不本意にも仕事で遅くなってしまい10時過ぎ、ひとりでふらりと新橋『弥助鮨』へ。
上にぎりとお銚子を頼み、お通しを入れて〆て2,625円。
鮨屋にしては細かい勘定だが、明朗会計と云うことか。
以前、あるテレビ番組でこんな実験をやっていた。
すし屋の値段のつけ方は、客によって変わるのかという実験。
助平そうなおっさんが若い女性を伴い頼む場合と、貧乏そうなカップルが頼む場合では、同じ注文(時間差で、頼む順番も変えてバレないようにしていた)をしても、助平おやじの方が高かった。
すし屋はそれでいいと思う。
もし、そんな野暮なことで“査察”がはいったとしても、
「いやいや、ネタの厚みが違いますから」
なんて、いくらでも云える世界である。
まぁもしそうなら私の玉子焼きは厚めに切ってもらいたいものだ。
弥助鮨の玉子焼きはちゃんと自分の店で焼いているようで、頗(すこぶ)る美味い。
やがて男女三人ずつの六人組がガヤガヤと入ってきた。
そのうちの女性が陽気そうな声で
「違うわいね!」
「やっとるぞいね!」
「そやがいね!」
と金沢弁丸出し!
懐かしい。
1991年から1993年まで2年間だけ金沢で暮らしたことがある。
なんでも人口一人当たりのスナックの数が日本一多い華やかな街らしい。
それでいてスナックの女性がみな優しい。(当たり前か)
『スナック律子』のママ。
どらえもんみたいに愛嬌のある顔で、面白かった。
吉田拓郎の曲と同じ名前と云うだけでフラリと入ってみた『御伽草子』のママは私と同い年くらいか。
素人っぽくも、色っぽかった。
飲食店が多く入るビルでエレベーターに乗っていたら、見知らぬスナックのおねーちゃん(姉ではない)が乗ってきて“ひし!”と抱きしめられて、おそらく自分が勤務する店の階に着くと何事もなかったように降りていって、唖然(あぜん)としたこともあった。
ニヒルで魅力的な顔に邂逅(かいこう)し、瞬時に母性本能をくすぐられたのだと思う。
金沢駅近くの六枚の交差点のところにある『冨久寿司』は美味かった。
肝とともに供されるカワハギの刺身、肝をつぶしてポン酢に入れて食したら、その美味さに涙がちょちょ切れたものだ。
ここも玉子焼きを丁寧に焼いていたが、味付けが甘かった。
一度、甘さを抑えてくれるよう頼んだら、頑固おやじは
「玉子焼きはオンナ子供の食べ物だから」
と、取り合わなかった。
だが今でも繁盛していると思う。
金沢は、生まれ育った赤穂、予備校で通った神戸、大学時代を過ごした横浜に加えて第四のふるさとだ。
再訪したいものである。
ふるさとの訛りなつかし停車場の
人ごみの中にそを聴きにゆく
石川啄木
1 件のコメント:
たしかに「律子」はよかったが、冨九寿司の大将がたばこを吸うのを見てからどうしても・・・
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