2008年7月23日水曜日

あとがき - A Love Supreme

最愛の友から教えてもらった占いサイトに『天国からのメッセージ』がある。
久しぶりに入力して占ってみた。
久しぶりでも結果は変わらないと思うが・・・

2008年の僕へ。
元気ですか?
2008年ごろの自分のことを懐かしく思い出します。
僕は93歳で、つまり西暦2052年に、寿命を全うして生涯を終えます。
振り返ってみると、良くも悪くも、自分らしい人生だったと満足しています。
だたひとつだけ過去の自分に、つまり今のあなたに伝えておきたい事があります。
それは 2009年の風の強いある日、僕は自然な成り行きによって、ある家のディナーに招待されます。
そこで、その後を左右する大事件が起こるのです。
メモしておいてください。
最後にひと言、93年間生きてみて思ったのは「世の中たいがいの事は、やれば何とかなる」ってこと。
それでは、またいつか会いましょう。
残りの人生を存分にたのしんでください。

と、私は2052年に93歳で死ぬことになっている。
短命である。
まぁ、当たるも八卦当たらぬも八卦と笑い飛ばすしかない。
だいたい、私が死んだ後もこの世が続いている筈(はず)がない。
それに、いまもって人からは
「若い若い」
と、云われる。
「とても48歳には見えません。どうみても44歳です」
なぞと。

私自身は16歳から大して年を喰ったように思えないので、どうもこの調子で行くと300歳くらいまで生きそうだ。
私の死亡年齢を2259年と占うサイトこそ本物だ。

むかーし、上岡龍太郎が深夜のテレビ番組で、棺おけに入って登場した。
ゲストの大竹まことだったか、彼も棺おけに入って、あと数人のゲストも棺おけに入ったまま、互いの顔はモニターで確認しながらトークしていた。
「狭いけど案外落ち着くなぁ」
とは、上岡氏のコメントだったと思う。

私は狭いのは嫌いだ。
せめて手を伸ばして背中を掻(か)けるくらいの余裕が欲しい。

うん、今の書斎くらいがちょうどいい。
Good bye

2008年7月22日火曜日

ヒポクラテスたち

朝の通勤電車でのこと。
戸塚で松葉杖(まつばづえ)の女性が乗ってきた。
一瞬しか見えなかったが年の頃はアラフォーか。
手で掴(つか)む所謂(いわゆる)グリップ部分は滑り止めに包帯が巻きつけてあり、色はまだ白い。
歩き方がぎこちない。
一目見て怪我をしている人だと判った。
ああ、と思っているうちに人影に隠れ、電車が揺れるとチラチラ見える位置にいた。
グリグリと人を掻(か)き分けるほどテンションは高くない。
電車は横浜に着いて大勢が降りる。
その人も動きを見せて降りるかなと思ったが、私の斜め前に立った。
縦のバーを握ることができるポジションで、さっきまでの真ん中よりは安全だと思ったのだろう。
スジから云って、私の隣のおっちゃん(伯父ではない)、つまりその女性の前の人が席を譲るべきだろう。
しかし、眠ったままだ。
こういうこともあるのだから、電車でグースカと寝るのはいかがなものかと思う。
しかも、横浜から川崎、そして品川は、東海道線の中で最も混む区間だ。
左を見ると茶髪のにーちゃん(兄ではない)が、これまたグースカピースカと寝ている。
スジから云ってこのにーちゃんが
「あっ、僕、若造ですから」
と、人を掻き分けて譲るべきだろう。

「義を見てせざるは勇なきなり!」
席を立って
「どーぞ!」
と、堤真一のように譲った。
堤真一になるのも一苦労である。

品川で乗り換え田町で降りて歩いていると後姿の素敵な女性が前を歩いている。
素敵な後ろ姿と云うのはもちろんお尻である。
ええい!
ここでジロジロ見ながら歩いていては堤真一ではない!
と、意を決して追い抜いた。
しかも、振り返らなかって顔を見ることも我慢したのだ。
堤真一になるのも大変である。

高校時代の現代国語教師のH崎氏。
我々があまりにも女の子の話に興じていたのが癪(しゃく)に障(さわ)ったのか、こう云った。
「おまえらなぁ、女の尻を追いかける男より、男に追いかけられるような男になれ」
本質はhypocriteだった(と思う)H崎氏にしては至言であった。

高校の一級先輩のS田氏のごとく、後(のち)に“男の<尻>を追いかける男”が出現したのは、歴史の皮肉としか言いようがないが。

2008年7月21日月曜日

NEVER GIVE UP

3連休の最終日、夏本番という天気だ。
自宅の前の体育館跡地は芝生で覆われているが、流石(さすが)に暑すぎて子供も遊んでいない。
蝉(せみ)がいないからか。
いや、最近は蝉を追いかける子供も見かけなくなった。
暑さごときに負けるな、子供たち。

ローテーションから云えば、今日は散髪に行くはずだった。
しかし、今日は行かない。
しばらく行かない。
伸ばす。
まるで禁煙の失敗者のように、髪伸ばしには何度も失敗して、いつも角刈りに戻るが。

才色兼備Nさんの好みの男性は、石黒賢と堤真一との由。
石黒賢?
実写版映画『めぞん一刻』の五代君の役をやったことくらいしか知らない・・・。
堤真一は、先日DVDで観た『ALWAYS 続・三丁目の夕日』での名演が記憶に新しい。
検索してみると、私と同じ兵庫県人ではないか。

今までは真田広之になることを目指してきて、ほぼ達成したので、ここらで方向転換してみようと思う。
勿論、目指すは石黒賢か堤真一だ。
両者の写真を見ると、石黒賢になるよりも、堤真一になるほうがハードルが低そうだ。
かといって、偏向するのではなく、二人の共通点にも気をつけておかねばならない。
眼鏡をかけていない。
よし、ジム以外でのコンタクト復活だ。
目力(めぢから)があるな。
これはクリア。
爽やかな熱血漢。
これくらい、これから身に付ければよろしい。
髪は?
長い。
よし、伸ばそう。

堤真一になると決めたら、新作を見ないと。
映画『クライマーズ・ハイ』
12:20からあるな。
よし行こう。
ジムに行く準備をして家を出た。
今日は、映画を観てからジムに行くことにした。
汗だらだらになりながら、映画館に辿(たど)り着いた。
久々に来たが、毎度ポップコーンの匂いには閉口する。
さて、チケット売り場へ。
“12:20からのクライマーズ・ハイはすべて売り切れました”
下手糞な手書きの張り紙が、先進的な電光掲示板のタイムスケジュールの横で、私を見てぴらぴらと笑っていた。
NEVER GIVE UP...

2008年7月20日日曜日

カイコウケン?

夕方、ふらりと一人で出かけた。
暑いので裸足(はだし)にTOP SIDERもどきのストライパーを履いて、湘南ボオイを気取ってみた。
痛い。
ちょっと歩いただけで痛い。
戻るのは面倒だ、頑張るしかない。
電車に乗って、茅ヶ崎駅で降りる。
目指すは『開高健記念館』だ。
彼がチンギス・ハーンの陵墓を探すことをライフワークにしていたことに興味を持ち、何か参考になることはないか訪ねた次第だ。
ない。
モンゴル関連の資料を展示していた時期もあったそうだが、今日現在では一切見当たらなかった。
館内の案内の人が
「モンゴルで釣をしたときのビデオをご覧になりますか」
と、云ってくれたが、そのNHKスペシャルは既に観たので、その旨告げて丁重にお断りした。

開高健と云えば、昔から読み方にイマイチ確信が持てなかった。
いろいろ調べた結果“カイコウタケシ”だ、との自信はあったのだが、人と喋ると何割かの人が“カイコウケン”と云う。
“カイタカケン”と云う人さえたまにいるが、それは論外だ。
展示室に入ると、開高氏が着ていた背広が展示してあった。
わざと背広の裏地が見えるような細工がしてある。
あっ!イニシャルが!
“K.K.”
カイコウケンか?
自信を失いかけた。
しかし、ベトナムにいる開高氏に宛てた知人からの手紙には“Mr.Takeshi Kaiko”とある。
開高氏がベトナムから日本に居る自分の娘に宛てた手紙には“T.Kaiko”と自署してあった。
背広の謎はよく分からないが、“カイコウケン”と称することもあったのかもしれない。

奥に進むと“書斎”と案内板がある。
書斎に入らせてくれるのか?
進むと書斎方面らしき廊下にはロープが張ってあり、見学路は外へ出る方向だ。
なんや、窓の外から見るんかいな。
思わず開高氏のような口調を思い浮かべる。
“書斎は生前のままです”と注意書きがある。
案外片付いている。
書斎なので机がある。
座椅子があるので、正座か胡坐(あぐら)か、と思ったが、なんとその部分だけ掘り炬燵(こたつ)式になっていた。
正座はもちろん胡坐も苦手な私は、なぜか安心した。

来るときは2kmの道のりをなんとか我慢して歩いたが、帰りには靴擦(ず)れが余りに痛くてバスに乗った。
バスなぞ何年ぶりか。
座席に腰を下ろし、入館した時にパンフレットを貰ったことを思い出し目を落とした。
表紙にはこう書いてある。

    ~茅ヶ崎市~
開  高  健  記  念  館
      THE
KAIKO TAKESHI HOUSE
    Chigasaki

ふふふ。

2008年7月19日土曜日

刺青

昨日“野茂英雄が引退を表明”のニュースが駆け巡った。
新聞各紙も様々なコメントを載せた。
申し合わせたように賞賛記事だが、野茂のプロ野球人としての戦績は勿論のこと、大リーグのドアをこじ開けたチャレンジ精神を考えると真っ当な評価と云うものだ。
中でも印象に残ったコメント。
今朝の読売新聞のコラム『編集手帳』で、米国の作家ジョン・スタインベックの言葉
「天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である」
を引用して、称えている。
野茂は、
「普通は“これで悔いはありません”と言うのでしょうが、私は悔いが残る」
とコメントしている。
『編集手帳』では、スタインベックの言葉を単純に引用して野茂天才説を唱えるのではなく、“頂上からの眺望は眼中になし、少年の目は今も幻の蝶を追っているのだろう”と評している。

最近読んだ記事で、心を抉(えぐ)られるような言葉に出合った。
7月3日付の日経夕刊のインタビュウ記事。
《群れないで生きる》丸山健二さんに聞く
中にはこうある。
~丸山さんは、親しいノンフィクション作家の梯久美子さんが『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したときにこう忠告したという。「心の中に刺青(いれずみ)を入れなさい」。創作活動中は名誉・金・出世と無関係で、賞をもらったからといって舞い上がってはいけないと諭したのである。~

思った。
天才たりえない人間が、自らのプリンシプルを堅持しようと思ったら“心の中に刺青を入れ”なければならないのだと。

私にも天才を超えたいと云う矜持(きょうじ)はある。
心の中に刺青を入れるような覚悟はしていないが、名誉・金・出世さらに女性にモテることとも無関係で、賞をもらったわけではないがいつも蝶のように舞い上がっている。

2008年7月18日金曜日

ハートカクテル

心にささくれができるような感覚を久々に味わった。
魅力的な女性と会食をしたあとの、独特の感覚だ。
爽やかな気分のような、後味が悪いような、とにかく日常と違うような、油断するとふと思い出してしまう、気だるい感覚だ。
経験上この感覚は、最低3日は続く。

16日生まれが親睦する“一六会(いちろくかい)”と云う会がある。
今夜はその会合だった。
後輩女子Nさんは8月16日、後輩女子Uさんは7月16日、後輩I君は5月16日、そして私が11月16日生まれだ。
ただ問題は、そんな会の名前を私が勝手につけているだけで、誰もそんな会に組み込まれているという認識がないことだ。
ともあれ第一回“一六会”は、武蔵小山の『釧路食堂』で開催された。
7月5日発売のビッグコミクオリジナルで安くて美味い店と紹介されていたので、早速訪ねてみた次第。
名物のザンギと云われる鳥の唐揚も、ジンギスカンもなかなかの美味で、しかも安かったので満足だ。
とはいえ、特筆すべきは矢張(やは)り、Nさんとの久々の会食だ。

Nさんは“お嫁さんにしたい女性”と云う言い方がぴったりの才色兼備の女性だ。
元祖“お嫁さんにしたい女性”と云えば女優の竹下景子さん。
元運輸大臣の荒船清十郎氏(1907~1980年)が1976年頃のテレビ番組で、司会の竹下景子さんに
「是非うちの息子の嫁に」
と云った言葉が流行語になった。
そういえば、竹下景子もNさんも、トンジョ(東京女子大学)卒だ。

そんなNさんは1980年代の短編漫画不朽の名作『ハートカクテル』から飛び出してきたような、清楚で明るく慎み深い女性だ。
たまに“若さに嫉妬する”という言い方を耳にするが、Nさんに対する感覚は“純粋さに嫉妬する”が近い。
故(ゆえ)にNさんと相対(あいたい)すると気後(きおく)れして、悪く言うとリラックスできない思いがあった。

帰りの電車でのこと。
私の犬の散歩の話から、よく行く海岸の話になり、そこでやっているビーチバレーの話になった。
Nさんも昔、4人制ビーチバレー(って、あるらしい)をやっていたとのことで、中学ではバレーボールをやっていたらしい。
私も中学のときにバレーボールをやっていたこと、その頃はミュンヘンオリンピックで男子バレーが強かったことを話したら、
「猫田を知っていますか?」
と、Nさんは尋ねてきた。
知っているも何も、猫田がセッターをやっていて男子バレーボール黄金期で金メダルを獲ったミュンヘンオリンピックのまさにその時に、私はバレーボール少年だったのだ。
Nさんが生まれる前の出来事だ。
夢中で話した。
猫田の名セッター振りは勿論、エースアタッカー大古のこと、横田が腰痛を堪えるために自転車のチューブを腰に巻きつけて試合に出たこと、“無謀”にも五輪直前に男子バレーチームをテーマにしたアニメ『ミュンヘンへの道』が放映されたこと、東京五輪では女子バレーチームが回転レシーブをやり始めたが、ミュンヘンで男子はフライングレシーブを開発したこと、対ブルガリア戦での奇跡の大逆転のこと、敗者復活の決勝で東ドイツを破って金メダルを獲得したこと。
「じゃ、猫田も活躍したんですね?」
一瞬、猫田に嫉妬したが
「勿論!猫田のトスがなければ、大古や森田や横田のアタックも活きなかった」
と、胸を張った。

あっ。
Nさんと自然に喋っている自分に気づいた。
そうか、自然体でいいのだ。
生(き)のままの、この少年のような純粋な気持ちで喋ればNさんという女性は受け止めてくれるのだ。
ただ、ささくれはあと2、3日は治りそうにない。

2008年7月17日木曜日

汚れた英雄

最近やたらと周りに鬱(うつ)病が多い。
なのでカウンセラーを目指す人も増えているような気がする。
知り合いのシガニー・ウィーバー似の美女Iさんは、アパレル企業を辞めてその道に進み既に活躍しているし、後輩女子Hさんもその手の学校に通っている。
Hさんが、カウンセラーを目指す人のために配布しているらしき小冊子を貸してくれた。
帰りの電車でパラパラ読むと、こんな項が。
“あんなオヤジのようになりたくない”人ほど“あんなオヤジ”のようになってしまうカラクリ。
これはよくある話で、他人事ではない。
解説はこうだ。
要は“ああは絶対なりたくない”と、強く念じているため、いつもそんなことを考えている。
つまりいつもイメージしているのだ。
人はいつもイメージしている姿に近づくものらしい。
処方箋(しょほうせん)はこうだ。
なりたいと思う人、つまり目標人物のことを強くイメージすること、とのこと。

バイクのコーナリングに似ている。
バイクというやつは、ライダーが“見ている”方向に向かう性質がある。
マシンと一体なので、ハンドル操作をする四輪とは違うところだ。
なので、バイクのレースを見ていると分かるが、ライダーはコーナリングのとき、首をグイと曲げてキッとコーナーの出口を見ている。
歌舞伎の見栄のような首の向きだ。
私もモトクロスをやっていたので経験があるが、コーナーで思い切ってマシンを倒してコーナーの出口を睨(にら)みつけると、バイクはそっちへ向ってくれるのだが、恐いと思ってコーナーの外をチラと見てしまうと、たいがいそっちへ吹っ飛ばされる。

やはりどんな時でも、イメージすることは大切なようだ。
では、私は、なりたい人になれたか。
子供の頃は鉄腕アトムになりたかったが、なれなかった。
マジンガーZにもなれなかった。
タイガーマスクにもなれなかった。
真田広之になれたくらいである。
人生は甘くないのである。

じゃ、バイクのコーナリングよろしく、せめて好きな女の子を見続けよう。
恋の成就は叶わなくとも、ストーカーにはなれる。

2008年7月16日水曜日

I STILL BELIEVE

今朝の朝刊に15段(1ページ全面)広告が掲載されていた。
ミュージカル『ミス・サイゴン』だ。

10年前の5月に、某経済団体の訪米調査団に加わった際、スケジュールの最後がニューヨークだったため、1日延泊してゆるりと過ごした。
一人でブロードウェイをブラブラしていると『ミス・サイゴン』の看板が見えたので迷わず劇場に入り、夜の公演を予約した。
S席で65ドルだったと思う。
笑った。
泣いた。
もちろん全編英語で、もちろん字幕なぞなかったにも関わらず、である。
(日本語同時説明ガイドテープの貸出しがあることが、劇場を出るときに分かったが、それを聞いて100%内容を理解しようとするのも無粋と云うもので、矢張り生の声を聴く方がよい)
21年前にもブロードウェイを訪ねて『スターライトエクスプレス』『オーカルカッタ』なぞを観たが、『ミス・サイゴン』は格段に面白かった。
カーテンコールの“演出”が、兎(と)に角(かく)素晴らしい、心憎いのだ。
DJで映画評論家の浜村淳の言い方を借りれば、まさに
“これでもか、これでもか”
と、いう感じで盛り上げて、公演の感動を心に焼き付けてくれるのだ。

あまりによかったので、何年か前にCDを買い求めた。
『Miss Saigon』
2枚組で、ほぼ全編カヴァーされていて、聴いていると瞼(まぶた)に浮かんでくる。
中でも一番好きな歌は“I STILL BELIEVE”だ。
「私の葬式で、出棺のときには是非ともこの曲を流して欲しい」
と、細君に頼んだのだが
「なに考えてんの。あなたのその能天気さとその我儘(わがまま)な性格で、私は苦労に苦労を重ねて私が早く死ぬに決まってるじゃない。娘たちに頼んどきなさいよ」
「なんの。佳人薄命と云うではないか」
と、云っても取り付く島もない。
姫たちに頼むと曲を取り違えられそうで、死んでも死にきれない。

日本公演は帝国劇場で明日から幕が開く。
S席は13,500円か。。。
行きたいなぁ。
行きたいなぁ。
そんなことを考えながら、キッチンで顔を洗っていると、誰かが私のおしりをピシッと叩いた。
石鹸で洗っていたので、目を開けられなかった。
思い浮かぶ容疑者は男子で2名、女子で3名いるので、捜査本部は5秒で解散し迷宮入りした。

2008年7月15日火曜日

役者やのぉ

島国根性って、言葉がある。
何かで読んだが、大昔の日本人は自分たちの国が“島国”とは知らなかったはずだ。
確かに!
では日本人が日本を島国って気付いたのは伊能忠敬以降ではないか。
しかし、地球的に見ると、大陸とて島である。

日経新聞の日曜版は、教養面が充実していて面白い。
一昨日の紙面の『語る』というコラムに英文学者の外山滋比古(とやましげひこ)氏が面白いことを書いていた。
いや、待てよ。
この名前。。どこかで。。
書斎の本棚を調べてみるとやはりあった。
『読み書き話す』という1980年発行の初版本を購入して読んでいた。
最初の方を読むと、ふむふむ、なるほど面白い。
いかんいかん。
買うだけ買って読んでいない本がけっこうあるのに、古本を読み返している時ではない。
将来、悠々自適の生活を送るようになったら、軽井沢の別荘でゆるりと。。。
“悠々自適”と“軽井沢の別荘”を持つのに、宝くじに当たることが条件なのが、ちとキツいが。
いや、3億円当たってもそれは無理か。

コラムの見出しは“日本で独創的思考をつむぐ”。
~外山も「英語を学ぶなら一度は本土の土を踏まなくちゃ」と何度となく説得されたが、今に及ぶまで日本を出たことがない。「百害あって一利なし」との確信があったからだ。「源氏物語の研究者は平安時代に行けるわけではないが、それでも研究はできる」~
その通りである。
島国なんて云う言葉そのものが僻(ひが)み根性だ。
要は創造力なのだ。

かの劇画の最高傑作『博多っ子純情』を生み出した長谷川法世氏は、あるインタビューを受けて、主人公が同作の中でラグビーをやっていたことから、氏も経験あるのでは、と問われて、こう答えたと云う。
「やったことないですよ」
「でも描写が具体的だ」
「じゃ、人殺しのストオリィを上手に書く人は、実際に人を殺したのか」

稀代の天才映画スタア、ブルース・リーは『燃えよドラゴン』で、その溢れる才能を世界に見せつけた。
本作が日本で公開されたときにはブルース・リーはすでにこの世にはいなかったので、いろんな伝説が一人歩きした。
“彼は世界一強い男だったのではないか”の類(たぐい)。
ある映画評論が当を得ていた。
“彼はスクリーンの中で世界一強く見えるように演じて演出した男だ”と云うもの。

私は、人から見ると随分と怠け者に見えるらしい。
しかも、スケベそうにも見えるらしい。
つまり私は天才役者なのだ。

2008年7月14日月曜日

Ca

今朝、後輩女子Tちゃんが近づいてきて私に云った。
「カルシウム持ってません?」
「カルシウム?うーん、、、そうや、ワカメなら持ってるよ」
「ワカメ?乾燥ワカメってこと?」
「そうそう、カルシウムたっぷり、、、多分」
「どうしろって云うの?」
「お湯で戻して食べる」
「あのねぇ・・・」
「あっ、お吸い物がある。それに入れれば?」
「うーん、、、他には?」
「うーん、カルシウムと云われようがマグネシウムと云われようが、いま持ってるのはチョコとキャンディーだけ」
「そっかぁ」
「カルシウムって何に入ってたっけ?」
「例えば、牛乳とか」
「そっかぁ。さすがに牛乳は買い置きしてないなぁ」

そんなわけでランチは外出せずに、コンビニに行って弁当を買い、その足でカルシウムのサプリみたいのなのがないか店内を探した。
、、、ない。
牛乳くらいはあるだろうと思って飲料コーナーに行ったが、セブンイレブンやローソンのようなちゃんとしたコンビニではないので、品揃えが悪く置いてない。
他をウロウロすると、あったあった♪
『かっぱえびせん』
Caたっぷりと書いてある。
意気揚々とオフィスに戻り、Tちゃんにあげた。

数分後、ふと思った。
急にカルシウムが欲しくなるなんて、どういうことだろう。
Tちゃんがカルシウムを所望したのは初めてだ。
そう云えば、カルシウム不足になるとイライラする、とはよく聞く話だ。
そうか!
Tちゃんが近づいてきたので、得意顔で私は云った。
「ひょっとして、なんかイライラしてるんでないの?」
「大きな声で云わないのっ!朝はそれを伝えたかったのっ!」
なんのことはない、私はカルシウムの入った食品の会話をするべきでもなければ、コンビニに行ってカルシウムを調達するべきでもなく、イライラを解消してあげるべきだったのだっ。

気づくのが3時間ほど遅かった。

2008年7月13日日曜日

仮面の告白

三島由紀夫の名作のひとつ『仮面の告白』を読了した。
自伝的小説とのことだが、よくここまで書けたものだと感心した。
要はホモであることのカミングアウト本なのだが、主人公が逞(たくま)しい男の体に欲情する描写は気持ち悪いの一語に尽きる。
しかし、それにもまして悪魔の儀式のように人を傷つけるおどろおどろしい想像シーンもあって、私はこんな本をカバーもつけずに電車で読んでいて変な目で見られていないだろうか、と思わず見回したものだ。
発禁になっていないのが不思議なくらいの本だ。

そんな中でもニヤリとする記述が一箇所だけあった。
主人公は一丁前に園子と謂(い)う女性と恋に落ちている。(ふりをしているのだが)
本作の終わりの方で主人公は園子に接吻(せっぷん)をする。
場所は、長野だったか、とあるゴルフ場の黄色い野菊の草むらだ。
翌日も野菊が踏み荒らされた同じ場所で接吻する。
次の日には主人公は帰京する。
園子は、一人でその場所に行く。
園子は、踏み荒らされた野菊を見る。
ただそれだけのことなのだが、こういう感受性は大好きだ。

もう黴(かび)が生えるくらい随分昔のことだが、、、
さっきまで彼女が部屋にいた痕跡(こんせき)、例えば二人で食べたラーメン鉢が残っている、忘れていった髪留めが無造作に転がっている、メモ用紙に書いた落書き。
そんな“さっきまで彼女がいたという”物的証拠は、なんとも云えないものだ。

2008年7月12日土曜日

復讐

昨夜、駅の自動販売機でお茶を買おうとした。
財布の中を見ると100円玉1枚、50円玉1枚、10円玉2枚。
350mlのお茶は120円だったので20円を投入して、切りがいいので残りの100円分はSuicaで、と思ってかざしたが無反応だ。
融通が利かない奴だ、と思って仕方なく財布からお金をつまんで入れたら入れたのは50円玉だった。
まぁいいか、と思って100円玉を投入してボタンを押した。
するとお釣が出てきたのだが、なんと10円玉5枚が出てきたのだ。
てっきり私が入れた50円玉が返ってくると思ったのだが。
自動販売機は独り言のように呟(つぶや)いた。
「ああ!細かい金が一杯で重かったんや。ちょっとすっきりした」
「お前、ワシのこと融通利かんと思ったやろ?ちょっとした復讐(ふくしゅう)や・・・」

