2007年12月31日月曜日

啄木

至れり尽くせり、石川セリ
・・・こんな戯言(ざれごと)を書いても反応してくれる人も少なくなった2007年も、あと1時間足らずで終わる。
至れり尽くせり、とまではいかないが、その類(たぐい)のサービスや環境を求めるぬるい旅人になりつつある。
そんなことを実感した今回の旅。

昨夜は、部屋に戻ってから二人用コタツをどけて、せんべい布団をセットした。
エアコンの暖房を「強」にしても全然効かない。
カーテンがなくブラインドだけの大きな窓から冷気が。
狭い洗面所との間にあるドアに曇りガラスが、と思ったら網戸の網、廊下からの冷気が。
歯磨きをするが、当然お湯が出る蛇口はない。
トイレは部屋に備え付けだが、寒い!和式トイレ。
寝ようとするが、寒気団が窓をガタガタ揺すって、なかなか寝付けない。

ペアレントの大本さんの言葉をいろいろ思い出す。
「法律を守ると、人間関係がおかしくなる。特に血縁関係は。三人兄弟が財産を巡って法律通り三分の一を要求したらどうなる?長男は家や墓を守るんだよ。弁護士は、“法律を守らせて”金を稼ぐのよ」
32年前、38歳だった大本さんは遠い存在の人だったが、今はユースホステルの経営について話ができるし、財団法人ユースホステル協会の改革について公益法人改革の観点から議論もできた。

今朝、朝食のあとにもテーブルにやってきてくれた大本さん。
インスタントコーヒーを振舞ってくれ昨夜の続き。
「君たちが来てた頃はね、、、」
と話す内容は昭和50年頃、国内にユースホステルの会員が70万人いて、ユースホステルが500軒あった頃の話。
「今こそ改革が必要でね、、」
と話す内容は、ユースホステルの会員が6万人になっても、ユースホステルは400軒あるこの現実の話。

9:45頃、軽トラで送ってくれるという。
10:03の高速バスに間に合うように。
しまなみ海道を望みながら瀬戸田PAに登っていく。
瀬戸内海が眩しい。
子供の頃は、本州側からであるが、海といえば瀬戸内海しか知らなかった。
今は太平洋沿岸に住んでいる。
子供の頃からの雑煮の味が忘れられないように、海への憧憬も同じ景色を求め、心を揺さぶるのか。
大本さんと握手、また会う日まで。

高速バスは予定より少し遅く11時頃に福山駅に着く。
予定通り『草戸千軒町遺跡』の中世民家を復元したという広島県立博物館に出向く。
・・・休館日
さもありなん、けふ(今日)は大晦日(おおつごもり)であった。。。

新幹線で、昨日から読み始めた『いつも見ていた広島―小説吉田拓郎 ダウンタウンズ物語』田家秀樹著(小学館)を開く。
夢中になって、在来線に乗り換えてもまた開く。
ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
なぜか、石川啄木の歌を思い出した。

本を閉じた。

2007年12月30日日曜日

ひらめき

報道はされていたが、帰省ラッシュ。
全席指定だった頃の「のぞみ」が懐かしい。
私の4号車に車内販売が来ないのである。
ああ、スタバで珈琲を買っておいてよかった。

のぞみは福山に着いた。
生まれて初めて降りる駅。
寒いっ!
天気予報では今日の広島は雪
(>0<)
高速バスしまなみライナーの乗り場に行く。
切符売場で切符について尋ねると、事前に買うことはできず、並ばないとならないとのこと。
発車時刻まで30分、何の囲いもない寒風の下で並ぶ。
うう~寒いっ。。
乗車すると、ほぼ満席。補助席まで出す。
約40分の乗車、瀬戸田バスストップへ。

うっ、寒いっ。
ここ、高速道路のバス停やんけ。
何もない暗闇が広がる。
ユースホステルに電話、「救助」を求めると、迎えに行くとのこと。
ありがたい。
バス停の囲いの中で寒風を避ける。
15分後迎えが。
オーナー大本さんの息子さん夫婦。

やってきました。
瀬戸田しまなみユースホステル。
そして、32年振りの大本さんとの再会。
「いやぁ、32年振りだってね、なんとなく面影が」
と、大本さん。
営業トークでも嬉しい。

7時だが、そこはユース!ホステル。
「食事どうぞ」
と、促され食堂へ。
今夜の客は私一人。
私一人が食堂で、学食のS定食のようなメニュー。
家族の方々は厨房で食べている。
私がいなければ、みなは食堂で食べられたんじゃないか、と一瞬罪悪感。

8時前だが、そこはユース!ホステル。
「お風呂であったまってください」
と、促されお風呂へ。
4人くらい入れる湯船を占領。
温泉なので気持ちがいい。

部屋に戻る。
携帯を見た。
あっ!!!圏外!!!
仕方なくコタツに一人で入ってテレビを見る。
大本さんに手相を見てもらうのは朝飯のときにするか・・・
なぞ、考えていたら、ドアを“ガンガンガンガン”とノックする音が。
ん?
大本さんが
「ちょっと出てきませんか?」
「喜んで」

32年振りに話し込んだ。
9時から零時近くまで。
70歳になられたとの大本さんは元気だ。
あの時は、38歳だったのか。

氏の日産自動車サラリーマン時代の話
ユースホステル衰退論
家督制度復活論
大浴場脅威論
話しは尽きない。

そして、日付が変わる前に切り出した。
まず手相を見てもらった。
“32年前の予言の話はあとだ”
「あっ、ひらめきがあるね。僕の手相と似ている。長男?親を継がない相が出てるね。運命線が強いね。仕事うまくいくね。」
「32年前に、大学受験を甘く見ているということと、年取ってから体を壊すって言われまして、一つ目が当たったし、二つ目も気になるので、今日お訪ねしたのですが。まぁ手相は変わるとも言いますので」
「年取ってからというより、若い頃に少し体悪くしてるかもしれないけど、年取ってからは心配ないね」

“ひらめきがある”
私の好きな響きだ♪

32年前の肩の荷物、重荷ではなかったが、、、

今夜下ろした。

2007年12月29日土曜日

八卦

今年はカレンダーの具合がよく、今日から9連休である。
ここで勘違いしてはいけないのが、9連休と言っても、90連休ではないということである。
9連休だ、さぁ!今まで出来なかったあれもしてこれもして、と思ってみても、あとで虚しい思いに襲われることになる。
そう、最近増えた3連休であるが、それのたった三つ分なのである。
読みたいと思っていた本がたくさん読めるとか、レンタルビデオをいっぱい借りて見るぞとか、ゆめゆめ思ってはならないのである。
むしろ、さあ!惰眠を貪るぞ、くらいのほうが、あとで、これもできた、あれもできた、と充実した気分になるのである。

明日はいよいよ32年ぶりに元、坂町ユースホステルオーナーの大本氏に再会の予定である。
12月2日にも書いたが、あのときに高校生だった私に大本氏は二つ予言した。
・君は大学受験を甘く見ている
・君は年をとってから体を壊す
奇しくも一つ目が当たってしまったので、二つ目がどうなっているかを確かめる旅である。

14日の討ち入りの夜、酒の肴に件(くだん)の会計士Kさんに話した。
するとKさん
「ははは、そりゃそうだよ。高校生が正月に家にもいなくて旅行してるんだから、大学受験を甘く見てるって思われるよ。あと、誰でも年をとれば体を壊すからねぇ」

そういえば、大手ビールメーカーに勤めるF本さんがこんなことを言っていた。
「飲み屋に行ってな、女の子の手相を見るんや。それで“あんた、明るそうにしてるけど、実は人知れず苦労してるやろ”と、言うと間違いなく“えーっ、なんで分かるんですか?”と顔を輝かせるよ。そりゃそうやなあ、水商売の娘(こ)は、苦労してこの世界に入ってるからなぁ(笑)」
なるほど、である。
ただ、あるとき私はそれを試したのだが、
「え~っ?!なんで~?全然苦労してないし、ずっとお気楽にやってきたよぉぉ」
・・・本当にアッパラパーで苦労知らずの娘(こ)であったようだ。。。

当たるも八卦当たらぬも八卦、とは、よく言ったものである。

2007年12月28日金曜日

マフラー

私のマフラーはいわく付きである。
カノジョからもらったわけではない。
ショウウィンドーで一目惚れして買ったわけでもない。

7、8年前に拾ったのである。
居酒屋で、隣の席の人の忘れ物ではない。
公園のベンチに放置されていたのを失敬した、というものではない。

道端に、文字通り落ちていたものを拾ったのである。

経緯を書くと、冗漫になるので詳しくは書かないが、要は友人T氏と女子2名で、上野で飲んだあと
「寒いなぁ」
と、歩いていたら、T氏が
「お前、マフラーもしてないのか」
と、言うや
「おっ、こんなとこにマフラーがある!」
と、言って上野精養軒あたりの植樹に引っ掛けてあったマフラーを持って、私の首に巻いたのである。
いくらなんでも、そんなものを使うつもりはなかったが、
「あっ、あったかい♪」
と、不覚にも受け入れてしまった。。。

そんなマフラーなのである。

だから、思い入れがない。
ところが、思い入れがないことによる効用もある。
まず、どこかで忘れそうになっても気にならない。
そのへんで、落としてしまってもかまわないと思う。
食事時はナプキン代わりに口が拭ける。
風邪気味の時は鼻水が拭ける。

しかし、不思議なもので7、8年も使うと愛着が湧いてくる。
この冬も使い始める時に、拾った経緯を思い出しながら、慈愛に満ちた目でマフラー凝(じっ)と見た。

あっ!!!
発見!!!

繊維が弱って、穴が開きそうになっている●

2007年12月27日木曜日

The Exorcist

朝、駅のホームで電車を待っている。
みな白い息。

いや、みなではない。
出ていない人もいる。けっこういる。
ちゃんと立って並んでいるので、生きてはいるようだ。

そういえば映画『エクソシスト』(1973年、米国)で、リンダ・ブレア演じる少女が悪魔に取り憑かれて、少女の部屋に神父が入って来た時、神父の吐く息は白かった。
映画雑誌だったか、あれは少女の部屋が寒いのではなく、悪魔のために漂っている異臭を表現したかったとのこと。
残念ながら説明がないと伝わらなかったと思うが。

昔から匂い付き映画は検討されたらしいが、ネックになるのは排気らしい。
確かに場面が変わっても、前の場面の匂いが残っているのはこまる。
排気の問題か解決されても、五感の問題は残るだろう。
観客は文字通り「観に」来てるのであって、匂いによっては気分の悪くなる人も出てくるだろうし、匂いの成分にも規制がかかるだろう。

ひとついいことがあるとすれば、オナラを我慢しなくてもよくなることだが、観客全員が安心してガスを放出することを想像すると、悪魔払いよりも恐ろしいことになる。

2007年12月26日水曜日

Die Hard

昔の恋人にメールを送った。
「ブログなぞ始めたので、云々」なぞ。。

うつみ宮土理があるテレビ番組で言っていた。
「男が久しぶりに昔の女に連絡するなんて、下心以外の何ものでもないわね!」

もちろん私は、下心のごとき下衆(げす)な了見で昔の恋人にメールするような男ではない。
あわよくば愛人になってくれないかと期待しただけである。
それでは下心の範疇を出ていないではないか、と勘違いされそうであるが、愛人は愛人でも私が愛人として囲われたいのである。
囲われたいなどというと、少しおかしな趣味でもあるのではないかと誤解されそうであるが、逢瀬で出費があれば払ってほしいだけである。(ローンが大変なのだ・・・)

しかし、長い年月は現実を直視させてくれるもので、“ブログ連絡”には“ブログ返し”の逆襲に遭った。

その内容を拝読すると、現在進行形の恋物語が、
そう!与謝野晶子の「みだれ髪」のごとき、
はい!書籍なら思わず回りを見渡して頁を閉じてしまうような、
もう!情熱的な文章がそこに踊っていて、
たあ!いやでも時の流れを知ることに。

うつみ宮土理は、続けてこう言った。
「女にとって昔の男なんてもんはねぇ、死んだ男も同然なのよ」

なるほど。

至言である。

2007年12月25日火曜日

I’m sorry

一度でいいから総理大臣に就任して
「アイムソーリ」
と、言ってみたいもんだと、男なら誰でも思うもの。
だが、これは前々総理がやってしまったので、あとは二番煎じになる。

ソーリとは関係なく
「アイムソーリー、髭(ひげ)そーり」
と、ギャグを飛ばしていたのは村上ショージか。

そんなことを考えながら、今日お邪魔したのは元ソーリのMさんのオフィス。
忙しい合間(私が忙しいのではない)を縫って、10分間の取材を予定していたが、先週末はロシアの大統領Pさん(イニシャルトークの意味を成していないか・・)との会談などで、帰国直後ということもあり多忙を極めて予定は押せ押せになって結局会えたのは2、3分ほど。
とはいえ、そんな忙しいときでも、時間を取ってくれたのは、感謝感謝。
目で語ってもらったことを、原稿にするところが「腕」の見せ所である。

前回の面談の時は、早稲田のネクタイ(卒業生ではなく、もらいものである)を締めて行ったら
「おっ!君は早稲田か?!」
と、きっちり拾ってくれたので、今日も「敬意」を表してみたが、さすがに忙しかったのか小技は通用せず。

二番煎じ、受難の日であった。

2007年12月24日月曜日

おれの足音

池波正太郎の『おれの足音 大石内蔵助』(文集文庫)上・下巻を読了した。
上巻382ページ、下巻376ページ、活字も小さいので長編と言えるのだろうか、なんだかんだ言って10日ほどかかってしまった。
普段から併読、というか、貴重な読書時間である通勤電車も、毎朝日経新聞を読まねばならないし、毎週はNewsWeek、毎月は文藝春秋、それに手元に届く数多(あまた)の雑誌に目を通し、あっ!それに5日と20日に発売のビッグコミック・オリジナルなど読むと、読みたい本があってもなかなか集中できない。

