。
あの絵を見初(みそ)めたのが貧乏学生ではなく、良識ある社会人だったなら、かなり上乗せして払っていただろう。

ただ今の私は、今も貧乏なので、今でもカンバス代だけを払うだろうが。

2008年6月24日火曜日

I’m home!

犬と云うものは、家人が帰ってきても間違えて吠(ほ)えることがある。
今夜もそうだった。
私以外の家人には間違えて
「ワン!」
と、ひと吠えするくらいであるが、私には
「ワン!ウ~、ワン!ウ~ウ~ウ~」
と、唸(うな)り、ガラス戸の向こうの私の姿を捉えてからも、ひと吠え
「ワン!」
と、とどめを刺してくれる。
私が部屋に入ってやっと落ち着く。
まったくIQの低い犬である。

10年くらいも前の話であるが、皆でスキーに行った帰りに、車だったので、一緒に行っていた美女Sさんを家に送り届けた。
鵠沼のパン屋さんである。
店の中に入ろうとすると、そこで飼っている犬が異常に吠え付いてきた。
同行の会計士K嶋さんが
「よしよし」
と、云うとそこの犬は尻尾を振っている。
私も同じように
「よしよし」
と、云いながら近づくと、犬はいきなり臨戦態勢に入り、K嶋さんが横にいることも忘れて、ガウガウと歯を剥(む)き出しにしてくる。
Sさんは
「あらあら、いつも人懐っこいのにどうしちゃったのかしら」
と、驚いている。
明らかに私を敵だと思ったようだ。
あの犬も屹度(きつと)IQは、絶望的な数値だったに違いない。

笑顔が太陽のように輝く妙齢の美女Yさんが、今春大阪に旅行したときのこと。
彼女は、兎(と)に角(かく)人との交流が好きだと云う。
なので、そのへんに立っている人に話しかけて、よく話し込んでしまったとのこと。
素晴らしい人間愛に溢れる娘、Yさんなのである。
私には真似できない。
年を経るごとに、世俗から逃げようとしている自分に気づく。

“犬、犬好きを知る”と云う。
“猫、猫好きを知る”と云う。
そして“人、人好きを知る”のである。
嗚呼、私は隠遁(いんとん)したい。

それにしても、、、、、
我が家の犬の、あまりに執拗(しつよう)な吠え方で
「あっ、パパが帰ってきた」
と、家人が判断するのは一寸(ちよつと)考えものだ。

2008年6月23日月曜日

やばい

沖縄での徹底抗戦を終えた日が63年前の今日、とのことで日経コラム「春秋」は結んでいる。
書き出しはこうだ。
~那覇の国際通りには日本中の中高生が集まってくる。修学旅行で沖縄を訪れる本土の若者たちだ。お土産を物色し、アイスクリームを手にそぞろ歩き、じつに屈託がない。~

“物色”という言葉はこのようによく使われる。
三省堂「大辞林 第二版」によると確かに
(1)多くの人や物の中から適当なものを探し出すこと。「店内を―する」
(2)人相書きなどによって人を探すこと。
(3)物の色や形。自然の色や様子。
とある。
しかし私が高校生だった昭和50年頃はあまりこういう使われ方はされなかったように思う。
掏(す)りの上手い高校の先輩Fさんがいて、その友人たちはFさんのことを
「物色、物色」
と、囃(はや)し立てていたので、自宅に帰って辞書を引くと“盗むものをあれこれと探すこと”と書いていて納得した覚えがある。
だから新聞やテレビのニュースでも、“物色中の物音で通報され逮捕”のような使われ方が専(もっぱ)らだった気がする。
ネットで検索すると、確かに今もそういう使われ方が散見されるが、どうも分が悪い。

時代とともに、使われ方が変わってしまったのか。
“こだわり”という言葉が、本来は“固執する”に近い悪い意味であるのに、今では市民権を得たように。
“やばい”が、チンピラの悪事が発覚したときの決まり文句だったのに、若者の感嘆詞になったように。

気になって書斎にある古い辞書を引いてみた。
版は重ねられているが、最終版は1971年12月10日の、岩波の国語辞典だ。
その中でも“物色”の結果は、三省堂と同じだ。

言葉の意味は移ろうものだと書きたかったが、これでは私の脳みそが浮遊している、ということでしかない。

まじ、やばい。

2008年6月22日日曜日

藤原紀香

昨日新聞に入っていたUNIQLO(ユニクロ)のチラシに、通常2990円のズボンが1990円とあった。
コットンパンツで、ノーアイロン(アイロン不要の意味か?)とある。
昨今クールビズが定着してきたので、夏はこれでいいだろうと購入することにした。
スーツのズボンだけ穿(は)いていると、ズボンだけ痛んでかねがね勿体無いと思っていた。

大雨だったが、ジムの道具を携(たずさ)えて出発して、UNIQLOに立ち寄った。
品揃えや貼られているポスターを見ると、店の基本的スタンスとしては、私は招かれざる客だということは分かる。
しかし、そんなことも云っていられないご時世だろう。
ズボンのコーナーへ行く。
店にはドライパンツと書かれている。
ある時代からズボンのことが、パンツと呼ばれるようになったが、やはりパンツと聞くと下着だ。
ズボンのコーナーには、団塊世代くらいのおじさんが品定めをしている。
暫(しばら)く後ろで待つ。
やっと空いた。

求める品を探すのは面倒くさいので、店員に尋ねる。
「ウェスト75センチくらいで、濃い色のズボンはどこを探せばええんでしょう」
「このあたりですねぇ。この左の数字がウェストサイズで右の数字が股下のサイズです」
なるほど、分かりやすい。
選べる色は黒か紺やな。
黒はちょっとなぁ。
紺やな。
するとウェストは75やから・・・70、73、76、79、、、76cmを選べばいいのだな。
あとは股下か。
いつも股下は悩む。
一の位と小数点以下は“9.5cm”ということだけは覚えているのだが、十の位を忘れる。
69.5か79.5、、、どっちやったかなぁ。
陳列棚の前で店員のにーちゃん(兄ではない)に
「ちょっとメジャー貸してんか」
「あっ、一緒にお測りします」
「いっつも股下で決めると間違いないんですわ。69.5か79.5でいつも悩むんですわ」
「ええっと、多分、69.5ですねぇ、これは」
「あっ、そうでっか」
股下の品揃えは73、76、85とある。
ウェスト76、股下73のズボンを持って試着室に入る。
穿いてみる。
うん?丁度?いや、一寸(ちょっと)短いで。
慌てて脱いで、試着室から店員のにーちゃんを呼ぶ。
「やっぱり79.5かもしれん。もっと長いのん、持ってきてんか」
暫くすると股下85のやつを持ってきてくれた。
これをサイズ直しせなしゃあないな。
穿いてから店員のにーちゃんを呼ぶ。
「多分これでよろしいわ。サイズ直してもらおうと思いますんやけど、いっつも79.5にしてもろとんですけどねぇ」
「念のためにお測りしましょう。・・・79.5だと長すぎますね。ここでピンで留めて、ちょうどいいサイズに直されたほうがいいですよ」
「いやいや、昔からそうやって直すとたいがい短くなるんですわ。ほら、ベルトの位置もそのときの気分で違うでしょ」
「はい、ですが、69.5のほうがピッタリくると思いますが」
「いやいや、そんなとこで切ったら踝(くるぶし)まで見えてしまいますがな」
「ですが、どう見積もっても、75センチだと思いますが」
「うーん、ちなみに股下というのはどこからどこまでを云いますんや」
「はい、この裏の真ん中のところから裾(すそ)までです」
「ほーら、やっぱし。真ん中のとこからストンと落として測ったら確かに75cmかもしれんけど、私は79.5なんですわ」
「はい、分かりました・・・」