自宅でのトレーニングでは、ダンベルもよく使う。
通信販売で購入したもので、同じ重さのものが2セットある。
けっこう重く、引越しの時など引越し屋のにーちゃん(兄ではない)は、少し嫌な顔をする。
私もこれを使うときは結構気合を入れる。
「うんし、うんし!」
と、持ち上げて、
「さすがに12.5kgは重いなぁ」
と、長年思っていた。
ある日、気まぐれに体重計に乗せて驚いた。
15kg?!
なんと、長年勘違いしていたのだ。
不思議なもので、12.5kgだと思っていたダンベルが15kgだと思うと、ダンベルが急に前より重くなったような気がした。
ダンベルの復讐のように思えて仕方がない。
“彼ら”には、何も悪いことはした覚えがないのだが。

“復讐”という言葉を含む諺(ことわざ)は、欧米には意外とある。
Revenge is a dish that can be eaten cold.
SPACE ALCによると
“復讐は、冷めても食べられる料理。/復讐は、何時までたっても果たしたいもの。”とのこと。
同じような言い回しで、こんなのを何かで読んだことがある。
イタリアの諺だったと思うが、
“復讐という料理は、冷めた頃が一番美味しい”
さすがマフィアの国、というか、なかなかに含蓄(がんちく)のある諺だと思う。

これを聞くと、長い付き合いの人間ほど潜在的には恐ろしいと謂(い)うことになる。
小学校時代の友人で付き合いのある人間はいない。
高校時代、大学時代が要注意か。
いや、待てよ。
来年3月で、結婚20年だ・・・。

2008年7月11日金曜日

1 year or less

新聞記事によると、セルフレジが普及しつつあるとか。
6年ほど前にハワイのアウトレット、ワイケレショッピングセンターで初体験した。
どんなシステムか忘れてしまったが、案外便利やないか、という快感の記憶だけはある。
それ以前、日本にまだセルフスタンドがなかった頃、レンタカーを満タン返しにする時に経験してみたが、なかなかに合理的なものだと思った。
ただ、なんでもかんでも客にやらせるのか、と腑(ふ)に落ちない気持ちもある。

日本で客にやらせる商売と云えば、焼肉や大阪風お好み焼きか。
あと昔は駄菓子屋の軒下に自動綿菓子機なるものがあった。
10円入れると自動的にざらめが投入され、出てくる綿菓子を備え付けの割り箸でクルクルと巻いていくのだ。
衛生面で問題もあるのだろう、最近は見かけない。

自分のテーブルで焼くようなお好み焼き屋でも、面倒くさいので
「焼いてきてんか」
と云うことが多い。
ただ、店員に任せると下手な焼き方をされて後悔することもある。

ハワイのスーパーマーケットでいいなと思ったのはこんなレジがあることだ。(確か本土にもある)
“Express Lane 10 Items or Less”
つまり10品以下の買い物の人専用レジだ。
これは優れものサービスだ、と思った。
売上が伸びないと悩むスーパーマーケットが多い中、日本にこのサービスがないのが不思議である。
ついでに、こんなことを私に謳(うた)ってくれる美人が次々と現れてほしいものだ。
“交際希望、 1 year or less”

2008年7月10日木曜日

それでも、僕は・・・

午後のひととき、後輩女子Tがいたので話しかけた。
私が生まれるよりも20年と1ヶ月だけ遅い1979年12月生まれ、たまに二人でランチにも行く仲良しだ。
「やぁ!」
「・・・はい」
「あれっ?怒ってる?」
「そういうこと言うから怒ってなくても腹が立ってくるんですよ」
「いや、まぁ。ところで最近おぬしのことをたまに考えてるんやけどね」
「・・・」
「いや、まぁ、若い若いと思ってたけど、考えたらおぬしも来年は30よなぁ」
「それがどうしたんですか」
「いや、まぁ、そうなると、どんどん私の年齢に近づいてくるなぁと思ったら嬉しくてね」
「自分の年齢はそのままだと思ってるんですか」
「いや、まぁ。けどな、私が40歳ならおぬしは20歳で、比率は50%やん?けど、来年になったら、私は50になるが、おぬしは30で60%やん?ほら、近づいてるやん?」
「ものは云いようですけど、絶対に追いつくことはありませんから」
「いや、まぁ、けど私が1,370歳になったら、おぬしは1,350歳やん?そんなの誤差みたいなもんやん?」
「あの、私忙しいから、もういいですか」

夜に、私が帰宅しようとしたら、Tがチラッとこちらを見るのが分かった。
「なんだよ、私は働いてるのにお前はもう帰るのか」
と、言いたげだ。
で、目を合わそうと思ったら、視線を逸(そ)らされた。
なので、声を掛けた。
「じゃ!よいお年を~!」
「また、年の話かぁ?!」

本当に仲良しなのである。

本当は仲良しなのである。

それでも仲良しなのである。

2008年7月9日水曜日

フルーツ牛乳とチキンライス

『ALWAYS 続・三丁目の夕日』のDVDを借りてきて観た。
前作同様、もうボロボロに泣きながら観た。(勿論、書斎で一人でこっそりとだ)
一平の家に預けられていた一平の“はとこ”の美加が父の元に帰る時、薬師丸ひろ子扮する一平の母に
「お母さん」
と言った時には、不覚にも
「あぅっ」
と、嗚咽(おえつ)を上げてしまった。
みな、貧しくとも(貧しいという実感はなかったと思うが)幸せだった、としみじみと感じ入った。

1958年営業開始の東京タワー。
前作では未完成だったが、本作では完成していた。
東京タワーは子供の頃からの憧れだった。
“東京=東京タワー”の感さえあった。
1980年に大学に入学して上京、横浜に住んだので行こうと思えばいつでも行けたが、いつでも行けると思い、行かなかった。
初めて登ったのは、東京タワーも42歳になった確か2000年だったか。
エレベーター含めて全体的な設備の古臭さがまたなんともよかった。
来場者は“おのぼりさん”という絆で結ばれていることで、連帯感と安心感が生まれる。

地上階にある老舗『タワーレストラン』では昭和40年頃からの味を守り続けているチキンライスがある、と何かで読み、数年前にわざわざ食べに行ったことがある。
感動した。
あの船底の形をした型でパカンと皿に盛った伝統的な味のチキンライス。
“稜線”には数個のグリーンピースが設(しつら)えてあった。
あのあと数回訪問したが、、、メニューから消えていた。
また一つ昭和が消えた思いだ。

本作品では、小雪扮するヒロミが乗る特急こだま号の再現も話題になった。
こだま号と云えば、あの伝統あるフルーツ牛乳のような色が思い浮かぶ。
1958年11月11日に誕生したこだま号は、1964年9月30日、東海道新幹線開業に伴う東京・大阪間の在来線特急廃止によってフルーツ牛乳の『こだま』は役割を終え、1964年10月1日から新幹線で引き継いだ、と記録にはある。
小学校の修学旅行は京都と奈良だった。
その時のバスガイドさんが、クイズを出題した。
「新幹線のひかり号とこだま号は、どうやって見分けるでしょうか?」
われわれ児童はキョトンとなった。
問題の意味が判らないのだ。
誰かが言った。
「色で!」
みな、当然だと思った。
愚問だ、という空気がバスに流れた。
バスガイドは
「ざんねーん。色は同じです。ひかり号は16輌で、こだま号は12輌です。ねっ、これですぐ分かりますね」
みな釈然としていなかった。
みんなのこだま号は、依然フルーツ牛乳だったのだ。
小学校の修学旅行は1971年、こだまが“消えて”からもう7年も経っていたことになる。

1971年といえば大阪で万国博覧会が開催された翌年で、もうモノが溢れているように思っていたが、やはり貧しかったのだ。
それでも心は満たされていた。
よほどの事情でもなければ、新幹線に乗る機会なぞ、みな無かったのだ。
いや、待てよ。
赤穂市立尾崎小学校の児童があまりにも田舎者だったのかもしれない。
今もって謎である。

2008年7月8日火曜日

サブウェイ・パニック

10時頃に三田から品川に歩いた。
最初は小雨だったので軽い気持ちで歩き始めたが、途中で私が雨男であることを思い出した。
ものすごい雨になって、大き目の傘をさしていたが、膝から下を水槽に浸したような状態になった。
まったく。
こんなひどい雨は、上海で体験した“これぞ大陸!”の雨以来だ。
都営浅草線泉岳寺駅への入り口が見えた。
看板があり“Subway”と書いてある。

Subway?
これって普通名詞だったか?
ALCの英辞郎 on the WEBに“地下鉄”と入力すると次のように出てくる。
U Bahn〈ドイツ語〉 // metro // subterranean railway // subway // tube railway〈主に英〉 // tube〈英〉 // underground rail system // underground railway [railroad] // underground〈英〉
高校の英語の授業では“地下鉄”のことを確か“subway。英国ではtube”と習った。
Subwayって元々はニューヨークの地下鉄の固有名詞だったのではないか?なぞと思う。
サンフランシスコでは、当地に行くたびに活用したが、走ってるのはSubwayではなく、Bay Area Rapid Transit 略してBART(バート)だ。

あるテレビ番組で、日本の温泉を外人観光客にPRしようという企画が組まれていた。
温泉旅館などでは“温泉”をキチンと英語で表記しないと不親切だ、ということになり、館内に“Hot spring”や“Spa”などと記された札が設置されていた。
しかし、ある外人のPR専門家がこれに異を唱えた。
表示は“ONSEN”にすべきだ、と。
なるほど、である。
温泉は温泉なのである。
温泉だからこそ、湯に入ったらあまりの気持ちよさに
「ん!ん!んぁ~っ!」
と、呻(うめ)いてしまうが、名前が“Hot spring”や“Spa”では、そんな気にならない。
餃子ライスを頼んだら、餃子にサフランライスが付いてくるようなものだ。
風呂に入った後の卓球や、お土産屋さん巡り、スマートボールは、温泉街にのみ許されるエンターテイメントだ。
露天風呂で雪を見る風情は、やはり“ONSEN”に限る。
外人とはいえ、さすがPR専門家、やるじゃないか。

このさい地下鉄も胸を張って“CHIKATETSU”と表記してもらいたい。

2008年7月7日月曜日

豚シャブ

久々に後輩女子Tちゃんと喋った。
ちょこちょこは喋るのだが、今日はガッツリと、そう、ニラ玉炒めに餃子とライス大盛りを食べた気分だ。

Tちゃんのところへ行くと珍しくチワワのような目で
「おなか、すいた~」(今は三島由紀夫を読んでいるので自虐的にこう聞こえる「おなかがすきましたわ」)
私は応えた。
「頂き物のおかきがあったな」
「食べる~」(同上「いただくわ」)
いつもの大人びた雰囲気がなぜか甘えんぼモードなので異常に照れる。
なので「食べる~」の言葉に助けられたような気分で、その場を離れデスクにおかきを取りに行く。

話を続けながらおかきをバリバリと食べるTちゃんの姿は、『Dr.スランプ アラレちゃん』のガッちゃんのようだ。
「ねぇ、チョコ食べたい」(同上「チョコが食べたくてよ」)
Tちゃんは私がMEIJI MILK CHOCOLATEを買い置きしているのを知っている。
かわいい。
すぐに取りに行く。
なんのことはない、チョコを取りに行くのは、動悸(どうき)を抑える息継ぎ井戸みたいなものだ。

帰りに偶然エレベータホールでTちゃんと一緒になった。
照れたが一緒に歩く。
愛くるしい顔を見ると息苦しくなるので、ビジネスの話で誤魔化(ごまか)す。
「美味しい豚シャブの店があるの。今度行きましょうか」(同上「美味しい豚シャブのお店があるのよ。行きませんこと」)
「喜んで」
Tちゃんのその類(たぐい)のお誘いに対して
「じゃ、早速スケジュール決めましょう」
は、野暮と云うもの。
Tちゃんにとっては、鼻唄程度だ。

それでも愉しかった。
久々の充実感。
何ヶ月ぶりだろう。

空を見上げた。
今日は七夕。

2008年7月6日日曜日

明日は七夕である。
織姫(ヴェガ)と彦星(アルタイル)は、明日の逢瀬(おうせ)を楽しみにしている頃か。
とはいえ実際の両者の距離は16光年だ。
簡単に会える距離ではない。

時々、宇宙の広さを考えてみる。
宇宙は広い、と云う。
しかし、宇宙にも一定の広さがあって、その宇宙は膨張していると云う。
では、その膨張している部分の外はどうなっているのか。
その外にも別の世界があったら、そのまた外の世界はそうなっているのか。
考えても際限がない。
∞(無限大)は、こんなときに使う記号だろう。

あと一つ使える場所がある。
合わせ鏡だ。
どこまで見えるのか。
これも理論的には無限大だ。
テレビカメラでモニター画面を撮影して見えている画像も、テレビ画面が連なってこれも理論的には無限大だが、解像度から云って限界があると考えたい。

仮に宇宙を有限大とする。
そして“その”宇宙は膨張しているというのが定説だ。(まぁ許してやろう)
そして地球から離れた距離にいくほど、膨張の速度は速いと云う。
ある地点から“外”は、光の速度を超えて膨張していると云う。
なので、その地点から外の星は、存在しているにも拘(かかわ)らず地球から観測することは出来ない。
観測するには光として捉(とら)えなければならないからである。
その光よりも速く離れて行っているのだから、これは如何(いかん)ともしがたい。

『黒の舟唄』という歌がある。
歌い始めはこうだ。
~男と女の間には、深くて暗い川がある~
天の川だ、暗くて深い川だと、男と女の間には、いつも川が流れているものか。
そして男女は幾何級数的に離れていくときがある。
その速度は、ときめくことさえ許さなくなる。

だから七夕の逢瀬は祝福してやろうじゃないか。

2008年7月5日土曜日

みゆき通り

金曜の零時を過ぎてからやるテレビ番組『爆笑問題の検索ちゃん』。
金曜の夜は大抵夜更かしするので、チャンネルをクルクルとしていると、なぜか目にとまり見ることが多い。
司会の小池栄子の魅力に負けてチャンネルを動かせなくなることも理由だと思うが。
昨夜(厳密には今日)の放映の中のトークで
「頭の中は今のままで中学生くらいに戻りたい」
「そうだよ!それならあの時は!」
と、盛り上がっていた。

高校時代の友人と会うと、よくこの手の話で盛り上がる。
「嗚呼、この汚れた心のまま、あの頃に戻りたい」
「おお!そやのぉ!」
「ほんまに初心(うぶ)やったのぉ」
「惜しいことをした」
「何がやねん?」
「いや、いろいろあるやろ」
「そやのぉ」
「ほんま、あの頃に戻れんかのぉ」
「そやのぉ」
「もう無茶苦茶したるのにのぉ」
「何がやねん?」
まことに無意味な会話である。

とはいえ、時々当時を思い出して臍(ほぞ)を噬(か)むことがある。
ある日、全然覚えのない女の子から自宅に電話がかかってきたことがある。
「あの、、、私のこと知ってます?」
「知ってるわけないやん」
「毎朝、新興書房(姫路駅前)の前で見てるんですけど」
「いや、わからんなぁ」
「付き合ってる人、います?」
「おらんけど、好きな人(愛しのS田さんである)がいるので」
と、冷たくあしらった。
なんと愚かな私であろうか。

学校から姫路駅へ向かう途中の商店街『みゆき通り』を歩いていたときのこと。
見知らぬ女学生数人から話しかけられた。
「あの、私たち代理なんですけど、、、いま付き合ってる人いますか?」
「えっ?!おらんけど・・・(S田さんが好きやしなぁ)」
「そうですか♪」
少女たちは嬉々として立ち去ったが、その後、音沙汰はなかった。
なぜ、あのとき積極的に会話をつなごうとしなかったのか、いまもって悔やまれる。

とはいえ、中年になってから、
「嗚呼!なんで“功”を焦ってあんなことをしてしまったのか?高校時代の純真さがカケラでも残っていれば、あわよくば付き合えたかもしれないのに」
と、後悔したことも少なくない。

2008年7月4日金曜日

カワハギ

不本意にも仕事で遅くなってしまい10時過ぎ、ひとりでふらりと新橋『弥助鮨』へ。
上にぎりとお銚子を頼み、お通しを入れて〆て2,625円。
鮨屋にしては細かい勘定だが、明朗会計と云うことか。

以前、あるテレビ番組でこんな実験をやっていた。
すし屋の値段のつけ方は、客によって変わるのかという実験。
助平そうなおっさんが若い女性を伴い頼む場合と、貧乏そうなカップルが頼む場合では、同じ注文(時間差で、頼む順番も変えてバレないようにしていた)をしても、助平おやじの方が高かった。
すし屋はそれでいいと思う。
もし、そんな野暮なことで“査察”がはいったとしても、
「いやいや、ネタの厚みが違いますから」
なんて、いくらでも云える世界である。

まぁもしそうなら私の玉子焼きは厚めに切ってもらいたいものだ。
弥助鮨の玉子焼きはちゃんと自分の店で焼いているようで、頗(すこぶ)る美味い。
やがて男女三人ずつの六人組がガヤガヤと入ってきた。
そのうちの女性が陽気そうな声で
「違うわいね!」
「やっとるぞいね!」
「そやがいね!」
と金沢弁丸出し!
懐かしい。

1991年から1993年まで2年間だけ金沢で暮らしたことがある。
なんでも人口一人当たりのスナックの数が日本一多い華やかな街らしい。
それでいてスナックの女性がみな優しい。(当たり前か)
『スナック律子』のママ。
どらえもんみたいに愛嬌のある顔で、面白かった。
吉田拓郎の曲と同じ名前と云うだけでフラリと入ってみた『御伽草子』のママは私と同い年くらいか。
素人っぽくも、色っぽかった。
飲食店が多く入るビルでエレベーターに乗っていたら、見知らぬスナックのおねーちゃん(姉ではない)が乗ってきて“ひし!”と抱きしめられて、おそらく自分が勤務する店の階に着くと何事もなかったように降りていって、唖然(あぜん)としたこともあった。
ニヒルで魅力的な顔に邂逅(かいこう)し、瞬時に母性本能をくすぐられたのだと思う。

金沢駅近くの六枚の交差点のところにある『冨久寿司』は美味かった。
肝とともに供されるカワハギの刺身、肝をつぶしてポン酢に入れて食したら、その美味さに涙がちょちょ切れたものだ。
ここも玉子焼きを丁寧に焼いていたが、味付けが甘かった。
一度、甘さを抑えてくれるよう頼んだら、頑固おやじは
「玉子焼きはオンナ子供の食べ物だから」
と、取り合わなかった。
だが今でも繁盛していると思う。
金沢は、生まれ育った赤穂、予備校で通った神戸、大学時代を過ごした横浜に加えて第四のふるさとだ。
再訪したいものである。

ふるさとの訛りなつかし停車場の
人ごみの中にそを聴きにゆく   
石川啄木

2008年7月3日木曜日

亀井一成さん

~智恵子は東京に空がないと言ふ~
『智恵子抄』の中の一節だ。

私はYさんに云った。
「北海道には梅雨がない」
「ええ~っ?!本当ですかぁ?!」
Yさんのことだ、知っていたのに驚いてくれた可能性がある。
しかも目をまん丸にしてだ。

Yさんとは夕方偶然に道で会った。
彼女は、神奈川県内で笑顔の美しい女性10本指に入るアラサーだ。
10分ほど立ち話したろうか。
なぜか梅雨の話になった。
そこで出たのが上記の会話だ。

「北海道にはゴキブリがいない」
この話にも驚いてくれた。
最近は、ゴキブリに寒さへの耐性が備わってきたのか、青函トンネルでアクセスが容易になったせいなのか、札幌市内では生息していると聞いたことがある。
ついでに使い古した薀蓄(うんちく)も調子に乗って披露する。
「ゴキブリの語源は“御器被(ごきかぶ)り”でね」
「へぇ、でも梅雨となんの関係があるんすか?」
「あ、いや・・・」

やがて結婚観の話になる。
短時間で次々と話題が移る。
これは私が愉しんでいるしるしだ。
「女性である程度年が行っても結婚しない人がいるけど、そういう人を強い女性だとか、寂しくないですか、と云うのはおかしいかもしれない。案外そういう人は一人でいることが好きなのかもしれない。結婚できないのではなく、一人でいることが心地よいのかもしれないよ」
先週金曜日で34歳になり、いまだ独身を謳歌しているYさんだ。
私の好感度を上げようと狙った発言だったが、Yさんはこう云った。
「ええ~っ!そんなの寂しい!!やっぱり好きな人と結婚して、子供作ることが幸せですよぉ」
玉砕した。

お風呂でその会話を思い出していると、亀井一成(いっせい)さんが思い浮かんだ。
神戸市立王子動物公園の飼育係で、確か日本で初めてチンパンジーの人工飼育に成功され『ゾウさんの遺言』『僕はチンパンジーと話ができる』などの著書がある有名人だ。
昭和54年頃か、高校同級生K橋と二人とも二浪中にもかかわらず王子動物園に行ったら、亀井さんが普通の飼育係の格好でバケツを持って歩いてきて二人とも絶句した記憶がある。
有名人だから、もう少し有名人然としていてくれたら話しかけもできたかもしれないのに、あまりにも普通で虚を衝かれた形で見送っただけだ。
話しかけとけばよかったなぁ、と今もって悔やまれる。

そんな亀井さんの朝日放送の番組の中での伝説のスピーチ。
「なんで動物が芸せなあかんのや。あのねぇ動物に芸させようと思ったらねぇ、ギューと痛くせな動物はゆうこときかんのですよ。そんなことして芸を教えるわけですよ。動物はねぇ、ほんまは生まれたとこで暮らしたかったんです。それが無理やり動物園に連れてきてるんです。人に見せるためにね。僕はなるべく生まれた土地に近い形にして、そこに動物がおるのを見てもらいたいと思ってるんです。それで動物が大きなったら、ちゃんと連れ合いを見つけてね、ほんで子供を儲(もう)けさしてやることが、人間が最低せなあかんことやと思います」
だいたい、こんな内容だったと思う。
当時は、象に曲芸をさせたり、園内を走る汽車に猿を縛り付けて運転士のようにさせたりして、話題作りをする動物園が少なくなかった。
そんな時代での発言だ。

さて、Yさんと動物園に行って亀井さんの話をする妄想でもしながら寝るとしよう。
どこの動物園がいいだろう。
関東では、多摩動物公園か。
いや、ズーラシアに行ったことがないので、ズーラシアにしようか。
・・・行ったことないので、妄想できない。
以前行ったLA ZOOか、HONOLULU ZOOなどは、海外旅行込みなだけに妄想が膨らむな。
いや、しかし、、、

私の財布には金がない。

2008年7月2日水曜日

ドナー登録

疲れて電車に乗り込んだときに、空(あ)いている席がないと、嘆息(たんそく)したくなる。
疲れていなくても、遠距離通勤者にとって電車は恰好(かっこう)の読書スペースなので、出来れば座りたい。
空(す)いているのにキッチリ席が埋まっていると、見回して
「お前は次で降りるのか?どこで降りるのじゃ?」
と、訊きたくなる。
所謂(いわゆる)フォーク並びができないのだから、次の駅でドッと乗ってこられると、先に電車に乗り込んでいたアドヴァンテージは忽(たちま)ち失われてしまう。

逆にうまく座れたときも、座りたいモードギンギンのサラリーマンが、タタタと早足で私の前の吊り革を確保するときがある。
私は、
「あーあ、私は遠距離通勤なのだよ。君はまだまだ甘いな」
と、心の中で嘯(うそぶ)く。
根(ね)が善良そうな人だと、わざと文庫本を取り出して“私はまだまだですよ”という信号を送ってあげるときもあるが、私に対して
「早く降りろよ」
と、目でメッセージを送る輩(やから)には、降りないときでも駅が近づくと
「さぁてと。。。」
と、云う嘘のメッセージを発し、読んでいた新聞などを鞄(かばん)に仕舞い、期待させる。
相手が
「やれやれ、やっとこいつ降りるのか」
と、云う安堵(あんど)の表情を見せたのを見計らい、徐(おもむろ)に分厚い単行本を取り出す。
安堵から落胆への移行が私に伝わってくる。
そんな悪戯(いたずら)は、たまにしかしないが。

最近はSuicaシステムなど、電子データが組み込まれた定期券が普及してきた。
そのうち切符もそうなるだろう。
一人一人の下車駅は判らないにしても、一人一人が電車に乗っている区間データはあるわけだ。
それを電車内で読み取るシステムと、その情報を提供するサービスがあったら便利だと思う。
「あっ、このサラリーマンは東京・大磯の定期か。随分遠いな」
「おっ、この学生は品川・川崎やん?よしよし」
と、その席の前に立っていれば、川崎で座れる確率が高いというわけだ。

ただ
“この人は○○駅で降りたところに住んでいるようだ”
“この人の勤務先は○○駅で降りていくのか”
などの情報を開示してしまうことになるが、下車駅から乗り換えする場合もある。
また、その人が降りるときには、その駅までだ、ということはそのときには目で見て分かるのだ。
だから、この程度の情報開示なら構わないのではないだろうか。

とはいえ、心理的に抵抗のある人も多いだろう。
そういう場合は、定期券や切符を買う時に、“開示してもかまいませんよ”と、ボタンひとつでの申告制にすればいい。
そう、下車駅のドナー登録制度だ。

私は屹度(きつと)申告する。
遠距離通勤と分かり、“ギンギン”の人が寄ってこなくなる。

2008年7月1日火曜日

止ん事無し

今夜は、10年前の某経済団体の訪米ミッションでの同志4人が白金台の『高輪荘』に集った。
某経済団体Iさんの本部長昇格祝いでもある。
泉岳寺から18:11の電車に乗り18:13に高輪台で降りて、きょろきょろしていると、品川発、世界のS社のIさんが声を掛けてきた。
Iさんは城山三郎の小説にもなり、財界総理とも云われたI氏の孫で、かなり由緒正しい家柄だ。
二人で交番で道を訊き、目的地に向かう。
5分ほどで着く。
おお、都会の喧騒を避けるようなこの建物、只者ではない。
訊くと昭和6年の建物で、登録有形文化財とのこと、なるほろ。
昔からモーターで定評があり、金曜の夜8時のプロレスの時に、傍若無人な外人レスラーが投げ散らかした花束を片付けるのに使われた電気掃除機『風神』のM電機のMさんの仕切りで、この店を使えることになった。
素晴らしい幹事だ。