が、初めての池波ワールドを堪能させてもらった。
この文の運び方は面白い。
小説でありながら、出典を明らかにして史実のように描き、かといって小説としての描写は臨場感溢れ、それでいてスッと視線を現代に戻し「これは、今で言う○○・・・」と、テレビドラマのナレーションのような小技も盛り込んでいて飽きさせない。

大石内蔵助は郷里の英雄であることも手伝って、わが人生の師である。
と言いつつ、ちゃんと読んだ忠臣蔵本は大佛次郎の「赤穂浪士」くらいなのは、私のいい加減なところである。

読書をしていて、これはあとで何かの役に立ちそうという箇所には付箋を貼ることにしているが、本書はかなり多くの付箋を消費した。

中でも唸らされたのは、
上巻168ページ
~大石内蔵助は国家老として、こまかいことには、あまり口を出さぬことにしている。他の家老たちも老巧な人物だし、家臣たちも、それぞれの役目を忠実に遂行している。そうした人びとの人柄を見ておればよいのだ。人柄が正しければ、役目も正しくつとめているのきまっている。だから内蔵助は、こまかいことに口をさしはさまぬことにしていたし、種々の帳簿などを見ても、すぐに忘れてしまう。内匠頭はまた、実にこまかい。微にいり細をうがって質問をしかけてくる。~
下巻264ページ
~「人間のことで、ただ一つ、はっきりわかっていることは、人の一生が死に向かって歩みつつあることで、それ以外のことは何一つ、先のことなどわかることではない」これが、内蔵助の持論なのである。~

実に細かい内匠頭、とは5万3千石の殿様でありながら、江戸城で刃傷に及び赤穂藩を取り潰しの憂き目に遭わせた若輩者である。

世に、リーダーシップ論や人生論が溢れているが、前者は上巻の、後者は下巻のそれを心がけていれば、8割がた大丈夫であろう。

何事も「ゆるりと」が肝要かと。

2007年12月23日日曜日

Jack Daniel’s

12月19日(水)の日経夕刊コラム“明日への話題”に脳研究者(こんな職業あるのか?)池谷祐二氏が「英語カタカナ術」と題して面白い話を書いていた。

10代になって英語を習い始めても正確な発音はほぼ絶望的でカタカナ英語になってしまう。しかしカタカナ発音がまったく通用しないかというとそんなことはなく、工夫すれば意外と通じる。
たとえばanimalはアニマルではなく「エネモウ」、hospitalはホスピタルではなく「ハスペロウ」と発音すればよい。同様にしてCan I have・・・はケナヤブ

等々とのこと。

30年前の予備校(神戸YMCA予備校)の英語の授業を思い出した。
まだ若い教師であったが、なかなかに造詣の深いことを言っていた。
授業の最初に黒板に
“私はうなぎです”
“ピーポ”
と書き、やおら始めた話は
「日本語は面白い。“あなたは何が食べたいですか?”という問いに対して“私はソバが食べたいです”という人がいたら次の人は“私はうなぎです”という会話が成立する。英語では考えられない。つまり英語で“私はうなぎです”は“私は人間ではなくうなぎです”ということになってしまう」
とのこと。他愛もない話のようであるが、なるほど、である。
同じ時間帯にその教師は、
「英語の発音なんていいかげんなもので・・」
と続け、
「この“ピーポ”ってなんやと思う?これはな、peopleの正しい発音なんや。スコッチの水割りなんかも、スコッチ・アンド・ウォーターなんてゆうたって通じひんで。スカチンワラ。こう言わんと絶対通じひん」
と。
神戸YMCAには面白い教師が多かったが、この教師も例外ではなかった。

それから数年後、米国旅行に行ったときに、その話が正しかったことを思い知ることになる。
あるバーに一人で行き、気取って
“JackDaniel’s on the rocks.”
と言ったが通じない。
何度言っても通じない。
しょうがないので、JackDaniel’sを指差したところ
“Ohhhh!ジャアダニヤ!!”
心の中で
「ジャアダニヤ、やと?!」
と、呟(つぶや)きながら、笑顔で
“Sure!”
と、一言。
ハンフリー・ボガードを気取って、グラスを傾けた。。。
ふぅ、、ボギーになるのも大変である。

2007年12月22日土曜日

Roman Holiday

借りていた写真素材のMO(光磁気ディスク)を返却に、愛猫家を支えるU社を訪問した。
オフィスに行って気づいたのだが、さて誰に借りたのか皆目記憶がない。
ここでそういう逆境さえチャンスに変えるところが、私の強みである。

見渡したところ、、、
「ロックオン!」
心で叫んだ。
10年くらい前から好きなIさんを発見。
旧帝大卒業の才媛で外見も美しい、才色兼備を絵に描いたような女性である。

おもむろに近づき、真田広之のような笑顔で
「あの、これ」
と、言ったら、Iさんは怪訝(けげん)な表情を我慢しながらMOを見たので
「これ、誰に借りたのか分からないけど、返したいのだけど」
と、言うと、親切なIさんはニッコリと微笑んで
「あっ、いいですよ」
と、受け取ってくれた。
続けてIさんは
「あっ!そのネクタイ。。さすがですねぇ♪」
そう、BrooksBrothersのクリスマスタイを締めていたのであるが、それをキッチリと「拾って」くれたのである。まるで島耕作が恋に落ちるきっかけのような場面である。
続けてIさんは
「でも、なんでネクタイがズボンに入ってるんですか?」
来た!もうIさんは、恋の狩人 私の術中である。
満を持して私は答えた。
「いやぁ、“ローマの休日”の中でグレゴリー・ペックがこうしてたので」
「ははは、おじさんだから、何でもズボンの中に入れちゃうのかと思った」
「苦っ!」
このままでは、いけない。咄嗟(とっさ)に島耕作から、若手お笑いに転向して起死回生を図る必要が生じた。
「ひょっとして、ウンコに行ってそのままネクタイまで入れたと思ったんでしょ?」
「ははは、そこまでは言ってない」
まじめなIさんがゲラゲラと大笑いした。
Iさん、久しぶりに大笑いしたのじゃないか、となぜかそう思った。

美女は、目じりの皺(しわ)まで色っぽい。

そして私は、今日も島耕作になりそこねた。

2007年12月21日金曜日

酒の神様

リビングのソファに洗濯物が乱雑に積みあがっている。
どうも細君は整理整頓が苦手なようである。
風呂から上がって、いつもの場所にパジャマがなかったので
「パジャマある?」
と、尋ねた。
「ええっと・・・、あっ、あった、あった」
と、積みあがった洗濯物の下のほうから体をひねって出そうとする。
細君は膝にアイロン台を置いて、アイロンをかけていたので、体をひねって懸命に取っていた。
その様子を見つめていて、やっと私のパジャマが取れた細君は
「やっぱりやさしくないよね」
「えっ?なんのこと?」
「普通は、助けてくれるでしょ?」
「えっ、だから洗濯物の上のほうを念力で引き上げてたでしょ?」
横で聞いていた二姫が私を睨(にら)んだ。
細君は
「いい?こういう冷たい男を選んだら一生後悔するよ。まったくさ、私が妊娠してたとき、調子悪くなって入院して点滴受けてたときでも飲みに行くような人だからねぇ」
一体何年前の話をしているのだろう。
そんな出来事は憶えていないが、きっとその時も酒の神様に細君の全快を祈っていたはずである。

2007年12月20日木曜日

快哉

お世話になった出版社P社の編集担当で美女のHさんからメールをいただいた。
仕事の内容のあとに
「ところで、S社のSさんてご存知ですか?」
と。
Sさんには、この9月に某有名芸能人2名を招いてプロデュースしたビッグイベントでお世話になった。
S社は、主には超有名スポーツ選手のブランド管理などを企画運営している会社で、聡明な美女Sさんもプロジェクトに参加していただき、予想をはるかに上回る報道陣が集まり大成功に終わった。
Hさんのメールによると、なんとHさんはSさんと大学の同級生で旅友達で今でも友達で、最近飲みに行って私の話題が出て奇しくも共通のつながりに「へぇ!」という話になったらしい。
だいたい、私のことが話題になること自体「へぇ!」である。
よほど、二人の間で好感度が高かったのであろう。(逆もあるが・・・)
会話は容易に想像がつく、というものである。

「こないださぁ、久しぶりに胸がときめいたのよ」
「えっ?!本当?実は私もなの。ぐうぜーん♪」
「仕事で一緒になった人なんだけどさ、格好いいのよ」
「私も~。やさしいけど目がキラッと光って仕事ができるのよ」
「私もそうなんだけどさ。なんか真田広之みたいなタイプだった」
「えっ?!うそ!私も!」
「えっ、まさか○○社の円齋さん?」
「うっそー!やだ~。こんな偶然あっていいの~」
「でも妻子持ちなのよねぇ。やっぱいい人は結婚しちゃうのよね」
「奪っちゃおうか」
「だめだよ、まじめそうだもん」
「そうだよね~」
「はぁ・・・」

何も気にせず、誘って欲しいものである。。。

しかし、、、なんと世間は狭い。
たまりませんなぁ!
これだから人生はやめられまへん!

2007年12月19日水曜日

IT革命

1997年10月17日
衝撃が走った。

件(くだん)の生涯の飲み友達、公認会計士Kさんと酒を酌み交わす仲になり始めた頃の話である。
Kさんからの飲みの誘いの時に
「弊法人の美女も伴いましょう」
とのうれしい提案。
しかしKさんには申し訳ないが、彼の実直さから考えて、連れてくる女性にはまったく期待していなかった。
岐度(きっと)牛乳瓶の底のようなメガネ(死語か)をかけたような、もっさりした女性だろうから、まぁ話し相手程度に、と考えていたのだが、、、
現れた二人を見て驚愕、驚天動地、「ウォー」と咆哮した(心の中で)。
美しいのである。しかも二人とも。

あれから10年。
二人の美女IさんもTさんも艶女(アデージョ)となられた。
しかもバリバリに仕事ができるお二人。
たまたまオフィスが近くなったのでいつかお昼でもなぞと話していたのだが、先日Iさんからお昼企画を実現しましょうと、うれしい誘い。
そして本日、実現。
残念ながらTさんは来られなかったが、Iさんとは今年4月の東京ドームでの野球観戦以来。
IさんTさんそろっての三人でのランチは、また次回の楽しみにとっておこう♪

ということで、これが実現したら
「これこそ昼飯の、IT革命やぁぁぁぁ!」

2007年12月18日火曜日

オリオン座

眠い、、、
本当に今日は眠かった。。。
ここ二日ほど4時間台の睡眠。
本当に信じられない。
連休などいくらでも眠ることができる。
1週間くらいなら、毎日12時間コンスタントに眠る自信がある。
ふだんの朝にちゃんと起きて、毎日会社に行っていることが不思議でしょうがない。
やはり私は鉄の意志の持ち主である。

しかし毎日12時間眠るような怠惰な暮らしでも、飽きることがあるのだろうか。

美女と楽しいひと時を過ごして(昔の話だが)もう十分と思っても、3、4日すると、また会いたくなる。
ナルシストとして体を作るために激しいトレーニングをして(大した運動量ではないのだが)もう運動は当分結構と思っても、やはり3、4日すると体が疼(うず)くものである。
神戸元町の『牡丹園 別館』で食べつくして(あまり高いものは頼めないが)もう中華は当分見たくないと思っても、3、4日するとあの牛肉と青菜の炒め物と炒飯が食べたくなる。
・・・こうなると、私が鉄の意志の持ち主ということも自信が揺らいでくる。
確かに立志伝のようなものを読むと、優秀なビジネスマンがあるきっかけで仕事が嫌になって会社を無断欠勤しても、3、4日もすると仕事がしたくなり結局復帰して大成功を収めたなんてことがよくある。
しかしながら、私は1週間会社を休んでも、仕事がしたくてウズウズする、なんてことにはならない。
むしろ休みをもっと継続したくなるくらいである。
やはり私は鉄の意志の持ち主なのである。

今朝は曇っていたのに、南東の空に明るい星がチラチラしていた。
今夜帰宅の時にも、南東の空を見上げると、朝と同じ場所に明るい星がチラチラしていた。
オリオン座の左下の方である。
眠くて眠くて、しばたたかせる私の目に見えてきた。
さぁ、寝るか。

2007年12月17日月曜日

ご注意ください PartⅡ

ジムの帰りに、最寄り駅であるC駅前の駐輪場を通ると、そこの入り口に手書きの張り紙が。

すべります。
ご注意ください。

入り口はゆるいスロープになっているので、注意喚起しているのだろう。
しかし、駐輪場といえば当然学生も多い。
ということは受験生だっているのだ。
そこで「すべります」はないだろう。
雨の日でもないのに常時張り紙で「すべります」は、タチが悪い。
それなら少しくらい濡れていても滑らないような措置をすればいいのではないか。
百歩譲って「雨の日にはすべります」と、言いたいなら、「雨の日は、足元にご注意」でいいだろう。

受験生に「すべる」「落ちる」が禁句であるように、結婚式での禁句「切れる」「離れる」「別れる」は有名である。
昔、ある結婚式で、これから新婚旅行でハワイに行きますなんて聞いたものだから、
「おお!じゃ十八番(おはこ)を一曲」
とばかりに『憧れのハワイ航路』をその場でリクエストして歌ったことがある。

♪晴れた空 そよぐ風
港 出船の ドラの音愉し
(このあたりで、“出船”ってあまり縁起のいい言葉ではないかな、と思いつつ、、、、“あっ!!”と思ったが遅かった・・・)
“別れ”テープを 笑顔で“切れば”
希望(のぞみ)はてない 遥かな潮路
ああ 憧れのハワイ航路♪

悪意があったわけではないので、、、、熱唱した。
まっ、いいか

2007年12月16日日曜日

蜜柑

蜜柑(みかん)の季節になった。
蜜柑を見ると思い出すことがある。

実家は播州の兼業農家。
農家と言っても、農業を生業(なりわい)にしているわけではなく、先祖伝来の土地で、そこを遊ばせておくわけにもいかぬと、いろいろ作物をやっている程度。地方にはよくある話。
とはいえ、田んぼ、畑、山あり、片手間とはいかない。