まったく最近のマニュアル店員にはこまったものである。
私は身長173cmなのだ。
スタイル抜群の私の股下が69.5だと身長に対する股下比率が40.2%になってしまうではないか。
79.5だと46.0%だ。
ちなみにモデルで公表されている数値での股下比率ランキングを下の方から見ると、米倉涼子が45.2%(勝った!)、長谷川京子が45.4%(勝った!)、蛯原友里47.6%(負けた!)、押切もえ49.1%(・・・)、山田優49.7%(・・)、一位は藤原紀香51.4!だ。

こうなると、私の測り方が間違っていたことが、話のオチになりそうだが、ジムに行った帰りにUNIQLOに寄り、サイズ直しをしたズボンを受け取り、自宅に持ち帰ってズボン吊りに吊るして他のズボンと並べてみて、私が正しかったことが証明された。
ただ、ここ数年、靴(くつ)を脱いで座敷に上がると、ズボンの裾を引きずっているような気がしないでもない。
加齢で身長は縮むと云うが、胴体と股下の比率が入れ替わるなんてこともあるのだろうか。

今日のジムでは、必死で股割りをして、柔軟体操も念入りにやり、ストレッチで足を拡げまくったことは云うまでもない。

2008年6月21日土曜日

Oh!No!

以前よく出張に行っていた関係で、ホテルから持ち帰った安全かみそりが溜まっている。
なので、ゆったりとした気分で入る土曜日のお風呂タイムには、たまに安全かみそりで髭(ひげ)を剃(そ)る。
今夜も剃ったのだが、顔に塗りつけたのがボディーソープと思っていたのだが、剃り終わってからシャンプーであることに気づいた。
まぁ全然問題なかったので、よしとした。

私が子供の頃、祖父はたまに間違えて、当時まだあった固形の洗濯石鹸で顔を洗っていた。
面(つら)の皮の厚い祖父も、さすがに顔が荒れるようで、クリームを塗っていた。
固形の洗濯石鹸は、必ず家にあって、汚れのひどいものは、塗りたくって洗濯板でゴシゴシと洗っていたものだ。
昭和40年代当時の洗濯機なぞ、クルクル水をかき回すだけの機械だったので、当時の主婦は少しばかり便利になっただけで、本当は固形の洗濯石鹸を信用していたのかもしれない。

昭和40年代後半だったか、我が家に餅つき機が登場した。
餅つき機が来ると云うので、子供心に興奮したが、その動きを見て驚いた。
餅つき機と云うから、臼(うす)と杵(きね)があって、モーターや歯車が駆動してペタンペタンとやるのかと思っていたら、大きなすり鉢のような器の真ん中に小さな羽根が付いていて、蒸したもち米をそこに入れると、グルグルと回転してかき混ぜるだけなのだ。
しかし、不思議とネバネバと混ぜ合わさって、餅になった。
それまでは、我が家では大きな石臼と、木であるが重い杵でついていたので、準備も大変だっただけに、その文明の利器の登場に一家で歓喜したものだった。
ところが、いきなり馬脚を現した。
硬くなった餅を焼いても膨らまないのだ。
確かに柔らかくはなるのだが、あの独特のプゥ~ッが失われてしまったのだ。
所詮はそんなものかということで、餅つき機はあくまでも“代用品”となった。

今も回りを見回すと代用品花盛りだ。
木の舟皿に盛られていたたこ焼きは、発泡スチロールのトレイに乗るようになった。
竹の皮で包まれていたおにぎりは、セロファンで包まれるようになった。
駅弁の美味しさを後押ししていた折箱は珍しくなってしまい、身近なところでは崎陽軒のシウマイ弁当くらいでしか楽しめなくなった。
多くのすし屋での玉子焼きも、なにやらプラスチック製のような画一的な、美味くもない黄色い物体になってしまった。
夏になると虫取りに行っていた子供たちは、それをテレビゲームの中でやるようになった。
山歩き川遊びなどの“冒険”も同じで、汗もかかない、虫にも刺されない、蜘蛛の巣が顔につかない代用品の世界での冒険だ。
ルミネ・ザ・よしもとで、生で演芸を楽しんだとき、テレビが代用品であることが分かった。
私が今夜飲んだKIRINの発泡酒『円熟』も、美味いことは美味いがビールの代用品だ。

人は徐々に徐々に代用品で満たされる“虚構”の世界に迷い込んでいるのかもしれない。
元を知っている人間はまだそれが“虚構”であることが分かるが、代用品で育つ世代のとってはそれが代用品ではなくオリジナルになる。
虚構ではなく、現実になるのだ。

そんなことを考えながら“現実”の世界であるリビングルームに入っていくと、細君がテレビを見ていた。
『オーラの泉』だ。

Oh!No!