ほどなく4人が集まり、宴が始まった。
和やかだ。
本当に和やかな会食だ。
料理は美味いし、会話も愉しい。
S社Iさん、一般人の物差しでは傍若無人、ぞんざい、木で鼻をくくるなどの表現が思い浮かぶ人であるが、なんというか育ちが良すぎる分、浮世離れしており、それが手伝うのかなんともいえず許容できてしまう。
40歳と若いのに不思議な人物だ。
I氏、スポーツクラブでインストラクターから会員中最下位と云われてしまうくらい体が硬いらしい。
I氏、努力しても柔らかくならないとの由。
私と同じじゃないか。

そうか、やんごとない(註:身分などが高い)血筋は体が硬いのだ。
そりゃそうだ。
体を捻(ひね)ってモノを取る習慣なぞ何千年もなかったのだから、体も硬くなると云うものだ。
私の体が硬い理由が、思わぬところで氷解した。

しかし、仮に私がやんごとない血筋の人間だとしても、この1.3畳の書斎で何を取るにも体を捻るだけでよいという事実も、これまたやんごとない(註:やむをえない)というものだ。

2008年6月30日月曜日

新婚旅行

高校の世界史のH先生、大学を出て間もない若い先生だったが、ある日の授業でわれわれに向かってこう仰った。
「今になって云えることやけど、社会に出るとなかなか忙しくて本が読めなくなる。せやから若いうちにとにかく一杯本を読んどいたほうがええよ」

今になって思う。
そんなことないな、と。
世の中の本、それはそれは面白い。
けど、やはり本は読み手によって、値打ちが変わってしまう。
本を読むためには、それなりの土壌が必要である。
土壌を作るために必要なものの多くは学問や読書!かもしれない。
しかし決定的なものは、人生経験だろう。

使うに容易(たやす)く、稼ぐに辛(つら)いお金の苦労。
旅行に出かけて人と出会ったり、はたまた途方に暮れてみたり。
世の中にこんな素敵な女性がいたのかと、胸を焦がしたり。
大切な人との永遠の別れに涙したり。

1冊の本も、感想が百出(ひゃくしゅつ)するのは当然だ。
しかし一人の人間でも、人生のどの過程で読むかによって、同じ本でもまったく感じ方が変わるものだ。
いま私は、読書適齢期ではないかと思う。
健やかにそして爽やかに、そうキアヌ・リーブスのように性慾が残っており、またローレンス・オリヴィエのように老いと云うことも判り始めている。
だから本への感受性も、イチローなみに守備範囲が広い。

H先生は、その後結婚を宣言した。
新婚旅行から帰ってきて第一声はこうだ。
「え~、、、新婚旅行というものは、疲れるものでして」
まるでネタのようなコメントだが、われわれにご祝儀の気持ちもあったのか、ドッとウケた。
しかし、疲れた発言が本音だったとしたら、H先生は昭和史に残る“品行方正”な人だったことになる。

「え~、、、あまり若いうちから一杯本を読まないように。お楽しみはこれからだ」
くらい、云ってくれたら、われわれの間で名前を残せたかもしれない。

2008年6月29日日曜日

わな

先週Kさんが、卓上用のスピーカを購入した、と云っていた。
私の書斎の卓上スピーカ、何年も使っていたが遂に左側から音が出なくなり、今日ヤマダ電機で購入した。
これも何かの縁か。
渋い色が好みなので、選んだのは濃い色の木目調の卓上スピーカ、2980円也。
意外と安価で助かる。
レジに行く。
二人並んでいる。
他のレジを見渡しても“隣のレジをご利用ください”と書かれた立て札のオンパレード。
夜も7時過ぎになると、店員も閉店に向けて片付けモードだ。
やっと前の客が、新たに開けたレジに呼ばれる。
なるべく客を待たせようとしないセブンイレブンを見習って欲しいものだ。
私の順番が来た。
店員のにーちゃん(兄ではない)がPOSでピッと処理をしている間に、財布から3000円と30円を取り出し、現金を置く皿に置いた。
店員のにーちゃんその皿を手元に持ってレジを打ち込みこう云った。
「3000と20円お預かりしましたので40円のお返しになりまーす」
グッと堪(こら)えた。
さすが人格者の私である。
人格者だから、
「いや、ちょっと・・・」
と、しか云わなかった。
私が人格者で店員はラッキーである。
私が普通の人だったら、彼はこう云われていた筈(はず)である。
「おい、ちゃんと見んかい。客から渡された金を確認せずにレジに打ち込むアホがおるかい。だいたいどこの世界に2980円の買い物して、3020円渡すヤツがおるんや」

にーちゃんに優しく接したことで、一日一善をしたような気分でヤマダ電機をあとにして帰宅した。
早速スピーカを開封してみると今まで使っていた簡易式のものではなく、コンセントにつなぐ本格的なものだった。
充分な音量と、良好な音質が期待できる。
最初に何を聴こうか。
ふと机を見るとキャンディーズの3人、特にミキちゃんが私を見て微笑んでいる。
『キャンディーズ ゴールデンベスト』のCD1をCDウォークマンに入れてスイッチを入れる。
おお!
キャンディーズの元気な歌声が!
青春が蘇(よみがえ)る。
特に“哀愁のシンフォニー”の「こっちを向いて~、涙をふいて~」の部分は圧巻だ。
この曲なら一日に8回聴いてもいい。

キャンデーズファンの多くはランちゃんファンのようだが、私はずっとミキちゃんファンだ。
会計士のK井さんは古典的にスーちゃんファンだ。
キャンディーズの最初のメインヴォーカルはスーちゃんだった。
やがてランちゃんになってキャンディーズはブレイクした。
そしてこのままミキちゃんはメインを張れないのかと気を揉んでいたら、やっとキャンディーズの末期に“わな”でメインヴォーカルとなった。
夏の甲子園でほぼ負けが決まり打席に立つ控えの選手のようでもあったが、喝采した。

キャンディーズと云えば、昭和52年の日比谷野音でのコンサアト中のコメント
「私たちは普通の女の子に戻ります!」
が、あまりにも有名だが、結局本当に普通の女の子に戻ったのはミキちゃんだけである。
律儀ではないか。
やはりキャンディーズはミキちゃんが最高である。

2008年6月28日土曜日

“退化”の“改心”

予てより引退を表明していたマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏が、27日MS社で引退スピーチをしたとの報が流れた。
数年前に彼とは同じテーブルでミーティングをしたことがあるが、彼はずっと体を前後に揺すっていた。

家庭でのアイスクリーマーは、容器にアイスクリームの材料を入れて冷やし、中が固まらないように羽根か何かでかき混ぜ続ける原理のようだが、ゲイツ氏の動きは周りの空気をずっと攪拌(かくはん)することによって、自分が一定の場所に縛られてしまうのを恐れているようにも見えた。
自分が話すときに、少しだけ振幅が狭くなるものの、雲古でもしたいのかと心配になるほど、ずっと動き続けていた。
兎(と)に角(かく)落ち着きがないのだ。

私も小学校の6年間、通信簿に“落ち着きがない”と書かれ続けた。
それで頑張って、今では徳川家康のごとく落ち着いた人物に成長した。
しかし、ゲイツ氏の成功物語を見ると、私が落ち着きのなさと訣別したことは、成長ではなく退化だったのかもしれない。

この年からでも落ち着きのなさを取り戻してみようかと思う。

しかしそうなると、退化が加速しそうな懸念もあるが。

2008年6月27日金曜日

秋葉原

小学生高学年の頃だったか、裏に住んでいたおばちゃんが起業した。
近所でお好み焼き屋を開業したのだ。
最初は不味かったが、私の母のアドバイスもあり徐々に美味しくなり、私がファンになるくらいのレベルに達した。
ある日、お好み焼きを食べていると、おばちゃんが他の客と話していた。
変な男が包丁を持ってうろついていたとのこと。
おばちゃん曰く、
「あんなへっぴり腰では、刺されても腹には刺さらんわな」
そんなヤクザなコメントが、所謂(いわゆる)シロウトのおばちゃんの口から出て少し驚いた。

今夜は、秋葉原に行った。
駅から降りると妙に緊張感が走った。
歩きながらも、自分の脇腹に鋭利な刃物が刺さることを想像してしまって、少し足が竦(すく)んだ。
街は、先日の無差別殺傷事件がなかったかのように、ビジネスマン風の人や、定番のオタク風の人が行き交う。

駅近くの東京都中小企業振興公社へ。
今夜は6時半から、知り合いの大手スポーツクラブルネサンス幹部Tさんが主催する私的な勉強会“経験価値研究会”があり、それに出席するためだ。
会費二千円を支払い会場に入ると100人は軽く超えている。
私は初めての参加だが活況で驚いた。
開会の時にTさんは、半年以上も勉強会を開催しなかったことを詫びた。
ルネサンス佐世保で昨年12月14日に起こった銃乱射事件の影響だ。
凶悪事件が私の心に影を落とす。
半世紀近く生きてきたら色んなことがあってしょうがないことなのか、あるいは今の世の中が異常なのか、複雑な気持ちで勉強会に臨む。

最初のコマは早稲田大学大学院准教授の池上氏による『最新戦略論体系とマーケティングの関係-デルタモデル・ブルーオーシャン戦略・ポーターの戦略論等の統合マーケティング』。
いま流行のブルーオーシャンだけあって、なかなか面白い話が聞けた。
ただ90分の授業4つ分くらいの話を、50分で話したとのことなので、まぁそこはそういうことである。
続いて、NPO TABLE FOR TWO International事務局長の小暮氏による自らの団体の紹介。
氏によると、世界人口60数億人が食べるに十分な食料は地球上にあるそうだが、問題は配分が均等ではないということ。
飽食も問題だが、飢餓の国があるのに、食べ物を粗末にするわが国は猛省すべきだ。
ますます“食べ残しは許しまへんでぇ”の精神が必要だ。
最後のコマでは、NHKでも有名(らしい)な山梨大学准教授の中山氏が、現代の子供体力事情を軸に、文科省や体育協会、各地の教育委員会の現状などを話してくれた。
最近の子供の運動能力の低下は目を覆うばかりとのこと。
いろいろな遊びをやっていないので、高いところからの飛び降り方が分からず、極端な例では二段目の階段から飛び降りて、両足を骨折した子もいたらしい。
これでは『太陽にほえろ!』の七曲署の刑事にはなれそうにないな。

それにしてもこの勉強会に出席して、志の高さに感服。
ルネサンスのTさん、仕事に役立つからこのように健康に関する勉強会をやっているという感じではなくて、元々やりたいこと、すなわち世の中の人を健康にしたいという思いがあってのことであり、そもそも自分の仕事はその一つにすぎないのだ、という律儀さを感じた。
この感覚は“心洗われる心地よさ”とでも云おうか、初心に帰ることができたいい会合だった。
勉強会終了後、階下で4000円飲み放題で懇親会をやるとのことだが、あまりに大勢での会は苦手なので早々にその場は辞した。

電気街の方へ歩き、フラリと昭和29年創業の老舗居酒屋『赤津加(あかつか)』へ。
初めて入った店だが、店構えは入りにくかったが、入ってしまうと古臭さも手伝いなかなかに落ち着く。
お銚子を頼み、白身のお造りでチビリと。
品書きの“鶏のモツ煮込み”に目がとまり頼んでみる。
脱帽!
お銚子が一本増えてしまった。

路地を出てすぐにラーメン屋があったので入った。
屋号は『だるまのめ』。
最近乱立気味のラーメン専門店には、独特の雰囲気が醸成されたように思う。
客に品(ひん)がないのだ。
店も客に品を求めていない。
それが一体化してしまっている。
今流行(はやり)の品格という大げさな話ではない。
うまく説明できないのだが、客の頼み方、待ち方、食べ方、帰り方の行儀が悪いのだ。
猥雑(わいざつ)な飲み屋での、戯(ざ)れ言(ごと)や嬌声、またそこでの猥談(わいだん)にも、品はあるのである。
矢張(やは)り、うまく説明できない。
当(とう)を得ていないかもしれないが、本来は気楽なメニューであるべきラーメンなのに、何やら理窟(りくつ)を付けてみたり、行儀を強制する店主を、メディアが持ち上げてしまったことに遠因があるように思う。
とまれラーメンが食べたくなったら、中華料理屋に行くことにして、もうこの手のラーメン屋に行くのは止(よ)すことにした。
カウンターで左隣に座っていたにーちゃん(兄ではない)も、なんかイライラしていた。
接客は全員中国人スタッフの女の子だったが、兎(と)に角(かく)目配りがない。
隣のにーちゃんが替え玉と追加スープを頼んで、替え玉が来たのはいいが、一向にスープが来ず、にーちゃんが催促しても、女姐(しゃおちえ)たちは
「ショウショウオマチクダーイ」
を繰り返すのみ。
やっと来たスープを入れてにーちゃんは食べ始めたが、よほど憤慨したのか半分くらい残して帰ってしまった。
にーちゃんがヒステリーを起こして、悠然と食べている私を横から刺さないかと、小心な私はヒヤヒヤした。
帰るときまで秋葉原には緊張だ。

2008年6月26日木曜日

天狗伝説

後輩のアメリカ人S君とはトイレで時々挨拶する程度だったが、今日の夕方の珈琲タイムに初めてゆっくり喋った。
米国留学経験もありTOEIC900点超を誇る東京人I君も一緒だった。

会話の内容は日本語で表記しておく。
私「S君、君の手には拳(けん)ダコがあるようだが、空手でもやっていたのかい」
S「はい、そうです。アメリカにいるときに」
私「私も少しやっていたのだよ」
I「ははは、じゃあ対決すればいいじゃないですか」
私「流派は?」
S「剛柔流です」
私「私は円心(えんしん)だ。本部はコロラド州デンバーにあるのだよ」
I「ははは、円心は知らないでしょ」
私「一応、極真の流れなのだけどね」
S「Oh!極真は空手じゃないです」
I「ははは、云われてますよ」
私「伝統空手からすると確かにそうかもしれない」
S「もうキックボクシングに近いですよね」
私「うん、それに至近距離で殴り合ってるの見てると相撲にも見えてくる」
I「ははは、さすがに相撲の決まり手に、回し蹴りはないでしょ」

久しぶりの武道論、それもアメリカ人とできるとは思わなかった。
ちなみに“会話の内容は日本語で表記しておく”とは書いたが、会話は日本語であったことは付しておこう。
S君は、めちゃ日本語が堪能で、下手すると私よりも上手い。

日本好きのS君、日本に来てからは剣道と居合いの3段を習得したとか。
空手はアメリカで初段だったとか、大学時代は柔道もやっていたとか。
ひょろひょろに見えたのだが、なかなかやるじゃないかね。
「空手は、お金儲けばかり。他流派に行くと白帯からやり直し。剣道で段位を取ると、どこに行っても有段者」
なかなか的を射るようなことを云う奴だ。
確かに今の空手界は、拝金主義が支配している。

英語もたまに入れて会話していたので、語学力の話から、英検の話になった。
私「私の英語も所詮(しょせん)は3級?いや違った2級やからなぁ」
I「ははは、3級ってことはないでしょう」
私「うん、2級、2級。大学のときに力試しに取った」
S「えっと、2級のひとつ下は、何級ですか?」
私「うん?3級」
S「You're welcome.」
私「???ああ!サンキューか。しかしなぁ、これはSank youや。ありがとうは、正しくはThank youや。英語の発音はちゃんと覚えなあかんで」
S「Oh!スミマセーン」
私「こやつ、白人やのに、ボビー・オロゴンみたいやなぁ」
とはいえ、顔は典型的英国紳士のような上品な顔立ちだ。

江戸時代にどこかの港に流れ着いたりしたら、その辺一帯では間違いなく天狗伝説が伝わったであろう、鼻筋の通った端正な顔をしている。
I君によると、S君は兎(と)に角(かく)肉が好きで、店なぞはT.G.I.Friday'sが好きとのこと。
そんなとこよりも、もう少し気の利いた店に誘ってやろうじゃないか。
アメリカ人と一緒にいるというだけで、ひょっとしたら、モテるかもしれないからな。

2008年6月25日水曜日

枯れ草を持つ少女

美術品なぞと云うものは、株や小豆(あずき)と同じであろう。
人の手によって値が付くということは、それらは絶対価値ではなく、好みや思惑が反映された投機物に過ぎないということだ。

テレビのニュースで見たことがあるが、中国の広東省深圳(しんせん)には絵画の複製市場がある。
あの巧さを見ていると、絵画は美術品と云うよりも工芸品であることに気付く。
ゴッホの『ひまわり』をウン十億円で取引していた美術品バブル時代を思い出してみると、絵画なぞ工芸品と割り切ることも必要ではないか。

かく云う私も『枯れ草を持つ少女』という、おそらく時価総額は、ウン十億円は下らないであろう油絵を所持している。
しかも我が家の玄関にさり気なく飾っている。
ただ、ウン十億円と見積もっているのは私だけで、かかったのはカンバス代だけだった。
いや、額のほうが絵よりも遥かに高かった。

大学時代、美術部が学際で出展した絵を見に行き、一目で惚れてしまった絵だ。
製作者をを示すカアドを見ると、学年から云って同級生のようだが、面識のない“K出さん”という女子だった。
幸い美術部には知り合いの女子K玉さんが在籍していた。
K玉さんの顔は竹内まりあを美形にした感じで、おそらく彼女も意識したのか、竹内まりあのようなソバージュにして、またそれがよく似合っていた。
そんなK玉さんに、『枯れ草を持つ少女』が欲しいので製作者を紹介してくれるよう頼んだ。
彼女は
「私の描(か)いた絵は欲しくないの?」
と訊いてきたので、不要である旨を簡潔に伝えた。
彼女はかなり不機嫌になり、一瞬危険を感じたが、なんとかK出さんに取り次いでくれた。
私の人徳だ。

K出さんも美人だった。
やや背が低く、色白の少し眠そうな表情は、私好みだ。
なので、少し照れながら云った。
「あの・・・『枯れ草を持つ少女』すごくいいですね」
「えっ?そうですか。ありがとうございます」
「是非、あの絵を売って欲しいのですが」
「えっ?私の絵をですか?」
「はい、是非」
「そんなに気に入っていただいたんなら・・・」
「本当ですか?!おいくらお支払いすればいいですか」
「いくらだなんて。カンバス代だけで結構ですよ」
のような、やり取りがあり、名画『枯れ草を持つ少女』は私の所有物となった。

『枯れ草を持つ少女』を見るたびに、ゴッホの『ひまわり』にウン十億円の価値なぞあるのだろうか、と素朴に思ってしまう。
私の一番好きな絵はミレーの『晩鐘』だが、あれだっていくら私が大金持ちでも、大金を払ってまで購入しようとは思わない。

しかしいま考えてみるとK出さんには悪いことをしたのかもしれない。
K出さんの言葉を額面どおり受け取って、カンバス代だけしか払わなかったのだから。
あの絵を見初(みそ)めたのが貧乏学生ではなく、良識ある社会人だったなら、かなり上乗せして払っていただろう。

ただ今の私は、今も貧乏なので、今でもカンバス代だけを払うだろうが。

2008年6月24日火曜日

I’m home!

犬と云うものは、家人が帰ってきても間違えて吠(ほ)えることがある。
今夜もそうだった。
私以外の家人には間違えて
「ワン!」
と、ひと吠えするくらいであるが、私には
「ワン!ウ~、ワン!ウ~ウ~ウ~」
と、唸(うな)り、ガラス戸の向こうの私の姿を捉えてからも、ひと吠え
「ワン!」
と、とどめを刺してくれる。
私が部屋に入ってやっと落ち着く。
まったくIQの低い犬である。

10年くらいも前の話であるが、皆でスキーに行った帰りに、車だったので、一緒に行っていた美女Sさんを家に送り届けた。
鵠沼のパン屋さんである。
店の中に入ろうとすると、そこで飼っている犬が異常に吠え付いてきた。
同行の会計士K嶋さんが
「よしよし」
と、云うとそこの犬は尻尾を振っている。
私も同じように
「よしよし」
と、云いながら近づくと、犬はいきなり臨戦態勢に入り、K嶋さんが横にいることも忘れて、ガウガウと歯を剥(む)き出しにしてくる。
Sさんは
「あらあら、いつも人懐っこいのにどうしちゃったのかしら」
と、驚いている。
明らかに私を敵だと思ったようだ。
あの犬も屹度(きつと)IQは、絶望的な数値だったに違いない。

笑顔が太陽のように輝く妙齢の美女Yさんが、今春大阪に旅行したときのこと。
彼女は、兎(と)に角(かく)人との交流が好きだと云う。
なので、そのへんに立っている人に話しかけて、よく話し込んでしまったとのこと。
素晴らしい人間愛に溢れる娘、Yさんなのである。
私には真似できない。
年を経るごとに、世俗から逃げようとしている自分に気づく。

“犬、犬好きを知る”と云う。
“猫、猫好きを知る”と云う。
そして“人、人好きを知る”のである。
嗚呼、私は隠遁(いんとん)したい。

それにしても、、、、、
我が家の犬の、あまりに執拗(しつよう)な吠え方で
「あっ、パパが帰ってきた」
と、家人が判断するのは一寸(ちよつと)考えものだ。

2008年6月23日月曜日

やばい

沖縄での徹底抗戦を終えた日が63年前の今日、とのことで日経コラム「春秋」は結んでいる。
書き出しはこうだ。
~那覇の国際通りには日本中の中高生が集まってくる。修学旅行で沖縄を訪れる本土の若者たちだ。お土産を物色し、アイスクリームを手にそぞろ歩き、じつに屈託がない。~

“物色”という言葉はこのようによく使われる。
三省堂「大辞林 第二版」によると確かに
(1)多くの人や物の中から適当なものを探し出すこと。「店内を―する」
(2)人相書きなどによって人を探すこと。
(3)物の色や形。自然の色や様子。
とある。
しかし私が高校生だった昭和50年頃はあまりこういう使われ方はされなかったように思う。
掏(す)りの上手い高校の先輩Fさんがいて、その友人たちはFさんのことを
「物色、物色」
と、囃(はや)し立てていたので、自宅に帰って辞書を引くと“盗むものをあれこれと探すこと”と書いていて納得した覚えがある。
だから新聞やテレビのニュースでも、“物色中の物音で通報され逮捕”のような使われ方が専(もっぱ)らだった気がする。
ネットで検索すると、確かに今もそういう使われ方が散見されるが、どうも分が悪い。

時代とともに、使われ方が変わってしまったのか。
“こだわり”という言葉が、本来は“固執する”に近い悪い意味であるのに、今では市民権を得たように。
“やばい”が、チンピラの悪事が発覚したときの決まり文句だったのに、若者の感嘆詞になったように。

気になって書斎にある古い辞書を引いてみた。
版は重ねられているが、最終版は1971年12月10日の、岩波の国語辞典だ。
その中でも“物色”の結果は、三省堂と同じだ。

言葉の意味は移ろうものだと書きたかったが、これでは私の脳みそが浮遊している、ということでしかない。

まじ、やばい。

2008年6月22日日曜日

藤原紀香

昨日新聞に入っていたUNIQLO(ユニクロ)のチラシに、通常2990円のズボンが1990円とあった。
コットンパンツで、ノーアイロン(アイロン不要の意味か?)とある。
昨今クールビズが定着してきたので、夏はこれでいいだろうと購入することにした。
スーツのズボンだけ穿(は)いていると、ズボンだけ痛んでかねがね勿体無いと思っていた。

大雨だったが、ジムの道具を携(たずさ)えて出発して、UNIQLOに立ち寄った。
品揃えや貼られているポスターを見ると、店の基本的スタンスとしては、私は招かれざる客だということは分かる。
しかし、そんなことも云っていられないご時世だろう。
ズボンのコーナーへ行く。
店にはドライパンツと書かれている。
ある時代からズボンのことが、パンツと呼ばれるようになったが、やはりパンツと聞くと下着だ。
ズボンのコーナーには、団塊世代くらいのおじさんが品定めをしている。
暫(しばら)く後ろで待つ。
やっと空いた。

求める品を探すのは面倒くさいので、店員に尋ねる。
「ウェスト75センチくらいで、濃い色のズボンはどこを探せばええんでしょう」
「このあたりですねぇ。この左の数字がウェストサイズで右の数字が股下のサイズです」
なるほど、分かりやすい。
選べる色は黒か紺やな。
黒はちょっとなぁ。
紺やな。
するとウェストは75やから・・・70、73、76、79、、、76cmを選べばいいのだな。
あとは股下か。
いつも股下は悩む。
一の位と小数点以下は“9.5cm”ということだけは覚えているのだが、十の位を忘れる。
69.5か79.5、、、どっちやったかなぁ。
陳列棚の前で店員のにーちゃん(兄ではない)に
「ちょっとメジャー貸してんか」
「あっ、一緒にお測りします」
「いっつも股下で決めると間違いないんですわ。69.5か79.5でいつも悩むんですわ」
「ええっと、多分、69.5ですねぇ、これは」
「あっ、そうでっか」
股下の品揃えは73、76、85とある。
ウェスト76、股下73のズボンを持って試着室に入る。
穿いてみる。
うん?丁度?いや、一寸(ちょっと)短いで。
慌てて脱いで、試着室から店員のにーちゃんを呼ぶ。
「やっぱり79.5かもしれん。もっと長いのん、持ってきてんか」
暫くすると股下85のやつを持ってきてくれた。
これをサイズ直しせなしゃあないな。
穿いてから店員のにーちゃんを呼ぶ。
「多分これでよろしいわ。サイズ直してもらおうと思いますんやけど、いっつも79.5にしてもろとんですけどねぇ」
「念のためにお測りしましょう。・・・79.5だと長すぎますね。ここでピンで留めて、ちょうどいいサイズに直されたほうがいいですよ」
「いやいや、昔からそうやって直すとたいがい短くなるんですわ。ほら、ベルトの位置もそのときの気分で違うでしょ」
「はい、ですが、69.5のほうがピッタリくると思いますが」
「いやいや、そんなとこで切ったら踝(くるぶし)まで見えてしまいますがな」
「ですが、どう見積もっても、75センチだと思いますが」
「うーん、ちなみに股下というのはどこからどこまでを云いますんや」
「はい、この裏の真ん中のところから裾(すそ)までです」
「ほーら、やっぱし。真ん中のとこからストンと落として測ったら確かに75cmかもしれんけど、私は79.5なんですわ」
「はい、分かりました・・・」

まったく最近のマニュアル店員にはこまったものである。
私は身長173cmなのだ。
スタイル抜群の私の股下が69.5だと身長に対する股下比率が40.2%になってしまうではないか。
79.5だと46.0%だ。
ちなみにモデルで公表されている数値での股下比率ランキングを下の方から見ると、米倉涼子が45.2%(勝った!)、長谷川京子が45.4%(勝った!)、蛯原友里47.6%(負けた!)、押切もえ49.1%(・・・)、山田優49.7%(・・)、一位は藤原紀香51.4!だ。

こうなると、私の測り方が間違っていたことが、話のオチになりそうだが、ジムに行った帰りにUNIQLOに寄り、サイズ直しをしたズボンを受け取り、自宅に持ち帰ってズボン吊りに吊るして他のズボンと並べてみて、私が正しかったことが証明された。
ただ、ここ数年、靴(くつ)を脱いで座敷に上がると、ズボンの裾を引きずっているような気がしないでもない。
加齢で身長は縮むと云うが、胴体と股下の比率が入れ替わるなんてこともあるのだろうか。

今日のジムでは、必死で股割りをして、柔軟体操も念入りにやり、ストレッチで足を拡げまくったことは云うまでもない。

2008年6月21日土曜日

Oh!No!