そんなことだから、子供の頃から本当に苦労した。
休みの日には農作業に駆り出される。
特に祖父と行くことが多かった。
春には、鍬(くわ)を持って畑を耕し種を蒔(ま)く。
梅雨時になると田植えが始まる。
夏には雑草取り。
秋の米の収穫は鎌での手作業である。
冬には40kgの肥料を肩に担ぎ蜜柑山の上まで運ぶ。
私が食べ物を大切にするのも、こういう原体験によるものかもしれない。

結婚してから、私が帰省するときには細君も一緒に来ることになる。
私が外出して高校の同級生なぞと旧交を温めている頃、細君は私の祖父よりいろいろ聞かされたという。
「あいつ(私のこと)はアカン!いくら山や畑に連れて行っても、遊ぶことしか考えん。虫が飛んでたら、そっちへ走って行ってしまう。小学校の頃からそうで、高校生になっても変わらんかった。それで“嫌なら帰れ!”と言うと、“えっ?ええのん?”と、うれしそうに走って帰ってしまう」
などと、私の不在をよいことに、細君に愚痴をこぼしたという。
祖父にもこまったものである。
きっとボケていたのであろう。。。

ただ細君は私の父からも母からも同じような話を聞かされたという。
こまったものである。
まるで、私がうそつきみたいではないか。。。

2007年12月15日土曜日

靴のかかと

12月14日
昨夜は、赤穂浪士の討ち入り。

旧知の公認会計士Kさんは、生涯の飲み友達。同い年。
以前は月に一回は飲みましょう、と言いながら、“月一会”と称して数ヶ月は実行したものの、互いに忙しく、そうもいかなくなった。
それでも私が
「毎月、飲みたいですね」
と言うと
「いや、毎日飲みたいですよ」
と(^^)

そんなKさんと昨夜は忘年会。
河岸(かし)を決めるときに、メールで
「12月14日は討ち入りですね」
「そうですね、じゃ、(吉良上野介邸のあった)本所松坂町ですか」
「いいですね、探しておきましょう」
「是非お願いします」
「まさか飲み終わった後に泉岳寺まで歩こうなどとは言わないでください」
「言いかねない(笑)」
など、戯(ざ)れ言を交換し、ネット検索(便利になったものだ)。

『わくい亭』は都営浅草線の本所吾妻橋から南下すること500m。
約束の7時に10分ほど早く着いたが、互いに先に着いたら軽く飲(や)っていましょう、とのルールがあるので、そのまま入店。
あれっ?あの後頭部はKさん。煮込みをアテにもうビールをやっている。
「いやぁ時間間違えちゃいまして、6時半からゆっくりと」

初めての店は不安であったが、人気店らしく活気がある。
「いい店を探してくれました。さすがですね」
と、Kさん。
「いや、偶然で。しかし来る途中に“目的”を反芻しましたよ。今日は討ち入りだからこの場所にしたんだと(笑)この界隈は下町らしく風情がありますね」
「そうそう、なんでこんな場所なんだ、って考えて、そうだそうだと思い出しながら来ましたよ」
他愛もないことで互いに大笑い。

大間のマグロ、カワハギの刺身と肝、など贅沢であったが、Kさんの
「忘年会だから♪」
の一言で、罪悪感は雲散。
「ネットによるとここの名物はメンチカツらしいですよ」
と、注文すると、大判のようなメンチカツ。美味。
「洋食で日本酒とは池波正太郎の世界ですねぇ」
とKさん。
「おっ、池波正太郎。ちょうどいま読んでて」
と、時節柄、と読み始めた『おれの足音 大石内蔵助』(文春文庫)を披露。

時刻が過ぎると店主らしき清水健太郎(もちろん似ているだけ)が、東南アジア系のねーちゃんたち(姉ではない)を伴って飲んでいる客の席に行って一緒に飲み始める。
「おいおい、そこの席は客の席だぜ。店主が飲むのは構わんが、客がいるうちは、カウンターの中で飲むのが流儀ではないか」
と心でつぶやく。
店員の無愛想な接客も有名店にありがちなのでまぁしゃあない。テキパキとは、しているので問題ないし。
すると団体客の接客を終えたのか、いままで一階にいなかった女子プロゴルフの小林浩美(似ているだけだが)がテーブル近くで接客し始める。
「あっ、もてなす顔をしている!この女将(おかみ)の存在が大きいのだろうな」
と確信。
その女将、我々のテーブル近くで急にしゃがみこんだ。
「このかかと、お客さんのじゃないですか」
高そうなKさんの靴のかかとが外れて椅子の下に。
「あっそうだそうだ、僕のだ」
と、Kさん。
女将、ビニール袋を持ってきて
「これに入れてください」

Kさんも私も、かかとのことは忘れてしばし歓談。
さわやかな女将に会えて、そろそろ討ち入りに出立せねばならぬ刻限。
あっというまに11時近くになり、酩酊し討ち入りも何もない。
冬の夜風に吹かれながら、今宵の目的を思い出し
「四十七士は、こんなとこから泉岳寺まで歩いたんですね。雪の中ですよ。草鞋(わらじ)みたいなものしかなかったでしょうし」
と私。
「信じられないね」
と、言うKさんも片方の靴にかかとがないわりには、元気に歩いている。
「泉岳寺まで電車で20数分かかるんですよ。遠いですよ」
「昔の人は健脚だったんだよ、きっと」

『剣客商売』もそのうち読んでみるか。

2007年12月14日金曜日

手品

私は手品が得意である。
駅に着いたら、スーツの内ポケットに入れたはずの定期が、改札で見つからずよくあせる。
探すと、コオトの内ポケットから、見つかる。
このあたりは初級である。

めがねもよく消える。
テーブルの上に置いたはずなのに、洗面所にあったりする。
空間移動である。

もっとも得意な手品は、財布からお金を消すことである。
特に美女と飲みに行った翌日には、確かに財布に入っていた一万円札が忽然(こつぜん)と姿を消している。

2007年12月13日木曜日

右見て、左見て

横断歩道を渡る。東京駅丸ノ内北口。

新橋と違い「一般ビジネスマン」の風景として紹介するときにテレビで映されるおなじみの場所だ。
おなじみの場所だけあって、時間帯によってはかなり混む。
互いの方向から、人が横一列になって、そう30人31脚みたいな勢いで向かっていく。
あれにはいつも恐怖を感じる。
そしていつも人にぶつかられたり、ぶつかられそうになったりする。
オランダだったか、欧州のどこかの国の人が新聞のコラムに書いていたが、当地では人とぶつかりそうになると、お互いに向かって左側に避けるのがマナーとかで、日本に来てからその人もよくぶつかるとか。

以前、何かで読んだのだが、そういう場合斜めに渡ると案外スムーズに渡れる。
つまり1対1で相対するとお互いにどっちに行けばいいか分からなくなったり、またお互いに譲る気がなければぶつかるのみである。
それが斜めに渡ると、ぶつかりそうになる人を自分の前でやり過ごすか、自分が前を横切るかであるから、自分でコントロールしやすいのである。
一度試していただきたい。
しかし、同方向から斜めに来る人がいたら、結局いままでと同じ悩みを持つことになる。
あと、渋谷の交差点も無理かもしれない。

昔からラジオで何度か聞いた話だが、殿方がオーダーメイドでスーツを作るときは
「左ですか?右ですか?」
と、聞かれるらしい。
つまり愚息はたいていどちらかに向いていて(右利きは左、左利きは右が多いらしい)、スラックスを仕立てるときにどちら側に余裕を持たせますか、ということらしい。
人生で一度だけスーツを仕立てたことがある。
しかし、なぜか聞かれなかった!
どっちを向いていても“大勢(たいせい)に影響なし!”と、判断されたか
(><)

横断歩道では右往左往する私であるが、スラックス内では右顧左眄(うこさべん)するのみである。

2007年12月12日水曜日

殿、電柱でござる!

雰囲気のある女性が前から歩いてくると、かならず顔を見る。
美人だとおそらく私の顔つきは豹変する。
どんなに豹変するかと言うと、まず三日間飲まず食わずの状態で、ハンバーグステーキ定食(もちろんポテトサラダが付いている)に出合ったような顔だと推察される。
そのあとに瞳孔が開きっぱなしになる。
一瞬にしてこれだけ賞賛のまなざしを、それこそイタリア男性以上に向ければ、その女性も喜んでくれてもよいものであるが、10人が10人みな敵意むき出しで、去っていく。
中にはバッグをギュッと胸に抱きかかえる人や、走り去る人までいる。
まちがっても、
「あっ、あの人ったら私のこと見てるわ。私に気があるのかしら」
などという反応は絶対にない。

そんな私も人間であるからミスを犯す。
「しまった、わざわざ見なければよかった」
と、後悔することが低くない確率で起こる。
一瞥(いちべつ)したときにその女性も視線に気づくようである。
が、相撲の間合いで“待った”をかけるように、私は目をそらす。
もちろん、女性は一瞬にして戦闘態勢に入っていたわけであるが、すぐに自分の「失格」を知ることになる。
素朴な疑問として、そういう場合、悔しいのだろうか。
「あんな男からも私は対象外かよ?!」
と、腹が立つものなのだろうか。

米国のある社会学者(白人男性)の実験を聞いたことがある。
変装して完全に黒人になりきって、街で一日過ごしたところ、本当に嫌な思いを何度もしたそうだ。
別の機会には、女性になりきって(“趣味”ではなく“学問”である)一日暮らしてみたところ、男性からの視線の多さに驚いたそうである。

もし真田広之の着ぐるみがあったら、それを着て一日いろいろ試してみたいものである。
出社すると、まず二階級ほど昇進するだろう。
昼食に出て定食屋でいつものようにご飯大盛りを頼むと、おかずを一品増やしてくれるだろう。
社内の女子は
「いままで私たちが間違っていました」
と、謝ってくるだろう。
それに対して私は
「もう町人の娘などには用はない」
と意味不明なことを言って、不敵な笑いを浮かべるだろう。

嗚呼、真田広之の精巧な着ぐるみ、ドンキホーテで3,980円くらいで売ってないかなぁ。
そんなことを帰宅途中に考えていたら、電柱にぶつかりそうになった。

2007年12月11日火曜日

“今度”と“幽霊”

久しぶりに妙齢の美女Yさんと喋った。

Yさんは妖術を使う。
彼女が手を触れた殿方は、みな彼女の虜(とりこ)になる。
配送のにーちゃん(兄ではない)もコンビニのにーちゃん(兄ではない)も例外なく。

Yさんは読心術を使う。(ちなみにYさんは独身である)
以前、YさんとNさんを誘ってY君と4人で食事をしたとき、Nさんは残業でなかなか来れなかったのだが、Yさんは
「二人ともNさんさえ来ればいいんでしょ」
と、言い放った。

Yさんは魔術を使う。
「今度メシでも行きましょう」
と誘ったが、口先だけではいけないと思って、1月にでも実現させたい旨を伝えると、
「“今度”と“幽霊”は、実際には、ないんですよね」
と奥ゆかしい物言いだが、『本気で誘うなよ』光線を目から発射してきた。

Yさんは腹話術を使う。
「だからアンタとは行きたくないんだって!」
と、虚空から聞こえてきた(ような気がした)。

しかし、笑顔は絶やさない素敵な女性である。
ニコニコとしながら、さりげなく腕に触れてきた。
「あっ!!」
術に落ちてしまった。

・・・また、“今度”食事に誘うとするか。

2007年12月10日月曜日

TULLY’S COFFEE

【B’z】ビーゼット

【V6】ブイロク

【元ちとせ】モトチトセ

【TULLY’S】トゥーリーズ

近年、私が人前で間違えた単語群である。
ちょっと思い出してもこれだけあるのだから、きっともっとあったはずである。
私の場合、何かにつけ裏付けなく自信を持っているので始末が悪い。
私が間違えるはずがないと思っているので、堂々と間違える。

CMが流れていてクレジットに“曲:B’z”と書いていたので、
「ビーゼットって歌手か?グループサウンズか?」
と聞いたら、細君は何も答えなかった。きっと知らなかったのだろう。

「最近のジャニーズも面白い名前をつけるなぁ。ブイロクか。V型6気筒エンジンみたいやなぁ」
これも細君は黙っていた。

ある日、社内で
「あのモトチトセの歌っていいなぁ」
「誰ですかモトチトセって?」
「えっ、知らないのかね?あの有名な奄美大島出身の歌手。神の歌声って言われてるらしいぞ」
「ひょっとして、それってハジメチトセのことじゃないんすか」

昼休み外で昼食を終えてエレベーターに乗ったときに後輩女子が近所にできたTULLY’Sの紙袋を持っていたので、
「ほぉ、それが最近できたトゥーリーズだね」
と言うと、同じエレベーターに乗っていた後輩I君(私のパソコンを黒魔術でフリーズさせる恐ろしい男)がすかざず
「何言ってんすか?タリーズですよ!まったく」
と白い目で見ながら言い、エレベーターから降りるや追い討ちを掛けるように
「まったく他社の女の子たちが下向いて笑いをこらえてたじゃないっすか!私まで仲間だと思われるでしょ」
と言ってきた。

自慢ではないが、私だって美空ひばりを「ブクウヒバリ」と間違えたことはないし、村田英雄を「ソンタエイユウ」と間違えたこともない。
おまけにピーターやちあきなおみだって読み間違えたことがないくらい芸能通なのである。
バカにしないでもらいたいものである。

2007年12月9日日曜日

二足獣

『ベトナム戦記』開高健著(朝日文庫)を読み終えた。
ここのところなぜか忙しく、貴重な読書タイムであるはずの通勤電車内でも読まねばならない資料や雑誌の類があり、この本を読了するまでに延べ10日ほどかかってしまった。