2008年6月20日金曜日

暗くなるまで待って

おとなしく帰宅しようと思っていたら、後輩O君が囁(ささや)きかけてきた。
「ふくべでも、行きますか」

7時頃に『ふくべ』に着く。
さすがに混んでいたが、ほどなく席に案内される。
まずは、樽酒で乾杯。
いつものように、しめ鯖とぬた、そして今日は二人なので、烏賊(いか)焼きも注文する。
原油高の影響で烏賊釣船が漁を数日見合わせたそうだが、なんとか健在だ。
O君はいつものようにぐびぐびと飲み続ける。
私はマイペースで、好きな『梅錦』や『住吉』を燗(かん)で飲(や)る。
焼き物が混んでいるとのことで烏賊焼きがなかなか来ない。
塩らっきょうを、たのんでやり過ごす。
気持ちが良くなったところで、いつものゴールデンコースだ。
『珉珉』へ。

トイレに寄ってからO君に遅れて行くと、心得ていると云わんばかりに、麦酒と餃子2枚、ジンギスカンが発注済みだ。
あとは本能の命ずるまま5品頼んで、二人とも満腹で苦しんだ。
これでは餓鬼である。
閉店時間になり、店を追い出され東京駅に行きO君と別れる。
家で待っているだろうO君の細君は、オードリー・ヘップバーン似の美人だ。
羨ましい。

帰宅する。
二姫から、ケツアタック(お尻を私のお尻にぶつける技)を受ける。
体重が軽いのでそう痛くはない。
一姫が
「だめだなぁ、こうだよ」
と、云って思いっきりケツアタックをしてくる。
「うおっ」
首にまで衝撃が走った。
「分かった?これくらいやらないとパパには効かないんだよ。あー、でも私も痛かった」

3階のトイレに御叱呼をしに行く。
ドアを開けっ放しですると、クレームの嵐が吹き荒れるので、カチャッと締め切らない程度までドアを閉めた。
すると一姫が自分の部屋に行くために3階に上がってきた。
「ちょっとぉ!なんでドアちゃんと閉めないのよぉ」
「えっ?ああ、そうか。閉めてくれたまえ」
「やだよ。自分で閉めればいいでしょ」
「うーん、この階のトイレは広いから、手が届かない」
「そんな言い訳、聞きたくないよ」
「それに、便器から体を浮かせてドアを閉めると、いろんなリスクが伴う」
「もっと聞きたくないし」
「あー、リスクを犯してなんとか閉まった」
「じゃあねぇ」
バタン、と自室に入っていく音が聞こえた。

細君に見咎(みとが)められていたら、
「待って!」
と、頼んでも、電気を消されて真っ暗な中で御叱呼をすることになったかもしれない。
オードリー・ヘップバーンなら決してそんなことはしないだろう。

2008年6月19日木曜日

仮説思考

劇画『MASTER KEATON』勝浦北星作・浦沢直樹画(小学館)第三巻のCHAPTER1“屋根の下の巴里(パリ)”に中で、主人公キートンの恩師ユーリ・スコット先生の言葉が引用されている。
「考古学で一番大切なのは、直感に導かれた大胆な発想だよ」
おそらく何か原典があるのかもしれないと思って、検索エンジンで調べたがヒットしなかった。
原作者の創作だとすれば、感嘆に値する至言だと思う。
考古学に限らず、何事も直感に基づいて仮説を立て、それを手間ひまかけて検証する作業は愉しい。

時々、
「あの二人は怪しい」
と、直感することがある。
そうすると、不倫しているかもしれないという情報が耳に入ってくる。
そこで、あの二人は不倫している、と仮説を立てて観察する。

昔のテレビドラマなどで、マイクロフィルムや麻薬などを、雑踏の中や公衆電話のところで電話をかけるふりをして、スッと金と交換する場面がよくあった。
それなら、もっとましな場所があるんじゃないかと思ったものだが、不倫もそんな大胆かつ杜撰(ずさん)なサインがあるのでは、と仮説を立てて観察してみると、“クロ”であることが案外早く分かることがある。

例えば、オフィスでコピー機のところに被疑者A子が立ってコピー取りをしていたとする。
被疑者B男が、A子の後ろを通り過ぎるときにさりげなく体の一部に触れるのだ。
二人が“シロ”なら、当然A子は僅(わず)かでも何んらかの反応を示す筈(はず)である。
しかしながら、A子はB男が近づいてきたことは分かっていたので、触れられても全く反応を示すことなく、それをオフィス内の二人だけの挨拶と受け止めて、心の中で「フフッ」と笑うだけである。

このように仮説は大切だ。

2008年6月18日水曜日

千代田区千代田1番

ある地方紙の記者、今は東京支社の幹部と話したときのこと。
初対面にも拘(かかわ)らず、幹部氏は悪戯っぽい目で私を見ながら云った。
「私は、日本で一番有名な女性と飲んだことがあるのですよ」

日本一有名な女性?
はた、とこまった。
世界一有名な女性なら、オードリー・ヘップバーンやイングリッド・バーグマンなど、ある程度絞れるが、日本一有名となると、途端に困ってしまう。
夏目雅子か?山口百恵か?轟夕起子か?キャンディーズのミキちゃんか?大田黒久美さんか?瀬戸カトリーヌか?天気予報の市川寛子さんか?黛まどかさんか?オグシオの小椋久美子か?など、候補は枚挙(まいきょ)に遑(いとま)がない。

幹部氏は続けてヒントを出した。
「住まいは、千代田区千代田1番です。もう分かったでしょ?」

私は判らなかった。
幹部氏は、少し焦った。
普通ならここで
「あ!あ~っ!」
と、なるようであった。
が、私は自慢ではないが目配せなどに気づかず、腹芸が通じない。
また異常に勘が鈍い。

結局、幹部氏はかわいそうに自ら答えを云うしかなかった。
「美智子皇后ですよ」
ここで初めて
「あ!あ~っ!」
となった。
なんでも在京の記者の懇談会か何かの縁があり、そこに美智子皇后も来られたとの由。

皇后と云うが、私にとってはいつまでも妃殿下だ。
現在の皇太子は私と同学年なので、いつまでも浩宮様だ。
彼が、バスケット(携帯用の小物入れのような籐籠)を買ったとなると、同級生は一斉に買ったものだ。
彼の母である美智子妃殿下は、本当に美しかった。
戦後最高のスターと云われる所以(ゆえん)である。

『文藝春秋』7月号に特別寄稿として、“皇后美智子さまの告白”なる書き物が載っている。
ここ10年くらいの美智子様の苦労が垣間見える貴重な内容だ。
美智子皇后の講演録をもとに『橋をかける-子供時代の読書の思い出』が編まれたとのこと。
早速、発注した。
著者は、苗字がなく美智子とある。
なるほど、皇室に入ると苗字がなくなるのか、と妙なところで感心。

件(くだん)の幹部氏、一所懸命に当時の様子を話す。
屹度(きつと)彼の“持ちネタ”なのだろう。
「意外かもしれませんが、美智子皇后はけっこうお酒を飲むのですよ」
「あの日は焼酎でした」
「いろいろ苦労も多いみたいです」
「“お酒でも飲まないとやってられません”みたいなことも仰ってました(笑)」

