2007年12月31日月曜日

啄木

至れり尽くせり、石川セリ
・・・こんな戯言(ざれごと)を書いても反応してくれる人も少なくなった2007年も、あと1時間足らずで終わる。
至れり尽くせり、とまではいかないが、その類(たぐい)のサービスや環境を求めるぬるい旅人になりつつある。
そんなことを実感した今回の旅。

昨夜は、部屋に戻ってから二人用コタツをどけて、せんべい布団をセットした。
エアコンの暖房を「強」にしても全然効かない。
カーテンがなくブラインドだけの大きな窓から冷気が。
狭い洗面所との間にあるドアに曇りガラスが、と思ったら網戸の網、廊下からの冷気が。
歯磨きをするが、当然お湯が出る蛇口はない。
トイレは部屋に備え付けだが、寒い!和式トイレ。
寝ようとするが、寒気団が窓をガタガタ揺すって、なかなか寝付けない。

ペアレントの大本さんの言葉をいろいろ思い出す。
「法律を守ると、人間関係がおかしくなる。特に血縁関係は。三人兄弟が財産を巡って法律通り三分の一を要求したらどうなる?長男は家や墓を守るんだよ。弁護士は、“法律を守らせて”金を稼ぐのよ」
32年前、38歳だった大本さんは遠い存在の人だったが、今はユースホステルの経営について話ができるし、財団法人ユースホステル協会の改革について公益法人改革の観点から議論もできた。

今朝、朝食のあとにもテーブルにやってきてくれた大本さん。
インスタントコーヒーを振舞ってくれ昨夜の続き。
「君たちが来てた頃はね、、、」
と話す内容は昭和50年頃、国内にユースホステルの会員が70万人いて、ユースホステルが500軒あった頃の話。
「今こそ改革が必要でね、、」
と話す内容は、ユースホステルの会員が6万人になっても、ユースホステルは400軒あるこの現実の話。

9:45頃、軽トラで送ってくれるという。
10:03の高速バスに間に合うように。
しまなみ海道を望みながら瀬戸田PAに登っていく。
瀬戸内海が眩しい。
子供の頃は、本州側からであるが、海といえば瀬戸内海しか知らなかった。
今は太平洋沿岸に住んでいる。
子供の頃からの雑煮の味が忘れられないように、海への憧憬も同じ景色を求め、心を揺さぶるのか。
大本さんと握手、また会う日まで。

高速バスは予定より少し遅く11時頃に福山駅に着く。
予定通り『草戸千軒町遺跡』の中世民家を復元したという広島県立博物館に出向く。
・・・休館日
さもありなん、けふ(今日)は大晦日(おおつごもり)であった。。。

新幹線で、昨日から読み始めた『いつも見ていた広島―小説吉田拓郎 ダウンタウンズ物語』田家秀樹著(小学館)を開く。
夢中になって、在来線に乗り換えてもまた開く。
ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
なぜか、石川啄木の歌を思い出した。

本を閉じた。

2007年12月30日日曜日

ひらめき

報道はされていたが、帰省ラッシュ。
全席指定だった頃の「のぞみ」が懐かしい。
私の4号車に車内販売が来ないのである。
ああ、スタバで珈琲を買っておいてよかった。

のぞみは福山に着いた。
生まれて初めて降りる駅。
寒いっ!
天気予報では今日の広島は雪
(>0<)
高速バスしまなみライナーの乗り場に行く。
切符売場で切符について尋ねると、事前に買うことはできず、並ばないとならないとのこと。
発車時刻まで30分、何の囲いもない寒風の下で並ぶ。
うう~寒いっ。。
乗車すると、ほぼ満席。補助席まで出す。
約40分の乗車、瀬戸田バスストップへ。

うっ、寒いっ。
ここ、高速道路のバス停やんけ。
何もない暗闇が広がる。
ユースホステルに電話、「救助」を求めると、迎えに行くとのこと。
ありがたい。
バス停の囲いの中で寒風を避ける。
15分後迎えが。
オーナー大本さんの息子さん夫婦。

やってきました。
瀬戸田しまなみユースホステル。
そして、32年振りの大本さんとの再会。
「いやぁ、32年振りだってね、なんとなく面影が」
と、大本さん。
営業トークでも嬉しい。

7時だが、そこはユース!ホステル。
「食事どうぞ」
と、促され食堂へ。
今夜の客は私一人。
私一人が食堂で、学食のS定食のようなメニュー。
家族の方々は厨房で食べている。
私がいなければ、みなは食堂で食べられたんじゃないか、と一瞬罪悪感。

8時前だが、そこはユース!ホステル。
「お風呂であったまってください」
と、促されお風呂へ。
4人くらい入れる湯船を占領。
温泉なので気持ちがいい。

部屋に戻る。
携帯を見た。
あっ!!!圏外!!!
仕方なくコタツに一人で入ってテレビを見る。
大本さんに手相を見てもらうのは朝飯のときにするか・・・
なぞ、考えていたら、ドアを“ガンガンガンガン”とノックする音が。
ん?
大本さんが
「ちょっと出てきませんか?」
「喜んで」

32年振りに話し込んだ。
9時から零時近くまで。
70歳になられたとの大本さんは元気だ。
あの時は、38歳だったのか。

氏の日産自動車サラリーマン時代の話
ユースホステル衰退論
家督制度復活論
大浴場脅威論
話しは尽きない。

そして、日付が変わる前に切り出した。
まず手相を見てもらった。
“32年前の予言の話はあとだ”
「あっ、ひらめきがあるね。僕の手相と似ている。長男?親を継がない相が出てるね。運命線が強いね。仕事うまくいくね。」
「32年前に、大学受験を甘く見ているということと、年取ってから体を壊すって言われまして、一つ目が当たったし、二つ目も気になるので、今日お訪ねしたのですが。まぁ手相は変わるとも言いますので」
「年取ってからというより、若い頃に少し体悪くしてるかもしれないけど、年取ってからは心配ないね」

“ひらめきがある”
私の好きな響きだ♪

32年前の肩の荷物、重荷ではなかったが、、、

今夜下ろした。

2007年12月29日土曜日

八卦

今年はカレンダーの具合がよく、今日から9連休である。
ここで勘違いしてはいけないのが、9連休と言っても、90連休ではないということである。
9連休だ、さぁ!今まで出来なかったあれもしてこれもして、と思ってみても、あとで虚しい思いに襲われることになる。
そう、最近増えた3連休であるが、それのたった三つ分なのである。
読みたいと思っていた本がたくさん読めるとか、レンタルビデオをいっぱい借りて見るぞとか、ゆめゆめ思ってはならないのである。
むしろ、さあ!惰眠を貪るぞ、くらいのほうが、あとで、これもできた、あれもできた、と充実した気分になるのである。

明日はいよいよ32年ぶりに元、坂町ユースホステルオーナーの大本氏に再会の予定である。
12月2日にも書いたが、あのときに高校生だった私に大本氏は二つ予言した。
・君は大学受験を甘く見ている
・君は年をとってから体を壊す
奇しくも一つ目が当たってしまったので、二つ目がどうなっているかを確かめる旅である。

14日の討ち入りの夜、酒の肴に件(くだん)の会計士Kさんに話した。
するとKさん
「ははは、そりゃそうだよ。高校生が正月に家にもいなくて旅行してるんだから、大学受験を甘く見てるって思われるよ。あと、誰でも年をとれば体を壊すからねぇ」