以前よく出張に行っていた関係で、ホテルから持ち帰った安全かみそりが溜まっている。
なので、ゆったりとした気分で入る土曜日のお風呂タイムには、たまに安全かみそりで髭(ひげ)を剃(そ)る。
今夜も剃ったのだが、顔に塗りつけたのがボディーソープと思っていたのだが、剃り終わってからシャンプーであることに気づいた。
まぁ全然問題なかったので、よしとした。

私が子供の頃、祖父はたまに間違えて、当時まだあった固形の洗濯石鹸で顔を洗っていた。
面(つら)の皮の厚い祖父も、さすがに顔が荒れるようで、クリームを塗っていた。
固形の洗濯石鹸は、必ず家にあって、汚れのひどいものは、塗りたくって洗濯板でゴシゴシと洗っていたものだ。
昭和40年代当時の洗濯機なぞ、クルクル水をかき回すだけの機械だったので、当時の主婦は少しばかり便利になっただけで、本当は固形の洗濯石鹸を信用していたのかもしれない。

昭和40年代後半だったか、我が家に餅つき機が登場した。
餅つき機が来ると云うので、子供心に興奮したが、その動きを見て驚いた。
餅つき機と云うから、臼(うす)と杵(きね)があって、モーターや歯車が駆動してペタンペタンとやるのかと思っていたら、大きなすり鉢のような器の真ん中に小さな羽根が付いていて、蒸したもち米をそこに入れると、グルグルと回転してかき混ぜるだけなのだ。
しかし、不思議とネバネバと混ぜ合わさって、餅になった。
それまでは、我が家では大きな石臼と、木であるが重い杵でついていたので、準備も大変だっただけに、その文明の利器の登場に一家で歓喜したものだった。
ところが、いきなり馬脚を現した。
硬くなった餅を焼いても膨らまないのだ。
確かに柔らかくはなるのだが、あの独特のプゥ~ッが失われてしまったのだ。
所詮はそんなものかということで、餅つき機はあくまでも“代用品”となった。

今も回りを見回すと代用品花盛りだ。
木の舟皿に盛られていたたこ焼きは、発泡スチロールのトレイに乗るようになった。
竹の皮で包まれていたおにぎりは、セロファンで包まれるようになった。
駅弁の美味しさを後押ししていた折箱は珍しくなってしまい、身近なところでは崎陽軒のシウマイ弁当くらいでしか楽しめなくなった。
多くのすし屋での玉子焼きも、なにやらプラスチック製のような画一的な、美味くもない黄色い物体になってしまった。
夏になると虫取りに行っていた子供たちは、それをテレビゲームの中でやるようになった。
山歩き川遊びなどの“冒険”も同じで、汗もかかない、虫にも刺されない、蜘蛛の巣が顔につかない代用品の世界での冒険だ。
ルミネ・ザ・よしもとで、生で演芸を楽しんだとき、テレビが代用品であることが分かった。
私が今夜飲んだKIRINの発泡酒『円熟』も、美味いことは美味いがビールの代用品だ。

人は徐々に徐々に代用品で満たされる“虚構”の世界に迷い込んでいるのかもしれない。
元を知っている人間はまだそれが“虚構”であることが分かるが、代用品で育つ世代のとってはそれが代用品ではなくオリジナルになる。
虚構ではなく、現実になるのだ。

そんなことを考えながら“現実”の世界であるリビングルームに入っていくと、細君がテレビを見ていた。
『オーラの泉』だ。

Oh!No!

2008年6月20日金曜日

暗くなるまで待って

おとなしく帰宅しようと思っていたら、後輩O君が囁(ささや)きかけてきた。
「ふくべでも、行きますか」

7時頃に『ふくべ』に着く。
さすがに混んでいたが、ほどなく席に案内される。
まずは、樽酒で乾杯。
いつものように、しめ鯖とぬた、そして今日は二人なので、烏賊(いか)焼きも注文する。
原油高の影響で烏賊釣船が漁を数日見合わせたそうだが、なんとか健在だ。
O君はいつものようにぐびぐびと飲み続ける。
私はマイペースで、好きな『梅錦』や『住吉』を燗(かん)で飲(や)る。
焼き物が混んでいるとのことで烏賊焼きがなかなか来ない。
塩らっきょうを、たのんでやり過ごす。
気持ちが良くなったところで、いつものゴールデンコースだ。
『珉珉』へ。

トイレに寄ってからO君に遅れて行くと、心得ていると云わんばかりに、麦酒と餃子2枚、ジンギスカンが発注済みだ。
あとは本能の命ずるまま5品頼んで、二人とも満腹で苦しんだ。
これでは餓鬼である。
閉店時間になり、店を追い出され東京駅に行きO君と別れる。
家で待っているだろうO君の細君は、オードリー・ヘップバーン似の美人だ。
羨ましい。

帰宅する。
二姫から、ケツアタック(お尻を私のお尻にぶつける技)を受ける。
体重が軽いのでそう痛くはない。
一姫が
「だめだなぁ、こうだよ」
と、云って思いっきりケツアタックをしてくる。
「うおっ」
首にまで衝撃が走った。
「分かった?これくらいやらないとパパには効かないんだよ。あー、でも私も痛かった」

3階のトイレに御叱呼をしに行く。
ドアを開けっ放しですると、クレームの嵐が吹き荒れるので、カチャッと締め切らない程度までドアを閉めた。
すると一姫が自分の部屋に行くために3階に上がってきた。
「ちょっとぉ!なんでドアちゃんと閉めないのよぉ」
「えっ?ああ、そうか。閉めてくれたまえ」
「やだよ。自分で閉めればいいでしょ」
「うーん、この階のトイレは広いから、手が届かない」
「そんな言い訳、聞きたくないよ」
「それに、便器から体を浮かせてドアを閉めると、いろんなリスクが伴う」
「もっと聞きたくないし」
「あー、リスクを犯してなんとか閉まった」
「じゃあねぇ」
バタン、と自室に入っていく音が聞こえた。

細君に見咎(みとが)められていたら、
「待って!」
と、頼んでも、電気を消されて真っ暗な中で御叱呼をすることになったかもしれない。
オードリー・ヘップバーンなら決してそんなことはしないだろう。

2008年6月19日木曜日

仮説思考

劇画『MASTER KEATON』勝浦北星作・浦沢直樹画(小学館)第三巻のCHAPTER1“屋根の下の巴里(パリ)”に中で、主人公キートンの恩師ユーリ・スコット先生の言葉が引用されている。
「考古学で一番大切なのは、直感に導かれた大胆な発想だよ」
おそらく何か原典があるのかもしれないと思って、検索エンジンで調べたがヒットしなかった。
原作者の創作だとすれば、感嘆に値する至言だと思う。
考古学に限らず、何事も直感に基づいて仮説を立て、それを手間ひまかけて検証する作業は愉しい。

時々、
「あの二人は怪しい」
と、直感することがある。
そうすると、不倫しているかもしれないという情報が耳に入ってくる。
そこで、あの二人は不倫している、と仮説を立てて観察する。

昔のテレビドラマなどで、マイクロフィルムや麻薬などを、雑踏の中や公衆電話のところで電話をかけるふりをして、スッと金と交換する場面がよくあった。
それなら、もっとましな場所があるんじゃないかと思ったものだが、不倫もそんな大胆かつ杜撰(ずさん)なサインがあるのでは、と仮説を立てて観察してみると、“クロ”であることが案外早く分かることがある。

例えば、オフィスでコピー機のところに被疑者A子が立ってコピー取りをしていたとする。
被疑者B男が、A子の後ろを通り過ぎるときにさりげなく体の一部に触れるのだ。
二人が“シロ”なら、当然A子は僅(わず)かでも何んらかの反応を示す筈(はず)である。
しかしながら、A子はB男が近づいてきたことは分かっていたので、触れられても全く反応を示すことなく、それをオフィス内の二人だけの挨拶と受け止めて、心の中で「フフッ」と笑うだけである。

このように仮説は大切だ。

2008年6月18日水曜日

千代田区千代田1番

ある地方紙の記者、今は東京支社の幹部と話したときのこと。
初対面にも拘(かかわ)らず、幹部氏は悪戯っぽい目で私を見ながら云った。
「私は、日本で一番有名な女性と飲んだことがあるのですよ」

日本一有名な女性?
はた、とこまった。
世界一有名な女性なら、オードリー・ヘップバーンやイングリッド・バーグマンなど、ある程度絞れるが、日本一有名となると、途端に困ってしまう。
夏目雅子か?山口百恵か?轟夕起子か?キャンディーズのミキちゃんか?大田黒久美さんか?瀬戸カトリーヌか?天気予報の市川寛子さんか?黛まどかさんか?オグシオの小椋久美子か?など、候補は枚挙(まいきょ)に遑(いとま)がない。

幹部氏は続けてヒントを出した。
「住まいは、千代田区千代田1番です。もう分かったでしょ?」

私は判らなかった。
幹部氏は、少し焦った。
普通ならここで
「あ!あ~っ!」
と、なるようであった。
が、私は自慢ではないが目配せなどに気づかず、腹芸が通じない。
また異常に勘が鈍い。

結局、幹部氏はかわいそうに自ら答えを云うしかなかった。
「美智子皇后ですよ」
ここで初めて
「あ!あ~っ!」
となった。
なんでも在京の記者の懇談会か何かの縁があり、そこに美智子皇后も来られたとの由。

皇后と云うが、私にとってはいつまでも妃殿下だ。
現在の皇太子は私と同学年なので、いつまでも浩宮様だ。
彼が、バスケット(携帯用の小物入れのような籐籠)を買ったとなると、同級生は一斉に買ったものだ。
彼の母である美智子妃殿下は、本当に美しかった。
戦後最高のスターと云われる所以(ゆえん)である。

『文藝春秋』7月号に特別寄稿として、“皇后美智子さまの告白”なる書き物が載っている。
ここ10年くらいの美智子様の苦労が垣間見える貴重な内容だ。
美智子皇后の講演録をもとに『橋をかける-子供時代の読書の思い出』が編まれたとのこと。
早速、発注した。
著者は、苗字がなく美智子とある。
なるほど、皇室に入ると苗字がなくなるのか、と妙なところで感心。

件(くだん)の幹部氏、一所懸命に当時の様子を話す。
屹度(きつと)彼の“持ちネタ”なのだろう。
「意外かもしれませんが、美智子皇后はけっこうお酒を飲むのですよ」
「あの日は焼酎でした」
「いろいろ苦労も多いみたいです」
「“お酒でも飲まないとやってられません”みたいなことも仰ってました(笑)」

なるほど、ますます親近感が湧くと云うものだ。
いつまでも、健やかで。

2008年6月17日火曜日

月日は百代の過客にして

『小学○年生』と云った、小学生向けの雑誌はまだ存在していると思うが、今でも投稿コーナーはあるのだろうか。
そんなコーナーへの投稿は、小学生らしい他愛もない内容のものが多く、小学生であったときでさえ、そう思って読んでいた。
そんな中で、なぜか思い出した二コマ漫画がある。

子供が新聞の上に乗っかっている。それを母が見つけた。
母「○○ちゃん、だめでしょ、新聞の上に乗ったりしちゃ」
子「えっ?だってママはいつも新聞に載るような人になりなさいって云ってるじゃない」

新聞に載ることが、ステイタスだった時代があったのである。
確かに今でも、新聞紙上で賞賛されることはままある。

しかし、いま
「新聞に載る」
と、聞いたら、“どっち”を連想するだろう。

言葉に限らず、それを伝える媒体でさえ、“風合い”が変わってしまうのが、時の流れというものである。

2008年6月16日月曜日

唯物論

一冊の本によって、もやもやしていたものが氷解することがある。
読書の醍醐味でもある。

予(かね)てより、違和感を抱いていたものの一つに、ペット愛好家の雰囲気がある。
特に大型犬をこれ見よがしに連れまわしている人間に、堅気(かたぎ)の気配は感じられない。
また中型犬や小型犬、また猫なぞを溺愛(できあい)している人も、私にとっては恐怖の対象でしかない。

『ずばり東京』開高健著(光文社文庫)は、活字がギッシリで、コラムニストの泉麻人氏の解説も入れると430ページの労作だ。
東京オリンピックの頃、昭和38年の東京の景色、風俗を見事な文章で綴っている。
深夜喫茶あり、多摩少年院あり、トルコ風呂ありの、云わば大人向け『三丁目の夕日』だ。

その中の一項“お犬さまの天国”の中に、冒頭の私の違和感を霧消させてくれる文章があった。
但し、以下はペットを愛する方には刺戟(しげき)が強すぎるので読まないでいただきたい。
あと、私を愛する方も、こんな文章に共感したことが判ると、私の好感度が下がるので読まないでいただきたい。

~私の漠然とした予感では、犬好きも猫好きも、どこか病むか傷ついているかという点では完全に一致しているのではないかと思う。どこか人まじわりのできない病巣を心に持つ人が犬や猫をかわいがるのではないかと思う。犬や猫をとおして人は結局のところ自分をいつくしんでいるのである。動物愛護協会のスローガンは、動物愛と人間愛を日なたのサイダーみたいに甘ったるく訴え、主張しているが、私は信じない。犬や猫に温かくて人間には冷たいという人間を何人となく見てきた。犬や猫に向う感情はとどのつまり自分に向けられているのであって、他者には流れてゆかないのではないかと思う。~

昔、ペットという言葉が人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)していなかった頃、人の家で存在する動物は、遍(あまね)く家畜と呼ばれていた。
今で云うペットも家畜であった。
いや、動物を愛玩するという奇妙な習慣が生まれるまでは、動物たちは家畜と云う名前で人間に囚われている事実をして、動物としてのアイデンティティをなんとか守っていた。
映画『猿の惑星』を観ても分かるように、我々は異種の支配下に置かれたくはない。
動物も同じであろう。
ペットとして愛玩されるくらいなら、ハッキリと、食われる、卵を産まされる、留守番をさせられる、などの苦役を課せられて、囚われている現実を直視できるようにしてやることが、彼らの種(しゅ)のプライドを尊重することになるだろう。

ここで私は考えた。
それならペットに限らず、唯物的な考え方も似たようなものではないかと。
モノに固執する人は、どこか病的だ。
開高氏の顰(ひそみ)に倣(なら)えば、モノに固執することも、自分かわいさ故(ゆえ)で、自己をモノに投影しているだけかもしれない。

我が家は、ローンがあと25年もあると云う事実からすれば、悲しいかな、私自身みたいなものである。
だから姫たちが、壁や床をぞんざいに扱ったりすると、ひぇ~っ!となる。

2008年6月15日日曜日

百年目

先日購入したCD『THE 米朝』には、DVDも付いていた。
その中の演目「百年目」を視聴した。
昭和57年4月16日放送、NHK『夜の指定席』より収録とある。
米朝57歳、脂が乗り切っている。
人間国宝なぞと云うが、そんなことは関係なく理屈抜きに面白い。
矢張(やは)り、落語は面白くてなんぼだ。
申し訳ないが、昨日聴いた柳家小三治さんでは、ピクリとも笑えなかった。
芸の差なのか、私が上方落語贔屓(びいき)なのか、そのあたりはよく分からないが、「百年目」は米朝師匠の代表作というだけあって、本当に面白かった。
DVDであるから、演じるさまが見えるのもよいのかもしれない。

噺(はなし)の中で、真面目で知られる番頭さんが実は遊び人で、屋形船で花見に繰り出す。
その様子の面白いこと面白いこと。
今年の3月下旬には、屋形船で夜桜見物と洒落込んで、それなりに面白かったが、「百年目」のように芸者衆や幇間(ほうかん)いわゆる太鼓持ちはいなかった。
美人も二人おり、日々幇間のごとく振る舞う輩は数名いたが、それを喜んでも詮無いこと。

小雪やハセキョーや天気予報の市川さんなどと乗船して、それを阪神・巨人や、島田紳助や、爆笑問題などが盛り上げてくれたら、究極の花見、至高の花見と云うものであろう。

それこそ、
「百年早い!」
と云われること必至だが。

2008年6月14日土曜日

中年三様

今日は休みにしては珍しく早起きした。
10時半だ。
テレビでニュースが流れている。
今朝8時43分頃、岩手と宮城で震度6強の地震。
大手損保に勤務、今は仙台に単身赴任の友人Sさんの携帯にすぐ電話した。
矢張(やは)り繋(つなが)がらない。
すぐ携帯で安否確認メイルを打電した。
ほどなく無事を知らせるメイルが。
よかった。
損保だけあって、すでに対策本部で忙しく対応中との由。
私はまだパジャマだ。
申し訳ない。
46歳にして最前線で働く姿は、想像しても逞(たくま)しい。

細君がいないので、パスタを茹(ゆ)でて、アラビアータソースをかけて食べる。
ブランチだ。
珈琲を飲みつつ、読売新聞と日経別刷りに目を通す。
ほどなく自宅の哲学堂に日経を持ち込み、日々のルーティーンに勤しむ。
やや急いで身支度をして、まめ(柴犬、♀)を1時半ころに連れ出す。
近くの公園で後輩S君がサッカーの試合をやっているとのことなので見物だ。
近くと云っても、走って10数分かかる。
試合は1時頃から2時頃までと云っていたので、少しあせる。
河川敷の方のフィールドに行くと、どうも年齢層が高いようだ。
違った。
体育館横のフィールドに行く。
暑い。
まめも、ヘェヘェと舌を出している。
いたいた、17番だ。
S君がチャンスボールに頭を合わせたが、外す。
そのあともゴール前の瞬間、ノーマークだったが、ドリブルで攻めるうちに二枚ディフェンスに入られてしまい決められず。
1-0で負けてノーサイド。
声を掛けた。
「終わりの方の、頭突きが惜しかったのぉ」
「えっ?ああ、ヘディングですね」
S君は格下のチームに負けたことを説明し
「不様(ぶざま)な試合をお見せしました」
と、云う。
そんなことはあるものか。
40歳を過ぎても、炎天下でサッカーに興じる。
その姿勢に脱帽だ。

帰宅する。
河原でまめは紋白蝶(もんしろちょう)を追い掛け回し、それに付き合ったのでかなり疲れた。
後輩I君がダビングして呉れた柳家小三治の『猫の災難』と『粗忽の釘』をベッドでうとうとしながら聴いた。
夕刻になり、夕刊を取りに行く。
葉書が。
あっ、小学校の同窓会の案内だ。
「尾崎小学校同窓会のご案内~さて昭和46年度に尾崎小学校を卒業してから37年目となり、幼かった私たちも、早や五十路を目前にしております。そこで、この度尾崎小学校6年生の3クラス合同の同窓会を下記の通り開催することとなりました。云々」
同窓会実行委員会会長にF本君の名前が記してある。
F本?・・・記憶がない。
返信葉書のあて先はM木君だ。
名前は覚えているが、顔が浮かばない。
会費、男性10000円、女性8000円とある。
高い。
しかし下手すると、今生(こんじょう)の別れになりかねない。
行かねばならぬ。

ふと自らの腕を眺める。

染みが目立ってきた。

紛れもなく中年だ。

2008年6月13日金曜日

尾崎小学校

ここ数日、心の中が騒がしい。
原因は明白で、月曜日に実家の母から聞いた電話の内容だ。

「あんたに伝えようと思とって忘れとったわ。小学校で一緒やったMクン憶えとるやろ?(忘れたが、話を合わせた)。あの子(と、云っても48歳か49歳である)から電話がかかってきてなぁ、盆に同窓会をやるから、あんたの住所教えて、って云われたから教えといたで」

神童だった私は、小学校を卒業すると皆とは別れて、私学の中高一貫の進学校(当時、今はそうでもないらしい)淳心学院に行ったので、小学校の同級生と再会することは半ば諦めていた。
なので36年振りの“朗報”に心が踊ったのだ。

これでも児童会長(いわゆる生徒会長)だった。
卒業式の答辞は、全員が分担して一節ずつ声に出していくのだが、
「春!希望の春!」
と、口火を切ったのは私だ。
過去の栄光である。

好きだったT島さんと再会できるかもしれない。
当時、T島さんは屹度(きつと)私のことを好きではなかったはずだ。
過去の蹉跌(さてつ)である。
そんな彼女も確実に48か49になっている。
恐ろしい。

すでに鬼籍に入った人も何人かいる。
悲しいことだ。

恩師のM藤先生も来てくれるだろうか。

高校の友人とは、まるで近所の親戚のように、しょっちゅう会っているが(と、云っても年に数回か)。

今年の盆は、帰省するつもりではなかったが。
そうもいくまい。

2008年6月12日木曜日

天は、我を・・・

今宵はWBC世界バンタム級王者長谷川穂積の6回目の防衛戦を観たいがために、わざわざ別オフィスに立ち寄った。
自分のデスクで、ゆるりとテレビ観戦できる環境にあるからだ。
見事な2ラウンドTKOを堪能して、帰途についた。
ああ、早く帰って疲れを癒そうと思っていると、ほーらきた。
駅の構内放送だ。
「ただいまぁ、横須賀線の横浜・保土ヶ谷間で異常を知らせる発信音がありましたぁ。しばらく東海道線も運転を見合わせまぁす」

一昨日には、三田から都営三田線に余裕を持って乗り、御成門で降りて用事のある愛宕MORIタワーでゆっくり“雲古”しようと思っていたら、ほーらきた。
珍しく電車が遅れて、結局あわてて愛宕MORIタワー1階のトイレに駆け込む。
ほーら、満室だ。
地下のトイレに駆け込む。
無事、“哲学堂”で用事を済ませ、ギリギリ会合に入る始末だ。

オフィスで珈琲を淹れて、さぁ飲もうとしたら、急な来客。
さぁ、生姜焼き定食ライス大盛りを食べるぞと構えた瞬間に携帯が鳴る。
かわいい女の子が
「今日は帰りたくないの」
と、目で訴えている(ように見える)と財布に軍資金が入っていない。(いつもだが)

天はいつも私を見放し、試練を与える。

天賦あるものの宿命なのか。

マーフィーの法則なら聞いたことがあるが、これでは“No Mercy(無慈悲)”だ。

2008年6月11日水曜日

柑橘類

銀座のある大手自動車メーカーに勤務する27歳、聡明な少年のような顔立ちの美女Dクンと八重洲北口の『寿司清』で会食した。
Dクンが私とのアイデンティティを語るとき、昔私から彼女を評するときに云った“感キツ類”と云う造語を憶えていて使って呉れた。
感受性が豊か、とは云うが、この場合は感受性が“キツい”のである。
説明しようとすると難しいが、要は気を回しすぎたり、人から云われたことを変に気にし過ぎたりして、損をするタイプである。
もともとは伝説のラジオ番組『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』から生まれた言葉だと思う。

今宵もDクンは、それなりに気を遣って疲れたかもしれないが、私にとっては相手が感キツ類だと分かっているので、いつもなら話していると妄想の世界に入って悶々とするところだが、ゆるりとした時間を過ごすことができた。
また通された席がカウンターであったので(カウンターを希望したのだが)顔を見たいときに見ることができて、しかも間近だ。

『B型 自分の説明書』Jamais Jamais(文芸社)を読んだ。
編集者氏によると自費出版の持ち込み企画で1000部刷っただけだったらしいが、あれよあれよと云う間に評判になり、なんと100万部を越えたらしい。
当然『A型 自分の説明書』『AB型 自分の説明書』と続刊を出し、『O型~』も企画中との由。

私はA型である。
よってB型の、特に男には天敵が多い。
しかし本書をパラパラめくると、、、
~「人にはそれぞれの意見がある」のは認めるけど、その意見は認めない。決して。~
~話が飛ぶ。のは「それまでの過程」を頭の中で考えてるから。自分の中ではつながってる。でもそれを人に説明するのはめんどくさいし、表現できない。~
~UFOキャッチャーが割と好き。でもハマると恐いから、近づかない。~
あれ?
これって。。。

人を血液型で括(くく)ることは、やはり難しいのかもしれない。
柑橘類(かんきつるい)など“果物”で直感的に括るほうが、分類としては正しい。

2008年6月10日火曜日

酔生夢死

外資系企業に勤務するNちゃんと、1月以来の再会をわが青春の街、横浜で果たした。
人生のキャリアビジョンを明確に描いている彼は、かねてより転職の活動をしていると云っていたが、次の活躍の場が決まったとの由。
本当におめでとう。