子供のころ、総理と言えば佐藤栄作、大統領と言えばニクソン、横綱と言えば大鵬、四番と言えば長嶋、ニュースと言えばベトナム戦争だった。それらはずっと変わらないのではないか思っていた、とすべてが変わったあとで思った。
ベトナム戦争は少年時代にそれほど身近でありながら、80年代にベトナム戦争を見直す気運が米国で高まり、映画がさかんに作られてその何本かを観ることはあってもやはりピンと来ることはなかった。
本書を読もうと思い立ったのは、開高氏が晩年モンゴルに興味を持ち、チンギスハーンの墓を発掘することをライフワークにして志半ばで逝ったとのNHKの特集番組(多分、再放送)を最近見たことがきっかけであった。

戦場は「嫌でもリアリズムと対峙しなければならない場所」と聞くが、ベトコンの少年兵が処刑された直後に開高氏は自己嫌悪に陥って次のように書いた。
~人間は何か《自然》のいたずらで地上に出現した、大脳の退化した二足獣なのだという感想だけが体のなかをうごいていた~

そして本書の最終章でこの戦争の本質をこう看破している。
~漠然と私はアメリカの武器商人が古くなった武器の倉庫の戸をサイゴンに向けて全開しているのだという印象を受けた~

米国が戦争を続ける「宿命」について、カナダ人ジャーナリスト ベンジャミン・フルフォード氏は開高氏と同じ観点、すなわち歴史的に見て米国は軍事産業のために戦争する理由を見つけ、あるいは捏造してきた、との見解を、昨年の著書『暴かれた9.11疑惑の真相』の中で書いている。

人間が二足獣なのではなく、二足獣が人間の中に紛れ込んでいるのだ。

日経新聞コラム「春秋」によると、今日は開高氏の命日だという。

2007年12月8日土曜日

北風吹きぬく

寒くなった。
♪北風吹きぬく寒い朝も 心ひとつで暖かくなる♪
吉永小百合のデビュー曲「寒い朝」をふと口ずさむ季節になった。
なぜか犬の散歩を強要されるようになってしまい、いやいや行かされようとしていたので、景気付けに歌でも歌って、と思った矢先であった。
「ちょっと!やめてよ」
細君である。
「ん?」
「外に出てから歌ってくれない?!」
「外で歌ったら歌手と間違えられて、サインを求められるではないか」
「いいじゃない、サインしてあげれば」
「いや、最近はサインの練習をしていないので」
「とにかく、その上手いだろぉって自信満々な歌い方が嫌なのよ」
「上手いのだから、しょうがない」
「上手い?本当にそう思ってるの?」
「当然」
「そういうのは、自分で言うことじゃないのよ。誰か上手いって褒めてくれたの?」
「福井のスナックで、知らないおっさんたちが褒めてくれた」
「福井?!!そんな田舎の、しかもおっさんたちでしょ」
「おっさんたちは、ビールをおごってくれた」
「早く帰って欲しかったんじゃないの」
「いや、うっとり聞き入って帰っていった」
「それって結局あきらめて帰ったってことじゃないの。それより早く散歩に行ってよ」

北風吹きぬく寒い外に犬と出された。

2007年12月7日金曜日

手書き禁止

帰宅途中の満員電車で頑張って夕刊を読む初老の男あり。
ふと見出しを見ると・・・

不動裕理
若手にすき つかれる

これを読むと誰でもこう思うだろう。

女子プロゴルファーの不動裕理が、
若手プロしかも女子選手に「好き」と告白した。
それを聞いてしまった新聞記者がこう漏らす
「まったく、、、疲れる…」

しかしスーパーコンピューター並みの計算能力を誇る私の頭はこう考えた。
まてよ??不動選手は若手に油断して「隙を衝かれた」のではないか、とも読めないか?
しかし電車が混んでいて、結局どちらが正しかったか分からず帰宅することとなった。

当用漢字か常用漢字か知らないが、最近はやたら漢字を禁じているような気がする。
平仮名で書かれても、かえって読みづらい場合もあるのだ。
だいたい京浜東北線の快速電車で西日暮里を通過するときなど「西日暮里」と書いているから分かるのであって、「にしにっぽり」だと鰊(にしん)がどうした?とか、おねーさんとシッポリした夜を過ごしただと?と変な妄想が浮かびかねないし、ましてや「NISHI-NIPPORI」なんて、動体視力のテスト上級編である。

あまりに漢字を減らそうとするのは、ひょっとしていま流行の「ゆとり教育」の影響かもしれない。
やたら漢字を減らさないでいただきたいものである。
要はテストに出なければいいなら、消し去りたい漢字に付帯条件を付ければいいのだ。
「手書き禁止」「読み間違い嘲笑禁止」「読解不能叱責禁止」などの条件を付けておけば、新聞や本は、どんな漢字も安心して使えるかわりに、難しい漢字が入試問題などに出されれば、たちまち新聞の見出しに
“○○大学、出題ミス 『隙を衝く』の読みを強要!”
と、デカデカと出て糾弾されることになる。

2007年12月6日木曜日

車が出ます。ご注意ください。

犬と歩いていると超高級マンションの前に来た。
大して広い通りに面しているわけでもないのに、立派過ぎる一見バブリーな石の門が睥睨(へいげい)している。

門の側にある「出庫注意」とある看板が赤く点滅しはじめた。
「車が出ます。ご注意ください」とテープでアナウンスが流れる。
何度も何度もアナウンスは流れるが、車が出てくる気配がない。

「車が出ます。ご注意ください」
「車が出ます。ご注意ください」
「車が出ます。ご注意ください」


「注意するのは、そっちやろ。。。」

心の中でつぶやいた。

2007年12月5日水曜日

どらえもん

昨夜は、S出版の宮崎美人Hさんと“第一回Hさんの結婚を祝う会”と銘打って会食した。
四谷三丁目の広島風お好み焼き『わいわい』なので、結婚を祝うにしては質素であるが、私のイケメンぶりと人格に免じて許していただいた(つもりである)。

この店のお好み焼きは有難いことに伝統的な広島風お好み焼きを守っている。最近は演出過剰なキャベツ山盛りによってブカブカで、食べていてもバラバラになって、一体鳥の餌を食べさせられているのか、という錯覚に陥る。その点『わいわい』のそれは、しっかりとした多層構造のお好み焼きで、このようなお好み焼きは、東京はおろか、超有名店で食べた限りでは本場広島でも珍しくなったようである。

そのおかげか、Hさんにも喜んでいただいた(つもりである)。
生来の善人で人格者である私は、ささやかながら結婚祝いを差し上げた。
「どらえもん」のコミック単行本である。

2、3年前だと思うが、あるテレビ番組で「感動自慢」みたいな話が出て、その中でWAHAHA本舗の柴田理恵さんが話しておられた。
~どらえもんの25巻なんだけど、その中にのび太くんの結婚前夜という話が出てくるの。のび太くんはタイムマシンで、自分としずかちゃんがちゃんと結婚するのか確かめに行くんだけど、間違って前の夜に着いちゃうのね。どらえもんと姿が見えないようにしずかちゃんの家に行って、少しブルーになっていたしずかちゃんの本音を探ろうと、本音を言っちゃう機械を出して確かめるの。そしたらしずかちゃんは、私はパパに何もしてあげられなかった。パパを残して結婚できないって言うの。そしたらしずかちゃんのパパがこう諭すのよ。パパは君から大切なものをもらった。君が生まれたこと。小学校に入学したこと。小学校を卒業したこと。いっぱい君から大切なものをもらったんだよ。のび太くんは、人の喜びや悲しみを正直に受け止められる人だ。パパはもう十分君から大切なものをもらったから、君はちゃんとのび太くんについていきなさい、って言うのよ~
と、もう途中から涙でボロボロ状態であった。

早速購入して読んでみたら、確かにその通り。姫を二人持つ者としては、かなり共感して感動できる内容である。

これは使える♪

この本を結婚する女の子にプレゼントしたら、きっと私の好感度は上がるに違いない、と私の脳内のスーパーコンピュータは答を弾き出した。
そして雌伏2、3年。(忘れていただけであるが)
今回、晴れて「どらえもん」25巻を結婚祝いとしてプレゼントできたのである。

浅はかと言うなかれ。
見た目はささやかでも、真心で輝いている(つもりである)。
もちろんHさんには大変感激していただいた(つもりである)。

2007年12月4日火曜日

オオバアコオト

いよいよコオト姿の人が増えた。冬本番である。

電車に乗る。
やはり秋よりも座席に座ると窮屈だ。
向かいの席を見てもみな窮屈そうに座っている。
ひとつ席が空いているが狭すぎて敬遠されている。

そんなことも、秋から冬への端境期(はざかいき)の風物詩だと毎年密かに思っている。
そりゃぁ夏の薄着の時でも13人掛けに13人座ればちょうどなのであるから、みながコオトで着膨れすれば物理的にサイズが合わなくなるのは当然である。

しかし、、、不思議と本格的に冬になるとそれが落ち着くのである。
13人掛けにコオトで着膨れした人たちは13人平然と座っているのである。
動物の進化のように、あるいは昆虫の擬態のように、毎シーズン冬になるとヒトは骨格を狭めるのだろうか。

2007年12月3日月曜日

しゃんぷー

二姫が愛犬マメ(柴♀)を下の階から連れて上がってきて、自分の部屋にある寝床に寝かそうとしていた。
「ほう、もう寝かせるのかね」
と言いながら、シュッシュッと鏡に向かってシャドーパンチを繰り出すと
「もう!やめてよ!今日はシャンプーに行って疲れてるんだからね」
とプリプリしながらバタンとドアを閉めて部屋に入ってしまった。

常々親子のコミュニケーションを重視する私は部屋の中に向かって
「マメはシャンプーが好きなのかね」
と尋ねると、なんだか犬の寝床が騒々しい。
「もう!!パパが“散歩”なんて言うから興奮しちゃったじゃない!!ほら!心臓がバクバクして柵に前足掛けてる!どうしてくれんのよ?!」
「いつ私が“散歩”なんて言ったのかね。“シャンプーは好きなのかね”と聞いただけではないか」
「あっ!また“散歩”って言った!!それにさっきも“散歩”って言ったでしょ」
「おかしな子だ。“シャンプー”とは言ったが“散歩”とは言っていない」
「もういい!ベランダで少し遊ばせるよ、もう!」

階下に下りて細君に「いやぁまいったよ」と事情を話すと
「あなたの滑舌(かつぜつ)が悪いからよ。夜遅くに余計なこと言わないでよ」
「シャンプーを散歩と聞くほうが耳がどうにかしているのではないのかね」
「犬が都合よく間違える訳ないでしょ。もう!マメ寝かせる時間なんだから余計なことさせないでよ!」

彼女たちは犬をみくびっている。
米寿くらいまで生きて天寿を全うした祖父は、耳が遠かった。いや遠い振りをしていたと思う。耳のそばで大きな声を出さないと聞こえないはずなのに、隣の部屋で小声で言った悪口は必ず聞こえているのである。
マメも私の“シャンプー”を都合よく“散歩”と聞き間違えて「あわよくば」を狙って騒いだだけなのに。。。
まことにこまった女たちである。

2007年12月2日日曜日

青春の蹉跌

年末に『瀬戸田しまなみユースホステル』を予約した。
ユースホステルに泊まるなど何十年ぶりか。
だいたいユースホステルというものは、だんだんと衰退していると何かで読んだことがあるが、そうかもしれない。
アルコールはご法度であるし、寝具の片付けは自分でやらねばならないし、夕食のあとはミーティングがあったりする。おまけに男女は別々の部屋である。
それらがいまでも全部そうなのかは知る由もないが、久しぶりにユースホステルに泊まることに決めたのである。

昭和50年、広島東洋カープが初優勝でペナントレースを制した。
そのせいもあったか、カープのファンでもなかったが、年が明けて正月松の内に、高校友人F原君と広島旅行に出かけた。
広島駅前はカープ初優勝の祝賀ムード満開で赤色で埋め尽くされていたことは印象に残っている。どこを回ったか記憶は定かではなく、四国にも足を延ばしたかもしれないが、宮島ユースホステルと広島坂町ユースホステルには泊まったと記憶している。
江田島にも寄って、港の近くにお好み焼き屋にフラリと入ったのだが、その美味さにまず脱帽した。お金を払おうとすると一人で切り盛りしていたおばちゃんが「あっ、お金はその箱に入れておいてください」と、お菓子が入っていたような四角い形で丸い口の開いた缶を指差したことは、鮮烈な記憶として残っている。
どういう経緯で選んだのか広島から電車で20分くらいかかる坂駅から少しばかり歩いたところにある坂町ユースホステルにとにかく泊まったのである。
ユースホステルというのは、若者を躾ける意味合いもあったのか、やたらルールに厳しいところが多かったような気がするが、坂町YH(ユースホステルの略称。もっと早く略称を使用すればよかった)は穏やかな空気が流れていた。夜になっても消灯などと無粋なことは言われず、ペアレント(YHのオーナーの呼称)といろいろ談笑した。
そこのペアレントはやさしい笑顔ながらも、目は厳しく一種中国拳法の達人を思わせるおじさんだったが、宿泊に来ている若者の手相を見て占っていた。猿なみに好奇心旺盛な私は当然のごとく手相を見てもらった。
高校一年生の私に向かって拳法の達人は「君は大学受験を甘く見ているなぁ。それに年をとってから病気をするから気をつけなさい」
ろくなことを言わないおっさんだ、と思いながらも、なぜか心に引っかかるところがあった。