そういえば、大手ビールメーカーに勤めるF本さんがこんなことを言っていた。
「飲み屋に行ってな、女の子の手相を見るんや。それで“あんた、明るそうにしてるけど、実は人知れず苦労してるやろ”と、言うと間違いなく“えーっ、なんで分かるんですか?”と顔を輝かせるよ。そりゃそうやなあ、水商売の娘(こ)は、苦労してこの世界に入ってるからなぁ(笑)」
なるほど、である。
ただ、あるとき私はそれを試したのだが、
「え~っ?!なんで~?全然苦労してないし、ずっとお気楽にやってきたよぉぉ」
・・・本当にアッパラパーで苦労知らずの娘(こ)であったようだ。。。

当たるも八卦当たらぬも八卦、とは、よく言ったものである。

2007年12月28日金曜日

マフラー

私のマフラーはいわく付きである。
カノジョからもらったわけではない。
ショウウィンドーで一目惚れして買ったわけでもない。

7、8年前に拾ったのである。
居酒屋で、隣の席の人の忘れ物ではない。
公園のベンチに放置されていたのを失敬した、というものではない。

道端に、文字通り落ちていたものを拾ったのである。

経緯を書くと、冗漫になるので詳しくは書かないが、要は友人T氏と女子2名で、上野で飲んだあと
「寒いなぁ」
と、歩いていたら、T氏が
「お前、マフラーもしてないのか」
と、言うや
「おっ、こんなとこにマフラーがある!」
と、言って上野精養軒あたりの植樹に引っ掛けてあったマフラーを持って、私の首に巻いたのである。
いくらなんでも、そんなものを使うつもりはなかったが、
「あっ、あったかい♪」
と、不覚にも受け入れてしまった。。。

そんなマフラーなのである。

だから、思い入れがない。
ところが、思い入れがないことによる効用もある。
まず、どこかで忘れそうになっても気にならない。
そのへんで、落としてしまってもかまわないと思う。
食事時はナプキン代わりに口が拭ける。
風邪気味の時は鼻水が拭ける。

しかし、不思議なもので7、8年も使うと愛着が湧いてくる。
この冬も使い始める時に、拾った経緯を思い出しながら、慈愛に満ちた目でマフラー凝(じっ)と見た。

あっ!!!
発見!!!

繊維が弱って、穴が開きそうになっている●

2007年12月27日木曜日

The Exorcist

朝、駅のホームで電車を待っている。
みな白い息。

いや、みなではない。
出ていない人もいる。けっこういる。
ちゃんと立って並んでいるので、生きてはいるようだ。

そういえば映画『エクソシスト』(1973年、米国)で、リンダ・ブレア演じる少女が悪魔に取り憑かれて、少女の部屋に神父が入って来た時、神父の吐く息は白かった。
映画雑誌だったか、あれは少女の部屋が寒いのではなく、悪魔のために漂っている異臭を表現したかったとのこと。
残念ながら説明がないと伝わらなかったと思うが。

昔から匂い付き映画は検討されたらしいが、ネックになるのは排気らしい。
確かに場面が変わっても、前の場面の匂いが残っているのはこまる。
排気の問題か解決されても、五感の問題は残るだろう。
観客は文字通り「観に」来てるのであって、匂いによっては気分の悪くなる人も出てくるだろうし、匂いの成分にも規制がかかるだろう。

ひとついいことがあるとすれば、オナラを我慢しなくてもよくなることだが、観客全員が安心してガスを放出することを想像すると、悪魔払いよりも恐ろしいことになる。

2007年12月26日水曜日

Die Hard

昔の恋人にメールを送った。
「ブログなぞ始めたので、云々」なぞ。。

うつみ宮土理があるテレビ番組で言っていた。
「男が久しぶりに昔の女に連絡するなんて、下心以外の何ものでもないわね!」

もちろん私は、下心のごとき下衆(げす)な了見で昔の恋人にメールするような男ではない。
あわよくば愛人になってくれないかと期待しただけである。
それでは下心の範疇を出ていないではないか、と勘違いされそうであるが、愛人は愛人でも私が愛人として囲われたいのである。
囲われたいなどというと、少しおかしな趣味でもあるのではないかと誤解されそうであるが、逢瀬で出費があれば払ってほしいだけである。(ローンが大変なのだ・・・)

しかし、長い年月は現実を直視させてくれるもので、“ブログ連絡”には“ブログ返し”の逆襲に遭った。

その内容を拝読すると、現在進行形の恋物語が、
そう!与謝野晶子の「みだれ髪」のごとき、
はい!書籍なら思わず回りを見渡して頁を閉じてしまうような、
もう!情熱的な文章がそこに踊っていて、
たあ!いやでも時の流れを知ることに。

うつみ宮土理は、続けてこう言った。
「女にとって昔の男なんてもんはねぇ、死んだ男も同然なのよ」

なるほど。

至言である。

2007年12月25日火曜日

I’m sorry

一度でいいから総理大臣に就任して
「アイムソーリ」
と、言ってみたいもんだと、男なら誰でも思うもの。
だが、これは前々総理がやってしまったので、あとは二番煎じになる。

ソーリとは関係なく
「アイムソーリー、髭(ひげ)そーり」
と、ギャグを飛ばしていたのは村上ショージか。

そんなことを考えながら、今日お邪魔したのは元ソーリのMさんのオフィス。
忙しい合間(私が忙しいのではない)を縫って、10分間の取材を予定していたが、先週末はロシアの大統領Pさん(イニシャルトークの意味を成していないか・・)との会談などで、帰国直後ということもあり多忙を極めて予定は押せ押せになって結局会えたのは2、3分ほど。
とはいえ、そんな忙しいときでも、時間を取ってくれたのは、感謝感謝。
目で語ってもらったことを、原稿にするところが「腕」の見せ所である。

前回の面談の時は、早稲田のネクタイ(卒業生ではなく、もらいものである)を締めて行ったら
「おっ!君は早稲田か?!」
と、きっちり拾ってくれたので、今日も「敬意」を表してみたが、さすがに忙しかったのか小技は通用せず。

二番煎じ、受難の日であった。

2007年12月24日月曜日

おれの足音

池波正太郎の『おれの足音 大石内蔵助』(文集文庫)上・下巻を読了した。
上巻382ページ、下巻376ページ、活字も小さいので長編と言えるのだろうか、なんだかんだ言って10日ほどかかってしまった。
普段から併読、というか、貴重な読書時間である通勤電車も、毎朝日経新聞を読まねばならないし、毎週はNewsWeek、毎月は文藝春秋、それに手元に届く数多(あまた)の雑誌に目を通し、あっ!それに5日と20日に発売のビッグコミック・オリジナルなど読むと、読みたい本があってもなかなか集中できない。

が、初めての池波ワールドを堪能させてもらった。
この文の運び方は面白い。
小説でありながら、出典を明らかにして史実のように描き、かといって小説としての描写は臨場感溢れ、それでいてスッと視線を現代に戻し「これは、今で言う○○・・・」と、テレビドラマのナレーションのような小技も盛り込んでいて飽きさせない。

大石内蔵助は郷里の英雄であることも手伝って、わが人生の師である。
と言いつつ、ちゃんと読んだ忠臣蔵本は大佛次郎の「赤穂浪士」くらいなのは、私のいい加減なところである。

読書をしていて、これはあとで何かの役に立ちそうという箇所には付箋を貼ることにしているが、本書はかなり多くの付箋を消費した。

中でも唸らされたのは、
上巻168ページ
~大石内蔵助は国家老として、こまかいことには、あまり口を出さぬことにしている。他の家老たちも老巧な人物だし、家臣たちも、それぞれの役目を忠実に遂行している。そうした人びとの人柄を見ておればよいのだ。人柄が正しければ、役目も正しくつとめているのきまっている。だから内蔵助は、こまかいことに口をさしはさまぬことにしていたし、種々の帳簿などを見ても、すぐに忘れてしまう。内匠頭はまた、実にこまかい。微にいり細をうがって質問をしかけてくる。~
下巻264ページ
~「人間のことで、ただ一つ、はっきりわかっていることは、人の一生が死に向かって歩みつつあることで、それ以外のことは何一つ、先のことなどわかることではない」これが、内蔵助の持論なのである。~