なるほど、ますます親近感が湧くと云うものだ。
いつまでも、健やかで。

2008年6月17日火曜日

月日は百代の過客にして

『小学○年生』と云った、小学生向けの雑誌はまだ存在していると思うが、今でも投稿コーナーはあるのだろうか。
そんなコーナーへの投稿は、小学生らしい他愛もない内容のものが多く、小学生であったときでさえ、そう思って読んでいた。
そんな中で、なぜか思い出した二コマ漫画がある。

子供が新聞の上に乗っかっている。それを母が見つけた。
母「○○ちゃん、だめでしょ、新聞の上に乗ったりしちゃ」
子「えっ?だってママはいつも新聞に載るような人になりなさいって云ってるじゃない」

新聞に載ることが、ステイタスだった時代があったのである。
確かに今でも、新聞紙上で賞賛されることはままある。

しかし、いま
「新聞に載る」
と、聞いたら、“どっち”を連想するだろう。

言葉に限らず、それを伝える媒体でさえ、“風合い”が変わってしまうのが、時の流れというものである。

2008年6月16日月曜日

唯物論

一冊の本によって、もやもやしていたものが氷解することがある。
読書の醍醐味でもある。

予(かね)てより、違和感を抱いていたものの一つに、ペット愛好家の雰囲気がある。
特に大型犬をこれ見よがしに連れまわしている人間に、堅気(かたぎ)の気配は感じられない。
また中型犬や小型犬、また猫なぞを溺愛(できあい)している人も、私にとっては恐怖の対象でしかない。

『ずばり東京』開高健著(光文社文庫)は、活字がギッシリで、コラムニストの泉麻人氏の解説も入れると430ページの労作だ。
東京オリンピックの頃、昭和38年の東京の景色、風俗を見事な文章で綴っている。
深夜喫茶あり、多摩少年院あり、トルコ風呂ありの、云わば大人向け『三丁目の夕日』だ。

その中の一項“お犬さまの天国”の中に、冒頭の私の違和感を霧消させてくれる文章があった。
但し、以下はペットを愛する方には刺戟(しげき)が強すぎるので読まないでいただきたい。
あと、私を愛する方も、こんな文章に共感したことが判ると、私の好感度が下がるので読まないでいただきたい。

~私の漠然とした予感では、犬好きも猫好きも、どこか病むか傷ついているかという点では完全に一致しているのではないかと思う。どこか人まじわりのできない病巣を心に持つ人が犬や猫をかわいがるのではないかと思う。犬や猫をとおして人は結局のところ自分をいつくしんでいるのである。動物愛護協会のスローガンは、動物愛と人間愛を日なたのサイダーみたいに甘ったるく訴え、主張しているが、私は信じない。犬や猫に温かくて人間には冷たいという人間を何人となく見てきた。犬や猫に向う感情はとどのつまり自分に向けられているのであって、他者には流れてゆかないのではないかと思う。~

昔、ペットという言葉が人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)していなかった頃、人の家で存在する動物は、遍(あまね)く家畜と呼ばれていた。
今で云うペットも家畜であった。
いや、動物を愛玩するという奇妙な習慣が生まれるまでは、動物たちは家畜と云う名前で人間に囚われている事実をして、動物としてのアイデンティティをなんとか守っていた。
映画『猿の惑星』を観ても分かるように、我々は異種の支配下に置かれたくはない。
動物も同じであろう。
ペットとして愛玩されるくらいなら、ハッキリと、食われる、卵を産まされる、留守番をさせられる、などの苦役を課せられて、囚われている現実を直視できるようにしてやることが、彼らの種(しゅ)のプライドを尊重することになるだろう。

ここで私は考えた。
それならペットに限らず、唯物的な考え方も似たようなものではないかと。
モノに固執する人は、どこか病的だ。
開高氏の顰(ひそみ)に倣(なら)えば、モノに固執することも、自分かわいさ故(ゆえ)で、自己をモノに投影しているだけかもしれない。

我が家は、ローンがあと25年もあると云う事実からすれば、悲しいかな、私自身みたいなものである。
だから姫たちが、壁や床をぞんざいに扱ったりすると、ひぇ~っ!となる。

2008年6月15日日曜日

百年目

先日購入したCD『THE 米朝』には、DVDも付いていた。
その中の演目「百年目」を視聴した。
昭和57年4月16日放送、NHK『夜の指定席』より収録とある。
米朝57歳、脂が乗り切っている。
人間国宝なぞと云うが、そんなことは関係なく理屈抜きに面白い。
矢張(やは)り、落語は面白くてなんぼだ。
申し訳ないが、昨日聴いた柳家小三治さんでは、ピクリとも笑えなかった。
芸の差なのか、私が上方落語贔屓(びいき)なのか、そのあたりはよく分からないが、「百年目」は米朝師匠の代表作というだけあって、本当に面白かった。
DVDであるから、演じるさまが見えるのもよいのかもしれない。

噺(はなし)の中で、真面目で知られる番頭さんが実は遊び人で、屋形船で花見に繰り出す。
その様子の面白いこと面白いこと。
今年の3月下旬には、屋形船で夜桜見物と洒落込んで、それなりに面白かったが、「百年目」のように芸者衆や幇間(ほうかん)いわゆる太鼓持ちはいなかった。
美人も二人おり、日々幇間のごとく振る舞う輩は数名いたが、それを喜んでも詮無いこと。

小雪やハセキョーや天気予報の市川さんなどと乗船して、それを阪神・巨人や、島田紳助や、爆笑問題などが盛り上げてくれたら、究極の花見、至高の花見と云うものであろう。

それこそ、
「百年早い!」
と云われること必至だが。

2008年6月14日土曜日

中年三様

今日は休みにしては珍しく早起きした。
10時半だ。
テレビでニュースが流れている。
今朝8時43分頃、岩手と宮城で震度6強の地震。
大手損保に勤務、今は仙台に単身赴任の友人Sさんの携帯にすぐ電話した。
矢張(やは)り繋(つなが)がらない。
すぐ携帯で安否確認メイルを打電した。
ほどなく無事を知らせるメイルが。
よかった。
損保だけあって、すでに対策本部で忙しく対応中との由。
私はまだパジャマだ。
申し訳ない。
46歳にして最前線で働く姿は、想像しても逞(たくま)しい。