しかし励ますつもりが、いつもインスパイアされてしまう。

“酔生夢死”と云う言葉がある。
酔ったように生きて、夢のように死ぬ。
これ、まさに私の理想だ。

今宵もその理想に近づくがごとく、生涯の飲み友達の一人と過ごすことができた私は果報者である。

毎度のことだが、明日のことなぞ気にして飲んでいては女の子にもてないよ、と叱られる。
ところが、転職も決まって、昨日社内でもみな知るところとなったNちゃんは、明日は有給を取っていると云う。

2008年6月9日月曜日

寿司食いねぇ

ある立食パーティーに出席した。
乾杯の前に、一通り見回ったが料理が少ない。
とりあえず、トマトソースのピラフに狙いを定めておいた。
ピラフを小さな取り皿に大盛りにして、マカロニサラダも野菜を多めに入れて盛った。
急いで食べる。
串揚げも視界に入ったからだ。
あっ!
見る見るうちに串揚げがなくなった。

しばらくすると、なんとソース焼きソバが運ばれてきた。
あっ!
見る見るうちに減っていく。
あせって皿に近づく。
後輩Kがニコニコしながら、焼きソバの大皿の傍(そば)の人間に話しかけて巧妙に割り込んだ。
虚を衝かれた形だ。
列があることに気づき、急がば回れで4番目に並んだ。
先輩I氏が近づいてきた。
嫌な予感が的中した。
彼は手前のサラダを盛るふりをして、少しだけサラダを盛って、焼きソバをさらっていった。
やっと私の順番がきたが、もう残り少ない。
少ししかないキャベツも掻(か)き集めて、麺を盛る。
一人後ろの後輩Yクンが言う。
「取り過ぎですよ」
聞こえない振りをして、大皿から離れて食べ始めた。

これではまるで、猿山の猿がエサをゲットしたみたいなものである。
このように私は遠慮深いので、ストレスが溜まる。
このままストレスを溜めては健康によくないと思い、まだ誰も手をつけていなさそうなフルーツの盛り合わせに行った。
あっ!
私に意地悪するように、誰かが盛り始めた。
イライラするが、紳士の私は凝(じつ)と待つ。
そして、人が好みそうな黄桃やパインを中心に大盛りにして、そこから離れて食べ始めた。
果物を食べていよいよ猿である。

あっ!
新たな焼きソバが運ばれてきた!
急いでフルーツを嚥下(えんか)して、焼きソバを大盛りにして、くやしいのでローストビーフに添えてあった貝割れ大根とプチトマトも盛った。
これで豪華な焼きソバ、サラダ添えの出来上がりだ。

立食パーティーは苦手だ。

あっ!
寿司がなかったなぁ。

2008年6月8日日曜日

蟻の隊列

秋葉原で悲惨な事件が報じられている。
わけのわからん男が、トラックで歩行者天国に突っ込み、おまけにサバイバルナイフを振り回して、7人を殺(あや)めたとのこと。
このような凶悪な事件は、心から憎まなければならないのだけれど、麻痺している自分に驚く。
どこか遠くの国の出来事のような気がするし、あるいは日常茶飯事で驚くこともないのかとも思う。

30数年前のことだったと思うが、大学生が強盗をやって大騒ぎになった。
当時の大学生は、それくらい世間から認められていた。
高石ともやの1968年の大ヒット曲『受験生ブルース』を、“そんなに苦労して大学生になりたいか”という意味を込めて、高石は少しアレンジして“強盗やってる大学生♪”と挿入して大喝采を受けた。

その後、警察官が犯罪に手を染めたといっては大々的に報じられ、やがて医者、弁護士、公認会計士と、まさに犯罪者の職種に聖域がなくなっていった。
昔は尊属殺人と云って、両親や祖父母などを殺害することは、通常の殺人よりも罪が重くなっていたが、1973年に違憲判決が出てその“垣根”はなくなった。
誰が誰に何をしようと、平板になってしまった。
際立たなくなってしまった。

蟻(あり)の隊列を踏み潰すと大騒ぎになる。
しかしそれは束の間で、生き残った蟻は、あとは何事もなかったように、餌(えさ)を運ぶ隊列を取り戻す。

内戦の続く国も蟻の王国も、現象面ではさほど変わらないかもしれない。

とすれば、日本は内戦状態なのか。

知らず知らずのうちに。

概(おおむ)ね平穏な日常なのに。

2008年6月7日土曜日

地獄八景亡者戯

先日購入した、桂米朝『THE米朝』の“地獄八景亡者戯”(平成2年4月22日『京都府立文化芸術会館』にて収録)を聴いた。
30年ほど前に初めてラジオで聞いて、面白い噺(はなし)やな、と思っていたので感慨も一入(ひとしお)である。
枕(まくら)で米朝師匠が
「この噺は100年以上続いてる古い噺で」
と、云うだけあって、なかなかに手が込んでいる内容である。
しかも68分と、長い。

戸惑ったのは、アレンジしやすい噺だけに、時事ネタが所々に盛り込まれていることだ。
「あぁ、そういえばそんなこともあったなぁ」
と、思うこともあれば
「あれっ、そんなこともあったような気がするけど忘れたなぁ」
と、記憶が怪しい場合もある。
これは少々辛い。
矢張(やは)りこの手の演目は生で聴くのが一番か。

噺の性質上、三途(さんず)の川が主な舞台だ。
三途の川の渡し舟の船頭は鬼である。
亡者と鬼との掛け合いは特に面白い。

今ならこんな掛け合いもありかも。
「なぁ鬼さんや、あっちの渡し舟はえらい勢いでこの船を抜いていったけど、なんぞ特別の船か?」
「いやいや、特段なんてことはない船や。ただな、あの船の裏っかわにはちょっとした細工が施(ほどこ)してあるんや。見てみ、あの胴体になんて書いてある?」
「えぇ?胴体でっか?はぁ?スピード社?ああ!あの水着の生地を貼り付けてあるんですな。どうりで!」

おあとは、よろしいようで。

2008年6月6日金曜日

「帰りたくない」

今宵は、ある経済団体の嘱託職員で熟女のMさんとご一緒させていただいた。
Mさんの飲み友達と云えば、定番は大手出版社の経営者や大手企業幹部なので、私は“異色”だ。
6時半に神田『ひさご』へ。
この店はMさんが何度か利用したことがある店とのことで、誰かの紹介がないとなかなか行けない。
会員制で入れてもらえない、なんてことはなく、なかなか辿(たど)りつけない路地裏にある。
今宵のMさんも少し迷ったくらいだ。
私から、以前から一度連れて行ってほしいとMさんにお願いしていて、やっと実現した。

Mさんが云っていた通り、、、目立たない。
そして狭い店内。
飾りっ気がない。
品書きは、殆どが魚、そして数品の玉子焼きや天豆(そらまめ)などの簡単なお惣菜。
麦酒をいただき、すぐに熱燗に進む。
天豆が美味い。
カンパチが美味い。
ホッケが美味い。

Mさんは日本の社史研究の第一人者でもある。
そして1966年から高度経済成長時代の真っ只中で、経済団体という立場上、多くの大企業の経営者を間近に、それも女性であることがむしろ幸いして阿(おもね)ることなく職務を全うしてきたので、コメントは辛口で、飽きない。
社史論はもちろん、世に出ている書籍に関する話や、作家論など、互いに話は尽きない。
あっ、という間に10時半だ。

「あ~あ、家に帰りたくないな」
Mさんが悪戯っぽく笑う。
「これ云うと、こないだ一緒に飲みに行った経営者もあせるんですよね。でも、私の部屋はリフォーム中なので、本当に狭くって、帰りたくないんですよ(笑)」
外に出る。
Mさんは、大手町から地下鉄で帰られるとのこと。
私は神田駅へ向かう。
急に空腹を覚えた。
九州ラーメンの看板が見えた。
ビールとラーメンを注文した。

2008年6月5日木曜日

娘との対話

帰宅して3階の寝室に向かう。
スーツを脱ぐためだ。
一姫がついてきた。
一姫は高校三年生である。

一姫はニヤリと笑い、私のセミダブルのベッドに横たわる。
そして、私のフカフカの羽毛布団の上をローラーのように転がり、ペタンコにしていく。
「やめ給(たま)へ」
私が云うと、一姫は徐(おもむろ)に首だけ起こして云う。
「ねぇねぇ、あのさ。パパのことを外では“あのクソオジジ”と云って、家に帰ると一言も口をきかないのと、外では“あのクソオジジ”と云って、家に帰るとこうやってかまってあげるのと、どっちがいい?」
「前提条件、おんなじやん!」
お約束のように突っ込んで、私は踵(きびす)を返し、寝室から廊下に出て洗面台で手を洗い始めた。

一姫がついてくる。
「ねぇねぇ、パパ、パパ~。私って学校で男前って云われんだよね。ほら、髪切ったからさぁ」
「ふーん」
「へへへ、いいでしょう。男前って云われてんだよ。フェミニストになっちゃおうかな。」
「フェミニズムと云うのは、女性が経済的、社会的に自立することを支持することなのだよ。そう考える人がフェミニストなのだから、女のままでもフェミニストにはなれるのだが」
「だからさぁ、女の子にやさしくしてさ。かっこういいよね、そういうの」
「けど、君は女の子じゃないかね」
「いいじゃん、男前って云われてんだから」
「髪の毛のせいでしょ。いっそのこと、もっとカチッと固めてしまえばどうかね」
「そんなの、オッサンじゃん」
「そんなことあるものか。一寸(ちょっと)待って」
と、云って書斎から本を持ち出し、藤山寛美の写真を見せた。
松竹新喜劇『親バカ子バカ』に、あほなボンボン役で出て、ポマードで髪を七三にカチッと分けている写真だ。

一姫は
「もう、気分が悪い。実家に帰らせていただきます!」
と、云って自分の部屋に入っていった。

「(実家は)ここやんけ!」
との、突っ込みは、一姫が閉めるドアにぶつかった。

2008年6月4日水曜日

taspoがないと

「taspo(タスポ)がないと、○えなくなります」
駅の喫煙コーナーで看板が見えた。
○の部分は、タバコを吸っている人の手で隠れて見えなかった。
全国で順次導入しているが、タバコの自販機でこの成人識別カードがないと購入できないという、日本オリジナルの“ジョーク”だ。
最初、「taspo(タスポ)がないと、吸えなくなります」か?!と思った。
そうか!
JTも思い切ったものだ。
タバコ一本一本にマイクロチップを入れて、taspoをフィルターのところにかざさないと火がつかなくなるか、吸い口の窓が開かなくなるようシステムを開発したのか、と思った。
もしそうだとしても、やはり実効性のないことに、変わりないが。

最近のtaspo騒動は微笑ましくもある。
今日もニュースで流れていたが、どこかの街で、自販機にその店の人のtaspoをぶら下げていて、当局から叱られたとの由。
その店によるとtaspoを導入してから、店の自販機の売上が8割落ちたから、お客さんのためにやったとのこと。
店の立場になれば、8割も落ちたら、そう「工夫」するのも当たり前かもしれない。
手段が安直だっただけで。

それよりなぜ自販機をそれほど目の敵にするのだろう。
そろそろ悪いジョークだと気づかないといけない。
今の世の中、一歩外に出ればコンビニがあるのだ。
仮にコンビニがないような田舎でも、田舎の学生は至って真面目だ。
心配ない。
山火事を起こしたら、どんなに大変か彼らは知っている。

「taspo(タスポ)がないと、買えなくなります」
・・・なるほど。
新たなカードが検討されているとの情報を入手した!
「タポタポ(メタボじゃないことを証明するカード)がないと、ラーメンに背油を入れられなくなります」
「オタポ(オタクじゃないと証明するカード)がないと、当○○女子学園の学園祭には入場できなくなります」
「タノムヨ(便意を催しただけじゃなく珈琲も好きなことを証明するカード)がないと、当スタバでトイレを探してうろつけなくなります」
「テブラン(手鏡を持っていないと証明するカード)がないと、エスカレーターに乗れなくなります」
「チラミン(サングラスをかけるのが水着の女の子を見るためじゃないと証明するカード)がないと、葉山海岸ではサングラスで散歩できなくなります」
「ダボハゼン(妻帯者じゃないと証明するカード)がないと、似つかわしくない美人と当レストランには入店できなくなります」

2008年6月3日火曜日

三角窓

浪速のモーツァルトことキダ・タローが、朝日放送(大阪)でやっていたラジオ番組『フレッシュ9時半!キダ・タローです』(1973年6月~1989年3月)は面白かった。

その番組の中で、車の三角窓を壊す話が印象に残っている。
昔は殆(ほとん)どどんな車にも、前の席の窓には小さな三角窓が付いていた。
構造上、上下に開閉する窓を作るには、長方形のガラスしか無理だったようで、前方の流線型部分を補うために、内側から手で開閉できる小さな三角窓が付いていた。

キダ氏は密かに狙っていたという。
キーを付けたままロックしてしまうと、JAFなどまだ普及していなかったから、急いでいたら三角窓を割って「被害」を最小にしてドアを開けることがあった。
その窓割りの役割を担うことを密かに待っていたとのこと。

一度、親戚の人がキーを付けたままロックしてしまい、こっそりほくそ笑(え)んだが、少し窓が開いていて、窓を下げることが出来てしまい、キダ氏は、内心悔しがりながらも
「よかったねぇ」
と、言ったとのこと。

そして、やっとこさ
「完全に無理!」
という場面に遭遇したらしい。
車を持つ者は自分の車の窓を割ることは忍びない。
そこにつけこんでキダ氏はその役割を買って出て、嬉々として三角窓を割ったという。

人の生き死に関係ない、ちょっとした人の不幸は愉しい(という説がある。私が云っているわけではない。と、いうことにしておこう。)。

帰宅するときには、品川から通勤快速をよく利用する。
この電車は東京発、小田原行きで、東京を出て新橋と品川に停車すると、大船まで止まらない。
川崎、戸塚、横浜には止まらないので早くて、しかもあまり混まないという、有り難い電車だ。
品川で乗るときに、慌てて乗ってきたり、お喋りに夢中になっていたり、ウォークマンでガンガン音楽を聴きながら乗ってくる輩(やから)が、危ない。
川崎を過ぎて横浜を過ぎるあたりで、だいたい“正体”が分かる。
表情は明らかに
「やっちゃったぁ・・・」
である。
そして大きな溜息をつく。

ある者は、網棚から荷物を降ろす。
電車から降りられるわけでもないのに。
ある者は、携帯のメールを打ち始める。
待ち合わせに遅れることを告げるのだろう。
ある者は、近くの人に大船到着の時刻を尋ねる。
そして途方に暮れる。

洒落(しゃれ)にならないような遅刻はかわいそうだが、通勤快速でこの“図”は、たまに見ることができる。

いやいや、私はキダ・タローのようにずっと密かに狙ってなんかいない。

人の不幸を願うと、いつか必ず自分に返ってくるものだから。

だから、電車で乗り過ごしたことは3回しかない。

ほら、計算が合っている。

2008年6月2日月曜日

冬の色

まだ本調子ではないので、早めに帰宅した。
細君と二姫が夕餉(ゆうげ)を食べようとしていた。
私は、正露丸を飲んだ。

「ちょっと、食事してんのに正露丸なんて飲まないでよ」
と、細君。
「くさっ!臭ってきた」
と、二姫。
「うわっ、本格的に臭ってきたっ!」
と、二姫。
「なんで廊下で飲まないのよっ」
と細君。
「なんでわざわざ薬を廊下で飲む必要があるのかね。私は病人なんだが」
と、私。
「なに言ってんのよ。昨日は自分でも、臭い臭いって、言ってたじゃないの」
と、細君。
「ええ~っ!それなのに、ここで飲んだの?」
と、二姫。
「いや、まさか臭うとは思わなかったから」
と、私。
「昨日、臭ってなんで今日は臭わないのよ?」
と、細君。
「いや、なんか今日は臭わないような気がして」
と、私。
「昨日と今日の正露丸は違うって言うの?」
と、細君。
「いや、正露丸が違うわけではなく、飲み方が・・・」
と、私。
「あー、言い訳なんて聞きたくない!」
と、細君。
「いや、だから、今日は息を吸いながら正露丸を・・・」
と、私。
「だから、もうその話はやめて!」
と、細君。
「あー、もう本当に臭いんだから」
と、細君。
「あれっ、もうその話はやめるのではなかったのかね?」
と、私。
「だから、言い訳をやめてって言ったの!」
と、細君。

山口百恵の名曲に『冬の色』がある。
2番の最初のフレーズが大好きだ。
~あなたからいただいたお手紙の中に、さりげない愛情が感じられました~
高校時代にシングルレコードを買い、繰り返し聞いた覚えがある。

今日、大好きなKさんからいただいたお見舞いメイルの中に、さりげない愛情が感じられた。

2008年6月1日日曜日

ラウンドガール

不覚にも体調を崩してしまった。
矢張り年甲斐もなく夜遊びが過ぎたか。
お腹を壊し、食べることが好きな私が、土日と殆ど食べることができず、辛い週末だ。
おまけに今日は天気がいい。
なんてことだ。

体はフラフラするが、それでも頑張って外出した。
約束の3時、T氏と茅ヶ崎駅で落ち合った。
とりあえずスタバに入る。
2年前から牛乳はやめたが、ラテくらい飲もう。
砂糖もしっかり入れて糖分補給だ。
ホットパンツのおねーさんも見て目の保養だ。

3時半になり茅ヶ崎市総合体育館へ。
今日は、第19回青少年育成湘南ボクシング“Shonan Boxing”だ。
4回戦4試合とMain Eventは、ピストン堀口道場の鈴木典史選手(日本ミドル級2位)の10回戦である。
せっかくリングサイドを購入したので、気合で試合観戦だ。

4回戦の4試合目は贔屓(ひいき)にしている(と云ってもご祝儀を渡すわけでもない)阿部選手の試合。
阿部選手は本当に礼儀正しい気持ちのいい青年だ。
サウスポー相手に少し戦い辛そうだったが、2-0の判定で勝利した。

鈴木選手は7回TKO勝ち。
途中ボディにいいのをもらいヒヤッとしたが、最後はミドル級らしい迫力あるパンチでフィニッシュ、相手選手を担架で送り出した。

ボクシングの試合を観てアドレナリンを出せば元気になるかと思ったが甘かった。
だるい。
ラウンドガールを見ても
「あぁ、実物はパンフレットの写真よりも幼いのね・・・」
としか思わなかった。
年のせいなのか???
体調のせいだと信じたい。

2008年5月31日土曜日

別世界

『仕事は5年でやめなさい。』松田公太著(サンマーク出版)を読了した。
松田氏の肩書きは、タリーズコーヒー インターナショナル会長・クイズノス アジアパシフィック社長とあり、本の帯には“タリーズコーヒーをたったひとりで日本に根付かせたあの伝説の経営者が、初めて明かす仕事術。”とある。
1968年生まれとあるから、バリバリのベンチャー経営者だ。

編集者氏によると、著者は脱稿してからも完成度にこだわり、表紙の写真にも一家言あったとのことで、口には出さないが上梓されるまでには人知れぬ苦労があったようだ。
多くの経営者を見ていて思うが、雑誌やテレビで紹介されているイメージと現実のいかに違うことか。
生半可な気持ちでは、会社経営は出来ないのである。
たまにビジネス誌で“会社を潰す経営者のタイプ”のような企画があり、「社長室を豪華にする」「社用車は外車」「豪遊するようになる」などがいつも挙げられるが、間違いなく私は会社を潰すタイプだ。
私が社長になって会社を潰したら、屹度(きつと)この項目に「美人秘書を雇う」「美人秘書をもう一人雇う」「美人秘書を念のためもう一人雇う」など、新たなカテゴリーを提供することになるだろう。

長嶋茂雄氏のバッティング理論は、参考にならないと云われる。
「球が来たらね、バッ!と振るんですよぉ」
など、凡人には分からない世界だ。
本書も所謂(いわゆる)そんな世界が満載である。
「苦労こそ仕事の糧(かて)だ」
「人生を切り拓け」
「残された時間は少ない」

生来の怠け者にとっては、やはり、、、別世界だ。

2008年5月30日金曜日

What the Dickens!

Newsweek2008-4・9号のコラムTOKYO EYEに“Hidden Tastes Exposed もう世界に隠せない居酒屋で味わう隠し味”と題してMark Robinson(マーク・ロビンソン)氏が、都内の居酒屋2軒を紹介していた。
そのうちの1軒、恵比寿の『さいき』にお邪魔してきた。
相手は、殿方から惜しまれながらも人妻になってしまったが、変わらずS出版で良書を生み出す宮崎美人の編集者Hさん。
昨年の12月5日以来、久しぶりの再会だ。

入店すると、ネットに書かれていた通り
「いらっしゃいませ」
ではなく
「おかえりなさい」
と云われる。
席について飲み物を注文すると、ネットに書かれていた通り、お通しが3品供される。
今夜は、アスパラを湯がいたものにマヨネーズドレッシングがかかったものと、烏賊(いか)を炊いたものにおろした生姜が添えられたもの、それにお造りは湯引きした鯛が一切れと烏賊だ。
まぁまぁいける。
ネットに書かれていた通りの凍結酒を注文して飲んだ。
以前、古酒を凍結させたものを飲んだときは感動したものだが、こちらは普通の酒を凍結させたものなので、単に普通の酒の味だ。

それにしても、ネットに書かれていた通り、常連のための店だ。
一見さんが冷遇されるという意味ではなく、常連がこの店をなにやら拠り所にしているような雰囲気で、“家庭は大丈夫か?”“仕事は大丈夫か?”と心配したくなる。
余計なお世話か。
常連が入店し、退店するたびに
「おかえりなさい」
「行ってらっしゃい」
と店主や店員が声を掛ける。
聞いているうちに、店の外にトイレがあって、そこに出入りしているように思えてきた。
大きなお世話か。

9時過ぎになって河岸(かし)を変えたくなった。
Hさんに
「ギネスの美味い店があるのでいかがですか」
と云ったら快諾して呉れたので2軒目へ。
おそらく6、7年振りになる『What the Dickens!』へ。
相変わらず混んでいた。
そしてこの非日常空間が愉しい。
この店ではタバコが煙いとか云ってられない。
ロックの生演奏が響き渡る。
ギネスが美味い。

あっ!
いかん!
一寸(ちょっと)ロマンチックだ。
下心と云うものは、男たるもの常に携行していなければならないが、この店の選択にあたっては、それは意図していなかったので、複雑な気持ちになる。
などと勝手な妄想を抱きつつ、11時が過ぎたので退店。

Hさんは、遅くまで働いている旦那さんと待ち合わせるとのことで、反対方向の電車に乗って行った。
後ろ姿を見送った。

2008年5月29日木曜日

青葉繁れる

帰りの電車でのこと、珍しく普通の女性が私の傍(そば)に立った。
“珍しく”と書いたが、そういうことが珍しいからだ。
なぜか女性、特に若い女性、特に美人は、私を敬遠するようなポジションに立つことが多いように思えてならない。

井上ひさし氏の大傑作『青葉繁れる』(文春文庫)の冒頭にこんな件(くだり)がある。
主人公の稔が朝登校するときに、近くの女子高生に妄想を抱きながら、
~にやりと笑いかけた。女子高生は目にはっきりと敵意をあらわして稔を睨(にら)みつけながら通り過ぎて行ってしまった。無論どんなに冷(ひや)やかで厳しい拒絶が撥(は)ね返って来ても、未来妄想劇の相手役は後から後から陸続(りくぞく)とやってくるのだから、稔はいささかもこたえない。~
笑ってしまった。
こういう考えが許される?ことを知って、意味もなく安堵して、名文だ!と思った。

件(くだん)の美人は週刊ダイヤモンドを読み始めた。
朝、日経を読む女性は増えてきたが、帰りに週刊ダイヤモンドのような経済誌を読む女性はなぜか魅力的だ。
左手薬指には結婚指輪。
落ち着いているわけである。
ふと鼻腔をくすぐる官能的な香りが。
あっ!
某大手新聞社のやり手の美人記者、Tさんのコロンと同じではないか。
Tさんも結婚している。
帰りの電車では、経済誌など読むだろう。
よって、この女性もマスコミ人に違いない。
屹度(きつと)敏腕記者だ。
など、この程度の妄想は愉しい。

サザエさんに出てくる登場人物、そこまで遡(さかのぼ)らなくても、赤塚不二夫さんの『おそまつくん』や『天才バカボン』に出てくる人も、外見だけで職業が分かるように描かれていた。
例えば、魚屋さん、八百屋さん、植木屋さん、作家先生、警察官、どろぼうなど。
それも昔の漫画の、特徴のひとつだ。
最近は漫画の世界だけでなく、現実でも外見だけで職業や人柄を判断するのが困難になってきた。
そのスジの人がゴルフに来ているのかと思ったら、本物の坊主だったりする。

とはいえ、身に纏(まと)っているコロンも、案外、職種によって好みが収斂(しゅうれん)するのかもしれない。
まぁ、今日の“ダイヤモンド美人”がマスコミ人とは限らないのだが。
こんなことまで妄想してしまうから、美女が寄りつかなくなるのだ。

えっ?
違う?
視線がいやらしいから?