実に細かい内匠頭、とは5万3千石の殿様でありながら、江戸城で刃傷に及び赤穂藩を取り潰しの憂き目に遭わせた若輩者である。

世に、リーダーシップ論や人生論が溢れているが、前者は上巻の、後者は下巻のそれを心がけていれば、8割がた大丈夫であろう。

何事も「ゆるりと」が肝要かと。

2007年12月23日日曜日

Jack Daniel’s

12月19日(水)の日経夕刊コラム“明日への話題”に脳研究者(こんな職業あるのか?)池谷祐二氏が「英語カタカナ術」と題して面白い話を書いていた。

10代になって英語を習い始めても正確な発音はほぼ絶望的でカタカナ英語になってしまう。しかしカタカナ発音がまったく通用しないかというとそんなことはなく、工夫すれば意外と通じる。
たとえばanimalはアニマルではなく「エネモウ」、hospitalはホスピタルではなく「ハスペロウ」と発音すればよい。同様にしてCan I have・・・はケナヤブ

等々とのこと。

30年前の予備校(神戸YMCA予備校)の英語の授業を思い出した。
まだ若い教師であったが、なかなかに造詣の深いことを言っていた。
授業の最初に黒板に
“私はうなぎです”
“ピーポ”
と書き、やおら始めた話は
「日本語は面白い。“あなたは何が食べたいですか?”という問いに対して“私はソバが食べたいです”という人がいたら次の人は“私はうなぎです”という会話が成立する。英語では考えられない。つまり英語で“私はうなぎです”は“私は人間ではなくうなぎです”ということになってしまう」
とのこと。他愛もない話のようであるが、なるほど、である。
同じ時間帯にその教師は、
「英語の発音なんていいかげんなもので・・」
と続け、
「この“ピーポ”ってなんやと思う?これはな、peopleの正しい発音なんや。スコッチの水割りなんかも、スコッチ・アンド・ウォーターなんてゆうたって通じひんで。スカチンワラ。こう言わんと絶対通じひん」
と。
神戸YMCAには面白い教師が多かったが、この教師も例外ではなかった。

それから数年後、米国旅行に行ったときに、その話が正しかったことを思い知ることになる。
あるバーに一人で行き、気取って
“JackDaniel’s on the rocks.”
と言ったが通じない。
何度言っても通じない。
しょうがないので、JackDaniel’sを指差したところ
“Ohhhh!ジャアダニヤ!!”
心の中で
「ジャアダニヤ、やと?!」
と、呟(つぶや)きながら、笑顔で
“Sure!”
と、一言。
ハンフリー・ボガードを気取って、グラスを傾けた。。。
ふぅ、、ボギーになるのも大変である。

2007年12月22日土曜日

Roman Holiday

借りていた写真素材のMO(光磁気ディスク)を返却に、愛猫家を支えるU社を訪問した。
オフィスに行って気づいたのだが、さて誰に借りたのか皆目記憶がない。
ここでそういう逆境さえチャンスに変えるところが、私の強みである。

見渡したところ、、、
「ロックオン!」
心で叫んだ。
10年くらい前から好きなIさんを発見。
旧帝大卒業の才媛で外見も美しい、才色兼備を絵に描いたような女性である。

おもむろに近づき、真田広之のような笑顔で
「あの、これ」
と、言ったら、Iさんは怪訝(けげん)な表情を我慢しながらMOを見たので
「これ、誰に借りたのか分からないけど、返したいのだけど」
と、言うと、親切なIさんはニッコリと微笑んで
「あっ、いいですよ」
と、受け取ってくれた。
続けてIさんは
「あっ!そのネクタイ。。さすがですねぇ♪」
そう、BrooksBrothersのクリスマスタイを締めていたのであるが、それをキッチリと「拾って」くれたのである。まるで島耕作が恋に落ちるきっかけのような場面である。
続けてIさんは
「でも、なんでネクタイがズボンに入ってるんですか?」
来た!もうIさんは、恋の狩人 私の術中である。
満を持して私は答えた。
「いやぁ、“ローマの休日”の中でグレゴリー・ペックがこうしてたので」
「ははは、おじさんだから、何でもズボンの中に入れちゃうのかと思った」
「苦っ!」
このままでは、いけない。咄嗟(とっさ)に島耕作から、若手お笑いに転向して起死回生を図る必要が生じた。
「ひょっとして、ウンコに行ってそのままネクタイまで入れたと思ったんでしょ?」
「ははは、そこまでは言ってない」
まじめなIさんがゲラゲラと大笑いした。
Iさん、久しぶりに大笑いしたのじゃないか、となぜかそう思った。

美女は、目じりの皺(しわ)まで色っぽい。

そして私は、今日も島耕作になりそこねた。

2007年12月21日金曜日

酒の神様

リビングのソファに洗濯物が乱雑に積みあがっている。
どうも細君は整理整頓が苦手なようである。
風呂から上がって、いつもの場所にパジャマがなかったので
「パジャマある?」
と、尋ねた。
「ええっと・・・、あっ、あった、あった」
と、積みあがった洗濯物の下のほうから体をひねって出そうとする。
細君は膝にアイロン台を置いて、アイロンをかけていたので、体をひねって懸命に取っていた。
その様子を見つめていて、やっと私のパジャマが取れた細君は
「やっぱりやさしくないよね」
「えっ?なんのこと?」
「普通は、助けてくれるでしょ?」
「えっ、だから洗濯物の上のほうを念力で引き上げてたでしょ?」
横で聞いていた二姫が私を睨(にら)んだ。
細君は
「いい?こういう冷たい男を選んだら一生後悔するよ。まったくさ、私が妊娠してたとき、調子悪くなって入院して点滴受けてたときでも飲みに行くような人だからねぇ」
一体何年前の話をしているのだろう。
そんな出来事は憶えていないが、きっとその時も酒の神様に細君の全快を祈っていたはずである。

2007年12月20日木曜日

快哉

お世話になった出版社P社の編集担当で美女のHさんからメールをいただいた。
仕事の内容のあとに
「ところで、S社のSさんてご存知ですか?」
と。
Sさんには、この9月に某有名芸能人2名を招いてプロデュースしたビッグイベントでお世話になった。
S社は、主には超有名スポーツ選手のブランド管理などを企画運営している会社で、聡明な美女Sさんもプロジェクトに参加していただき、予想をはるかに上回る報道陣が集まり大成功に終わった。
Hさんのメールによると、なんとHさんはSさんと大学の同級生で旅友達で今でも友達で、最近飲みに行って私の話題が出て奇しくも共通のつながりに「へぇ!」という話になったらしい。
だいたい、私のことが話題になること自体「へぇ!」である。
よほど、二人の間で好感度が高かったのであろう。(逆もあるが・・・)
会話は容易に想像がつく、というものである。

「こないださぁ、久しぶりに胸がときめいたのよ」
「えっ?!本当?実は私もなの。ぐうぜーん♪」
「仕事で一緒になった人なんだけどさ、格好いいのよ」
「私も~。やさしいけど目がキラッと光って仕事ができるのよ」
「私もそうなんだけどさ。なんか真田広之みたいなタイプだった」
「えっ?!うそ!私も!」
「えっ、まさか○○社の円齋さん?」
「うっそー!やだ~。こんな偶然あっていいの~」
「でも妻子持ちなのよねぇ。やっぱいい人は結婚しちゃうのよね」
「奪っちゃおうか」
「だめだよ、まじめそうだもん」
「そうだよね~」
「はぁ・・・」

何も気にせず、誘って欲しいものである。。。

しかし、、、なんと世間は狭い。
たまりませんなぁ!
これだから人生はやめられまへん!