細君がいないので、パスタを茹(ゆ)でて、アラビアータソースをかけて食べる。
ブランチだ。
珈琲を飲みつつ、読売新聞と日経別刷りに目を通す。
ほどなく自宅の哲学堂に日経を持ち込み、日々のルーティーンに勤しむ。
やや急いで身支度をして、まめ(柴犬、♀)を1時半ころに連れ出す。
近くの公園で後輩S君がサッカーの試合をやっているとのことなので見物だ。
近くと云っても、走って10数分かかる。
試合は1時頃から2時頃までと云っていたので、少しあせる。
河川敷の方のフィールドに行くと、どうも年齢層が高いようだ。
違った。
体育館横のフィールドに行く。
暑い。
まめも、ヘェヘェと舌を出している。
いたいた、17番だ。
S君がチャンスボールに頭を合わせたが、外す。
そのあともゴール前の瞬間、ノーマークだったが、ドリブルで攻めるうちに二枚ディフェンスに入られてしまい決められず。
1-0で負けてノーサイド。
声を掛けた。
「終わりの方の、頭突きが惜しかったのぉ」
「えっ?ああ、ヘディングですね」
S君は格下のチームに負けたことを説明し
「不様(ぶざま)な試合をお見せしました」
と、云う。
そんなことはあるものか。
40歳を過ぎても、炎天下でサッカーに興じる。
その姿勢に脱帽だ。

帰宅する。
河原でまめは紋白蝶(もんしろちょう)を追い掛け回し、それに付き合ったのでかなり疲れた。
後輩I君がダビングして呉れた柳家小三治の『猫の災難』と『粗忽の釘』をベッドでうとうとしながら聴いた。
夕刻になり、夕刊を取りに行く。
葉書が。
あっ、小学校の同窓会の案内だ。
「尾崎小学校同窓会のご案内~さて昭和46年度に尾崎小学校を卒業してから37年目となり、幼かった私たちも、早や五十路を目前にしております。そこで、この度尾崎小学校6年生の3クラス合同の同窓会を下記の通り開催することとなりました。云々」
同窓会実行委員会会長にF本君の名前が記してある。
F本?・・・記憶がない。
返信葉書のあて先はM木君だ。
名前は覚えているが、顔が浮かばない。
会費、男性10000円、女性8000円とある。
高い。
しかし下手すると、今生(こんじょう)の別れになりかねない。
行かねばならぬ。

ふと自らの腕を眺める。

染みが目立ってきた。

紛れもなく中年だ。

2008年6月13日金曜日

尾崎小学校

ここ数日、心の中が騒がしい。
原因は明白で、月曜日に実家の母から聞いた電話の内容だ。

「あんたに伝えようと思とって忘れとったわ。小学校で一緒やったMクン憶えとるやろ?(忘れたが、話を合わせた)。あの子(と、云っても48歳か49歳である)から電話がかかってきてなぁ、盆に同窓会をやるから、あんたの住所教えて、って云われたから教えといたで」

神童だった私は、小学校を卒業すると皆とは別れて、私学の中高一貫の進学校(当時、今はそうでもないらしい)淳心学院に行ったので、小学校の同級生と再会することは半ば諦めていた。
なので36年振りの“朗報”に心が踊ったのだ。

これでも児童会長(いわゆる生徒会長)だった。
卒業式の答辞は、全員が分担して一節ずつ声に出していくのだが、
「春!希望の春!」
と、口火を切ったのは私だ。
過去の栄光である。

好きだったT島さんと再会できるかもしれない。
当時、T島さんは屹度(きつと)私のことを好きではなかったはずだ。
過去の蹉跌(さてつ)である。
そんな彼女も確実に48か49になっている。
恐ろしい。

すでに鬼籍に入った人も何人かいる。
悲しいことだ。

恩師のM藤先生も来てくれるだろうか。

高校の友人とは、まるで近所の親戚のように、しょっちゅう会っているが(と、云っても年に数回か)。

今年の盆は、帰省するつもりではなかったが。
そうもいくまい。

2008年6月12日木曜日

天は、我を・・・

今宵はWBC世界バンタム級王者長谷川穂積の6回目の防衛戦を観たいがために、わざわざ別オフィスに立ち寄った。
自分のデスクで、ゆるりとテレビ観戦できる環境にあるからだ。
見事な2ラウンドTKOを堪能して、帰途についた。
ああ、早く帰って疲れを癒そうと思っていると、ほーらきた。
駅の構内放送だ。
「ただいまぁ、横須賀線の横浜・保土ヶ谷間で異常を知らせる発信音がありましたぁ。しばらく東海道線も運転を見合わせまぁす」

一昨日には、三田から都営三田線に余裕を持って乗り、御成門で降りて用事のある愛宕MORIタワーでゆっくり“雲古”しようと思っていたら、ほーらきた。
珍しく電車が遅れて、結局あわてて愛宕MORIタワー1階のトイレに駆け込む。
ほーら、満室だ。
地下のトイレに駆け込む。
無事、“哲学堂”で用事を済ませ、ギリギリ会合に入る始末だ。

オフィスで珈琲を淹れて、さぁ飲もうとしたら、急な来客。
さぁ、生姜焼き定食ライス大盛りを食べるぞと構えた瞬間に携帯が鳴る。
かわいい女の子が
「今日は帰りたくないの」
と、目で訴えている(ように見える)と財布に軍資金が入っていない。(いつもだが)

天はいつも私を見放し、試練を与える。

天賦あるものの宿命なのか。

マーフィーの法則なら聞いたことがあるが、これでは“No Mercy(無慈悲)”だ。

2008年6月11日水曜日

柑橘類

銀座のある大手自動車メーカーに勤務する27歳、聡明な少年のような顔立ちの美女Dクンと八重洲北口の『寿司清』で会食した。
Dクンが私とのアイデンティティを語るとき、昔私から彼女を評するときに云った“感キツ類”と云う造語を憶えていて使って呉れた。
感受性が豊か、とは云うが、この場合は感受性が“キツい”のである。
説明しようとすると難しいが、要は気を回しすぎたり、人から云われたことを変に気にし過ぎたりして、損をするタイプである。
もともとは伝説のラジオ番組『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』から生まれた言葉だと思う。

今宵もDクンは、それなりに気を遣って疲れたかもしれないが、私にとっては相手が感キツ類だと分かっているので、いつもなら話していると妄想の世界に入って悶々とするところだが、ゆるりとした時間を過ごすことができた。
また通された席がカウンターであったので(カウンターを希望したのだが)顔を見たいときに見ることができて、しかも間近だ。

『B型 自分の説明書』Jamais Jamais(文芸社)を読んだ。
編集者氏によると自費出版の持ち込み企画で1000部刷っただけだったらしいが、あれよあれよと云う間に評判になり、なんと100万部を越えたらしい。
当然『A型 自分の説明書』『AB型 自分の説明書』と続刊を出し、『O型~』も企画中との由。