2008年5月28日水曜日

ワンイヤールール

私は賭事や株式投資を基本的にやらない。
先を見通す力が皆無だからだ。
昔から女性と付き合ったりするといつも
「この女性とは、きっと何十年も続く」
と、確信するのだが、たいてい一年で愛想を尽かされる。

まるで企業会計原則のワンイヤールールのようなものだ。
一年以内に、恋は見事に“流動性”を発揮して、スピンアウトしてしまう。
あるいは、女性にとって私の耐用年数は一年、と会計法規集で定められているのかもしれない。

とにかく、バクチや株に手を出さないのは、冷静で冷徹な自己分析の賜物だ。

ただ、今もってわりと簡単に女の子を好きになるのは、先を見通す力が皆無であるからに他ならない。

2008年5月27日火曜日

裁判員制度

たまにテレビで聞いたり、新聞や雑誌などのコラムで読むコメントにこう云うのがある。
「もう時効だから云うけど・・・」
この本人は、本当に時効の到来を六法全書や裁判の判例集などでちゃんと調べてから云っているのだろうか。
柿を盗んだとか、海外の旅先でつい禁を破ってなど、たいてい他愛もないことが多いが、もしその事実が立証され、時効が到来していなければ、それは立派な自白だ。

また
「もう時効だから、告白するが」
なぞと、昔の“火遊び”など、したり顔でゆめゆめ口外してはならない。
世の細君には時効なぞ法律論が通じるはずもなく、成文法ではなく山の神たちの定めた勝手な慣習法によって終身刑が下される。

一般人まで裁判に駆り出される裁判新制度が来年5月21日にスタートするということで、法務省なぞのPRが喧(かまびす)しいが、刑法を知ったような顔をして
「もう時効だから」
なぞ、生兵法(なまびょうほう)は大怪我(おおけが)のもとなのである。

2008年5月26日月曜日

変身

今日、道を歩いていて不思議な感覚に陥った。
これは初めてではない。
むしろ何度もある。
それは、歩いていて何故前に進むのだろう、という疑問が湧くのである。
右足を着地する。
右足は地面に着いている。
右足は地面で止まっている。
今度は左足を着地する。
左足も地面に着いて止まっている。
しかし、上に乗っかっている体は前に動いていく。
足は、瞬間は止まっているにも関わらず。

申し訳ない。
もう少し分かりやすく解説する。
ブルドーザーや戦車。
あれはたいていキャタピラで動くようになっている。
キャタピラを見ると、駆動輪は確かに回っているが、地面に着いている部分はハッキリと止まっている。
しかし上に乗っかっているボディーは前へ前へと進んでいく。

足も、キャタピラもズルズルと滑っているのなら、上に乗っかったものが前へ進むのは理屈が分かる。
しかし、地面に接している部分は止まっているのである。
なのになぜその上にある部分が移動していくのか、分からない。
そんな不思議な感覚に時々陥る。

基本的には違う話だが、感覚としては同じような種類に、駅のホームに滑り込んできた電車の中の景色がある。
ボーッと見ていると、瞬間ストップモーションのように中の様子が見える時がある。
しかしどんなに頑張って目で追おうとしても、速すぎて絶対に見えない。
決まってボーッとしているときに、時々起こる不思議な現象だ。

これに関してヒントになりそうな話を本で読んだことがある。
『進化しすぎた脳 中高生と語る〈大脳生理学〉の最前線』池谷裕二著(講談社)に書いていたと思うが、人間は死に直面したとき、例えば事故に遭って車が横転する瞬間、風景がスローモーションのように見えて、今までの出来事が走馬灯のように見えると云う。
これは決して不思議なことではなく、脳生理学的には説明のつく話との由。
つまり人間は生命危機に晒(さら)されると、聴覚や視覚は働くことを止め、脳神経がフル稼働するのだということが書いてあったように思う。
随意筋で目玉を動かして景色を見るのではなく、視神経で捉えた景色を脳が直接画像処理するのである。
そして走馬灯の話は、脳の深層に封印していた記憶を、呼び覚ました結果だとも。
非常に興味深い話であった。

私の脳は極めて原始的な働きを、たかが駅のホームで果たすようである。
人類(ホモサピエンス)が生まれてせいぜい20万年。
それから今の私まで、サルが雲梯(うんてい)をするように、間違いなくどの瞬間も途切れることなく祖先が繋(つな)がって私に至った。
そして私はいまこの地球に留まっている。
20万年前からしたら、恐ろしいほどのスピードで歴史が動いてきたにも関わらず。

もっと遡(さかのぼ)れば、地球誕生の46億円年前は、私はおそらく塵(ちり)のような存在だったはずだ。
それから何か奇跡があって、アミノ酸みたいなものに変身したに違いない。
それからはミジンコのようになり、三葉虫くらいまで進化した時代もあっただろう。
三葉虫が、私になったとしたらカフカもびっくりである。

矢張(やは)り私と云う存在が偉大であることが、この一事でもよく分かる。

2008年5月25日日曜日

泣ける話

琴欧州が夏場所を制して初優勝した。
見た目も格好いいのだが、あの物腰の柔らかさが好きで、こっそりと応援していたので気分がいい。
恩師でもある先代の琴桜の肖像画に毎朝手を合わせていたという。
この手の逸話は大好きで、泣けてくる話だ。

高校時代、通学電車で一年先輩のS田さんが
「あの娘(こ)、琴桜に似てるやろ」
と云った。
私が以前からかわいいと思っていた娘である。
しかし、そう云われると確かに似ている。
美人と琴桜は紙一重という真実を知った瞬間だ。

最近、仕事で一緒になったある女性。
彼女は水戸泉に似ている。
しかし彼女は自分では小雪に似ていると云う。
そう云われると小雪と水戸泉は、似てなくもなくもないかもしれなくもない。
認めたくないが。。。
泣けてくる話だ。

2008年5月24日土曜日

春夏秋冬

昔、武田鉄矢さんだったか、インドに行ったときの話をテレビでしていた。
電車には冷房がなく、蒸し風呂のよう。
しかし誰も窓を開けようとしない。
窓を開けたらどうなるか。
外の熱風が吹き込んできて、大変なことになるからとのこと。
みな、凝(じつ)と目を閉じて黙っている。
インドの仏教というか、瞑想文化というのは、こういう気候から生まれたのではないかとの由。

昔、栗原小巻さんがテレビ朝日『徹子の部屋』だったかで、こんな話をしていた。
極寒のシベリアで映画を撮影したときのこと。
息も凍る厳冬の中で感じたこと。
それは“あんな厳しい環境の中では、愛なくしては生きていけないことがよくわかった”との由。

先日買ったサザンのベストアルバム『Yeah!!!!!!!!!!』のカヴァアに、小さな小さな文字で何か書いてある。
悲しいかな、眼鏡を外さないと読めない。
ところどころで虫眼鏡も動員した。

A planet called the earth, which I've ever visited, had a spectacular season, the summer.
In the summer there, numbers of flowers have bloomed all over, numbers of aventures have rolled out, and numbers of sweet music have performed.
I do believe the season will never ends to the future.
Glitters of a ripple in the sun, sounds of wind, girl's whispers, mysterious of the ever lasting sea, smells of love and the blue blue endless sky.
“ALL I NEED IS SUMMER”

嘗(かつ)て私が訪れた、そう“地球”という名の星には、妖(あや)しい光彩を放つ“夏”と云う季節がある。
至るところに鮮やかな花が咲き乱れ、その香りに誘われた男女は次々に恋に落ち、どこからともなくBGMが流れてくる。
この季節は、“この恋は永遠だよ”と男女に信じ込ませ、容赦のない“演出”はまだ続く。
 ギラギラ照りつける太陽
 束の間の涼風
 誘いを待ってる女の子
 格好のステージは決まって海
 恋の予感
 今年の空も底が抜けている。
やはり夏には、、、そう!夏が欠かせない!
(訳:円齋)

なるほど夏はいい季節だ。
寒くて萎縮してしまう冬と違い、パンツ一丁で過ごせる夏は、昔から大好きだ。
この季節を愛せるか、“嫌な季節がやってきた”と天を睨(にら)むか。
これが青春の分かれ目だ!

外は雨が降っている。
書斎の窓を少し開けてみる。
空気の匂いを嗅ぐ。
うん、もうすぐ夏だ。

「汝は、まだ夏を愛していますか」
「汝は、これからも夏を愛することができますか」
自問してみる。

ウッシ!
大丈夫だ。

2008年5月23日金曜日

男好き

細君と同い年だが未だにバアビィドオルのような美しさを保つ、メイルルウムのKさんに電話をして、月曜日に必要な朱肉を借りに行った。
期待通り、歌人の黛(まゆずみ)まどか似で男好きのする美人Yさんがいた。
私の顔には“期待通り、歌人の黛まどか似で男好きのする美人Yさんがいた”と書いていたらしく、Kさんはニヤッと笑い朱肉をYさんに渡す。
Yさんも心得たもので
「どうしようかなぁ、貸してあげようかなぁ、何か甘いもの食べたいなぁぁぁ」
と、朱肉を玩(もてあそ)びながら云う。
「そぉかぁ、ではこんど何か買ってこないとねぇ」
おそらく私の顔はみっともないくらい、脂(やに)下がっていたことだろう。
矢張(やは)り、女性は美人で少し意地悪なくらいなのが、蠱惑(こわく)的である。

Yさんの服のセンスは頗(すこぶ)るよい。
今日は、淡く退色させたようなアロハシャツの生地のワンピースだ。
すかさず
「今日は『稲村ジェーン』みたいですね」
と、褒(ほ)め上げた。
YさんとKさんは
「ふふふ」
と笑って目を合わせた。
やおらYさん、Kさんに向かって
「稲村ジェーンって、どんな人ですかぁ?」
思わずKさん、こちらを向く。
目を合わせた私とKさん二人の心中
「そうだ。世代が違うんだ・・・」
Kさん
「あ。。。サザンの映画の題名でね、、、えっと、、、その洋服が湘南っぽいねって」
「あぁ、そおですかぁ、どぉもぉ(笑)」

30年ほど前だが、毎日放送の名物ラジオ番組『ヤングタウン』を聴いていたら、笑福亭鶴光氏が、“はぁ~っ、しゃいなら~っ”で一世(いっせい)を風靡(ふうび)した漫才師平和ラッパ(1909-1975年)の話題を出した。
アシスタントの女の子は
「はぁ、そういう種類のラッパがあったんですね」
鶴光氏とアナウンサーの角(すみ)淳一氏は
「時代が、違うんやなぁ」
と、突っ込むこともしなかった。

1984年、社会に出て初めて合コンを経験した。
出身地の話になり、私は
「兵庫県の播州赤穂の出身で、ほらあの赤穂浪士の町ね」
すると同席の女の子は
「えっ?ア・ク・オ・ロ・シですか?」
「いや、赤穂浪士」
「えっ?わかんな~い」
「えっ?ほら、元禄時代の有名な忠臣蔵の・・・」
「あっ、私って歴史は苦手なんですぅ」
「いや、歴史という話ではなく」
大学時代から合コンで鳴らし、合コンで細君まで射止めた高校友人H原が、何か云って流れを変えたような気がする。

だんだんと言葉が通じなくなっていくのは、世の常である。
Yさんに“期待通り、歌人の黛まどか似で男好きのする美人Yさんがいた”と云っても屹度(きつと)こう云われるのが落ちだ。
「あっ、歌人って、歌手のことですよね?」
「『雲にのりたい』を歌った人ですよね?」※黛ジュンの1969年の大ヒット曲

そしてこう云ってふられる。
「ひど~い!私のこと男好きなんて!」

2008年5月22日木曜日

木の鼓動

不本意にも、まことに不本意ながらも、仕事で連日遅くなると云う、堕落した日々を送ってゐる。
自宅の前にある体育館跡地まで来て、大きな木を見上げる。
怒りもせず、不満もぶちまけず、嫌な奴と話す必要もなく、しかし笑うこともなく。
泰然自若としてゐるから、この生物は、世俗に塗(まみ)れた動物なぞとは出来が違い、長生きするのかもしれぬ。

大きな動物も小さな動物も、一生の鼓動の数はほぼ同じ、などという話を聞いたことがある。
ネズミなどの短命な動物は、なるほど早鐘(はやがね)のように鼓動を打つ。
では人間様も、鼓動を早めるスポーツなるものは、命を縮める愚行かと云うと、そう単純な話ではなく、適度な運動は心臓の働きを強め、日常の脈拍を遅くする。
ゆゑに適度な運動は、寿命を延ばし、過度な運動は却(かえ)って体を害するとの由(よし)。

なるほど、何千年も生きる木の鼓動や、如何に。

ゆっくりすぎて、人の耳では聞き取れぬものかもしれぬ。

2008年5月21日水曜日

鉄火巻

東京駅丸ノ内口、今の新丸ビルが建つ前、ビルの名前は知らないが、あの一等地にしては古ぼけたビルが最近まで建っていた。
正面なのに目立たぬ階段があって、地下に潜ることができた。

数軒の飲食店があり、いつも空(す)いていたので、いざというとき重宝したものだ。
一軒ワインバーらしきものがあって、ワインこそたくさん並んでいたが、造作(ぞうさく)は地方都市の駅前の喫茶店だった。

美人の店主がおり、男どもは鼻の下を伸ばして、見栄でそこそこのワインを頼み、満足そうに飲む。
つまみはチーズやサンドウィッチなど軽食中心だったが、メニューを見ると、ワインなどには縁もなさそうな客を見透かすように鉄火巻があり、丸の内一等地にこの店があることの違和感をさらに増幅させてくれ愉快であった。

今、未来都市のようなビルになって、あんな店作りや品揃えは許されないだろう。
垢(あか)抜けたというより、街が余裕を失ったように見える。

2008年5月20日火曜日

休止宣言

19日朝刊での15段(1面)ぶち抜き、サザンオールスターズの休止宣言の広告には驚いた。
なにせ17日の土曜日にベストアルバム『Yeah!!!!!!!!!!』を購入したばかりだ。
処分品のゴンドラの中にあって10%offの表示、アルバム2枚なら15%offとのことだったので、思い切って『キャンディーズ ゴールデン☆ベスト』も購入した。
もしも休止宣言のニュースが流れたあとだったら、屹度(きつと)サザンのCDは売り切れていたか、値引きのシールは剥(は)がされていたに違いない。
相変わらず私の霊感はすごい。

そのあと同じ駅ビルの本屋に立ち寄ってふと『「残業ゼロ」の仕事力』吉越浩一郎著(日本能率協会マネジメントセンター)が目に入ったのでつい衝動買いしてしまった。
吉越氏は1992年から2006年までトリンプ・インターナショナル・ジャパンの社長を務めた方だ。
読みやすく、もう読み終わってしまったが、なかなかに箴言(しんげん)が散りばめられていた。
~(仕事の)優先順位を考えたり、スケジュール表を作ったりするひまがあるなら、その前に仕事の一つも片付けたほうがいい~
~残業があるかどうかは、仕事の内容ではなく組織の風土による~
~要するに、にぎやかで活気あふれるオフィスというのは、誰も仕事に集中していない状態なのです~

快哉(かいさい)を叫びたくなるような、そう、ある意味でサラリーマン川柳を読むときのようなシニカルな内容が満載であった。
書斎に同社が40周年(2004年)に作成した8cmCD-ROM、キャンペーンガール池端忍のスクリーンセーバーがある。
こんな残業ゼロを実現した経営者がいた会社だからこそ、男性にも配慮した記念品を配ってくれたのか。
脱帽である。

ひとつ私も“休止宣言”するか。。。
収入が15%offでは、済まなくなるところが辛いところだ。

2008年5月19日月曜日

一寸の虫にも五分の魂

昨日ジムに行ったら、ジムの会長から
「お知り合いの方が、昨日体験入門に来られましたよ」
「えっ?!誰ですか?」
「Oさんって女性です」
「あぁ!大学の同級生です」
今年私が親しい人に送った年賀状は、私が上半身裸でファイティングポーズを決めている写真をデザインしたのだが、なんでも私の腹筋が割れているの見て、意を決して門をくぐったとのこと。
さすが旧姓H中さんである。
昔から行動派だ。

それにしても、後にも先にもこれほど評判の悪かった年賀状はない。
「新年早々、気持ち悪いものを送ってくるな」
「すぐポイしました」
「家にシュレッダーがあってよかった」
「最低のナルシストだ」

これだけ評判が悪いと、却って気持ちが良かった。
昔から“抱かれたい男”にランクインする男は、たいてい“抱かれたくない男”にもランクインするものだ。
ただ“抱かれたくない男”にだけ顔を出す常連が存在することは、少し気になるところだが。

まぁ、それくらいの“抵抗勢力”は、計算済みである。
メタボを克服した記念に、どうしても撮って、自慢したかったのだから仕方がない。
宮沢りえだって若いころ“記念”に脱いだのだ。
私が記念に脱いでも許されて当然である。

酷評された年賀状であったが、捨てる神あれば拾う神あり、一寸の虫にも五分の魂である。
H中さんに審美眼があって、本当によかった。

来年に向けて闘志が湧いてきた。

2008年5月18日日曜日

湯の町慕情

最寄り駅の近くでは、コンビニとスーパーがほぼ隣接している。
ふとコンビニを見ると、あまりにシステマチックな店構えに違和感を覚えてしまった。
同じお金を払うにしても、スーパーへは商品の対価だが、コンビニへはコンビニのビジネスモデルを維持するための利益供与のような不思議な気持ちが芽生えた。
コンビニ、、、見た目に美味しそうなサラダを買って帰って食べ始めると、容器がすり鉢(ばち)状になっていて表層的な豪華さに騙(だま)されていたことが分かる。
お惣菜などに、防腐剤、保存料不使用と謳(うた)いつつ、裏の表示を見ると夥(おびただ)しい種類の添加物が表示されている。
確かに“嘘”はついていないが、釈然としない。

スーパーは、生鮮品や見切り品は、値引きする。
損して得取る昔ながらの商売が生きているが、コンビニでもたまにやるがどうにも似合わない。
ましてや八百屋や魚屋でよくある
「はい、320円ね。いいよ、300円で」
という端数切り捨てなど、コンビニではありようもない。
田町駅近くのコンビニでは、店の前に置かれたテーブルで酒盛りしている若人たちまでいる。
屹度(きつと)酒の肴(さかな)までコンビニで調達しているのだろう。
居酒屋の命運やいかに、である。
そのうち若者の中には
「私は生まれてからコンビニでしか買い物をしたことがありません」
と云い切る輩(やから)が出てくるに違いない。

以前、あるテレビのインタビューで、米国人に“湯船に浸かるという意味で”
「お風呂に入ったことがありますか?」
と質問したら、大多数は
「時々ね」
という答だった。
これだけでも
「時々?!」
と驚くのに
「一度も入ったことがない。シャワーだけ」
と答えた人もいて驚愕(きょうがく)。
そんな人には、バイクで冬にツーリングしてやっと宿に着き温泉に浸(つか)かったときの愉悦(ゆえつ)を説明しても分かってもらえない。

だからか、たまに武蔵小山商店街に行くと、華やかなりし頃の温泉街の風情がある。

2008年5月17日土曜日

憂きことの

昨年、ジムの会長にいただいた本に、やっと取り掛かることができ、読み終わった。
『ラッシュの王者 ― 拳聖・ピストン堀口伝』山崎光夫著(文藝春秋)だ。
ジムの会長は、この拳聖と呼ばれた稀代のボクサーのお孫さんにあたる堀口昌彰氏。

本の帯には“昭和史に眠る連勝記録の謎”“不世出の大ボクサーがいた”とある。
日本連勝記録でもある47連勝(1933~37年)は驚異的だ。
総勝ち星も138勝で日本記録、194試合の最多試合ももう破られることはないだろう。
彼に関する本やビデオは数点持っているが、久しぶりに彼の記録を辿(たど)ると溜息が出る。
本書は、発見された彼の日記を、著者が借りることができ、その内容を転載することによって、人間臭さを表現することに挑戦している。
彼がボクシングと云うものに出合った昭和6年から3年後、まさに絶頂期の昭和9年1月1日の日記にこう記(しる)している。
~憂きことの なほこの上に つもりかし 限りある身の 力ためさむ。そうだ、今年はこの意気でやるんだ!~
引用した歌は、山中鹿之助の作というのが有力だ。

ピストン堀口のデビューからの試合もつぶさに見てきた評論家の郡司(ぐんじ)信夫氏は、10数年前、堀口昌彰会長が現役で日本チャンピオンに挑戦して惜敗したあとに、このように云っている。
「これだけ科学的ボクシングが普及するとどのジムでも指導法にそう違いはありません。ロードワークやスパーリングなどメニューは似たりよったりで、それをこなせばどの選手もある程度のラインには到達する。ところがチャンピオンになるボクサーは何かが違うのです。差はほんの紙一重です」
「結局、自分をどれだけ知るかでしょうね。知り尽くせば迷いはなくなります。それと勝負への執念です。人が飛躍するのは技術を磨いたときじゃありません。チャンスのとき、捨て身になれるかどうかです。ゼロになってかまわないと、すべてを賭ける気持ちで相手に当たらねば勝利は摑(つか)めません。精神力の差が勝敗に表れます」

多くの世界チャンピオンを育てた名伯楽エディ・タウンゼント氏も同じ意味の言葉を残している。
「・・・世界チャンピオンになれる、なれないは、どれくらいの差があるの?」
人差し指と親指を摘(つ)まむように見せて
「これだけよ。ほんとうにこれだけの差よ。わかる?」
“もうだめだ”と諦めるか、“あと少しだけ”と思って頑張れるかの差だと強調したと云う。

心身ともに僅(わず)かながら減退を感じる今日この頃、気張らず、焦らず、ゆるりと前進してまいろうぞ。

2008年5月16日金曜日

蹴りたい背中

昨年、花王石鹸のミュージアムを訪問したら、顔の皮膚の状態を測定する機械があった。
好奇心旺盛な私であるから、早速測定してもらった。
判定は[オイリー]&[乾燥]。。。
案内してくれて、測定機器を操作した女性は説明を躊躇(ちゅうちょ)していたが、どうやら私の顔は油っぽくて、干からびているということのようだ。

まぁ、そういう顔なので、タオル地のハンケチを持参して、時間があれば一日に数回は顔を洗うようにしている。
石鹸も使わず、ただの水でだが。
今日も給湯室で顔を洗って拭いていると、人の気配がした。
頑固だが美人の後輩女子Oがやってきて、凝(じつ)と私の臀部(でんぶ)を見つめている。
屹度(きつと)フリオイグレシアスか誰かと勘違いしているのだろうと思ったが、Oは呟(つぶや)くように云った。
「そのおしり見てると、無性に蹴りたくなるんですよね」
「まるで芥川賞やな」
「は?」
「ほら、綿矢りさの小説でそんなこと云ってた。あれは“おしり”ではなく、“背中”やったけど」
「まぁ、とにかく蹴りたくなるんですよ。このスカートじゃ無理だけど」
そう云うと、不敵な笑みを浮かべて、去って行った。

オフィスに戻るとキュートで清楚な後輩女子Nちゃんが、保険会社かどこかが発行している無料の小冊子を配ってくれた。
パラパラとめくると、日立の広告頁(ページ)が。
“あの木なんの木、気になる木”の、あの木が載っていた。
私はNちゃんに
「あっ、ここ5年前に行ったんやで」
「へぇ~っ!ここって岩手ですよねぇ」
「・・・いや、確かにイワテと同じ三文字やけど、オアフなんやで」
「へぇ~っ!ここってハワイなんですか?ずっと岩手だと思ってました~(笑)」
「・・・なんでまた岩手やと?」
「えぇ~っ?!なんとなくですぅ~」

OはこんなNちゃんの先輩で、一緒に仕事をしている。
良くも悪くも対照的。
宝塚で云うと、男役と娘役か。
世の中、うまく出来ているものである。

2008年5月15日木曜日

細菌兵器

今日、エステ大手T社のNさんと打ち合わせしていて、猛毒のボツルヌス菌を注射して皺(しわ)取りをするボトックスの話になった。
私よりも10歳下の昭和44年生まれ、K1-MAXの魔裟斗(まさと)選手とそっくりの男前Nさんは、昨年秋頃にボトックスの施療をおでこに受けたらしい。

最初はおでこにガムテープを貼られた感覚で、全くおでこの肉(皮膚?)が動かせなくなり、やっと最近(!)普通に動くようになったとのこと。
なんのことはない、筋肉を麻痺(まひ)させて、皺を防ぐのだ。

元々はロシアの細菌兵器の研究から始まり、顔面神経痛の治療に転用され、やがて美容整形に使われ始めたとか。
この施療、目尻には注意が必要だと云う。
笑っていても、目が笑っていない表情になるらしい。
これは笑えない笑い話だ。
かと云って、笑っていても目が笑っていない嫌な輩(やから)は結構居るものだが、彼らがボトックスを受けたとは思えない。

逆説的だが、目尻の皺は、豊かな人間性の、そして愉(たの)しい人生の証(あかし)なのかもしれぬ。

2008年5月14日水曜日

手助け

20歳も年下だが、大人っぽくて艶っぽい美人のTちゃん。
そんなTちゃんに話しかけた。
「ちょっと手を貸してほしいのだが」
「それは、手助けしてくれってことじゃなくて、手を握らせろってことですね」
「手を貸して欲しいと云ったら、まずは手助けのことを思い浮かべるのが普通ではないのかね」
「でも、手を握らせて欲しいんでしょ。答えは“やだ”」

Tちゃんは子供の頃から、大人に云われていたらしい。
「Tちゃんに見つめられていると、すべて見透かされているみたいだよ」
と。
どうやら、読心術と云うのは、生まれつき天から与えられるものらしい。
恐ろしい。

2008年5月13日火曜日

ドギーバッグ

今日yahooでこんなニュースが流れた。
1983年から小学館『ビッグコミックスピリッツ』にて連載されている人気マンガ『美味しんぼ』の主人公・山岡士郎と、長年の確執がある父親で美食家の海原雄山が12日(月)発売の同誌で、ついに和解した。

思うに、あんな鋭敏な味覚の持ち主がいれば、船場吉兆の使いまわし事件など起こらなかったろう。
ある新聞のコラムでは、この事件を100%非難していなかった。
“勿体無い”の精神から、手もつけていないものを客に出すのは論外としても、せめて若手の料理人が勉強のために食べるとか方法があったのでは、なぞと選択肢を示している。
確かにそれは一理あると思った。

しかし、まずは私は客に文句を云いたい。
刺身のツマまで全部食べろとは言わないが、折角出された刺身や鮎の塩焼きを、それこそ使いまわされるほど、全く手を付けないというのはいかがなものか。
あと、店の責任としては、折り箱を用意して、持ち帰りを推奨すべきだったのではないか。
子供の頃、神戸の親戚に行ったときだけしか食べることができなかった本格中華では、必ず食べ残しを折り詰めにしてくれて持ち帰ったもの。
また、結婚式の披露宴で出された料理の食べ残しも必ず持ち帰ったものだ。
最近は食中毒がどうのこうので、あまり推奨されてないらしいが、そんなもの家に持ち帰って食べるぶんには大丈夫に決まっている。