2007年12月19日水曜日

IT革命

1997年10月17日
衝撃が走った。

件(くだん)の生涯の飲み友達、公認会計士Kさんと酒を酌み交わす仲になり始めた頃の話である。
Kさんからの飲みの誘いの時に
「弊法人の美女も伴いましょう」
とのうれしい提案。
しかしKさんには申し訳ないが、彼の実直さから考えて、連れてくる女性にはまったく期待していなかった。
岐度(きっと)牛乳瓶の底のようなメガネ(死語か)をかけたような、もっさりした女性だろうから、まぁ話し相手程度に、と考えていたのだが、、、
現れた二人を見て驚愕、驚天動地、「ウォー」と咆哮した(心の中で)。
美しいのである。しかも二人とも。

あれから10年。
二人の美女IさんもTさんも艶女(アデージョ)となられた。
しかもバリバリに仕事ができるお二人。
たまたまオフィスが近くなったのでいつかお昼でもなぞと話していたのだが、先日Iさんからお昼企画を実現しましょうと、うれしい誘い。
そして本日、実現。
残念ながらTさんは来られなかったが、Iさんとは今年4月の東京ドームでの野球観戦以来。
IさんTさんそろっての三人でのランチは、また次回の楽しみにとっておこう♪

ということで、これが実現したら
「これこそ昼飯の、IT革命やぁぁぁぁ!」

2007年12月18日火曜日

オリオン座

眠い、、、
本当に今日は眠かった。。。
ここ二日ほど4時間台の睡眠。
本当に信じられない。
連休などいくらでも眠ることができる。
1週間くらいなら、毎日12時間コンスタントに眠る自信がある。
ふだんの朝にちゃんと起きて、毎日会社に行っていることが不思議でしょうがない。
やはり私は鉄の意志の持ち主である。

しかし毎日12時間眠るような怠惰な暮らしでも、飽きることがあるのだろうか。

美女と楽しいひと時を過ごして(昔の話だが)もう十分と思っても、3、4日すると、また会いたくなる。
ナルシストとして体を作るために激しいトレーニングをして(大した運動量ではないのだが)もう運動は当分結構と思っても、やはり3、4日すると体が疼(うず)くものである。
神戸元町の『牡丹園 別館』で食べつくして(あまり高いものは頼めないが)もう中華は当分見たくないと思っても、3、4日するとあの牛肉と青菜の炒め物と炒飯が食べたくなる。
・・・こうなると、私が鉄の意志の持ち主ということも自信が揺らいでくる。
確かに立志伝のようなものを読むと、優秀なビジネスマンがあるきっかけで仕事が嫌になって会社を無断欠勤しても、3、4日もすると仕事がしたくなり結局復帰して大成功を収めたなんてことがよくある。
しかしながら、私は1週間会社を休んでも、仕事がしたくてウズウズする、なんてことにはならない。
むしろ休みをもっと継続したくなるくらいである。
やはり私は鉄の意志の持ち主なのである。

今朝は曇っていたのに、南東の空に明るい星がチラチラしていた。
今夜帰宅の時にも、南東の空を見上げると、朝と同じ場所に明るい星がチラチラしていた。
オリオン座の左下の方である。
眠くて眠くて、しばたたかせる私の目に見えてきた。
さぁ、寝るか。

2007年12月17日月曜日

ご注意ください PartⅡ

ジムの帰りに、最寄り駅であるC駅前の駐輪場を通ると、そこの入り口に手書きの張り紙が。

すべります。
ご注意ください。

入り口はゆるいスロープになっているので、注意喚起しているのだろう。
しかし、駐輪場といえば当然学生も多い。
ということは受験生だっているのだ。
そこで「すべります」はないだろう。
雨の日でもないのに常時張り紙で「すべります」は、タチが悪い。
それなら少しくらい濡れていても滑らないような措置をすればいいのではないか。
百歩譲って「雨の日にはすべります」と、言いたいなら、「雨の日は、足元にご注意」でいいだろう。

受験生に「すべる」「落ちる」が禁句であるように、結婚式での禁句「切れる」「離れる」「別れる」は有名である。
昔、ある結婚式で、これから新婚旅行でハワイに行きますなんて聞いたものだから、
「おお!じゃ十八番(おはこ)を一曲」
とばかりに『憧れのハワイ航路』をその場でリクエストして歌ったことがある。

♪晴れた空 そよぐ風
港 出船の ドラの音愉し
(このあたりで、“出船”ってあまり縁起のいい言葉ではないかな、と思いつつ、、、、“あっ!!”と思ったが遅かった・・・)
“別れ”テープを 笑顔で“切れば”
希望(のぞみ)はてない 遥かな潮路
ああ 憧れのハワイ航路♪

悪意があったわけではないので、、、、熱唱した。
まっ、いいか

2007年12月16日日曜日

蜜柑

蜜柑(みかん)の季節になった。
蜜柑を見ると思い出すことがある。

実家は播州の兼業農家。
農家と言っても、農業を生業(なりわい)にしているわけではなく、先祖伝来の土地で、そこを遊ばせておくわけにもいかぬと、いろいろ作物をやっている程度。地方にはよくある話。
とはいえ、田んぼ、畑、山あり、片手間とはいかない。

そんなことだから、子供の頃から本当に苦労した。
休みの日には農作業に駆り出される。
特に祖父と行くことが多かった。
春には、鍬(くわ)を持って畑を耕し種を蒔(ま)く。
梅雨時になると田植えが始まる。
夏には雑草取り。
秋の米の収穫は鎌での手作業である。
冬には40kgの肥料を肩に担ぎ蜜柑山の上まで運ぶ。
私が食べ物を大切にするのも、こういう原体験によるものかもしれない。

結婚してから、私が帰省するときには細君も一緒に来ることになる。
私が外出して高校の同級生なぞと旧交を温めている頃、細君は私の祖父よりいろいろ聞かされたという。
「あいつ(私のこと)はアカン!いくら山や畑に連れて行っても、遊ぶことしか考えん。虫が飛んでたら、そっちへ走って行ってしまう。小学校の頃からそうで、高校生になっても変わらんかった。それで“嫌なら帰れ!”と言うと、“えっ?ええのん?”と、うれしそうに走って帰ってしまう」
などと、私の不在をよいことに、細君に愚痴をこぼしたという。
祖父にもこまったものである。
きっとボケていたのであろう。。。

ただ細君は私の父からも母からも同じような話を聞かされたという。
こまったものである。
まるで、私がうそつきみたいではないか。。。

2007年12月15日土曜日

靴のかかと

12月14日
昨夜は、赤穂浪士の討ち入り。

旧知の公認会計士Kさんは、生涯の飲み友達。同い年。
以前は月に一回は飲みましょう、と言いながら、“月一会”と称して数ヶ月は実行したものの、互いに忙しく、そうもいかなくなった。
それでも私が
「毎月、飲みたいですね」
と言うと
「いや、毎日飲みたいですよ」
と(^^)

そんなKさんと昨夜は忘年会。
河岸(かし)を決めるときに、メールで
「12月14日は討ち入りですね」
「そうですね、じゃ、(吉良上野介邸のあった)本所松坂町ですか」
「いいですね、探しておきましょう」
「是非お願いします」
「まさか飲み終わった後に泉岳寺まで歩こうなどとは言わないでください」
「言いかねない(笑)」
など、戯(ざ)れ言を交換し、ネット検索(便利になったものだ)。