私はA型である。
よってB型の、特に男には天敵が多い。
しかし本書をパラパラめくると、、、
~「人にはそれぞれの意見がある」のは認めるけど、その意見は認めない。決して。~
~話が飛ぶ。のは「それまでの過程」を頭の中で考えてるから。自分の中ではつながってる。でもそれを人に説明するのはめんどくさいし、表現できない。~
~UFOキャッチャーが割と好き。でもハマると恐いから、近づかない。~
あれ?
これって。。。

人を血液型で括(くく)ることは、やはり難しいのかもしれない。
柑橘類(かんきつるい)など“果物”で直感的に括るほうが、分類としては正しい。

2008年6月10日火曜日

酔生夢死

外資系企業に勤務するNちゃんと、1月以来の再会をわが青春の街、横浜で果たした。
人生のキャリアビジョンを明確に描いている彼は、かねてより転職の活動をしていると云っていたが、次の活躍の場が決まったとの由。
本当におめでとう。

しかし励ますつもりが、いつもインスパイアされてしまう。

“酔生夢死”と云う言葉がある。
酔ったように生きて、夢のように死ぬ。
これ、まさに私の理想だ。

今宵もその理想に近づくがごとく、生涯の飲み友達の一人と過ごすことができた私は果報者である。

毎度のことだが、明日のことなぞ気にして飲んでいては女の子にもてないよ、と叱られる。
ところが、転職も決まって、昨日社内でもみな知るところとなったNちゃんは、明日は有給を取っていると云う。

2008年6月9日月曜日

寿司食いねぇ

ある立食パーティーに出席した。
乾杯の前に、一通り見回ったが料理が少ない。
とりあえず、トマトソースのピラフに狙いを定めておいた。
ピラフを小さな取り皿に大盛りにして、マカロニサラダも野菜を多めに入れて盛った。
急いで食べる。
串揚げも視界に入ったからだ。
あっ!
見る見るうちに串揚げがなくなった。

しばらくすると、なんとソース焼きソバが運ばれてきた。
あっ!
見る見るうちに減っていく。
あせって皿に近づく。
後輩Kがニコニコしながら、焼きソバの大皿の傍(そば)の人間に話しかけて巧妙に割り込んだ。
虚を衝かれた形だ。
列があることに気づき、急がば回れで4番目に並んだ。
先輩I氏が近づいてきた。
嫌な予感が的中した。
彼は手前のサラダを盛るふりをして、少しだけサラダを盛って、焼きソバをさらっていった。
やっと私の順番がきたが、もう残り少ない。
少ししかないキャベツも掻(か)き集めて、麺を盛る。
一人後ろの後輩Yクンが言う。
「取り過ぎですよ」
聞こえない振りをして、大皿から離れて食べ始めた。

これではまるで、猿山の猿がエサをゲットしたみたいなものである。
このように私は遠慮深いので、ストレスが溜まる。
このままストレスを溜めては健康によくないと思い、まだ誰も手をつけていなさそうなフルーツの盛り合わせに行った。
あっ!
私に意地悪するように、誰かが盛り始めた。
イライラするが、紳士の私は凝(じつ)と待つ。
そして、人が好みそうな黄桃やパインを中心に大盛りにして、そこから離れて食べ始めた。
果物を食べていよいよ猿である。

あっ!
新たな焼きソバが運ばれてきた!
急いでフルーツを嚥下(えんか)して、焼きソバを大盛りにして、くやしいのでローストビーフに添えてあった貝割れ大根とプチトマトも盛った。
これで豪華な焼きソバ、サラダ添えの出来上がりだ。

立食パーティーは苦手だ。

あっ!
寿司がなかったなぁ。

2008年6月8日日曜日

蟻の隊列

秋葉原で悲惨な事件が報じられている。
わけのわからん男が、トラックで歩行者天国に突っ込み、おまけにサバイバルナイフを振り回して、7人を殺(あや)めたとのこと。
このような凶悪な事件は、心から憎まなければならないのだけれど、麻痺している自分に驚く。
どこか遠くの国の出来事のような気がするし、あるいは日常茶飯事で驚くこともないのかとも思う。

30数年前のことだったと思うが、大学生が強盗をやって大騒ぎになった。
当時の大学生は、それくらい世間から認められていた。
高石ともやの1968年の大ヒット曲『受験生ブルース』を、“そんなに苦労して大学生になりたいか”という意味を込めて、高石は少しアレンジして“強盗やってる大学生♪”と挿入して大喝采を受けた。

その後、警察官が犯罪に手を染めたといっては大々的に報じられ、やがて医者、弁護士、公認会計士と、まさに犯罪者の職種に聖域がなくなっていった。
昔は尊属殺人と云って、両親や祖父母などを殺害することは、通常の殺人よりも罪が重くなっていたが、1973年に違憲判決が出てその“垣根”はなくなった。
誰が誰に何をしようと、平板になってしまった。
際立たなくなってしまった。

蟻(あり)の隊列を踏み潰すと大騒ぎになる。
しかしそれは束の間で、生き残った蟻は、あとは何事もなかったように、餌(えさ)を運ぶ隊列を取り戻す。

内戦の続く国も蟻の王国も、現象面ではさほど変わらないかもしれない。

とすれば、日本は内戦状態なのか。

知らず知らずのうちに。

概(おおむ)ね平穏な日常なのに。

2008年6月7日土曜日

地獄八景亡者戯

先日購入した、桂米朝『THE米朝』の“地獄八景亡者戯”(平成2年4月22日『京都府立文化芸術会館』にて収録)を聴いた。
30年ほど前に初めてラジオで聞いて、面白い噺(はなし)やな、と思っていたので感慨も一入(ひとしお)である。
枕(まくら)で米朝師匠が
「この噺は100年以上続いてる古い噺で」
と、云うだけあって、なかなかに手が込んでいる内容である。
しかも68分と、長い。

戸惑ったのは、アレンジしやすい噺だけに、時事ネタが所々に盛り込まれていることだ。
「あぁ、そういえばそんなこともあったなぁ」
と、思うこともあれば
「あれっ、そんなこともあったような気がするけど忘れたなぁ」
と、記憶が怪しい場合もある。
これは少々辛い。
矢張(やは)りこの手の演目は生で聴くのが一番か。

噺の性質上、三途(さんず)の川が主な舞台だ。
三途の川の渡し舟の船頭は鬼である。
亡者と鬼との掛け合いは特に面白い。

今ならこんな掛け合いもありかも。
「なぁ鬼さんや、あっちの渡し舟はえらい勢いでこの船を抜いていったけど、なんぞ特別の船か?」
「いやいや、特段なんてことはない船や。ただな、あの船の裏っかわにはちょっとした細工が施(ほどこ)してあるんや。見てみ、あの胴体になんて書いてある?」
「えぇ?胴体でっか?はぁ?スピード社?ああ!あの水着の生地を貼り付けてあるんですな。どうりで!」