2年後、大学受験で記録的な連敗を喫したのであるが、結局大学入学を果たしたのは2浪後の二十歳(はたち)であった。
そんなこともあって、その後は坂町YHのことは、ときどきふと思い出す存在になった。
そして昨年、実弟を癌で亡くしたことも作用してか、再訪したい気持ちが日に日に強まった。
手相などは、その人のその後の生活や努力でどんどん変化するはずであるから、もう一度見てもらおうと思ったのである。
こんなときにインターネット時代はありがたいと実感するのであるが、坂町YHを検索してみると、そこのペアレントは大本さんという名の方だと判り、昭和61年父親の死をきっかけに奥さんや息子さんを置いてひとり故郷の瀬戸田に帰ってきて新しくYHを開設しているとの情報を得た。坂町YHは人に任せているらしい。
ルート検索した結果、帰省先の播州赤穂を越えて福山まで行き、そこから高速バスで行き1泊してから帰省することに決めた。
予約の電話をしたのが11月28日(水)、無事年末に予約をして、中国拳法の達人と約32年ぶりに再会できる運びとなった。ネットで見る大本さんはずいぶん年をとられたが、やはり中国拳法の達人の面持ちは健在である。
その日帰宅していつものように日経夕刊を見て驚いた。今まで気づかなかったが「日本の史跡101選」というページがあり、毎回2箇所紹介する趣きのようであるが、№66赤穂城跡(兵庫県赤穂市)と№67草戸千軒町遺跡(広島県福山市草戸町)とあるではないか。
福山はバスの乗り換えだけのつもりで旅程を考えていたが、急遽少し余裕を持たせて草戸千軒町遺跡を訪問するスケジュールに変更した。

そんなわけで、48歳にしてユース!ホステルに泊まることになったのであるが、私にとんでもない予言した大本さんが病気で寝込んでしまわないことを願うばかりである。

2007年12月1日土曜日

千の風になって

昨夜は「ニッポンを支える会社」に勤めるMさんを誘って、Kさんと3人で会食。妙齢の美女二人を伴って、というのも、運を使い果たしてしまいそうで複雑な気分である。
Kさんは好きになって足掛け3年くらいで、熟年夫婦にも近い感覚であるが、Mさんは好きになって足掛け9年である。私のロマンチスト振りも大したものだと自負しているが、単にしつこく未練がましいだけだ、とも言われる。
3人はそれぞれで知己であったが、3人一緒に会うのは初めてである。こういうシチュエーションは独特の緊張感を伴うので、般若湯(はんにゃとう。坊さんの隠語で酒のこと)がその緊張感を溶かしていく快感は格別である。
私の人生はかくのごとく好きな人ばかりに囲まれていて幸せこの上ない。嫌いな人とは付き合わないからであるが。。

初めて行く新橋の「橘鮨」は、隠れた名店(昨夜“名店”として格付けした)

箸袋を見た瞬間、私の蘊蓄(うんちく)癖が頭をもたげる。
そらんじている伊勢物語第六十段を披露する。

“五月待つ花橘の香をかげばむかしの人の袖の香ぞする”

出世街道の宮仕えをしていた夫のもとを離れ今は都落ちして地方の接待役をする男と再婚したある女。元夫が出張でそこに行って再会する。昔のことを知っているのは二人と今のダンナ。まわりの客は誰も知らない。そこで「昔の男」は酒の肴に出ていた橘を手にとって「五月を待って咲く花の香りをかぐと、昔愛した人の袖の香りがすることだ」と吟じた。橘の香りを嗅いで昔愛した女の袖の香(こう)の香りを思い出したことをさりげなく伝えるあたりはなかなかの男である。
「3年のKさん」には、いつかこういうシチュエーションになりたいというメッセージ、「9年のMさん」には(残念ながら元妻ではないが、“長い”というだけで)まさにこうじゃないの!というメッセージをさりげなく送ったつもりであるが、途中から聞くのをやめて二人で話し始めていたので、メッセージは残念ながら届かなかったようである。

アメリカ同時多発テロやマリリンモンローの追悼セレモニーで朗読され、日本では新井満の作曲により大ヒットを記録した作者不詳の詩「千の風になって」。女優の木村多江が日本やアメリカ、イギリスなどをたどりその詩のルーツに迫るという番組の再放送が今日NHKで流れていた。
最近は秋川雅史の歌を爆笑問題がマネしてネタになるようになってしまったが、私は加藤登紀子の歌う「千の風になって」が好きである。
早くに最愛の父上を亡くした木村多江が「幸せになることに罪悪感を感じた」と番組の中で述べる。20年前に漁師だった夫を水難事故で失ったイギリスの女性はそれを聞いて「誰でもそう思うもの。しかし人生は生きるためにあるのだから。でも感情のルールは必要。その人のことをいつまでも忘れないことが大切。私の夫も歌詞のようにきっとそばにいる。だから私は墓には行かない」と。

楽しかった昨夜を思い出しながら、KさんもMさんも私のお墓の前で泣かないでください、と思った。

なぜか替え歌が思い浮かび“私のオナラのあ~とで、こかないでくださ~い♪”と大きな声で歌ったら、細君の予想以上に大きな怒声が飛んできた。

2007年11月30日金曜日

バチッ!

子供のころは感じなかったのに冬になると静電気に悩まされる。
営業車に乗っていたころは、得意先で降りるたびごと悩ましかった。
急いでいなければ、ドアの金属部分に触れたまま地面に足を着き、そっと椅子からお尻を上げた瞬間に弱い電流が指に流れて「無罪放免」となるが、急いで降りるとひどい「洗礼」を受けることになった。

海外旅行に行くとホテルのカーペットのせいか、よく静電気の被害に遭う。
空気が乾燥している米国西海岸は特にひどい。
握手でバチッと火花が飛んだこともあった(><)
1657年に起きた江戸の大半を焼失したという明暦の大火は、因縁のある振袖を供養のため和尚が寺の火に投げ入れたら火柱が上がり、そこから燃え広がったという言い伝えから「振袖火事」とも言われている。
西海岸ではさしずめ「握手火事」いやシェイクハンド・ファイヤーが起きてもおかしくない。

最近はホテルのエレベーターのボタン脇に静電気予防のシールまで登場した。
静電気のバチッはそれほど嫌われているのである。

水資源保護のためか、経費節約のためか、トイレの水道は自動止栓装置付きが増えてきた。
それが、なんと!水が出て手に触れた瞬間に“バチッ!”とくることも。
水だけに乾燥とは無縁のはずなのに。。。
「むちゃするなよ」と突っ込みたくなる静電気現象である。

2007年11月29日木曜日

SMOKIN’ CLEAN

私はタバコを嗜(たしな)まない。
むしろ、忌み嫌っているくらいである。
それでもテレビドラマ「大都会」の渡哲也になりたくて、一週間ほど吸ったことがある。
が、体に合わないなと思い、渡哲也になるのは断念した。
それで真田広之になったわけである。

それにしてもタバコはやめておいてよかった。
ただでさえ堪え性のない私である。
いまの世の流れ、スモーカーをタバコ難民にような仕打ちを受けたら、本当に悔しい思いをするところだった。

2007年11月28日水曜日

東京タワー

オフィスの窓から東京タワーが見える。
ペイペイには決まった机がないので、気まぐれに今日はそんな席にすわってみた。

よく、テレビでグラビアアイドルがゲスト出演して、自分の水着の写真集を司会者にプレゼントしたりする。
やおら写真集を開く司会者。
水着写真を見ながら実物とも対面する、というのは至福の贅沢だろう。

きっと今日座った席で、映画『続、Always三丁目の夕日』のDVDを見たら、窓に映る実物東京タワーも同時に見ることができて乙(おつ)な気分に浸れたかも。。。
んなわけないか。。。

あの映画は懐古趣味でヒットしているが、ふと考えた。昭和30年代にも映画はたくさんあり、日常風景を描いた傑作もあるはずだ。黒澤作品とか木下作品とか。
そうすると、CGを駆使した映画を観なくても、リアルな昭和30年代がそこにあるのだ。
CGには、自由に表現できるバーチャルとしての強みはあるが、やはり本物にはかなわない。
いつか人々は気付くのだろうか。
「三丁目」ではなく、本物を再評価することの大切さを。
なんでも新しければいい、というわけでなく、古いものを守ることこそ大変だが大切なのだ、という基本的なことを。

2007年11月27日火曜日

鏡よ、鏡、鏡さん・・・

細君は私に向かって「あなたはナルシストだ」という。
とんでもない誤解である。
確かに私は世界で一番私のことが好きである。
鏡を見ていても飽きない。
けっこう男前だと思う。
世の中の女性がこの私固有の価値観を認めないだけである。
仕事振りも上岡竜太郎氏ではないが「仕事は一流、出世は二流、給料は三流、恵まれない天才ビジネスマン」だと思っている。
ただ怠け者なだけである。
また私はキリストのように心がやさしい。だが細君は「あなたは冷たい」と言う。それではキリストも冷たかったかもしれない、ということであり、キリスト教への冒涜である。

ある日のことである。三面鏡をなにげなく触っていたら、鏡写しではなく、その逆のいわゆる写真と同じに見える角度になったので、いつものように鏡に向かって微笑みの貴公子をやってみた。
驚いた。
そこに写っているのは私ではない。歯はガチャガチャ、クチにしまりがなく、顔は非対称に歪んで、なんとなく目つきもいやらしい。
そうなのである。私は長年鏡写しの顔ばかり見ていたので、いつのまにか脳が自分に都合のいいように修正していたのである。
そういえば、写真は本当の顔であるはずだから、写真を見たときに気づいてもよさそうなものであるが、単に私は写真うつりが悪いのだ、と思っていたのである。

案外世の中のみんなもそうかもしれない。脳は自分の都合のように修正するのだ。自分の容姿に自身のある女性ほど「私なんてかわいくありませんよ~」などという。脳内で修正されてその程度なのだと思ったほうがいいのである。

畢竟(ひっきょう)、皆ナルシストなのである。
私などまだかわいいものである。こんなに自分好きな私でも、ときどき真田広之の外見になっていたら人生は変わっていただろうと思うのだから。残念ながら彼が一番で私が二番(以降)である。だから、私は決してナルシストではないのである。

2007年11月26日月曜日

往来、オーライ!

今日のお昼はいつも行く定食屋へ。
オフィスから出る時間が遅れたので一人で。
食べ終わった客が爪楊枝を使い始める。
町の定食屋なので、どこにでもある爪楊枝ケース。
一見鉛筆削りのような円筒形で、真ん中に小さな穴の開いたプラスチック製のあれである。
まるでディファクトスタンダードのような爪楊枝ケース。
ひっくり返すとうまくいくとスンナリ1本出てくる。
最近はずいぶんまともに使われるようになったが、あれが出始めた頃は逆さまに、いわゆる尖ったほうを上に向けて楊枝が入れる店も多かった。
口に入れるほうがケースの底につかないように、という配慮は分からなくもない。
しかしそうすると尖ったほうが何本も穴を目指して出てくるので、結局詰まってしまい、なかなか出てこない。
おまけに何本か先が顔を出して、つまみ出そうとする指に触れるので、かえって不衛生である。
配慮が裏目に出るということである。

人に食べ物をよそるとき、箸を逆さまに持ち替える人がいる。
あれは、やめてほしい。
よそるものが、水気の少ないものならまだ許せる気がするが、何かつまんでベタベタになったほうが上になるのを見るのは忍びない。
結局、直箸(じかばし)のほうが、フレンドリーである。
かわいい女の子だと、「一方通行」とはいえ間接キスのようでうれしくもあるのだ。
もっとも、「一方通行であっても嫌だ」と考えてわざわざ直箸を避けている可能性は十分あるが。
食事作法の本を読むと、箸を逆さまに持ち替えるのは、手を触れていた側を使って相手に渡すことになり失礼にあたるので、そのままよそるか、菜箸を使うのが正しいとのこと。

こちらが直箸でよそってあげた食べ物を、女の子がさっきまで食べていたのに箸をつけようとしないのは、「往復」間接キスだと思ってきっとドキドキしてしょうがないのだろう。

2007年11月25日日曜日

男の信念

一年経って今年も空手の試合に出場してくださいとメールがきた。
無論、丁重にお断りした。
そしたら「昨年同様、司会をお願いできませんか」と懇願された。(昨年は、選手として出場したが、司会も頼まれ満足にウォームアップもできず、よい言い訳ができた)
どうやら選手としてよりも、司会がいなくてこまっていたようである。
腕は立たないが、口は立つことがバレている。
久しぶりの大会の雰囲気は独特である。
目にパンチを受けて病院に行ったら眼底剥離寸前の選手や、男子の大切な場所を蹴られてのたうち回る選手、鼻に膝蹴りを受けて血を流す選手、と相変わらずの「絵巻」である。
司会者でよかった。
みな、この世界こそすべてである、この時間だけは。
みなと別れたあと、帰りの駅で見た一般人はみな平和な顔である。
夢から覚めたように、ホッとする。

帰宅したらテーブルの上に私の好物がズラリ。
菊正宗のワンカップ樽酒、うなぎ、あとチョコの入った紙袋も。
一週間遅れで誕生日を祝ってくれるらしい。
細君は大雑把な人で、何か記念日になってからそれを思い出す。
私は繊細な人間なので、自分の誕生日の一週間前からケーキのろうそくを百均で買い求めておいた。
今年は48本必要なので10本入りを5パックである。
毎年のことであるが大雑把な細君は今年も「なんで太めのろうそく4本と細めのろうそく8本じゃだめなのよ?!」と叱責する。
とんでもない話である。
40歳を過ぎたあたりから毎年同じことで言い争って、細君の執念深さには閉口する。
名曲「22才の別れ」も17本目から一緒に火を点けたのだ。太いの2本と細いの2本では歌にならない。
小さな子供とお風呂に入って「さぁ100数えようね」と言って子供が「10、20、30、40・・・90、100」と数えるのを容認するようなものである。
「あのねぇ、こういう大量のろうそくは芸能人みたいに大きなケーキに挿すものなんだよ」
続けて一姫が「肺活量が老化して5回もかかって消すってどうなのよ」
二姫は「ああ~、もう、ろうがケーキに垂れるぅ!」
信念の男はそれでも負けない。
細君がケーキを切り分けながら「この部分!!この蜂の巣みたいになったとこはパパの分だからねっ!!」と吠えようとも。。。