『わくい亭』は都営浅草線の本所吾妻橋から南下すること500m。
約束の7時に10分ほど早く着いたが、互いに先に着いたら軽く飲(や)っていましょう、とのルールがあるので、そのまま入店。
あれっ?あの後頭部はKさん。煮込みをアテにもうビールをやっている。
「いやぁ時間間違えちゃいまして、6時半からゆっくりと」

初めての店は不安であったが、人気店らしく活気がある。
「いい店を探してくれました。さすがですね」
と、Kさん。
「いや、偶然で。しかし来る途中に“目的”を反芻しましたよ。今日は討ち入りだからこの場所にしたんだと(笑)この界隈は下町らしく風情がありますね」
「そうそう、なんでこんな場所なんだ、って考えて、そうだそうだと思い出しながら来ましたよ」
他愛もないことで互いに大笑い。

大間のマグロ、カワハギの刺身と肝、など贅沢であったが、Kさんの
「忘年会だから♪」
の一言で、罪悪感は雲散。
「ネットによるとここの名物はメンチカツらしいですよ」
と、注文すると、大判のようなメンチカツ。美味。
「洋食で日本酒とは池波正太郎の世界ですねぇ」
とKさん。
「おっ、池波正太郎。ちょうどいま読んでて」
と、時節柄、と読み始めた『おれの足音 大石内蔵助』(文春文庫)を披露。

時刻が過ぎると店主らしき清水健太郎(もちろん似ているだけ)が、東南アジア系のねーちゃんたち(姉ではない)を伴って飲んでいる客の席に行って一緒に飲み始める。
「おいおい、そこの席は客の席だぜ。店主が飲むのは構わんが、客がいるうちは、カウンターの中で飲むのが流儀ではないか」
と心でつぶやく。
店員の無愛想な接客も有名店にありがちなのでまぁしゃあない。テキパキとは、しているので問題ないし。
すると団体客の接客を終えたのか、いままで一階にいなかった女子プロゴルフの小林浩美(似ているだけだが)がテーブル近くで接客し始める。
「あっ、もてなす顔をしている!この女将(おかみ)の存在が大きいのだろうな」
と確信。
その女将、我々のテーブル近くで急にしゃがみこんだ。
「このかかと、お客さんのじゃないですか」
高そうなKさんの靴のかかとが外れて椅子の下に。
「あっそうだそうだ、僕のだ」
と、Kさん。
女将、ビニール袋を持ってきて
「これに入れてください」

Kさんも私も、かかとのことは忘れてしばし歓談。
さわやかな女将に会えて、そろそろ討ち入りに出立せねばならぬ刻限。
あっというまに11時近くになり、酩酊し討ち入りも何もない。
冬の夜風に吹かれながら、今宵の目的を思い出し
「四十七士は、こんなとこから泉岳寺まで歩いたんですね。雪の中ですよ。草鞋(わらじ)みたいなものしかなかったでしょうし」
と私。
「信じられないね」
と、言うKさんも片方の靴にかかとがないわりには、元気に歩いている。
「泉岳寺まで電車で20数分かかるんですよ。遠いですよ」
「昔の人は健脚だったんだよ、きっと」

『剣客商売』もそのうち読んでみるか。

2007年12月14日金曜日

手品

私は手品が得意である。
駅に着いたら、スーツの内ポケットに入れたはずの定期が、改札で見つからずよくあせる。
探すと、コオトの内ポケットから、見つかる。
このあたりは初級である。

めがねもよく消える。
テーブルの上に置いたはずなのに、洗面所にあったりする。
空間移動である。

もっとも得意な手品は、財布からお金を消すことである。
特に美女と飲みに行った翌日には、確かに財布に入っていた一万円札が忽然(こつぜん)と姿を消している。

2007年12月13日木曜日

右見て、左見て

横断歩道を渡る。東京駅丸ノ内北口。

新橋と違い「一般ビジネスマン」の風景として紹介するときにテレビで映されるおなじみの場所だ。
おなじみの場所だけあって、時間帯によってはかなり混む。
互いの方向から、人が横一列になって、そう30人31脚みたいな勢いで向かっていく。
あれにはいつも恐怖を感じる。
そしていつも人にぶつかられたり、ぶつかられそうになったりする。
オランダだったか、欧州のどこかの国の人が新聞のコラムに書いていたが、当地では人とぶつかりそうになると、お互いに向かって左側に避けるのがマナーとかで、日本に来てからその人もよくぶつかるとか。

以前、何かで読んだのだが、そういう場合斜めに渡ると案外スムーズに渡れる。
つまり1対1で相対するとお互いにどっちに行けばいいか分からなくなったり、またお互いに譲る気がなければぶつかるのみである。
それが斜めに渡ると、ぶつかりそうになる人を自分の前でやり過ごすか、自分が前を横切るかであるから、自分でコントロールしやすいのである。
一度試していただきたい。
しかし、同方向から斜めに来る人がいたら、結局いままでと同じ悩みを持つことになる。
あと、渋谷の交差点も無理かもしれない。

昔からラジオで何度か聞いた話だが、殿方がオーダーメイドでスーツを作るときは
「左ですか?右ですか?」
と、聞かれるらしい。
つまり愚息はたいていどちらかに向いていて(右利きは左、左利きは右が多いらしい)、スラックスを仕立てるときにどちら側に余裕を持たせますか、ということらしい。
人生で一度だけスーツを仕立てたことがある。
しかし、なぜか聞かれなかった!
どっちを向いていても“大勢(たいせい)に影響なし!”と、判断されたか
(><)

横断歩道では右往左往する私であるが、スラックス内では右顧左眄(うこさべん)するのみである。

2007年12月12日水曜日

殿、電柱でござる!

雰囲気のある女性が前から歩いてくると、かならず顔を見る。
美人だとおそらく私の顔つきは豹変する。
どんなに豹変するかと言うと、まず三日間飲まず食わずの状態で、ハンバーグステーキ定食(もちろんポテトサラダが付いている)に出合ったような顔だと推察される。
そのあとに瞳孔が開きっぱなしになる。
一瞬にしてこれだけ賞賛のまなざしを、それこそイタリア男性以上に向ければ、その女性も喜んでくれてもよいものであるが、10人が10人みな敵意むき出しで、去っていく。
中にはバッグをギュッと胸に抱きかかえる人や、走り去る人までいる。
まちがっても、
「あっ、あの人ったら私のこと見てるわ。私に気があるのかしら」
などという反応は絶対にない。

そんな私も人間であるからミスを犯す。
「しまった、わざわざ見なければよかった」
と、後悔することが低くない確率で起こる。
一瞥(いちべつ)したときにその女性も視線に気づくようである。
が、相撲の間合いで“待った”をかけるように、私は目をそらす。
もちろん、女性は一瞬にして戦闘態勢に入っていたわけであるが、すぐに自分の「失格」を知ることになる。
素朴な疑問として、そういう場合、悔しいのだろうか。
「あんな男からも私は対象外かよ?!」
と、腹が立つものなのだろうか。

米国のある社会学者(白人男性)の実験を聞いたことがある。
変装して完全に黒人になりきって、街で一日過ごしたところ、本当に嫌な思いを何度もしたそうだ。
別の機会には、女性になりきって(“趣味”ではなく“学問”である)一日暮らしてみたところ、男性からの視線の多さに驚いたそうである。