おあとは、よろしいようで。

2008年6月6日金曜日

「帰りたくない」

今宵は、ある経済団体の嘱託職員で熟女のMさんとご一緒させていただいた。
Mさんの飲み友達と云えば、定番は大手出版社の経営者や大手企業幹部なので、私は“異色”だ。
6時半に神田『ひさご』へ。
この店はMさんが何度か利用したことがある店とのことで、誰かの紹介がないとなかなか行けない。
会員制で入れてもらえない、なんてことはなく、なかなか辿(たど)りつけない路地裏にある。
今宵のMさんも少し迷ったくらいだ。
私から、以前から一度連れて行ってほしいとMさんにお願いしていて、やっと実現した。

Mさんが云っていた通り、、、目立たない。
そして狭い店内。
飾りっ気がない。
品書きは、殆どが魚、そして数品の玉子焼きや天豆(そらまめ)などの簡単なお惣菜。
麦酒をいただき、すぐに熱燗に進む。
天豆が美味い。
カンパチが美味い。
ホッケが美味い。

Mさんは日本の社史研究の第一人者でもある。
そして1966年から高度経済成長時代の真っ只中で、経済団体という立場上、多くの大企業の経営者を間近に、それも女性であることがむしろ幸いして阿(おもね)ることなく職務を全うしてきたので、コメントは辛口で、飽きない。
社史論はもちろん、世に出ている書籍に関する話や、作家論など、互いに話は尽きない。
あっ、という間に10時半だ。

「あ~あ、家に帰りたくないな」
Mさんが悪戯っぽく笑う。
「これ云うと、こないだ一緒に飲みに行った経営者もあせるんですよね。でも、私の部屋はリフォーム中なので、本当に狭くって、帰りたくないんですよ(笑)」
外に出る。
Mさんは、大手町から地下鉄で帰られるとのこと。
私は神田駅へ向かう。
急に空腹を覚えた。
九州ラーメンの看板が見えた。
ビールとラーメンを注文した。

2008年6月5日木曜日

娘との対話

帰宅して3階の寝室に向かう。
スーツを脱ぐためだ。
一姫がついてきた。
一姫は高校三年生である。

一姫はニヤリと笑い、私のセミダブルのベッドに横たわる。
そして、私のフカフカの羽毛布団の上をローラーのように転がり、ペタンコにしていく。
「やめ給(たま)へ」
私が云うと、一姫は徐(おもむろ)に首だけ起こして云う。
「ねぇねぇ、あのさ。パパのことを外では“あのクソオジジ”と云って、家に帰ると一言も口をきかないのと、外では“あのクソオジジ”と云って、家に帰るとこうやってかまってあげるのと、どっちがいい?」
「前提条件、おんなじやん!」
お約束のように突っ込んで、私は踵(きびす)を返し、寝室から廊下に出て洗面台で手を洗い始めた。

一姫がついてくる。
「ねぇねぇ、パパ、パパ~。私って学校で男前って云われんだよね。ほら、髪切ったからさぁ」
「ふーん」
「へへへ、いいでしょう。男前って云われてんだよ。フェミニストになっちゃおうかな。」
「フェミニズムと云うのは、女性が経済的、社会的に自立することを支持することなのだよ。そう考える人がフェミニストなのだから、女のままでもフェミニストにはなれるのだが」
「だからさぁ、女の子にやさしくしてさ。かっこういいよね、そういうの」
「けど、君は女の子じゃないかね」
「いいじゃん、男前って云われてんだから」
「髪の毛のせいでしょ。いっそのこと、もっとカチッと固めてしまえばどうかね」
「そんなの、オッサンじゃん」
「そんなことあるものか。一寸(ちょっと)待って」
と、云って書斎から本を持ち出し、藤山寛美の写真を見せた。
松竹新喜劇『親バカ子バカ』に、あほなボンボン役で出て、ポマードで髪を七三にカチッと分けている写真だ。

一姫は
「もう、気分が悪い。実家に帰らせていただきます!」
と、云って自分の部屋に入っていった。

「(実家は)ここやんけ!」
との、突っ込みは、一姫が閉めるドアにぶつかった。

2008年6月4日水曜日

taspoがないと

「taspo(タスポ)がないと、○えなくなります」
駅の喫煙コーナーで看板が見えた。
○の部分は、タバコを吸っている人の手で隠れて見えなかった。
全国で順次導入しているが、タバコの自販機でこの成人識別カードがないと購入できないという、日本オリジナルの“ジョーク”だ。
最初、「taspo(タスポ)がないと、吸えなくなります」か?!と思った。
そうか!
JTも思い切ったものだ。
タバコ一本一本にマイクロチップを入れて、taspoをフィルターのところにかざさないと火がつかなくなるか、吸い口の窓が開かなくなるようシステムを開発したのか、と思った。
もしそうだとしても、やはり実効性のないことに、変わりないが。

最近のtaspo騒動は微笑ましくもある。
今日もニュースで流れていたが、どこかの街で、自販機にその店の人のtaspoをぶら下げていて、当局から叱られたとの由。
その店によるとtaspoを導入してから、店の自販機の売上が8割落ちたから、お客さんのためにやったとのこと。
店の立場になれば、8割も落ちたら、そう「工夫」するのも当たり前かもしれない。
手段が安直だっただけで。

それよりなぜ自販機をそれほど目の敵にするのだろう。
そろそろ悪いジョークだと気づかないといけない。
今の世の中、一歩外に出ればコンビニがあるのだ。
仮にコンビニがないような田舎でも、田舎の学生は至って真面目だ。
心配ない。
山火事を起こしたら、どんなに大変か彼らは知っている。

「taspo(タスポ)がないと、買えなくなります」
・・・なるほど。
新たなカードが検討されているとの情報を入手した!
「タポタポ(メタボじゃないことを証明するカード)がないと、ラーメンに背油を入れられなくなります」
「オタポ(オタクじゃないと証明するカード)がないと、当○○女子学園の学園祭には入場できなくなります」
「タノムヨ(便意を催しただけじゃなく珈琲も好きなことを証明するカード)がないと、当スタバでトイレを探してうろつけなくなります」
「テブラン(手鏡を持っていないと証明するカード)がないと、エスカレーターに乗れなくなります」
「チラミン(サングラスをかけるのが水着の女の子を見るためじゃないと証明するカード)がないと、葉山海岸ではサングラスで散歩できなくなります」
「ダボハゼン(妻帯者じゃないと証明するカード)がないと、似つかわしくない美人と当レストランには入店できなくなります」