2007年11月24日土曜日

ピアス

「週課」となったジムに行った。
いつものように、柔軟体操。前屈から。
いつものように、指先がやっと床に着く程度。
私の足が長すぎるのである。
開脚してもあまり開かない。
しかし、足が長いので開いた幅は普通の人より広い。
小学校低学年の普通の人であるが。

通っているのはジムはジムでもボクシングジムである。
ボクササイズではなく、いわゆるプロが通うジムである。
だから独特の雰囲気がある。
当然エアロビをやっているジムの華やかは微塵もない。
汗臭い。早いビートの音楽が常に鳴っている。
時計のブザーは3分と30秒(休憩はあえて短めに設定している)ごとに鳴る。

空手道場は幽霊会員になって久しいが、空手道場に通う人とボクシングジムに通う人は動機や雰囲気がかなり違う。
空手は当然礼儀正しい人が多い(礼儀も稽古のうちかもしれないが)が、案外喧嘩に強くなりたいからという動機の人が多い。
ボクシングはもともと喧嘩に強い人がそれを生業(なりわい)にするために来ている気がする。
当然、礼儀は二の次となるが、案外折り目正しい青年が多いのも事実である。
空手はサラリーマンがほとんどなので、外見は普通の人が多い。
ボクシングは刺青(いれずみ)のにーちゃん(兄ではない)やおばちゃんが普通にいる。

空手道場に通っていたころは、心のどこかで「道場破りが現れたらどうしよう」という潜在的恐怖心のようなものがあったが、ボクシングジムにいるとそれはない。
空手道場に殴りこんで名を挙げることは可能かもしれないが、ボクサーはみな試合で見せるために仕事でやっているのだから、そこに勇んで来ても意味がない。

空手道場とボクシングジムに通って、共通の思いがある。
男はたいていそうであるが、スーパーマン願望のようなものがある。
作家の村松友視氏が「男はみな、強い者への憧憬があり、本当に強くなれる者はひとにぎりという事実からすると、男のほとんどは挫折者なのである。」という独特の屈折した(好きであるが)意見を書いておられた。
本当にそう思う。
私など一人で黙々と練習していると、すごく強くなったような気がするのだが、プロのスパーリングを見るとその気持ちは雲散霧消する。
空手も同じである。
だから、道場でもジムでも、若い人には愛想よくして手加減してもらおうと姑息になる。

今年の夏は暑かった。
空手道場で、若い人に「暑いね」というと、きっと返ってくる答えは「押忍(オス)」だろう。
この夏にロッカーのところで金髪でピアスのにーちゃん(兄ではない)がいたので「暑いね」と言った。
「まじ、ヤバいっすよ」
こういう答えにも慣れていかねばならない厳しい世界なのである。
ほんと、マジっすよ。

2007年11月23日金曜日

泣き別れ

昨日は新宿の出版社Bで打ち合わせがあった。
デザイナーYさんからの構成案を確認するためである。
構成案2案を見せられた。
一渡り見る。ため息が出る。素晴らしいのである。
「痺れました・・」一言。
Yさんが安堵の微笑みを見せる。
プロは凄い。。。。
本作りというのは面白い。
随所に、例えは悪いがブービートラップが仕掛けられている。
フォントにしても、同じ明朝でも見出しは、わざとインクがボテッとした感じに出るようなものを使用していたり、本文中の漢字は今のものを使いながら平仮名部分は3世代前のものを使い柔らかさを出す、という具合だ。
パラグラフの最初の見出しを本文の4行ほどに食い込ませるデザインだと、ページの最後で新しいパラグラフに移ろうとしても、最低5行分の余裕がないと余白にして新しいページに改行せざるをえない。こういうのを「泣き別れ」というらしいが、さすが印刷物はグーテンブルク以来のテクノロジーだけあって、古臭いが趣のある符丁を使うものだ、と妙なところで感心する。
先月の打ち合わせのときには、進捗が遅く憮然として出版社Bをあとにしたが、昨日はすがすがしい思いで外に出た。
寒い。冬の到来を認めたくなくて秋物スーツでオーバーコオトなしで頑張っているが、そろそろ限界である。しかしこの夜は熱燗が待っている。

急ぎ地下鉄で東京駅へ向かい、なんとかビルの開店のおかげでごった返している八重洲北口を抜け、後輩のO君と合流、酒呑みの店「ふくべ」へ。
樽酒をキュッとひっかけ、〆鯖(しめさば)とぬたをアテに梅錦を熱燗で飲む。熊本の銘酒美少年など三合ほど飲(や)ったあと、日本ビルにある「築地寿司清」でO君の部下で妙齢+αのMさん、OGのSさんと合流する。
Sさんは昔から好きだったので、場が華やぐ。
空手道場に通っていた頃、昇級審査の前には必ずSさんにあるお願いをした。
漫画「めぞん一刻」で五代君が響子さんにやってもらっていた「頑張ってくださいねっ!」の一言である。
「級なし」の白帯から青帯の8級、8級から7級、7級から黄帯の6級、6級から5級、5級から緑帯の4級と、いつもSさんにはお世話になった。恩人である。
一年前に初めて空手の試合に出場したときは、もうSさんはいないので、好きなIさんに「頑張ってくださいねっ!」をお願いしたら、怪訝な表情でやんわりと断られた。
まぐれで準優勝できたが(私の出場したライト級は、出場選手4人でおじさんばかりであったが)、もしSさんがいたら優勝できていただろう。
そんなことを思い出しながら、昨夜はSさん(O君、Mさんもいたと思うが)と泣き別れた。

2007年11月22日木曜日

It’s a SONY

方向音痴である。
自分でも重症だと思っている。
スクランブル交差点の歩道橋など、下から目指す方向を見定めても、階段を登り180度ターンをしたらもうどこで降りていいか分からなくなる。
歩道橋は上から景色が見えるのでまだ修正可能であるが、厄介なのが地下鉄である。改札を出て地図を確認して出口番号を確認して出てからの方向を確認して、と念を入れても結局地上に出てから付近の地図を探すことになる。
高校三年のころだったか、学校から帰りにダイエーの中にあるゲームセンターに寄って、ダイエーから出たらまた学校のほうに戻りかけて友人のA立君から注意された。
「お前、学校から駅まで一本道やのになんでまた学校のほうに戻るんや?!」
中高一貫校なので、足掛け6年毎日歩いた道で迷ったことになる。A立が怒るのも無理はない。

もちろん車の運転も例外ではない。まず主要な道しか通らない。
懇切丁寧に教えてもらった裏道を駆使できるようになったときは誇らしかったものであるが、自分から裏道をマスターしたことはない。道に迷って裏道を発見したことはあるが、二度とそこには戻れない。よくこれで営業をしていたものである。かなり効率が低かったと思うが、好きな定食屋には不思議と迷わず行けた。
会社後輩の村上ショージ似のS藤君など「初めての道でも一度走ったら絶対に忘れませんね。きっと僕はタクシーの運転手になっても大丈夫ですよ」と豪語していた。大したものである。

関係ないかもしれないが、ルービックキューブが苦手だったのも方向音痴だったからかもしれないと思っている。高校友人のF原君などは女の子にもてるためであろうが、けっこう熱中してなかなかの腕前になっていた。彼が私にレクチャーしようとして、二手詰め、いわゆる6面そろった状態からカシャ、カシャと二回動かして「いくらなんでもこれはできるよね」と渡されたが、八手詰めくらいにして返却する始末であった。

ただ、方向音痴にも効用はある。家の近所でも道に迷うことができるので、どこでも新鮮な気持ちで歩けるのである。へぇ近所にもこんな場所があったのか、と発見の楽しみがある。細君は「単に記憶力が落ちているだけでしょ」というが、私がテレビなど見ながら「あそこにはむかし一緒には行ったよね」と言っても「私は行ってない。他の誰かさんと行ったんでしょ」と冷たい視線で言う。細君の記憶力にもこまったものである。
旅行に行ったときなど散策すると初めての土地であるのだから間違いなく道に迷う。国内ならいいが、海外など治安の悪いところに紛れ込んでしまって、そのスリルたるやシャレにならないこともある。サンフランシスコでは、道に迷ったのでケーブルカーで帰ろうとしたら、ますます分からないところに行ってしまって、結局タクシーでホテルに戻ることになった。

SONY元社長の大賀さんは70歳になってからジェット機の免許を取得されたという。
私も飛行機の免許が欲しいな、と思うことがあるが、空で「あれっ?」と迷うわけにもいかない。
なので、空を飛ぶイメージはうまく湧いてこない。

2007年11月21日水曜日

手のひらに、一冊のエネルギー。

今日は、S出版の宮崎美人Hさんとお昼をご一緒した。
新丸ビル5階にある“酢重DINING丸の内”
銅釜で炊くご飯が、美味しい。おかずも美味しくご飯が進む。眺めもきれいで、久々のゆるりとしたランチタイム。
話題はもっぱらHさんの結婚話。
魅力的な方から順番に嫁いでいくのは必然の法則。
来春結婚されるHさんに「先輩」として事前レクをした。
ただ私が気の利いたアドバイスなどできるはずもなく、願わくばこの『ゆるりとのぉ。。。』を反面教師として学んでいただくのみである。
Hさんに幸あれ!

1971年発売のレコード(多分実家にある)「北山修・ばあすでい・こんさあと」復刻盤CDの中で北山氏が詩を朗読する。(ちなみに北山修氏は。『戦争を知らない子供たち』『あの素晴らしい愛をもう一度』などを作詞した人で精神科医でもある)
以下、かなり 端折っているが・・
結婚-結婚はもののはずみ。結婚式の前夜、花嫁は考えた。私の人生は終わった。私の青春は終わった。でも、違うんじゃないかな。実は何も始まってなかったんじゃないかな。結婚して初めて青春が始まった。青春に終わりはないのだから。始まりだけなのだから。

当時はよく分からなかったが、いまはそんな気がする。
結婚は、化学反応であり、以前とまったく違う性質に変化する(せざるを得ない)。
トイレでは、ドアを閉めなければならなくなるし、姫たちが年頃になると、カギまで閉めろと強要される。
姫たちが小さい頃は休みの日に朝寝できなくなり、最近は起こされることこそなくなったが起きても食べるものがない。さらに新聞が先に読まれた形跡があり、ペリペリと新品の感触がない。
テレビのチャンネル権を喪失する。
バニラアイスクリームを家族分購入せねば罵詈雑言を浴びせられる。
浴室で気持ちよく歌っていると苦情が入り、無視して歌い続けると電気が消える。
納豆のおぞましい臭いが漂う日がある。
バナナは一日1本と決められる。
アラビアータのパスタソースを見つけて「あっ♪」と喜ぶと裏返される。
食べる量が多すぎて家から食べるものがなくなると文句を言われる。
とにかく、新たな世界なのである。

“酢重DINING丸の内”は、ご飯が自慢だけあって本当に美味しかった。あまりに美味しくて当然ながらご飯をおかわりした。すると驚いたことに、店のにーちゃん(兄ではない)は新たな伝票を持ってきた、つまりおかわりは有料だったのだ。
経営者は、島田紳助氏の「ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する」(幻冬舎新書)を読んで勉強して欲しいものである。
私がご飯をおかわりしても、ニコニコとしておられたHさんは、いい奥さんになることは間違いない。

2007年11月20日火曜日

私をブログに連れてって

映画のワンシーンのような場面に遭遇した。
会社のYさんという女性の話である。

映画のようなシーンとは、帰りに見たオフィスの一階にあるコンビニ内で起こった出来事である。
ありがちなことかもしれないが、ふと店内を見るとYさんの後姿が見えた。誰かと話しているようである。
相手は店員で今風の色白の、店がベーカリーを併設しているためか、パン職人のような格好のにーちゃん(“兄”ではない。ヤンキーの“にーちゃん”のような三人称である)である。
最初は、買い物で店員に何かを尋ねているのかと思った。
私は、会社の自転車置き場に行き、鍵付きチェーンを外して、夜なので着脱式のライトを装着して外に出てもう一度コンビニの前に来た。
なんとまだ話している。しかもにーちゃんは楽しそうである。
あらら、いつも昼時は弁当を陳列している棚に肘を掛けて談笑モードである。
これだけ見ればまだ良心的に想像できる。
・いつも行くコンビニのにーちゃんと親しくなったのだろう
・知り合いがたまたまコンビニで働いていたのだろう
・実は親戚のにーちゃんである、等等

話は数ヶ月前に遡(さかのぼ)る。
ある日の夕方、会社で階下へ行くのにいつものように非常階段を使おうとバックヤードへ行った。
そこには荷物専用のエレベーターもあるので配送業者も通る。
と、Yさんがやや顔を紅潮させてこっちに来て、私の横を通り過ぎていくと、配送業者の今風の日焼けしたにーちゃん(“兄”ではない・・)は、いかにもバツの悪そうな顔をして「あっ、、怒っちゃった・・・」とつぶやいている。
これだけ見ればまだ良心的に想像できる。
・いつも来る配送業者のにーちゃんと親しくなったのだろう
・知り合いがたまたま、、、、しつこいのでやめる。。
“点”が“線”で結ばれた。
Yさんの性格はサバサバしているが、誰とでも急接近できる無用心なタイプではない。
「狙った男の子は、私にかかればイチコロよ」というタイプとは対極の、むしろ殿方とは一定の距離を置き慎重に振舞うくらいの人である。
しかし、私が見たふたりのにーちゃんたちは、完全に「落城」していた。骨抜きになっていたと言ってもいい。
それにしても不思議である。
オフィスのバックヤード、地上階にあるコンビニ、普通であればわざわざそんな場所でしかも外部の人間と親しげにするものであろうか。行動学的見地から言って説明は極めて難しい。
そこにひとつの仮説を立てれば氷解する。
つまりYさんのそのときの行動は、普通の人(にーちゃんも含めて)からは見えていないのである。
配送業者のにーちゃんも私が見えていなかったのだ。
そしてコンビニのシーンを見て確信した。あまりに不自然なのである。
店員であるにーちゃんが閉店後のような雰囲気で何分もリラックスして無防備に客と話していた。回りの店員も客もそれに気づいている様子がなかった。まさに映画のワンシーンに見えた所以(ゆえん)である。
私は知っている。
Yさんは天使なのである。しかも悪戯が好きな。
公称3X才だが、きっと1万と3X才に違いない。
にーちゃんたちは、儚(はかな)くも楽しい時間を過ごせたようだ。
今日、Yさんが天使の笑顔で「私のこともブログに書いてくださいよ~」と言ってきた。
私が神の使いであることにまだ気づいていないようである。