もし真田広之の着ぐるみがあったら、それを着て一日いろいろ試してみたいものである。
出社すると、まず二階級ほど昇進するだろう。
昼食に出て定食屋でいつものようにご飯大盛りを頼むと、おかずを一品増やしてくれるだろう。
社内の女子は
「いままで私たちが間違っていました」
と、謝ってくるだろう。
それに対して私は
「もう町人の娘などには用はない」
と意味不明なことを言って、不敵な笑いを浮かべるだろう。

嗚呼、真田広之の精巧な着ぐるみ、ドンキホーテで3,980円くらいで売ってないかなぁ。
そんなことを帰宅途中に考えていたら、電柱にぶつかりそうになった。

2007年12月11日火曜日

“今度”と“幽霊”

久しぶりに妙齢の美女Yさんと喋った。

Yさんは妖術を使う。
彼女が手を触れた殿方は、みな彼女の虜(とりこ)になる。
配送のにーちゃん(兄ではない)もコンビニのにーちゃん(兄ではない)も例外なく。

Yさんは読心術を使う。(ちなみにYさんは独身である)
以前、YさんとNさんを誘ってY君と4人で食事をしたとき、Nさんは残業でなかなか来れなかったのだが、Yさんは
「二人ともNさんさえ来ればいいんでしょ」
と、言い放った。

Yさんは魔術を使う。
「今度メシでも行きましょう」
と誘ったが、口先だけではいけないと思って、1月にでも実現させたい旨を伝えると、
「“今度”と“幽霊”は、実際には、ないんですよね」
と奥ゆかしい物言いだが、『本気で誘うなよ』光線を目から発射してきた。

Yさんは腹話術を使う。
「だからアンタとは行きたくないんだって!」
と、虚空から聞こえてきた(ような気がした)。

しかし、笑顔は絶やさない素敵な女性である。
ニコニコとしながら、さりげなく腕に触れてきた。
「あっ!!」
術に落ちてしまった。

・・・また、“今度”食事に誘うとするか。

2007年12月10日月曜日

TULLY’S COFFEE

【B’z】ビーゼット

【V6】ブイロク

【元ちとせ】モトチトセ

【TULLY’S】トゥーリーズ

近年、私が人前で間違えた単語群である。
ちょっと思い出してもこれだけあるのだから、きっともっとあったはずである。
私の場合、何かにつけ裏付けなく自信を持っているので始末が悪い。
私が間違えるはずがないと思っているので、堂々と間違える。

CMが流れていてクレジットに“曲:B’z”と書いていたので、
「ビーゼットって歌手か?グループサウンズか?」
と聞いたら、細君は何も答えなかった。きっと知らなかったのだろう。

「最近のジャニーズも面白い名前をつけるなぁ。ブイロクか。V型6気筒エンジンみたいやなぁ」
これも細君は黙っていた。

ある日、社内で
「あのモトチトセの歌っていいなぁ」
「誰ですかモトチトセって?」
「えっ、知らないのかね?あの有名な奄美大島出身の歌手。神の歌声って言われてるらしいぞ」
「ひょっとして、それってハジメチトセのことじゃないんすか」

昼休み外で昼食を終えてエレベーターに乗ったときに後輩女子が近所にできたTULLY’Sの紙袋を持っていたので、
「ほぉ、それが最近できたトゥーリーズだね」
と言うと、同じエレベーターに乗っていた後輩I君(私のパソコンを黒魔術でフリーズさせる恐ろしい男)がすかざず
「何言ってんすか?タリーズですよ!まったく」
と白い目で見ながら言い、エレベーターから降りるや追い討ちを掛けるように
「まったく他社の女の子たちが下向いて笑いをこらえてたじゃないっすか!私まで仲間だと思われるでしょ」
と言ってきた。

自慢ではないが、私だって美空ひばりを「ブクウヒバリ」と間違えたことはないし、村田英雄を「ソンタエイユウ」と間違えたこともない。
おまけにピーターやちあきなおみだって読み間違えたことがないくらい芸能通なのである。
バカにしないでもらいたいものである。

2007年12月9日日曜日

二足獣

『ベトナム戦記』開高健著(朝日文庫)を読み終えた。
ここのところなぜか忙しく、貴重な読書タイムであるはずの通勤電車内でも読まねばならない資料や雑誌の類があり、この本を読了するまでに延べ10日ほどかかってしまった。

子供のころ、総理と言えば佐藤栄作、大統領と言えばニクソン、横綱と言えば大鵬、四番と言えば長嶋、ニュースと言えばベトナム戦争だった。それらはずっと変わらないのではないか思っていた、とすべてが変わったあとで思った。
ベトナム戦争は少年時代にそれほど身近でありながら、80年代にベトナム戦争を見直す気運が米国で高まり、映画がさかんに作られてその何本かを観ることはあってもやはりピンと来ることはなかった。
本書を読もうと思い立ったのは、開高氏が晩年モンゴルに興味を持ち、チンギスハーンの墓を発掘することをライフワークにして志半ばで逝ったとのNHKの特集番組(多分、再放送)を最近見たことがきっかけであった。

戦場は「嫌でもリアリズムと対峙しなければならない場所」と聞くが、ベトコンの少年兵が処刑された直後に開高氏は自己嫌悪に陥って次のように書いた。
~人間は何か《自然》のいたずらで地上に出現した、大脳の退化した二足獣なのだという感想だけが体のなかをうごいていた~

そして本書の最終章でこの戦争の本質をこう看破している。
~漠然と私はアメリカの武器商人が古くなった武器の倉庫の戸をサイゴンに向けて全開しているのだという印象を受けた~

米国が戦争を続ける「宿命」について、カナダ人ジャーナリスト ベンジャミン・フルフォード氏は開高氏と同じ観点、すなわち歴史的に見て米国は軍事産業のために戦争する理由を見つけ、あるいは捏造してきた、との見解を、昨年の著書『暴かれた9.11疑惑の真相』の中で書いている。

人間が二足獣なのではなく、二足獣が人間の中に紛れ込んでいるのだ。

日経新聞コラム「春秋」によると、今日は開高氏の命日だという。

2007年12月8日土曜日

北風吹きぬく

寒くなった。
♪北風吹きぬく寒い朝も 心ひとつで暖かくなる♪
吉永小百合のデビュー曲「寒い朝」をふと口ずさむ季節になった。
なぜか犬の散歩を強要されるようになってしまい、いやいや行かされようとしていたので、景気付けに歌でも歌って、と思った矢先であった。
「ちょっと!やめてよ」
細君である。
「ん?」
「外に出てから歌ってくれない?!」
「外で歌ったら歌手と間違えられて、サインを求められるではないか」
「いいじゃない、サインしてあげれば」
「いや、最近はサインの練習をしていないので」
「とにかく、その上手いだろぉって自信満々な歌い方が嫌なのよ」
「上手いのだから、しょうがない」
「上手い?本当にそう思ってるの?」
「当然」
「そういうのは、自分で言うことじゃないのよ。誰か上手いって褒めてくれたの?」
「福井のスナックで、知らないおっさんたちが褒めてくれた」
「福井?!!そんな田舎の、しかもおっさんたちでしょ」
「おっさんたちは、ビールをおごってくれた」
「早く帰って欲しかったんじゃないの」
「いや、うっとり聞き入って帰っていった」
「それって結局あきらめて帰ったってことじゃないの。それより早く散歩に行ってよ」

北風吹きぬく寒い外に犬と出された。

2007年12月7日金曜日

手書き禁止

帰宅途中の満員電車で頑張って夕刊を読む初老の男あり。
ふと見出しを見ると・・・

不動裕理
若手にすき つかれる

これを読むと誰でもこう思うだろう。

女子プロゴルファーの不動裕理が、
若手プロしかも女子選手に「好き」と告白した。
それを聞いてしまった新聞記者がこう漏らす
「まったく、、、疲れる…」

しかしスーパーコンピューター並みの計算能力を誇る私の頭はこう考えた。
まてよ??不動選手は若手に油断して「隙を衝かれた」のではないか、とも読めないか?
しかし電車が混んでいて、結局どちらが正しかったか分からず帰宅することとなった。