ある有名人(誰か忘れた)の記事で、東京の吉兆によく行くらしいが、記事には“吉兆で食べ残しを持ち帰るのはこの人くらい”と、記事のトーンとしては、吉兆もその人を特別扱いしているような内容で、つまり吉兆では“そんなことは、本来は認めていないけど、この人だけは特別ですよ”と言わんばかりだった。
それはやはりいかんだろう。
食料自給率の異常に低い国なのだから、食文化を支える事業者はその辺まで心を砕くべきだ。

それにしても、米国では食べ残しを持ち帰るとき、店が準備してくれる容器をドギーバッグと云うと聞いたことがある。
食べ残しを持ち帰るのを恥として“あくまでも犬に上げるんだからね”と、お互いに分かっていながら八百長のような会話で持ち帰るとか。
米国でも、そういう“恥”の文化が存在することにまず驚くが、実際問題、人間の食べるようなご馳走を犬にやるのは、栄養過多になり当世では「虐待」みたいなものらしい。
皮肉なものだ。

そういえば先日美人のYさんに推薦図書を差し上げたが、Yさんは
「あの本には、合コンでの男の子の持ち帰り方まで書いてありましたよぉ」
と嬉々としていた。
男の子の持ち帰りは自由だが、その男の子と結婚して喧嘩なぞしても犬も食わないということは、改めて教えておかなくてはならない。

2008年5月12日月曜日

緑のインク

オフィスの朝。
早くカフェインを摂取せねばダメだ!と、あせってキッチンへ。
すると美人のYさんが何やらごそごそと。
私が来たことで、人の気配には気づいている筈だが、Yさんは無用な会話は好まないので、気づかない振りをして、黙々と作業を続けている。
どうやら食器洗剤の詰め替えをしているようだ。
凝(じつ)と見ていると、やっと私であることに気づいてくれ、微笑んでくれる。
「あっ!」
急にYさんは、関西のおばちゃんが驚いたような顔をして、そこから離れた。
私は珈琲を淹(い)れる作業を続ける。
暫(しばら)くすると戻ってきて、何やら私に渡す。
「あのぉ、これどうぞ」
「あっ、こりゃどうも」
と、なんでも受け取る私。
お返しに明治チョコレートを一片差し上げる。
「あ~、ありがとうございま~す」
Yさんの笑顔はいつも花が咲いたようだ。

徐(おもむろ)に包みを開けてみる。
OKICHIHIROBAのハンケチをいただいた。
先日プレゼントした本のお礼だと思うが律儀な娘(こ)である。
食器洗剤の詰め替え作業も、誰から云われたわけでもないのにやる、いまどき出来た女性である。

作詞が喜多条忠、作曲は吉田拓郎で梓みちよが歌った『メランコリー』
~緑のインクで、手紙を書けば、それはサヨナラの合図になると、誰かが言ってた~
なんて歌ってたが、それを云うなら、ハンケチをプレゼントするのは別れの合図、というのはもっと古典的だ。
しかし、一応そんなことを云ってみた。
「そういうことですかねぇ・・・」
と、絡(から)み辛(づら)そう。
髪を切った女の子に
「失恋したの?」
と尋ねるのと大差ないコメントを反省した。

そんな私の失態をカヴァアしてくれるように、Yさんはハンケチのデザインを説明してくれた。
「その折りたたみ方が、かわいいでしょ。ほら豆シャツって書いてあるでしょ。シャツの形になるように折ってあるんすよ。ネクタイはシールみたいに貼り付けてるだけだけど」
と云ってクスクスと笑う。
そうか!ネクタイをプレゼントするのは、“あなたに首っ丈(くびったけ)”というのも、同じく古典的な合図だ、などというコメントは、さすがの私も我慢した。

2008年5月11日日曜日

カミさんの悪口

小説『カミさんの悪口』と云う村松友視氏の名作がある。
『カミさんの悪口』という題で、本を書かねばならなくなった彼(村松氏)自身が、どう書こうかと考えながらストオリイが展開しつつ、なかなか怖くて?書けず、結局最後まで悪口は出なかったと云う、一種の愛妻物語であった。

わが細君も“良妻賢母”からは約200億光年ほど離れているが、なかなかに良い所もある。
いや、あった。
結婚しても大丈夫かなと思ったエピソオドがある。
結婚したのは平成元年なので、それより少し前の話。
当時の企業は一人一人のパソコンなどなく、資料は殆ど手書きだった。
細君の会社の先輩女子が苦労して作ったあるリストを、細君が借りた。
そのあまりの労作振りにコピーするのを憚(はばか)られ、結構な分量を手で書き写したと云う。
写経のごとく。
この一つを以(も)って“この女は信用できる”と思った。
データをパソコンとパソコンの間で、交換や共有できる今の世は、隔世の感だ。

大事な資料を手で書き写す律儀さを持ち合わせた細君であるが、昔の彼女の大事な写真を私の鞄(かばん)から発見すると、姫たちとまるで魔女狩りで無罪の女性を焼き払うように、ヒヒヒと不気味な笑いを浮かべて燃やしたのだった。
「あ゙~っ!」
と、云っても
「未練でもあるわけ?」
と、一瞥(いちべつ)して燃やし続けた。
そして
「ああ、最近の写真でもあれば、たんまり慰謝料取って離婚できるのに」
と、夢見るように思案顔だ。

慰謝料をたんまり払えるほど甲斐性もないが、気分は(天文学的慰謝料を払った)ポール・マッカートニーだ。

2008年5月10日土曜日

グラスの底

夜空を見上げるとオリオン座が見える。
ふと、歌が口をついて出る。

 ひとつふたつみっつ 流れ星が落ちる
 そのたびきみは 胸の前で手を組む

さだまさしの『線香花火』だ。
昭和51年11月発売とのことなので、私が高校二年生の時の歌だ。
理由もなく、この歌詞に出てくる女性が、理想の女性像だと、当時思っていた。
線香花火を見つめながら、その“星”の雫(しずく)が落ちるのを見つめて手を合わせる少女を、理屈抜きに愛(いと)おしいと思った。

いつか藤本義一さんが言っていた。

男は度胸、女は愛嬌なんて申しますが、女の愛嬌というのはほんまに大事です。
愛嬌というのは、ユーモアということです。
例えば、喫茶店で一緒におったとします。
男なんて、たまに黙っていたいことがあります。
そんなときに、
「どないしたん?!ムスッとして。私といて楽しくないのん?!」
という女性はあきません。
「何考えてるのん?分かった、私のことでしょ?」
というのが、ユーモアです。

河島英五のそんなに有名ではないが『約束』という歌の3番。

 帰りにひいた おみくじふたつ
 お前は吉 おれは凶
 青い松の木に 重ねて結んで
 これで半分づつの 幸せねと
 泣かずに 泣かずに
 わらって みせた
 少しずつ すこしづつ
 幸せに なるんだと

「これで半分づつの幸せね」
というのは、男泣かせのユーモアだ。

手を合わせ、おみくじを重ねる。
そんな女性とグラスを傾けてみたい。

2008年5月9日金曜日

ハイサイおじさん

先輩女子Kちやん、後輩女子Tと3人で行くべく、四谷三丁目の広島風お好み焼き『わいわい』を予約せり。
Kちやんは遅れるとの事で、Tと二人で食べ始めしが、Kちやん仕事が忙しく出席を断念、結局久々にTと二人で食事をすることとなつた。

20歳も年下のTだが、少し変わつたところがあるので、話して居ても飽きない。
敢えて“芸風”と云へば、爆笑問題の太田氏だ。
目が大きくなかなかかわいいところもあるので、昔は年の離れたガアルフレンドとして妄想して居たが、その後は年の離れた妹感覚となり、今では年が離れて居て当たり前の伯父と姪(めい)の感覚だ。

後輩女子Kさんは、私とKさんの事を
「熟年夫婦のやう」
と戯(たわむ)れに云つて呉れる。

昔、Tに
「君にとつて私は如何なる男也や」
と、問ふたところ
「近所の親切なオジサン」
と応へられ、少し凹(へこ)んだものダ。
が、昔も今も屹度(きつと)さうだらう。

2008年5月8日木曜日

ジャイアント台風

横浜の『旬菜くらち』で会食。
ご一緒したのは、会計士K嶋さん、先輩Kさん、それに葬儀屋に勤める熟女Y子さんだ。
Y子さんは、性格は肝っ玉母さんだが、マリアン似の湘南美女で、今も変わらず魅力的だ。
K嶋さんは、相変わらずトークがゆっくりである。
平安時代の貴族は屹度(きつと)こんな調子で話していたのではないかと推察されるが、かといって彼が優雅というわけではない。
茅ヶ崎出身なので、湘南ボーイののんびりとした育ちの良さが滲み出ているようで、話していても楽しい。
それにしても、相変わらず発する言葉はゆっくりだ。
彼がオフィスに電話を入れた時に
「も し も し、 K し ま で す け ど」

「も し も し」
あたりで、相手は誰から電話なのか、すぐ分かると有名だ。

むかしジャイアント馬場さんをモデルにした『ジャイアント台風』という劇画があった。
テレビでは誰がどう見ても彼の動きはスローモーそのもので、あの空手チョップが当たって本当に痛いのだろうかとみな疑っていた。
いや、すでにそんなことを疑うのは野暮だったのかもしれない。
『ジャイアント台風』の中で、スタンハンセンだったか外人レスラーが対戦して心中の言葉が吹き出しに出る。
「うっ!テレビで見ているとゆっくりに見えるが、対戦してみると早いっ!手足が長いからスローな動きに見えるのかっ!しかも当たると想像以上にダメージがあるっ!」
この荒唐無稽さがたまらない魅力だった。

K嶋さんの話は時に鋭く、そして当意即妙で面白い。
公家さんというよりも、ジャイアント馬場さんと遠縁かもしれない。

2008年5月7日水曜日

おつかれさま

さすがに連休明けである。
予想はしていたが、ここまでだるいとは思わなかった。
こんな日は・・・
「そうだ!『デヴィコーナー』のカレーだ」
電話でいつものチキンカレー弁当を注文し、三田から自転車でR15をひた走り品川へ。
「どぉもー」
「ハイ、デキテマスヨォ(インド人なので片仮名だ。芸が細かい)」
「えっと、750円でしたよね」
「アッ、スミマセン、ハッピャクエンデス」
「あっ、値上げね」
と、苦笑。
ガソリンがリッター30円上がるだけで、自動車で列をなして並んでいるニュース映像を見て
「たかだか、節約できても一回の1500円くらいのもの。そんなの飲み屋のつまみ2品や」
と、大物発言をしていたが、デヴィコーナーの50円の値上げは応えた
(><)

夕方はあまりにも腹が減ったので三田の慶應通りにある『長崎ちゃんぽんリンガーハット』へ。
長崎ちゃんぽんと餃子のセット、ちゃんぽんセットとチャーハンを注文。
カウンターで何気なく調理場を眺めた。
おばちゃんが電磁調理器で具の入ったスープを温め、乾燥麺か冷凍麺のような麺の塊(かたまり)を投入して、ピピピの音と共に器に盛り始めた。
横にあるドラム式洗濯機の中身だけのようなお釜がグルグル回っている。
中を覗くとチャーハンだ。
下から熱せられ、中の一枚の羽根でかき混ぜられる仕組みだ。
こちらは出来上がると自動的に停止して、店員が釜をこちらに傾けて皿に盛る。
なんだか人力で動く工場のようだ。
店を出るときに、長崎ちゃんぽんを単品で頼んだ客の品を見ると、私のちゃんぽんより器が大きい。
おかしいではないか。
セットのちゃんぽんは小さめだと表示すべきである。

こうして世間では、値上げしたりコストダウンしたり、企業努力をして生き抜いているのか。

自宅に帰る。
一姫が風呂に入っている様子。
「あっ、いまお風呂に入ってるけど、急いで出るって言ってたよ」
と、細君。
寛大な私は、風呂の中の一姫に向かって
「慌てて出ることはない。ゆっくり入りたまえ」
「えっ、何?何当たり前のこと言ってんの?」
「えーい、小癪(こしゃく)な。さっさと洗って出てまいるがよい!」

しばらく出てこなさそうなので、3階に上がり廊下で腕立て伏せをする。
二姫が犬を寝かせるために上がってきた。
まめ(柴犬の名前♀)が眠いのかテンション低めだったので、犬に向かって
「もう、スリーピングゥ?!」
と、エドなんとかのように親指と下唇を突き出して言ったら、二姫は
「ちょっとぉ!!何やってんのよぉ!!!」
と、プイと自室に連れて行った。

トレーニングを終え2階のリビングに戻る。
もうすぐ10時半だ。
テレビをつけ10チャンネルに合わせる。
私の“企業努力”は、空回りするが、天気予報の市川寛子さんだけは
「おつかれさま」
と、いう顔で癒してくれる。

2008年5月6日火曜日

休刊日

我が家では新聞は2紙取っている。
読売新聞と日経新聞だ。
リタイアしたあとの嬉しいことの一つに、日経を読まなくても済むことが入っているらしいが、同感だ。
但し、夕刊は結構面白い。
実家では今は神戸新聞を取っているが、子供の頃は産経新聞だったので、いまも産経を読みたいが、細君が巨人ファンなのでしょうがない。
私は、アンチ巨人だが。

GWも今日で終わりだ。
GWというのは、もともと映画を観るのに都合がいい連休ということで始まった呼称(何がゴールデンなのかは知らないが)だったはずだが、結局1本のDVDさえ見ることなくGWは終わろうとしている。
それにしても、こういう長連休になるといつも摩訶不思議なことが起こる。
新聞の休刊日である。
なんで一斉に休むのだ。
形を変えたカルテルではないか。
せめて休刊日を変えてくれれば、休刊日の違う2紙を取るのに。
しかも、なんでいつも連休明けなのか。
どうせなら、連休最終日にして欲しい。
連休最終日など、新聞などなくても一向に構わない。
通勤電車では、連休明けであっても、やはり新聞を読みたい。

休刊日は、新聞配達所の休暇のため、と何かで読んだことがある。
それなら、やはり新聞の系列によって、休刊日を変えれば済むことである。
欧米の有名紙は、休刊日などないと聞いたことがある。
ただ新聞の宅配というは、日本独自のビジネスモデルとも聞いたことがある。
新聞配達所のお休みのためなら、駅売りだけはやってもらいたいものだ。
もちろん、家でとっている人には、駅で新聞と交換できるクーポンを支給すべきだが。

しかし、4日間休むとさすがに休養できたという感じがする。
とはいえ、あと1日休んで、休養明けのために体を調整したいものだ。

2008年5月5日月曜日

磔刑

「市中引き回しの上、磔(はりつけ)獄門に処す!」
時代劇ではお馴染み、奉行が極悪人に沙汰を言い渡す時の決め科白(せりふ)である。
江戸市中を晒(さら)し者にして、江戸庶民に罪人を見せて、磔(はりつけ)にして処刑されるところを公開して、さらに3日間も晒し首にされるという、かなり厳しい刑罰である。
強盗殺人などに適用されていたようだが、秤(はかり)や枡(ます)の偽物を作る“経済犯罪”にも厳しく適用されていたようだ。
明治維新とともに廃止されてそうなものだが、維新後10数年は残っていたようだ。

それにしても、近年凶悪犯罪が頻発するのを見るにつけ、この江戸時代の刑罰はかなり輿論(よろん)や被害者家族に配慮されている気がする。
現在はと言えば、被害者の身上や顔写真は次々と報道されるのに、加害者の人権はかなり保護されて、報道も慎重だ。
また
「加害者も心から反省しており・・・」
など、片腹痛い判決文が朗読されることも多々ある。
犯した罪を反省して、それが判決に影響する意味が、いまだによく分からない。
あくまでも罪を犯した時点の事実のみを挙げて、その重さ軽さを論ずればよいことだ。

最近、来年5月に施行される裁判員制度が随分と広報されている。
世間の反応で多いのはだいたいこの2つだ。
「仕事が忙しいのに、選ばれたらどうしよう」
「凶悪犯罪が中心だというが、判決を下すには重圧がかかる」
当然である。
赤の他人にやらせようとするから、みな尻込みするのである。
被害者の親族で構成すればいいのだ。
何せ被告人は被害者に対して非道な行いをした咎人(とがにん)なのである。
「犯人を許さない」
とは、被害者家族の共通した思いであり、その心情を糊塗(こと)することは理不尽だ。
江戸時代のように仇(かたき)を全国追い回して、切りつけるわけにもいかないのだから、せめてあだ討ちは合法的にやらせるべきである。

人権に一見やかましいような米国でも、1995年に起きたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の例がある。
2001年、犯人が死刑執行される模様が被害者遺族に監視カメラを通じて公開された。
これぞ市中引き回しの後の“磔刑(たっけい)”である。

2008年5月4日日曜日

それでも恋は、恋

昨夜は高校同級生K橋と痛飲(彼は飲まないが)した。
数多(あまた)噴出した話題の中で、広美おねーさま(姉ではない)の話。
K橋の近所に住んでいたおねーさん(K橋にとっても他人である)で、K橋の近所のある寄り合いに呼んでもらって、そこで目にしたのが私にとっては最初で最後であるが、兎(と)に角(かく)、一般人であれほど美しい女性は見たことがない。
有名人で言うと仁科亜季子か。
K橋によると我々より5歳年上だったとの由。
あれからは私もK橋に倣(なら)い、当時大阪の音大生だった彼女のことを会話の中では広美おねーさまと呼ぶようになった。

直接聞いたわけではなくK橋からの又聞きだが、広美おねーさまは独特の“初恋理論”を持っていた。
~恋とは恋愛のことであるから、そもそも両想いのことである。だから初恋というのは、その人にとって初めて成就した恋のことを云うべきであろう。だから、世間で使われているような、初めての片思いを初恋と呼ぶのは、少し違うのではないか~
当時、この理論を聞かされ、中学生だった私が思ったことは、
“では、私の初恋はまだなのだなぁ”
“恋という言葉のハードルが上がったなぁ”
“年上女性、特に美人の云うことは、説得力がある”
“広美おねーさまの初恋は、もう存在したのだろうか”
など、どんどん妄想は広がっていったものである。

京都駿台予備校の名物講師(と勝手に思った)、古文の田中重太郎先生の夏期講習での授業(おそらく昭和53年)を受けたときのこと。
先生が恋について語り、黒板に恋の旧字体“戀”と大書された。
「漢字というものは、よくできてますねぇ。例えばこのコイという字。いとし(糸し)、いとし(糸し)という(言う)こころ(心)」
ほぉ~っ!と思った。

後年、私なりに持論を確立した。
いとしは、いとしいということで今の漢字は“愛しい”と書くが、もともとは“糸し”だったのではないか。
“糸し”は形容詞で、想う人と“(糸で)結ばれていたい、つながっていたい”と願う気持ち。
“糸し、糸し”と続けることによって、強調する気持ちと、糸を紡(つむ)いでいくような能動的な意志も加わるように感じる。
成就という“状態”ではなく、ひたすら好きな異性(私は同性愛を認めない)を“想う”ことが、恋なのではないかと考えるようになった。

昨夜、K橋と別れ、酩酊して茅ヶ崎駅のホームを歩きながら、ふとKさんのことが頭に浮かび“連休中は会えないなぁ”などと思ったら、少し胸が締め付けられた。
「これは・・・、もしや?」

狭心症の兆候かもしれない。
今度、医者に診てもらうか。

2008年5月3日土曜日

ストラディ・バリウス

1700年代初頭、アントニオ・ストラディバリによって製作されたヴァイオリンも名器ストラディ・バリウスはあまりにも有名である。
現代工学によって正確にそのフォルムを再現しても、製作当初は見事な音を奏(かな)でるが、経年とともに音が劣化してしまうところが、本物の妙と聞く。
・・・が、真偽のほどは定かではない。

今宵食したパスタは、茅ヶ崎では美味しいということで有名とのことだが、確かに出来たてを食べると程よいアルデンテで美味しかった。
・・・が、少し時間を置くと粉っぽくなって、平凡な味になってしまった。
今は閉店の憂き目に遭ってしまった都立大学の名店『Vegetable Magic』の見事なパスタはそんなことはなかった。

数日前、高校同級生K橋からメイルが来た。
「金はないが、閑(ひま)はあるので遊ぼう」
今日、茅ヶ崎駅で待ち合わせた。
13時待ち合わせ、の予定だったが、相模線沿線の僻地に住むK橋から
「電車に乗り遅れた。13時15分に変更頼む」
とのメイルを受信し、本屋で時間を潰(つぶ)し13時15分に改札で会った。
喫茶店2軒をハシゴし、イタリアンの“名店”で食事をして、茅ヶ崎駅に22時半頃に行った。
・・・が、時刻表を見ると、彼の次の電車は22時49分!
マクドナルドでまた喋り、改札で別れたのが22時46分。
一緒にいた時間、都合571分。

“味”が劣化することなく、長時間に渡って空気を共有することができる間柄だ。
これは、私とK橋の互いが熟成した人格を有し、且つそれぞれが確立したprinciple(主義・信条)を有する“本物”の人物である証左であろう。
・・・ということは、断じてなく、二人とも単に金がなく、閑があっただけである。

2008年5月2日金曜日

26cm

GW中の週末、品川駅コンコースの雑踏を横目に帰宅する。
みな、どこか年末の仕事納めのように浮き足立ったさまが心地よい。
いつもより幾分空いた車輌で、吊り革に頼ることなく揺れに身を任せる。

周りは平気なのに、なぜか私はよろめく。
バランスが悪いのか?
いや、足が小さいのかも。
靴サイズ26cmは小足というほどでもないだろうが、身長173cmとのバランスがよろしくないのだろう。

身長143cmだった中一の頃も、147cmだった中二の頃も、親戚のN子おねーさんは
「体の割に足が大きいねぇ。きっと背も伸びるよ」
と、励まして(慰めて)くれた。
そして高一の秋頃に、いまの身長に達した。
背丈(せたけ)が同じくらいの当世の若者の靴のサイズを見ると、やはりどうもかつて大きいと言われた私の足は小さいようだ。

ふと、漫才コンビのオール巨人・阪神の30年近く前のネタを思い出した。
巨人「いや、我々は若い頃からコンビ組んでましてねぇ」
阪神「そやなぁ」
巨人「自分で言うのもなんですが、プロになる前からけっこう有名やったんです」
阪神「まぁ、そうでしたかな」
巨人「“あれが素人(しろうと)か?!”なんて絶賛されてました」
阪神「そんなこともありましたな」
巨人「いまでも褒(ほ)めてもろてまっせぇ」
阪神「そうかいな?」
巨人「“あれが玄人(くろうと)か?!”ゆーてね」
阪神「そら、けなされとんのやないか!」

ことわざなのか、軽口(かるくち)なのか、“阿呆(あほ)の大足、間抜けの小足”という。
間抜けよりは、阿呆と云われる方がましな気がする。

2008年5月1日木曜日

あほかいな

『あほかいな』(日本図書センター)を読了した。
ご存知、昭和の喜劇王であり、借金で勇名を馳せたあの松竹新喜劇のプリンス藤山寛美(ふじやまかんび)の本である。

~なぜ、お客の入りが悪いのか、ということを考えていただきたい。ぼく考えてもらえばわかると思うんです。ぼく思うんですが、結局、その俳優さんたちが、お客さんというものをどういう目で見てるかということになるんじゃないでしょうか。それはみな、お客さんに感謝してることは確かですよ。感謝してると口では言うけど、じゃあ、してるとは一体、どうしてるんかと。じゃあ寛美、君は、お客をどう思ってるのかと問われたら、ぼくは、お客に食わしてもらってると思ってます。ですから、こんなに長い間、食わしていただいたお客に、どうすれば恩返しができるのか~

芸人魂というよりも、そこにマーケティングの原点を見た気がする。

~ぼくの一生は、芝居で始まって、おそらく芝居で終わるでしょう。もし、自分が舞台で、金よりも人情のほうが大事やちゅうてて、私生活で人情より金を大事にしてたら、ぼくは赤軍派より悪い。芝居、ただで見てもろんてんのやのうて、入場料とってますもの。ぼくが人情より金大事にしてたら、それこそサギや。役者はその役そのものやから、それでええやんかと言われるけど、豪壮な邸宅にはいって、義理人情、物より人の情けが大事やと言える?ぼくは言えない人種なんです。言える人種ももちろん、あるでしょう~

京都の伯母の家の近くに『稲垣』という表札の質素な家があった。
寛美の家だ。
お客を笑いの渦に巻き込み、1990年に60歳という若さでこの世を去ってしまった。

3月末に、新宿のルミネ・ザ・よしもとで、お笑いというものを初めて生で見て、大笑いした。
もし寛美の新喜劇を生で見ていたら、内臓がどうなっていたことか。
屹度(きつと)もたなかっただろう。
想像するだけで、恐ろしい。

んな、あほな

2008年4月30日水曜日

味噌餡

お昼を買いにスーパーに行った。
催事コーナーで柏餅(かしわもち)を売っていた。
もうそんな季節か。

子供の頃、端午の節句の前になると、祖父は山に入っていって柏の葉を取ってきた。
母は餡(あん)を炊いてくれて、米粉で作った餅に餡をくるんで、さらに柏の葉で包んで蒸し上げる。
今思うと、柏餅は各家庭で作るものだったし、ましてや柏の葉まで当たり前のように山から調達してきていた。
そういえば祖父は手先が器用で、年末になると家の田んぼで残った藁(わら)を編んで正月のお飾りを作っていたし、山の中のことも熟知していて、鏡餅に敷くシダの葉なども山から持ち帰っていた。

おはぎを作ってくれるときは、つぶ餡だったが、柏餅の時は決まって漉(こ)し餡だった。
であるから、今でも柏餅は漉し餡派だ。

昨年の今頃、後輩女子Kさんは、味噌餡が好きだという話を聞いた。
???
なんや、そりゃ、と思った。
播州地方には存在しない。
試しに買って食べてみた。
悪くない。
味を表現するなら“味噌味の餡が入った柏餅”だ。

お昼を買ったあとで、漉し餡2つと味噌餡1つ買って帰った。
後輩女子KさんとKちゃんに味噌餡と漉し餡、それと私に漉し餡だ。
子供のときの味覚は、そう簡単には変わらない。