2007年11月19日月曜日

雨宿り

急に雨に降られた。
家路にはアーケードはなく、軒先も少ない。
必然、雨が降って、傘がなければ、濡れることになる。
しかし、私は走らない。

ケーブルテレビのDiscovery Channelで、ある実験番組をやっていた。
くだらないが、どうなんだろう、という疑問を実際に実験で確かめてみようという番組である。ある日は「雨の日には、走ったほうが濡れないか、歩いたほうが濡れないか」という実験であった。正確を期するために、屋内で雨を降らせる施設で、均等に雨が降るなか同じ距離を歩いたあと走ったあとで衣服の重さを計測するのである。驚いたことに歩いても走ってもほとんど差はなく、わずかに歩いたほうが濡れなかったので番組は「歩いたほうが濡れない」と結論付けた。

たまに木陰があると、そこでは濡れず安堵感がある。
不思議なものである。葉っぱなど小さくスカスカであるのに、雨は幹に向かうのか木陰の地面はほとんど濡れない。
かりそめの雨宿りであっても、まことにありがたい自然の恵みである。案外、「となりのトトロ」を生み出した宮崎駿の映画の原点もこんなところにあるのかもしれない。

それにしても新聞の天気予報は当てにならない。今宵は☆マークだったのに。。
今朝は早かったので、フジテレビの「めざましテレビ」の愛ちゃんの天気予報を見られなかったことが悔やまれる。しかし仮に愛ちゃんが「今日は傘は要りません」と言っていたとしてもきっと許していただろう。
天気予報のお姉さんが美人かかわいいのは視聴率のためでもあるが、外れても苦情が来ないようにするためではないのだろうか。
テレビ朝日の「報道ステーション」の市川さんが予報を外しても誰も文句は言うまい。

2007年11月18日日曜日

いまいち君

小饅寿本舗の饅頭は1個10円であるが、本当に美味しい。好物のひとつである。
ここの「名物」に“いまいち君”というのががあるらしい。
蒸しあがったあとに形が悪かったり破けたりしたものを半額の5円で売るのである。
30分で売り切れるらしく、家族で食べる人や、女子学生に人気のようである。

日本の消費者は、野菜でさえ形の悪いものは買わないから、生産者も苦労するという報道を目にしたことがあるが、なかなか世間はそうでもないのである。
それともあまりに老舗や有名企業のインチキが多すぎて、外見よりも「実(じつ)」を取る人が増えてきたのであろうか。

小雪やハセキョー、長澤まさみ以外の女性も美しく見える心の広い私になれる日がひょっとしたら来るのかもしれない。
それにもまして、女性の価値観の変化で私がモテモテになる日も近いかもしれない。

「実」がないのが、ばれなければ、、、だが。

2007年11月17日土曜日

ヨドチョーさん

11月16日の誕生日から2時間半ほど過ぎた。

誕生日が来ると必ず思い出す話がある。
30年ほど前であろうか、ヨドチョーさんこと映画評論家の淀川長治さんがラジオで話しておられた。
「みなさん、自分のお誕生日がくると、お祝いしてもらいますね。私は違うんです。私の誕生日は母と過ごすんです。誕生日がおめでとう、と祝われる日ではなくて、自分を産んでくれた母に感謝する日やと思うんです。だから一日、母親孝行するんです」
生涯独身を貫かれたヨドチョーさん、それ故に実行できたこともあるのかもしれないが。
その話を聞いたときは「なるほど。そんなもんか」と思ったものだが、自分に子供ができるときに細君の様子を見ていると、なるほど赤子を産むのは大変だと分かったので、「なるほど」の度合いが大きく変わった。

「なぁるほど!」くらいに。

2007年11月16日金曜日

SEME

セーメとはイタリア語で種の意味です。
と、SEMEに書いてある。

通信販売のダイレクトメールに時々入ってくるミニコミ新聞のような媒体である。
健康についていろいろな話題が書いてあるのだが、無料で送られてくるわりには内容が濃く面白い。
無料といっても年間購読料1000円と書いているので宣伝のためでろう。
毎月10、20、30日の3回発行で一部10円と記されている。
???じゃ一年で360円のはず。残りは送料か。。

11月2日増刊号(増刊号だからタダなのかもしれない)に「現代病のストレス」という企画がある。
~ ストレスの症状と兆候 ~
【朝の目覚めが悪い】
熟睡感がなく、布団から起きだすのがとてもおっくうに感じる。
【恒常的にだるい】
激しい運動をしたわけでもないのに、からだがだるい。
【気力がわかない】
差し迫った仕事があるのに、やる気にならない。
【常に疲労感がある】
休息をとっているつもりなのに、体の疲れがいつまでも抜けない。

これを読んでショックを受けた。
私はストレスの病気だったのである。
しかも、ひとつひとつこの症例より悪いのである。
◆熟睡しても、布団から起きだすのがとてもおっくうに感じる。
◆ほぼ毎週ジムで激しい運動をして、からだがだるい。
◆差し迫った仕事があるわけでもないのに、やる気にならない。
◆休息は十分なのに、体の疲れがいつまでも抜けない(気がする)

この診断結果によって、私の嫌いな怠惰な暮らしや享楽の世界に
浸らなければならなくなりそうで、考えただけでウンザリする。
さて、何をして遊ぼうか♪

2007年11月15日木曜日

小夜奈良

さようなら・・・

中国語では再见
日本語通りの意味が語源なら、粋な別れの言葉である。
「再び会おう」というふうに読める。
再会が前提となった別れである。

英語のGood Byeは、GodがGoodに、ByがByeに転じた言葉であり
「主がいつまでも汝のそばにいますように」という意味を含んでいると
聞いたことがある。
軽い別れの挨拶のようでもあるが、二度と会えないかもしれない
旅立つ人へのはなむけの感がある。

そういえば、むかし深夜映画で「再会」という映画をやっていて、原題が
“Re-united”だったので、うまく訳したものだと感心した。

さて、日本語のさようなら。
諸説あるのかもしれないが、「さようならば、これにて失礼いたしまする」
の最初だけが残ったと何かで読んだことがある。
さようは左様であるから、「その通り」くらいの意味か。
そうすると日本語の別れの言葉は「そういうことなら、あばよ」のような
捨て台詞にも聞こえてくる。

当て字だと思うが、小夜奈良でさよならと読ませる
なぜか艶っぽい言葉もある。

2007年11月14日水曜日

Forget me not

昨日、一姫が台湾から帰ってきた。高校の修学旅行!である。
どんなに異国気分に浸っていても、帰宅すると早速携帯三昧。
画面を見ながら「ねぇパパ、Forget me notってどういう意味?」
「それは勿忘草(わすれなぐさ)である。憶えておきなさい」
「ふーん」
「Forget me notって、なんかおかしな文章だと思わないかえ?」
「・・・」
「忘れないでって、普通はDon’t forget me.でしょ。」
「、、、まぁそうだよね、、(すでにウンチクを警戒して一姫は引いている)」
「昔、恋人同士が海の崖のそばを散歩していてね、崖にきれいな花が咲いていたの。
女の子が男の子に“ねぇあの花取ってきて”って頼んだら、その女の子のこと
好きだった男の子は崖を下りていって花を取ろうとしたのだけど、ちょうど花を
つかんだところで足を滑らせてしまったの。」
「ふーん」
「とっさに男の子は、僕のことは気にしなくていいよ、と言いたくて
“Forget me!”って叫んだの。でもやはり女の子のことが好きで
そのあとの“Not!”ってつけて“忘れないで!”って言ったのよ。
って伝説からその花の名前がForget me notになったの」
「へぇ~っ!!(けっこう身を乗り出している)」
「実はね、それはパパの友達の作り話なの」
「なんだ!でも作り話でも、いいね、その話は」

11月7日「超能力者の告白」で登場するK橋君の作り話であるが
中学か高校の英語の授業で勿忘草の単語が出たあとに彼がその話をして
私が「へぇ!」と感心したら「俺の作り話やけど、おもろいやろ」と言われ
そのときはムカッとしたが、なぜか記憶に残っている。

2007年11月13日火曜日

二十世紀論

ブログは、日記のことらしいが古い話を書く。この秋のことである。

細君からいきなり詰問された
「ひょっとして梨食べた?一人で」
「食べた」
「あのさぁ、そういうの、やめてって言ったじゃない!」
「どういうの?」
「そうやって一人で食べちゃうことよ!何度言ったらわかるの!」
「しかし、まえに君と姫たち二人が食べたときは私にはくれなかったじゃないかね」
「欲しいって言わなかったんじゃないの」
「言った」
「じゃあ、パパの分はなかったんじゃないの」
「4分の1は私にくるべきだった」
「そんなの理屈よ」
「理屈が通ってないのはそちらではないか」
「そんなことないよ。いつも屁理屈はパパじゃない」
「屁理屈の話ではなく、私がしているのは梨の話である」
「だからどうしたの」
「つまり3人で全部食べておいて、私一人が食べられないのはOKで、私が一人で食べるのはNGというのは理不尽ではないかということを言いたいのだ」
「ねぇ、家族で住んでいることを忘れてない?なんで一人で食べるわけ?」
「だから家族なら私にも梨をくれるべきではなかったのかね?」
「もういまさら言ってもしょうがないじゃない。しつこいわね。」
「ではさっきの梨の話も、もう言ってもしょうがないのだね」
「はいはい、もう勝手にすればいいでしょ」

・・・二十一世紀に入って久しい。新たな時代を感じる高尚な会話であった。
あの梨が二十世紀だったか、幸水だったか知る由もないが。

2007年11月12日月曜日

DUCATI

ブログって日記のはずなのに、古い話が多いと、後輩女子Tから文句を言われたので今日の話を書く。

家への帰宅の途、イタリアの二輪の銘車、赤のDUCATIが、ドッドッドッと独特の重低音を響かせながら横を走っていった。
日本のモーターバイクは優秀というけれど、あのデザインやエグゾーストノオト(排気音)はどうしてもかなわない。

“カシュッ”

ギアをシフトアップした音が聞こえてきた。エンジンがむき出しの二輪車ならではである。
しかし、急に恥ずかしくなった。何が恥ずかしいのか分からず自問自答する。
やはり分からないがそんな羞恥の気持ちがなぜか湧き起こった。

四輪車なら勿論ギアを変える音は聞こえてこない。旧式の軽でない限り。

そう、やっと分かった。
見透かされる恥ずかしさなのである。

「いま私に会いたくて電話したいと思ってたけど我慢してたでしょ」
「いま、私にKissしたいと思ってるでしょ」
そういう見透かしは、ありがたい。
しかしさっきは「あっ、いまギアをひとつ上げたでしょ」と私に見透かされたのである。
もちろんあのライダーはそんなことを知る由もないが、あのライダーの恥ずかしさをおせっかいにも私が勝手に感じてあげたのである。私が見透かしたにもかかわらず。
DUCATIの音は小気味いいのに。

2007年11月11日日曜日

Saci Perere

散髪に行った。
H理髪店には、もう5年ほど通っている。
散髪屋の選択には一家言ある。
まず腕がいい。
当たり前じゃないかと言われそうだが、下手な散髪屋は意外と多い。
特に私の髪の毛は全部前に向かって生えているのでセットしにくいらしい。
昔、横浜の散髪屋に入ったら若いやつだったが「いやぁ、お客さんの髪の毛は床屋泣かせだよねぇ」と自らの腕を棚に上げて苦笑している。
もちろん、二度と行かなくなった。
複数の散髪屋がいるのも選ばない。
切る人によってコンディションが変わるのが嫌なのである。
あと職人気質の親父さんの店がいい。
「どうしますか?」とか「鏡うしろからあてますが、いかがですか」と面倒くさい。
座れば黙って切ってくれる。
あとは地元の四方山話を、うるさくない程度に話せればOKである。
当地では本当はA理髪店に通っていたのだが、そこの親父はどうしたことかいきなり神主になると言って廃業してしまった。
「それは、こまる」と言ったが聞き入れられるはずもない。
「それなら、次から私はどこに行けばいいのか。腕のいい店を教えていただきたい」と言ったら3軒教えてくれた。
最初の店。読売ジャイアンツのジャビット君が置いていていやな予感がしたが、やはりやたらベタベタと話しかけてきて、落選。
二軒目、清潔な店内。嫌な予感が。
親子でやっていた。落選。
三軒目、古くさい店。
あっ!シャンプーするのに、席を移動させられている!