当用漢字か常用漢字か知らないが、最近はやたら漢字を禁じているような気がする。
平仮名で書かれても、かえって読みづらい場合もあるのだ。
だいたい京浜東北線の快速電車で西日暮里を通過するときなど「西日暮里」と書いているから分かるのであって、「にしにっぽり」だと鰊(にしん)がどうした?とか、おねーさんとシッポリした夜を過ごしただと?と変な妄想が浮かびかねないし、ましてや「NISHI-NIPPORI」なんて、動体視力のテスト上級編である。

あまりに漢字を減らそうとするのは、ひょっとしていま流行の「ゆとり教育」の影響かもしれない。
やたら漢字を減らさないでいただきたいものである。
要はテストに出なければいいなら、消し去りたい漢字に付帯条件を付ければいいのだ。
「手書き禁止」「読み間違い嘲笑禁止」「読解不能叱責禁止」などの条件を付けておけば、新聞や本は、どんな漢字も安心して使えるかわりに、難しい漢字が入試問題などに出されれば、たちまち新聞の見出しに
“○○大学、出題ミス 『隙を衝く』の読みを強要!”
と、デカデカと出て糾弾されることになる。

2007年12月6日木曜日

車が出ます。ご注意ください。

犬と歩いていると超高級マンションの前に来た。
大して広い通りに面しているわけでもないのに、立派過ぎる一見バブリーな石の門が睥睨(へいげい)している。

門の側にある「出庫注意」とある看板が赤く点滅しはじめた。
「車が出ます。ご注意ください」とテープでアナウンスが流れる。
何度も何度もアナウンスは流れるが、車が出てくる気配がない。

「車が出ます。ご注意ください」
「車が出ます。ご注意ください」
「車が出ます。ご注意ください」


「注意するのは、そっちやろ。。。」

心の中でつぶやいた。

2007年12月5日水曜日

どらえもん

昨夜は、S出版の宮崎美人Hさんと“第一回Hさんの結婚を祝う会”と銘打って会食した。
四谷三丁目の広島風お好み焼き『わいわい』なので、結婚を祝うにしては質素であるが、私のイケメンぶりと人格に免じて許していただいた(つもりである)。

この店のお好み焼きは有難いことに伝統的な広島風お好み焼きを守っている。最近は演出過剰なキャベツ山盛りによってブカブカで、食べていてもバラバラになって、一体鳥の餌を食べさせられているのか、という錯覚に陥る。その点『わいわい』のそれは、しっかりとした多層構造のお好み焼きで、このようなお好み焼きは、東京はおろか、超有名店で食べた限りでは本場広島でも珍しくなったようである。

そのおかげか、Hさんにも喜んでいただいた(つもりである)。
生来の善人で人格者である私は、ささやかながら結婚祝いを差し上げた。
「どらえもん」のコミック単行本である。

2、3年前だと思うが、あるテレビ番組で「感動自慢」みたいな話が出て、その中でWAHAHA本舗の柴田理恵さんが話しておられた。
~どらえもんの25巻なんだけど、その中にのび太くんの結婚前夜という話が出てくるの。のび太くんはタイムマシンで、自分としずかちゃんがちゃんと結婚するのか確かめに行くんだけど、間違って前の夜に着いちゃうのね。どらえもんと姿が見えないようにしずかちゃんの家に行って、少しブルーになっていたしずかちゃんの本音を探ろうと、本音を言っちゃう機械を出して確かめるの。そしたらしずかちゃんは、私はパパに何もしてあげられなかった。パパを残して結婚できないって言うの。そしたらしずかちゃんのパパがこう諭すのよ。パパは君から大切なものをもらった。君が生まれたこと。小学校に入学したこと。小学校を卒業したこと。いっぱい君から大切なものをもらったんだよ。のび太くんは、人の喜びや悲しみを正直に受け止められる人だ。パパはもう十分君から大切なものをもらったから、君はちゃんとのび太くんについていきなさい、って言うのよ~
と、もう途中から涙でボロボロ状態であった。

早速購入して読んでみたら、確かにその通り。姫を二人持つ者としては、かなり共感して感動できる内容である。

これは使える♪

この本を結婚する女の子にプレゼントしたら、きっと私の好感度は上がるに違いない、と私の脳内のスーパーコンピュータは答を弾き出した。
そして雌伏2、3年。(忘れていただけであるが)
今回、晴れて「どらえもん」25巻を結婚祝いとしてプレゼントできたのである。

浅はかと言うなかれ。
見た目はささやかでも、真心で輝いている(つもりである)。
もちろんHさんには大変感激していただいた(つもりである)。

2007年12月4日火曜日

オオバアコオト

いよいよコオト姿の人が増えた。冬本番である。

電車に乗る。
やはり秋よりも座席に座ると窮屈だ。
向かいの席を見てもみな窮屈そうに座っている。
ひとつ席が空いているが狭すぎて敬遠されている。

そんなことも、秋から冬への端境期(はざかいき)の風物詩だと毎年密かに思っている。
そりゃぁ夏の薄着の時でも13人掛けに13人座ればちょうどなのであるから、みながコオトで着膨れすれば物理的にサイズが合わなくなるのは当然である。

しかし、、、不思議と本格的に冬になるとそれが落ち着くのである。
13人掛けにコオトで着膨れした人たちは13人平然と座っているのである。
動物の進化のように、あるいは昆虫の擬態のように、毎シーズン冬になるとヒトは骨格を狭めるのだろうか。

2007年12月3日月曜日

しゃんぷー

二姫が愛犬マメ(柴♀)を下の階から連れて上がってきて、自分の部屋にある寝床に寝かそうとしていた。
「ほう、もう寝かせるのかね」
と言いながら、シュッシュッと鏡に向かってシャドーパンチを繰り出すと
「もう!やめてよ!今日はシャンプーに行って疲れてるんだからね」
とプリプリしながらバタンとドアを閉めて部屋に入ってしまった。

常々親子のコミュニケーションを重視する私は部屋の中に向かって
「マメはシャンプーが好きなのかね」
と尋ねると、なんだか犬の寝床が騒々しい。
「もう!!パパが“散歩”なんて言うから興奮しちゃったじゃない!!ほら!心臓がバクバクして柵に前足掛けてる!どうしてくれんのよ?!」
「いつ私が“散歩”なんて言ったのかね。“シャンプーは好きなのかね”と聞いただけではないか」
「あっ!また“散歩”って言った!!それにさっきも“散歩”って言ったでしょ」
「おかしな子だ。“シャンプー”とは言ったが“散歩”とは言っていない」
「もういい!ベランダで少し遊ばせるよ、もう!」

階下に下りて細君に「いやぁまいったよ」と事情を話すと
「あなたの滑舌(かつぜつ)が悪いからよ。夜遅くに余計なこと言わないでよ」
「シャンプーを散歩と聞くほうが耳がどうにかしているのではないのかね」
「犬が都合よく間違える訳ないでしょ。もう!マメ寝かせる時間なんだから余計なことさせないでよ!」

彼女たちは犬をみくびっている。
米寿くらいまで生きて天寿を全うした祖父は、耳が遠かった。いや遠い振りをしていたと思う。耳のそばで大きな声を出さないと聞こえないはずなのに、隣の部屋で小声で言った悪口は必ず聞こえているのである。
マメも私の“シャンプー”を都合よく“散歩”と聞き間違えて「あわよくば」を狙って騒いだだけなのに。。。
まことにこまった女たちである。