2008年6月3日火曜日

三角窓

浪速のモーツァルトことキダ・タローが、朝日放送(大阪)でやっていたラジオ番組『フレッシュ9時半!キダ・タローです』(1973年6月~1989年3月)は面白かった。

その番組の中で、車の三角窓を壊す話が印象に残っている。
昔は殆(ほとん)どどんな車にも、前の席の窓には小さな三角窓が付いていた。
構造上、上下に開閉する窓を作るには、長方形のガラスしか無理だったようで、前方の流線型部分を補うために、内側から手で開閉できる小さな三角窓が付いていた。

キダ氏は密かに狙っていたという。
キーを付けたままロックしてしまうと、JAFなどまだ普及していなかったから、急いでいたら三角窓を割って「被害」を最小にしてドアを開けることがあった。
その窓割りの役割を担うことを密かに待っていたとのこと。

一度、親戚の人がキーを付けたままロックしてしまい、こっそりほくそ笑(え)んだが、少し窓が開いていて、窓を下げることが出来てしまい、キダ氏は、内心悔しがりながらも
「よかったねぇ」
と、言ったとのこと。

そして、やっとこさ
「完全に無理!」
という場面に遭遇したらしい。
車を持つ者は自分の車の窓を割ることは忍びない。
そこにつけこんでキダ氏はその役割を買って出て、嬉々として三角窓を割ったという。

人の生き死に関係ない、ちょっとした人の不幸は愉しい(という説がある。私が云っているわけではない。と、いうことにしておこう。)。

帰宅するときには、品川から通勤快速をよく利用する。
この電車は東京発、小田原行きで、東京を出て新橋と品川に停車すると、大船まで止まらない。
川崎、戸塚、横浜には止まらないので早くて、しかもあまり混まないという、有り難い電車だ。
品川で乗るときに、慌てて乗ってきたり、お喋りに夢中になっていたり、ウォークマンでガンガン音楽を聴きながら乗ってくる輩(やから)が、危ない。
川崎を過ぎて横浜を過ぎるあたりで、だいたい“正体”が分かる。
表情は明らかに
「やっちゃったぁ・・・」
である。
そして大きな溜息をつく。

ある者は、網棚から荷物を降ろす。
電車から降りられるわけでもないのに。
ある者は、携帯のメールを打ち始める。
待ち合わせに遅れることを告げるのだろう。
ある者は、近くの人に大船到着の時刻を尋ねる。
そして途方に暮れる。

洒落(しゃれ)にならないような遅刻はかわいそうだが、通勤快速でこの“図”は、たまに見ることができる。

いやいや、私はキダ・タローのようにずっと密かに狙ってなんかいない。

人の不幸を願うと、いつか必ず自分に返ってくるものだから。

だから、電車で乗り過ごしたことは3回しかない。

ほら、計算が合っている。

2008年6月2日月曜日

冬の色

まだ本調子ではないので、早めに帰宅した。
細君と二姫が夕餉(ゆうげ)を食べようとしていた。
私は、正露丸を飲んだ。

「ちょっと、食事してんのに正露丸なんて飲まないでよ」
と、細君。
「くさっ!臭ってきた」
と、二姫。
「うわっ、本格的に臭ってきたっ!」
と、二姫。
「なんで廊下で飲まないのよっ」
と細君。
「なんでわざわざ薬を廊下で飲む必要があるのかね。私は病人なんだが」
と、私。
「なに言ってんのよ。昨日は自分でも、臭い臭いって、言ってたじゃないの」
と、細君。
「ええ~っ!それなのに、ここで飲んだの?」
と、二姫。
「いや、まさか臭うとは思わなかったから」
と、私。
「昨日、臭ってなんで今日は臭わないのよ?」
と、細君。
「いや、なんか今日は臭わないような気がして」
と、私。
「昨日と今日の正露丸は違うって言うの?」
と、細君。
「いや、正露丸が違うわけではなく、飲み方が・・・」
と、私。
「あー、言い訳なんて聞きたくない!」
と、細君。
「いや、だから、今日は息を吸いながら正露丸を・・・」
と、私。
「だから、もうその話はやめて!」
と、細君。
「あー、もう本当に臭いんだから」
と、細君。
「あれっ、もうその話はやめるのではなかったのかね?」
と、私。
「だから、言い訳をやめてって言ったの!」
と、細君。

山口百恵の名曲に『冬の色』がある。
2番の最初のフレーズが大好きだ。
~あなたからいただいたお手紙の中に、さりげない愛情が感じられました~
高校時代にシングルレコードを買い、繰り返し聞いた覚えがある。

今日、大好きなKさんからいただいたお見舞いメイルの中に、さりげない愛情が感じられた。

2008年6月1日日曜日

ラウンドガール

不覚にも体調を崩してしまった。
矢張り年甲斐もなく夜遊びが過ぎたか。
お腹を壊し、食べることが好きな私が、土日と殆ど食べることができず、辛い週末だ。
おまけに今日は天気がいい。
なんてことだ。

体はフラフラするが、それでも頑張って外出した。
約束の3時、T氏と茅ヶ崎駅で落ち合った。
とりあえずスタバに入る。
2年前から牛乳はやめたが、ラテくらい飲もう。
砂糖もしっかり入れて糖分補給だ。
ホットパンツのおねーさんも見て目の保養だ。

3時半になり茅ヶ崎市総合体育館へ。
今日は、第19回青少年育成湘南ボクシング“Shonan Boxing”だ。
4回戦4試合とMain Eventは、ピストン堀口道場の鈴木典史選手(日本ミドル級2位)の10回戦である。
せっかくリングサイドを購入したので、気合で試合観戦だ。

4回戦の4試合目は贔屓(ひいき)にしている(と云ってもご祝儀を渡すわけでもない)阿部選手の試合。
阿部選手は本当に礼儀正しい気持ちのいい青年だ。
サウスポー相手に少し戦い辛そうだったが、2-0の判定で勝利した。

鈴木選手は7回TKO勝ち。
途中ボディにいいのをもらいヒヤッとしたが、最後はミドル級らしい迫力あるパンチでフィニッシュ、相手選手を担架で送り出した。

ボクシングの試合を観てアドレナリンを出せば元気になるかと思ったが甘かった。
だるい。
ラウンドガールを見ても
「あぁ、実物はパンフレットの写真よりも幼いのね・・・」
としか思わなかった。
年のせいなのか???
体調のせいだと信じたい。