子供の頃、大人たちはいつもシャンプーするのに移動して湯沸かし器のある席に座らされていた。
これこそ大人の席だと思い、子供心に「いつかあの席へ」と一種の憧れをもってその時期を待っていた。
そしてあの白い陶器の器で泡立ててそれを顔に塗ってもらい髭を剃ってもらう瞬間を夢見た。
高校生になったころやっと髭を剃ってもらえる顔になった。
ジュワー。
なんと泡だて器は電動になって、トンネルのような半円形のクチから出てくる泡を刷毛で取って顔に塗りつける。
そんなぁ・・・
大学生になり、さぁシャンプーだ、と思ったら、席を移動するシャンプーは姿を消し、席にそれぞれシャンプー台が・・・

H理容室は、腕のいいおやじのみならず、泡だて器も、シャンプーの席移動も、満たしていたのである。
テルテル坊主のように首だけビニールシートから出してシャンプーの席に移動するとき、いつも子供のときの散髪屋を思い出し、意気揚々と移動する。
店がいつも空いているのは気になるが、おそらくこの店が有名になると、いつも待たされてこまることになる。
「黄昏流星群」がゆっくり読めるようになるかもしれないが。

「こないだ小野リサさんのコンサートがご懐妊とかで中止になりましたね」
「そうだよね、小野リサ好きなの?」
「いやまぁボサノバは嫌いではなくて、でも小野リサのお父さんがやっている店には行きましたよ」
「あっ確かサッシペレレだよね。昔俺も行ったよ。十何年前だけどまだあるの?」
「ええあるはずですよ、私が行ったのは数年前ですから」
「そうかぁ。小野リサのコンサートも行きたいなぁ。こないだ中止になったのも土曜日だったよね。仕事があるからなぁ」
「行けばいいじゃないですか」
「そうだよね。何年に一回の話だものね、たまには早仕舞いしてね」
「そうですよ。それくらい」

サラリーマンは気楽な稼業ではなくなったのかもしれないが、やはり自営業はサラリーマンとは比ぶべくもない、大変なのである。

2007年11月10日土曜日

HONOLULU ZOO

11月8日の読売新聞に“天敵のにおいで逃亡、哺乳類の先天的行動…東大チーム”の見出し。
記事によると、
~哺乳(ほにゅう)類が、天敵などのにおいをかいで逃げるのは、生まれつきの行動であることが、東京大の小早川高(こばやかわ・こう)・特任助教(分子生物学)らのマウスを使った実験で分かった。
こうした回避行動はこれまで、生まれた後に天敵に遭遇するなど危険な目に遭って学習するものだと考えられてきた。8日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。~
とのこと。
5年ほど前のことであるが、家族でハワイに旅行した。
旅先では動物園に行くのが好きなのであるが、ホノルル動物園はなかなかゆったりしていてよい作りである。
広場を歩いていたら、飼育係が大きな羊を散歩させていて、大人や子供が近寄って撫でている。
私も我が家の姫たちと近づき「かわいいねぇ・・」と撫でようとしたその瞬間、そのおとなしそうな羊が飼育係の持っていた太いロープをものともせず脱兎のごとく走って行ったのである。
飼育係は「Oh!」と英語で叫び、羊を追いかけて行った。
姫たちは納得するように「やはりパパの獣臭はすごい」と感嘆している。
姫たちは、よくそういう言い方で私の加齢臭を揶揄してきたが、さすがの私も「そうかもしれない」と思ったものである。
そして図らずも今回の記事がその論点を強化するものとなった。

やさしい動物から恐れられてしまう私であるが、不思議と猫からはあまり恐れられない。
野良猫は人間に対してかなり警戒心を持つものであるが、私が近寄ってもあまり逃げようとしない。
朝などゴミ捨て場に近づく猫の近くを歩いていると、むこうも歩調を合わせて横を歩いているくらいである。不思議なのでそのまま一緒に歩いていると、ある瞬間にハッとしたように私を見つめて「あっ、お前、人間だったのか?」という目でそそくさと離れてしまう。
学生時代のことであるが、夜にゴミ捨て場でゴミ袋に頭を突っ込んで何かを食べている猫がいた。
私は近づいていった。きっと気づいて逃げるだろうと思ったが、逃げない。
結局、手の届く距離まできたので、その猫の肩をトントンとたたいた。
さすがに猫もこの世の終わりのような顔をして猛ダッシュで去って行った。
不思議な経験であった。
どうやら私の前世はネコ科で、勇敢な虎だったようである。

2007年11月9日金曜日

人生の綾

出社すると、見慣れた姿であるが、パソコンのコードがからまっている。
ほどくのは本当に毎日面倒である。
コードがからまるほどパソコンを持ってビールマンスピンなどしていないし、
コードがこれほど悩むほど難易度の高い仕事もしていないつもりである。

なんで?
ほどきながら考えてみた。

分かった♪

“放っておく”と、からまるのである。

人間関係も、、、

そして夫婦関係も同じか。。。


人生のあやよのぉ

2007年11月8日木曜日

後輩I君

後輩のI君は私のボケを上手にひろって突っ込んでくれる。
少々教養が必要とされるようなボケにも、さすが学習院卒である、キチンとひろってくれる。
爆笑問題の田中さん、キャイーンの天野さんの血を引いているのでは、と思うくらいである。
本当にいいやつなのに、、、友達がいないらしい。
それはよくいうと孤高の徒なのかもしれないが、要は彼は人間嫌いなのである。

そんな彼と同じ部署になったときのこと。
「友達がいないから年賀状も来ないんですよー」と自嘲気味に苦笑していたが、それなのに彼は年賀状を寄越してきたのである。
私は就職してから、会社関係の年賀状ばかりが増え、友人の枚数を席巻していくことに危惧を覚えていたので、ここはキチンと言っておかなくては癖になると思い、新年の仕事始めの日に「おい、なんで年賀状を寄越すのだね。もう来年から送らなくていいから」と温かい言葉をかけてあげた。
I君は私がキツいボケをかましたときと同じように目を丸くして「信じられない先輩だ!今まで“なんで年賀状を寄越さないんだよ!”と文句を言う先輩はいたけど、さすがに“年賀状送ってくるな”って言われたのは私も初めてですよ」と呆れていた。
彼はそれからしばらくそのネタを人に言いふらして笑いをとっていたので、ずいぶん私の株も上がったと思う。
それにしても彼のコンピュータリテラシーはすごいと思った。
営業支援の仕事をしていた関係か、エクセルやパワーポイントを駆使していろんな資料を作ってしまう。
しかも私のパソコンが急にフリーズするときは、必ずそばにいて大笑いしている。
つまり彼は手元に私のパソコンをダウンさせる秘密のスイッチを持っていたことになる。
それを見抜いて非難しても「バカ言わないでくださいよ。そんなことができるわけないじゃないですか」と絶対にクチを割らなかった。
ひょっとしたらゴルゴ13の血も引いているかもしれない。
私はH市に念願の一軒家を建てたのだが、最近どうもおかしいと思うことがある。
最短コースを使えば信号は一回しかない至極便利なところに家はあるのだが、朝は気にならないのだが、帰りにはもう少しでその信号というところで、必ず赤に変わるのである。
I君は勤務地の東京を真ん中にして私とは正反対の方面に住んでいるはずである。
しかし現実には、私を苦しめる彼の魔の手は、ここまで伸びていたのである。
I君恐るべしである。

2007年11月7日水曜日

超能力者の告白

私には予知能力がある。霊感も強い。時空を超える能力もある。
いや、それらの能力を持っている、と少なくとも自分自身では信じている。
しかしその能力によって、すごく得をしたことはない。
やはり悪用はできないようになっているようだ。
せいぜい、ある女の子の名前がなんの脈絡もなくふと口から出ると、曲がり角からその女の子が現れたくらいのものである。
これには高校友人のK橋君も驚いていた。

今朝、夢を見た。
会社で好きな女の子Kさんの夢である。
好きといっても20歳も年が違うので、勝手に好きになっているだけの話である。
では、Kさんだけが好きかといえば、Nさんも好きだし、Iさんも好きである。
社外ではS出版のHさんも、某経済団体のBさんも好きであるし、勇気をもって実名で言えば、小雪も長谷川京子も長澤まさみも、めぞん一刻の響子さんも好きである。
とはいえ、今朝はKさんの夢を見た。

~~~むこうからKさんが歩いてくる。
しかし、Kさんはこっちに興味を示さない。
よく見ると若い!初々しい。そうか、高校生の時のKさんが夢に現れたのである。
とっさに、あとでKさんに確認しようと思って服装を見た。
厚手の赤っぽいタータンチェックのスカートであった。
よし!これで確認できる。
通勤電車で携帯にメールを送った。
“高校生のころとか、赤系のチェックのスカートはいてた?”
“はいてましたよ。基本でしょ。(汗をかくマーク付き)”
あとで確認すると、つまり、「私たちの世代ではそのスカートは当たり前でしょ。ばかばかしい」というような意味の回答だった。
しかし、Kさんの時代の流行を知る由もないのであるから、私が時空を超えたことは間違いないのである。なんの役にも立たないことに変わりはないが。

先週の土曜日はこまったことに出勤になってしまい、リズムが狂っていつも日曜日に行くジムをサボってしまった。
気合を入れて今日行くぞ、と準備をして出社したが、帰る段になって上司の部屋で雑談に花が咲いてしまい、遅くなってしまった。
しかし気を取り直し、遅くなっても行くぞ、と気負って電車に乗ったが、前を走る電車が車輌故障でまた遅れて、もうジムに寄るのはやめようと決めた。
しかし、意思の強い私は家に帰ってから運動しようと帰宅して、いつものように、ハンドグリップからウォーミングアップを開始した。
するといきなりハンドグリップが折れたのである。
さすがにこれはもう今日は運動はやめなさい、との啓示だと思った。
きっと、このまま続けていたら、私は心臓麻痺で天に召されていただろう。
本当に私が超能力者でよかった♪

2007年11月6日火曜日

おかわりシスターズ

今日、都内某所に行くのに歩いていたら、戸板女子短大の前にさしかかり、ふと見上げると“TOITA FESTIVAL”の垂れ幕が。
そうか、文化祭の季節か、などと秋を感じつつ、女子大の文化祭に行くと、もてるかなぁ、などと妄想にふける。
1980年代前半、バブル華やかなりしころ、フジテレビで「オールナイトフジ」なる番組があり、司会は駆け出しから一歩抜きん出て売れっ子になったとんねるず。
いや、この番組でブレイクしたのだったかもしれない。
とにかく素人(当たり前だが)の女子大生がわんさかと出てきて、ワーキャーと、本当にバブル期に相応しい深夜番組であった。
こんな番組でもなければ、戸板女子短大という名前もきっと今でも知らなかったに違いない。
その頃は自分も就職して間もない頃で、女子大生といっても、これから適齢期を迎えようとする自分には「射程距離」であったので、自らを省みることもなく、いろいろ見定めたものである。
大勢の女子大生が出ると、適者生存・弱肉強食・優勝劣敗は世の常で、だんだん人気者も出てくる。
そんな中で、いまで言う(もう言わないか)ユニットを組む輩も出てきて、おかわりシスターズなる珍妙なグループまで誕生した。とはいえ、その中の一人はかわいかったのだが。
そのかわいかった一人は、かわいかったことが悲劇だったのかもしれないが、なんと卒業したらタレントになるといってやがて独立した。
しばらくはフジテレビも「責任」を感じてか他の番組にも出していたような気がするが、いつの間にか消えてしまったことは言うまでもない。

女子大の文化祭。。。
文化祭って今でもテキヤの集団みたいなのだろうか。
そうとすると、きっと私の娘と大して変わらない年の女の子たちに囲まれて
「ねぇかっこいいおじさん、焼きそば食べていって♪」
「ちょいワルおにーさん、ホットドッグ買ってよ」
「この古着そのジーンズに合いますよ、デートしたくなっちゃう」
とか、きっと篭絡されてしまうのだろうな、などと想像を巡らせると、、、

首をすくめて足早に立ち去るのみであった。

2007年11月5日月曜日

袖ふれあふも他生の縁

風呂に入る前にはメガネの手入れをする。
手入れといっても、適当に拭く程度だ。
独身時代の癖なのか、単に適当なのか、目の前でヒラヒラしているもの
たとえば下着であっても、タオルであっても、Tシャツであっても
それでちゃちゃっと拭いてしまう。

しかしメガネを外していてよく見えなかったこともあるが
不覚にも今夜はその姿を細君に見られてしまった。
「ちょっと、なにやってんの?!」
「え?いや、なに」
「いま、タオルでメガネ拭いてなかった?しかも洗濯の終わったキレイなタオルで」
「あっ、そうかもしれない」
「そうかもしれないって、そうじゃない!」
「いや、まぁ、袖ふれあうも他生の縁、てなことを言って、昔からほら」
「なに、わけのわからないこと言ってんの?!」
「いや、ほら、目の前でヒラヒラしてると、それで拭くのが人間の習性というか」
「そんな話、聞いたことないわ!信じられない」
「いやぁ!大石先生、失敗の巻だ、はっはっはっはっ」
「なに?そのバカ笑い。とにかく目を疑うようなことするの、やめてくれる?」
二十四の瞳の大石先生の名台詞を咄嗟に使ってウィットに富んだ幕引きを狙ったが、サバンナで遭遇したライオンに「話せばわかる」と言って徒然草を聞かせるような虚しい抵抗に終わったのである。

2007年11月4日日曜日

携帯で安息を得る

細君との会話
「携帯の本体が何万もかかっちゃうようになるのよね」
「へぇ」
「こまるよ、いままでは1円とかだったのに」
「そんなにこまるの?」
「そりゃそうよ。機種変更なんかの時に、すごくお金がかかるじゃない」
「機種変更するの?」
「すぐにはしないけど、するときにこまるでしょ」
「しなければいいのに」
「そういうわけにもいかないでしょ。パパはあんまり携帯使わないから分からないだろうけど」
「だいたい、いままでタダ同然だったものが、何万にもなるなんてその理屈がわからない。きっと前には料金で取られてたんでしょ?」
「そうなのよ。だからいっぱい話す人にはいいけど、うちはあんまり使わないから、結局損なのよ」
「さっき私はあまり使わないから、って言ってたけど。使わないならいいじゃない?」
「でも、携帯がボロボロになったら変えないとだめでしょ」
「使わないのにボロボロになるの?」
「そういうことじゃなくて、もう分からないのね」
「第一、ボロボロになってなんか不都合でもあるの?」
「あ~、もう話したくない!」
「えっ、納得してくれたの?」
「そうじゃなくて、もう話したくないの」
「相談する相手を間違ったのかな?」
「そうよ、パパに相談したのがいけなかった」
「つまり、神父と話して安息を得たって感じ?」
「だから、違うでしょ。ストレスがたまったってこと」
「けど、解決したんでしょ」
「あーもう話したくない」
「スッキリした?」
「もーしゃべらないで」
どうやら、細君は安息を得たようである。
しかし、言葉の端々はトゲトゲしていたような気もする。ゆるりとのぉ。。。