2007年12月2日日曜日

青春の蹉跌

年末に『瀬戸田しまなみユースホステル』を予約した。
ユースホステルに泊まるなど何十年ぶりか。
だいたいユースホステルというものは、だんだんと衰退していると何かで読んだことがあるが、そうかもしれない。
アルコールはご法度であるし、寝具の片付けは自分でやらねばならないし、夕食のあとはミーティングがあったりする。おまけに男女は別々の部屋である。
それらがいまでも全部そうなのかは知る由もないが、久しぶりにユースホステルに泊まることに決めたのである。

昭和50年、広島東洋カープが初優勝でペナントレースを制した。
そのせいもあったか、カープのファンでもなかったが、年が明けて正月松の内に、高校友人F原君と広島旅行に出かけた。
広島駅前はカープ初優勝の祝賀ムード満開で赤色で埋め尽くされていたことは印象に残っている。どこを回ったか記憶は定かではなく、四国にも足を延ばしたかもしれないが、宮島ユースホステルと広島坂町ユースホステルには泊まったと記憶している。
江田島にも寄って、港の近くにお好み焼き屋にフラリと入ったのだが、その美味さにまず脱帽した。お金を払おうとすると一人で切り盛りしていたおばちゃんが「あっ、お金はその箱に入れておいてください」と、お菓子が入っていたような四角い形で丸い口の開いた缶を指差したことは、鮮烈な記憶として残っている。
どういう経緯で選んだのか広島から電車で20分くらいかかる坂駅から少しばかり歩いたところにある坂町ユースホステルにとにかく泊まったのである。
ユースホステルというのは、若者を躾ける意味合いもあったのか、やたらルールに厳しいところが多かったような気がするが、坂町YH(ユースホステルの略称。もっと早く略称を使用すればよかった)は穏やかな空気が流れていた。夜になっても消灯などと無粋なことは言われず、ペアレント(YHのオーナーの呼称)といろいろ談笑した。
そこのペアレントはやさしい笑顔ながらも、目は厳しく一種中国拳法の達人を思わせるおじさんだったが、宿泊に来ている若者の手相を見て占っていた。猿なみに好奇心旺盛な私は当然のごとく手相を見てもらった。
高校一年生の私に向かって拳法の達人は「君は大学受験を甘く見ているなぁ。それに年をとってから病気をするから気をつけなさい」
ろくなことを言わないおっさんだ、と思いながらも、なぜか心に引っかかるところがあった。

2年後、大学受験で記録的な連敗を喫したのであるが、結局大学入学を果たしたのは2浪後の二十歳(はたち)であった。
そんなこともあって、その後は坂町YHのことは、ときどきふと思い出す存在になった。
そして昨年、実弟を癌で亡くしたことも作用してか、再訪したい気持ちが日に日に強まった。
手相などは、その人のその後の生活や努力でどんどん変化するはずであるから、もう一度見てもらおうと思ったのである。
こんなときにインターネット時代はありがたいと実感するのであるが、坂町YHを検索してみると、そこのペアレントは大本さんという名の方だと判り、昭和61年父親の死をきっかけに奥さんや息子さんを置いてひとり故郷の瀬戸田に帰ってきて新しくYHを開設しているとの情報を得た。坂町YHは人に任せているらしい。
ルート検索した結果、帰省先の播州赤穂を越えて福山まで行き、そこから高速バスで行き1泊してから帰省することに決めた。
予約の電話をしたのが11月28日(水)、無事年末に予約をして、中国拳法の達人と約32年ぶりに再会できる運びとなった。ネットで見る大本さんはずいぶん年をとられたが、やはり中国拳法の達人の面持ちは健在である。
その日帰宅していつものように日経夕刊を見て驚いた。今まで気づかなかったが「日本の史跡101選」というページがあり、毎回2箇所紹介する趣きのようであるが、№66赤穂城跡(兵庫県赤穂市)と№67草戸千軒町遺跡(広島県福山市草戸町)とあるではないか。
福山はバスの乗り換えだけのつもりで旅程を考えていたが、急遽少し余裕を持たせて草戸千軒町遺跡を訪問するスケジュールに変更した。

そんなわけで、48歳にしてユース!ホステルに泊まることになったのであるが、私にとんでもない予言した大本さんが病気で寝込んでしまわないことを願うばかりである。

2007年12月1日土曜日

千の風になって

昨夜は「ニッポンを支える会社」に勤めるMさんを誘って、Kさんと3人で会食。妙齢の美女二人を伴って、というのも、運を使い果たしてしまいそうで複雑な気分である。
Kさんは好きになって足掛け3年くらいで、熟年夫婦にも近い感覚であるが、Mさんは好きになって足掛け9年である。私のロマンチスト振りも大したものだと自負しているが、単にしつこく未練がましいだけだ、とも言われる。
3人はそれぞれで知己であったが、3人一緒に会うのは初めてである。こういうシチュエーションは独特の緊張感を伴うので、般若湯(はんにゃとう。坊さんの隠語で酒のこと)がその緊張感を溶かしていく快感は格別である。
私の人生はかくのごとく好きな人ばかりに囲まれていて幸せこの上ない。嫌いな人とは付き合わないからであるが。。

初めて行く新橋の「橘鮨」は、隠れた名店(昨夜“名店”として格付けした)

箸袋を見た瞬間、私の蘊蓄(うんちく)癖が頭をもたげる。
そらんじている伊勢物語第六十段を披露する。

“五月待つ花橘の香をかげばむかしの人の袖の香ぞする”

出世街道の宮仕えをしていた夫のもとを離れ今は都落ちして地方の接待役をする男と再婚したある女。元夫が出張でそこに行って再会する。昔のことを知っているのは二人と今のダンナ。まわりの客は誰も知らない。そこで「昔の男」は酒の肴に出ていた橘を手にとって「五月を待って咲く花の香りをかぐと、昔愛した人の袖の香りがすることだ」と吟じた。橘の香りを嗅いで昔愛した女の袖の香(こう)の香りを思い出したことをさりげなく伝えるあたりはなかなかの男である。
「3年のKさん」には、いつかこういうシチュエーションになりたいというメッセージ、「9年のMさん」には(残念ながら元妻ではないが、“長い”というだけで)まさにこうじゃないの!というメッセージをさりげなく送ったつもりであるが、途中から聞くのをやめて二人で話し始めていたので、メッセージは残念ながら届かなかったようである。

アメリカ同時多発テロやマリリンモンローの追悼セレモニーで朗読され、日本では新井満の作曲により大ヒットを記録した作者不詳の詩「千の風になって」。女優の木村多江が日本やアメリカ、イギリスなどをたどりその詩のルーツに迫るという番組の再放送が今日NHKで流れていた。
最近は秋川雅史の歌を爆笑問題がマネしてネタになるようになってしまったが、私は加藤登紀子の歌う「千の風になって」が好きである。
早くに最愛の父上を亡くした木村多江が「幸せになることに罪悪感を感じた」と番組の中で述べる。20年前に漁師だった夫を水難事故で失ったイギリスの女性はそれを聞いて「誰でもそう思うもの。しかし人生は生きるためにあるのだから。でも感情のルールは必要。その人のことをいつまでも忘れないことが大切。私の夫も歌詞のようにきっとそばにいる。だから私は墓には行かない」と。

楽しかった昨夜を思い出しながら、KさんもMさんも私のお墓の前で泣かないでください、と思った。

なぜか替え歌が思い浮かび“私のオナラのあ~とで、こかないでくださ~い♪”と大きな声で歌ったら、細君の予想以上に大きな怒声が飛んできた。