柏の香りが鼻腔(びこう)をくすぐると、赤穂の山が浮かんだ。

2008年4月29日火曜日

MRI

日曜日に続いて、今日もジムに行った。
少し筋肉痛が残っていたが、頑張って行った。
今月はこれでも3回目で、週一すなわち月に4回は行かねばと考えているので、いささか不本意だ。
バイクを15分間漕ぎウォーミングアップをしてからストレッチ。
シャドウ3R(ラウンド)、サンドバッグ2Rやって、会長に声を掛ける。
「ミットお願いします」
ミット打ちを終えたら会長が
「もう1R頑張りましょう。もう物足りないでしょう」
物足りていたが、そう云われれば私も男の子だ。
「1R休みますか」
「いえ、お願いします」
ミット打ち2R終え、ウェイトトレーニングを挟み、再びサンドバッグ2R、シャドウ1Rでやっとクールダウンのロープ(縄跳び)1R。
念入りにストレッチをやり稽古終了。

『ピストン堀口道場』主催の興行が6月1日にあり、だんだん近づいてきたので、ジムはいつもの休みの日より熱気を帯びている。
堀口会長が選手に飛ばす言葉もいつになく厳しい。
張り紙があった。
“徳州会病院でMRIが受けられるように交渉したので、スパーリングをする選手は受けて健康管理に気をつけてください”
選手の引退後のことにも気を配る会長らしい。

ロッカー(と云っても扉もない本棚のような造りだが)の前で、たまに言葉を交わす若者と挨拶した。
「随分、絞ったね。確か50kg落としたとか」
「はい、150kgが今では90まで落ちました」
「そりゃすごい。もともとハンサムだし、ますます大したもんだ。欧米系の顔をしているようだが」
「はい、母がアメリカ人なので」
「なるほど。では市民権は?」
「もうすぐ選択しないといけないのですが、アメリカ国籍は捨てるつもりです」
「ほぉ」
「だって、戦争なんて行かされたら、タマんないっすもんねぇ」

戦いはリングの中だけではないようだ。

2008年4月28日月曜日

ロハ

外出からオフィスに戻り、
「嗚呼、今日はゆっくり珈琲を飲む閑(ひま)も無かった」
と、理不尽な思いに囚(とら)われながら、一杯分の濾過式珈琲と珈琲を淹(い)れたら一緒に食べようと箱から取り出した明治チョコレート2ピースを持って、夕刻に給湯室に行った。
するとさすが神の子である私の心を見透かしたように、妙齢の美女Yさんがそこにいた。

下を向いて何やら一所懸命である。
「ごきげんよう」
いつものように声を掛けた。
ハッと猫が驚いたように、Yさんがこちらに顔を向けると、手元にテプラが見えた。
このあたりがYさんのYさんたる所以(ゆえん)である。
不思議美少女(年齢はおそらく30を超えているが)なのだ。
なんで給湯室でテプラなのか、そのあたりを追究するのも野暮というもの。
不思議に思いながら手元を見ると、どうもテプラに入っていた電池を交換していたようであるが(なんで給湯室で?と訊くのも野暮というもの)古い電池をどこに捨てたらよいか逡巡していたようだ。

丁度、美人のKさんが来たのでこれ幸いに訊いてみると、電池は“燃えないゴミ”のBOXでよいとのこと。
Yさんも納得して電池を捨てた。

「Yさんって、LOHAS(ロハス)な方ですな」
と、私。
LOHASとは、少し流行遅れかもしれないが、そう云ってみた。
「えっ?こういうのをロハスって云うんですかぁ」
薀蓄(うんちく)に火が点いた。
「そう、確かLifestyles Of Health And Sustainabilityの頭文字で、健康や環境問題に関心が高い人びとのことを云うのだよ」
「あ~、LOHASのHって健康のことなんですね~」

本当はこのあたりで気づくべきだった。
Yさんは実は私よりも遥かに聡明な女性なのである。
あとで思うとすでにこのあたりからYさんは冷静に私を観察していた。
それでも美人を前にした私は続けてしまう。
「そうHは健康、Sはサスティナビリティで、昔は環境報告書なんて云っていたものが、そのうちサスティナビリティ報告書に変わって、最近はCSR報告書なんてどんどん変わりますなぁ」

もう殆(ほとん)ど、みっともないくらいのしたり顔である。
考えてみればYさんは以前は旅行代理店に勤務していたのだ。
世の中でLOHASの概念が誕生するはるか前に、LOHASな生活は経験済みだった可能性があるし、下手すると実生活は高樹沙耶よりもLOHASかもしれない。
一通りYさんに喋った私だが、底を見透かされてしまったような敗北感に苛(さいな)まれながら、給湯室をあとにしたのだった。

夜8時50分頃にオフィスを出て、東興飯店に急いだ。
入店するときに入り口に書いてある営業時間を見ると“夜9時ラストオーダー”とある。
時計は8時59分だ。
入店して
「まだ、いいですか」
と訊くと
「はい、どうぞー」
と、いつもは無愛想なおばさんが笑顔を見せた。
このまま一人残されて、ハンサムな私はどこか海外にに売り飛ばされるのではないかと少し不安になったが、食欲が勝(まさ)った。

野菜炒め単品と、少し辛めの南国チャーハンをオーダーした。
カウンターにはニラレバ炒めとライスのにーちゃん(兄ではない)が一人と、テーブル席にはおっちゃん(叔父ではない)とにーちゃん(兄ではない)二人とねーちゃん(姉ではない)の4人のグループ。
4人のグループは、一通り食べ終わり紹興酒を飲んでいる。
おっちゃんは
「だいたい、おめぇよぉ」
とか
「だから俺はよぉ」
と、どうも私の苦手なタイプにようだ。
若手はいつも大変である。

レバニラのにーちゃんが早々に食べ終わり退店して、私もやや急ぎ気味に食べてまもなく終わる頃に、件(くだん)のおっちゃんは
「おあいそお願いしまーす」
と、先ほどまでの傲慢な人が、頭でも打って何かに変身したのかと思うほどトーンの違う声で、おばちゃんに終了を告げてレジに近づいた。
あれだけ“吠えて”いたのだから、どうせ領収証だろう、と思ったが意外にも
「領収証くださーい」
とは云わなかった。
「まぁ、おっさんのストレス発散代やな」
と思っていると、おっちゃん
「じゃ、一人1000円づつ徴収ね」

えっ!

一瞬間あとに、おっちゃん
「いいのいいの!タナカちゃんはいいんだよ」
どうやら、おねーちゃんことタナカちゃんの分は要らないと云っているようである。
「いえいえ、私も払いますよ~」
「いいんだよいいんだよ!ほんとにさぁ!」
「いえ1000円くらい、私にも払わせてくださいよぉ」

この瞬間に、おっちゃんは気づくべきだった。
タナカちゃんは、割り勘にしたいと云っているわけではないことに。
“おっさんなぁ、ここ中華料理店やで。やっすい店や。こんな店でどんだけ食うてどんだけ飲んでもしれてるやんけ。それであんだけ吹いて吠えて、男の子には1000円負担せぇってか?どないな了見やねん、あんた。普通は若いモンには、タダでええでと云うのがスジやろ。ええ加減にしぃやぁ”
こうタナカちゃんが心の中で(何故か関西弁で)訴えていることに気づかないおっちゃんであった。

むかし、無料のことを符丁(ふちょう)で“ロハ”と云うことがあった。
無料(ただ)から引っ掛けて“只(ただ)”を上下ばらして“ロハ”にしたのである。
LOHASとは全く関係ないが・・・。

只(ただ)よりも高いものはないと云うが、只(ロハ)より怖いものもないのである。

2008年4月27日日曜日

生きていりゃこそ

4月25日、JR福知山線脱線事故が3年経ったことが報じられた。
あの事故では運転士は死亡してしまったが、当時は細君も
「(運転士は)かわいそうだけど、亡くなっててよかったのかもね」
と云い、私も
「そやなぁ、生き残ってたら、生き地獄やったやろなぁ」
と、知ったような会話をした。

数日後、実家(事故現場には遠いが、同じ兵庫県である)に電話をしたときに、その事故の話が出た。
母は
「あの運転士はかわいそうになぁ。親孝行のええ子やったらしいで。仕事が辛かったんやろなぁ」
と。

ハッとした。
確かにあの若い運転士が生存していたら、世間の糾弾に遭っていたかもしれない。
しかし、彼はこの世に生を受けた人間であり、親にしてみれば孝行息子であることには変わりない。
生涯十字架を背負うことになったのかもしれないが、やはり人生は生きていてこそなのである。

2008年4月26日土曜日

頑張れ、あぶさん

最近自分の新しい癖に気づいた。
新聞や雑誌などでプロファイル欄の年齢を確認することである。
小説家など創作を生業(なりわい)にしている人や、○○評論家と言われる人やJAZZ演奏家など、なんとなく自分の中で憧れを持っている人は特に。
そして自分より年上だと安心する。
自分より年下だと、“そぉかぁ”と小さく溜息のような諦念にも似たものを口から吐き出す。
そんなことを繰り返している。

子供の頃、いつも夏休み(春休みにもあるが)に見ていた高校野球。
高校球児は自分よりもはるかに年上の男たちだった。
中学生になっても、山口百恵、桜田淳子、森昌子の“花の中三トリオ”はひとつ年上だった。
高校生になったある日、高校球児が(当たり前であるが)同世代であることに気づいた。
それでもまだたくさんの“年長者”がいて安心出来た。
幸い芸能界では“花の中三トリオ”以来、目だった活躍をする人がいなくて内心ホッとしているが、他の世界ではそうもいかない。
まずは現役寿命の比較的短い角界の力士たち。
彼らの年齢にいつしか追いつき、さっさと追い越してしまった。
そして球界から引退する人たちよりも年を喰ってしまった。
いや、まだホークスの“あぶさん”がいるか。

演歌歌手の年齢も若い人が増えて、私がその世界の人間ならすっかりベテランだ。
ピーターパン症候群と揶揄(やゆ)されようと、いつまでものほほんと生きていたい。
とはいえ、あと数年で同級生に孫ができるヤツも出現するだろう。
同窓会で孫自慢か。。。
考えただけで、恐ろしい。

最後には“金さん、銀さん”みたいな世界レベルの長寿の人たちだけが私の拠り所となるのだろうな。

2008年4月25日金曜日

黄色いカップ

長野が喧(かまびす)しい。
明日、北京五輪の聖火がリレーされるからだ。

1964年、郷里の播州赤穂でも東京オリンピックの聖火はリレーされた。
しかし、あのような田舎でも本当にリレーされたのだろうか。
あの年の11月で5歳になったということは、リレーは4歳の時、記憶間違いなのではないかと時々思う。
記憶では近所に住む親戚のおじさんに連れられて、聖火リレーを見に行ったことがインプットされている。
人垣も覚えている。
ただ、聖火はまったく記憶にない。

黄色いカップの明治アイスクリームを、その辺で買ってもらって、食べたことしか記憶にない。
平和な時代の話である。

2008年4月24日木曜日

ペットボトル

「恋愛は、性欲の詩的表現に過ぎない」芥川龍之介『侏儒の言葉』より
高校の同級生K月が、自分がもてないことを逆恨みしてか、ガールフレンドのいる友人に向かって多用した言葉だ。
もちろんそんなことを云われる側の方は、むしろ余裕綽々(しゃくしゃく)である。

K月に拓郎の歌の話をしても
「音楽なんて空気の振動に過ぎん」
と取り合わない。
と云いつつ彼は月刊『明星』(今の『Myojo』)の付録である新曲の冊子に収められていた麻生よう子のデビュー曲“逃避行”(1974年日本レコード大賞最優秀新人賞受賞曲)の歌詞をコピーさせてほしいと懇願してきたが。

帰りに駅のホームで電車が入ってきたとき、手に持っていたミネラルウォータアのペットボトルが電車の音に呼応して振動した。
細かな震えを手で感じたとき、
「成る程、音は空気の振動だ」
などと感心していると、ふとそんなK月のことを思い出した。

“坂本竜馬も一人の男に過ぎなかった”
数多(あまた)ある幕末モノを探せば一ヶ所くらいそんな表現がありそうな気がする。
どうやら
「○○なぞ○○に過ぎない」
の称号を獲得するのは、
「○○と云えば○○」
の称号を獲得するよりも難易度が高そうである。

そうか、K月は本当は拓郎が好きで、それでもって彼は彼なりに“恋に恋していた”に違いない。

それにしても
「女と云えばハセキョー」
「動物園と云えば王子動物園」
「芝居と云えば忠臣蔵」
などは、世間も納得するだろうが
「性欲と云えば恋愛」
では、どうにも締まらない。

2008年4月23日水曜日

未来都市

台場に引っ越したサントリーで会合(正確には隣接する飲食店の入っているビルでだが)があり、久しぶりにゆりかもめに乗った。
新橋からお台場海浜公園まで6駅目だ。
近いようでいて、また“本土”から見て、目と鼻の先と侮っているとあとで焦(あせ)ることになる。
兎(と)に角(かく)ゆるりと走ってくれる。
思ったより時間がかかるのが、ゆりかもめだ。

しかも自動運転のくせにドライビングテクニックは結構荒い。
加速とブレーキングでガクンガクンと来るし、コーナーの攻めも案外鋭い。
まぁ、それがゆりかもめの魅力でもあるが。

それにもましてあの車窓からの眺めったら。
新橋を出てからビルの谷間を縫う感覚で、それでもってそのあたりの同じ高さにあるオフィスの様子を見せるように、そうさながらディズーランドのアトラクションのようだ。
今度はループ線方式で上昇してから向こう岸に渡るので、どっちを向いて走っているか分からなくなる。
それが迷路感覚で気持ちいい。

あの座席もあそこまで狭いと却って譲り合いの精神が出てくるのではないか。
夕闇迫る中を走るゆりかもめは実にドラマチックだ。

会合を終え夜9時過ぎにお台場海浜公園からゆりかもめに乗った。
来たときよりも早く着くような感じがする。
すっかり夜の街だ。
車内放送が
「まもなく新橋に到着します」
を告げるころ、窓から見えるのは汐留の日本テレビだ。
旅の最後を飾るに相応しい景色だ。
幻想的という言葉がピッタリくる。
そう、子供のころ想像した“未来都市”のような建物なのだ。

ゆりかもめでワクワクできるのは、私の特技かもしれない。
いや、案外“隠れ同好の士”がいるかもしれない。

2008年4月22日火曜日

東京人

“ふくお”“かしわえ”“とうとうりょく”“ひぐれさと”
もう気付いたかもしれないが、それぞれ東京都内の地名“福生(ふっさ)”“狛江(こまえ)”“等々力(とどろき)”“日暮里(にっぽり)”の私の読み間違い、上京初期の頃から5年にかけてまでの話である。

“かしわえ”などは、完全に漢字を間違っているので恥ずかしい限り。
そんな私もすっかり都会人だ。

東京駅の皇居側が丸の内だと理解している。
京橋のタイ料理『ワンタイ』に行くときも道に迷わなくなった。
『ワンタイ』に行くときの目印にしている八重洲ブックセンターを目指して電車を降りるときも、3回に1回くらいしか降り口を間違えない。
しかし八重洲ブックセンターに辿(たど)りつけば、まず迷うことはなくなった。
行きつけの神田の上海料理『竹苑』に行くときも、あの複雑な神田駅周辺であっても、降り口さえ間違えなければ2回に1回は迷わず行ける。
たとえ降り口を間違えても、店に電話をかけて總經理(そうけいり、つまり社長)の蔡(サイ)さんか美人店員の陸(ルー)さんの親切なガイドで、たいていスムーズに入店できる。
原宿の竹下通りに行くときには辺鄙(へんぴ)な方の改札を使うほうが近いことも知っている。

オフィスから見える東京タワーを見るたびに、私も東京人になったものだなぁと感慨に耽(ふけ)る。

2008年4月21日月曜日

野田岩

1970年代半ばだったか“アンノン族”という言葉が流行した。
雑誌an-anかnon・noを片手に、その雑誌で紹介された観光地に押しかけ蹂躙(じゅうりん)していったことで、古都を愛する旅行者からは随分と恐れられた。

non・noという雑誌が今でも生息しているのかは知らないが、今日後輩女子Hさんからan-anの最新号をもらったので帰りの電車で読んでみた。
雑誌は、掲載されている広告を見れば、その読者が透けて見えるものだが、ある箇所に集中して出稿されている広告を見て驚いた。
“霊視”“霊能”“予知”などの文字が、まるでかつて清里を蹂躙していったペンションのように乱立していた。
本当に乱立という言葉がピッタリなくらい、相当な数の広告が掲載されているのである。
もちろん訊いたこともない○○研究所などが広告主であるが、広告料を支払うからには、儲かっているのだろう。

そういえば、記事の内容も
~あなたは、こうあるべきなのですよ!~
~あなたは、こうだけど大丈夫!~
~あなたもこうすれば○○美人!~
などと、どこか「宗教的」である。

私も霊感の強さには自信がある。
云ってみれば、霊能者の一人である。
私だったら麻布の『野田岩』で鰻をご馳走してくれたら、何でも霊視してあげるのに。

2008年4月20日日曜日

少年探偵団

今日4月20日は、高校の時に好きだったS田さんの誕生日である。
好きだっただけで、完全に片思いで終わったことをここに付しておく。
最近の有名人で云うと、テレサテンに少し似ていた。
S田さんは、わが淳心学院の隣の女子高K女学院に通っていた、美しい女生徒であった。
そんな彼女も今日で48歳である。

高校時代に私が心を奪われたあとに、同級生のK橋も懸想(けそう)するようになり、私のライバルになった。
純粋な心の持ち主である私に比べて、K橋は少し世間にスレたところがあり、また高邁(こうまい)な志が顔に表れた私と違い、彼は軟派なところがあったので、K橋に分(ぶ)があったように思う。
そんなK橋とは、なぜか腐れ縁で、パイロットの『3776』と云う万年筆が発売されたとき、同時期に買っていたことがあとで分かったし、吉田拓郎の5本組ビデオもそうであった。
また、同じく二浪したことも悲喜劇である。

S田さんとは、渋谷で24、5年前にK橋と3人で会ったのがおそらく最後だ。
もし彼女に子供が出来ていたら、子供は最後に見た彼女の年齢に達しているかもしれない。

数年前のこと、同級生H原の姉がK女学院のOGなので、OG名簿でS田さんの連絡先を探してもらった。
あった。
結婚してN川さんになっているとのこと。
そうか。。。
K橋にある相談を持ちかけた。
「連絡取って会いに行かんか?」
「うーん、、、行こう!」
「よし決まり」
「そしたら俺が電話してみるよ」

おばさんになってしまったS田さんに会いたかった。
そして時の流れを感じて、青春の1ページを捨てたいような、心のささくれを抜きたいような、複雑な思いだった。
ほどなくK橋からメールが来た。
電話したけど、社宅っぽい反応で、確かにその番号のところにいたようだが、引越したようだったので、それ以上は訊けなかったとの由。

こうして二人の少年探偵団の企ては未遂に終わった。

私の青春への純粋な思いとは裏腹に、K橋は不倫を画策していたのではないかと思えてならない。
いや、もし娘さんがいたら、そこに照準を定めるつもりだったのかもしれない。
未遂に終わってよかったのだ。
いや待てよ、K橋のことだから、本当はあの電話番号で合っていて、一人でさっさと会いに行ったのかもしれない。

こうなったら、一人少年探偵団である。

2008年4月19日土曜日

はい、さようなら

年明けに読み始めた『世に棲む日日』司馬遼太郎著(文春文庫)全4巻を読了した。
途切れ途切れに読んでも、集中力は途切れないくらい読み応えのある内容だった。
長州(いまの山口県)の吉田松陰の生い立ちから始まり、やがて登場する高杉晋作の活躍が描かれ、明治維新という「革命」が長州人の独特の気風と高杉という天才によって開始されたことが、よく分かる面白い本であった。

この本で最も印象的だった箇所が4巻目にある。
革命成功が見えたあとに、高杉は高位高官を求めるのではなく、その場から去ろうとする。
曰く
「人間というのは、艱難(かんなん)は共にできる。しかし富貴は共にできない」

昨今、「その場の雰囲気を読めないだめなやつ」という意味で“空気読めない”の頭文字KYなる言葉が跋扈(ばっこ)している。
高杉にしても松陰にしてもまた坂本竜馬にしても、もし彼らがKYでなかったら、空気を読んで幕藩体制に安住あるいは諦念してしまっていたら、維新回天は屹度(きつと)実現していなかっただろう。

27歳8ヶ月で天に召された高杉は、多くの人が見守る病床で辞世の句の上の句を書いた。
おもしろき こともなき世を おもしろく

ひととき高杉をかくまって世話をしたこともある女流歌人野村望東尼(ぼうとうに)は続けた。
すみなすものは こころなりけり
高杉は満足して絶命したと云う。

おもしろき こともなき世を おもしろく 生きて愉しや はいさようなら

破天荒な高杉の生涯を読んでみて、私ならこう詠んだだろう。

2008年4月18日金曜日

鹿威し

昼近くだったか、同級生でNHK大阪放送局の住田アナウンサーから携帯にメイルが来た。
“電車遅れたとのこと、大丈夫?”云々と『返信』が来た。
こっちは“なんで住田から?????”である。

あっ!

今朝、強風で電車が遅れた。
オフィスの関係者数人に少し遅刻する旨のメイルを送ったのだが、何のことはない、送信先を一人間違えて住田君に送ったのだった。

こういうのを世間では“そそっかしい”と云うのだろう。
それにしてもこの“そそっかしい”にしても“慎重居士(しんちょうこじ)”にしても、それぞれの性質(たち)と云うものは、なかなかに治らないものである。

私が後輩女子Kさんを好きなのも、このそそっかしさ故(ゆえ)である。
Kさんは宇宙人なので、地球ではある意味居候(いそうろう)であるので、地球人に対して兎(と)に角(かく)優しい。
であるから、地球人の殿方は概してそそっかしいのだが、私を含めてすぐに勘違いしてしまう。
そして定期的にその甘い夢から覚めざるを得なくなる。

今夜もそうであった。
後輩O君を出汁(だし)にしてKさんと3人で、『わいわい』にお好み焼きを食べに行った。
全盛期のアランドロンのように甘い言葉で求愛したものの、毎度のごとく一笑に付されてしまう。
そう、鹿威(ししおど)しから水が流れて、カッコーンと鳴るように、夢から覚める瞬間である。

明日からまた優しいKさんは、鹿威しに水を注ぎ始めてくれる。

何日かすると、またそそっかしくも“カッコーン”と私の夢は砕け散る。

2008年4月17日木曜日

阿修羅のごとく

昼、出席者15人ほどの小さな会合に出た。
会場は日本工業倶楽部なので、昼食に出る弁当が上品なのはよいが、量が少なくてこまる。

左隣のネイムプレイトを見ると‘出井伸之’とある。
SONYの元会長の出井さん、今は会社を起こされてクオンタムリープ株式会社の社長である。

声をかけた。
「あっ、どーも。いつぞやは六本木のジンギスカンではご馳走になりました。」
去年だったと思うが出井さんがご馳走してくれると云うので、きっとワインなぞ飲ませるお洒落な店だろうと思っていたところ集合場所が六本木の『くろひつじ』だったので、招かれた10人ほどはみな意表を突かれた格好になり愉快であった。
名刺をいただいたところ、SONYの時はシンプルな名刺だったが、今はカラフルな名刺で、まるでベンチャー企業の社長だ。
さすがである。

少し雑談して食事を終え会合が始まったが、健康のためなのか、半分ほど残されていた。

SONYの社長時代、男の色気を持った人だなぁと思っていた。
ああいう顔、そう、云うならば興福寺の阿修羅像のような顔が昔から生理的に好きである。
他には例えば渡哲也、山口百恵、藤本義一、最近では相武紗季が“阿修羅顔”か。

初めて出井さんと会って挨拶したのは1998年の5月なのでかれこれ10年前だが、名刺交換の時に“抱き締められたい”と禁断の誘惑に駆られたのは、後にも先にもこの時しかない。

2008年4月16日水曜日

苦情は・・・

駅のホームに、私が好きな後輩Kさんに少し似ている娘(こ)がいて
「あっ、かわいいな」
と思った。
おそらく昔ならああいうタイプには、それほどときめかなかったと思う。

自分好みの女の子を好きになるのは当たり前だが、先に女の子を好きになって、するとそのタイプが好みになるってことはないだろうか。

Kさんは芸能人で云うと真矢みきに似ている。
すると、以前はそうでもなかったのに、テレビで真矢みきが出ると、何かしていても手を止めて、凝(じつ)と見入ってしまったりする。

以前は鈴木京香が好みで、そのころ好きだった女の子がなんとなく似ているなと思っていたりしたのだが、振られてしまうと鈴木京香に前ほどは執着しなくなる。
心なしかテレビ出演も減ってしまったのではないか。
鈴木京香もいい迷惑であろうが、苦情は私を振った女性にお願いしたいものだ。

2008年4月15日火曜日

TDL

TDL、こと東京ディズニーランドが今日で開園25周年とのこと。
ということは、1983年か。
大学4年生のはじめだ。
まったく気にも留めなかったのか、記憶に残っていない。
就職活動をやりはじめたのは夏だったので、そのせいでもない。
屹度(きっと)貧乏だったのだろう。

それでも1984年の春休みは銀行に駆け込んで借金を申し込み、卒業旅行と称して2週間の米国西海岸旅行と洒落(しゃれ)こんだ。
“お約束”のようにアナハイムにあるディズニーランドにも立ち寄った。

帰国して密かに期待した。
誰か訊(き)いてくれないだろうか。
「もうディズニーランド、行った?」
すると私は勝ち誇った気持ちを抑えつつ答える。
「ああ、行ったよ。でも日本のは、まだやけどね」
この完璧なシミュレーション成立の機会を凝(じつ)と待ったが、結局誰も訊いてくれなかった。

横浜の上大岡のホルモン焼き屋には毎週のように通ったが、そもそもディズニーランドという柄(がら)ではなかったことが誤算だった。