2008年5月31日土曜日

別世界

『仕事は5年でやめなさい。』松田公太著(サンマーク出版)を読了した。
松田氏の肩書きは、タリーズコーヒー インターナショナル会長・クイズノス アジアパシフィック社長とあり、本の帯には“タリーズコーヒーをたったひとりで日本に根付かせたあの伝説の経営者が、初めて明かす仕事術。”とある。
1968年生まれとあるから、バリバリのベンチャー経営者だ。

編集者氏によると、著者は脱稿してからも完成度にこだわり、表紙の写真にも一家言あったとのことで、口には出さないが上梓されるまでには人知れぬ苦労があったようだ。
多くの経営者を見ていて思うが、雑誌やテレビで紹介されているイメージと現実のいかに違うことか。
生半可な気持ちでは、会社経営は出来ないのである。
たまにビジネス誌で“会社を潰す経営者のタイプ”のような企画があり、「社長室を豪華にする」「社用車は外車」「豪遊するようになる」などがいつも挙げられるが、間違いなく私は会社を潰すタイプだ。
私が社長になって会社を潰したら、屹度(きつと)この項目に「美人秘書を雇う」「美人秘書をもう一人雇う」「美人秘書を念のためもう一人雇う」など、新たなカテゴリーを提供することになるだろう。

長嶋茂雄氏のバッティング理論は、参考にならないと云われる。
「球が来たらね、バッ!と振るんですよぉ」
など、凡人には分からない世界だ。
本書も所謂(いわゆる)そんな世界が満載である。
「苦労こそ仕事の糧(かて)だ」
「人生を切り拓け」
「残された時間は少ない」

生来の怠け者にとっては、やはり、、、別世界だ。

2008年5月30日金曜日

What the Dickens!

Newsweek2008-4・9号のコラムTOKYO EYEに“Hidden Tastes Exposed もう世界に隠せない居酒屋で味わう隠し味”と題してMark Robinson(マーク・ロビンソン)氏が、都内の居酒屋2軒を紹介していた。
そのうちの1軒、恵比寿の『さいき』にお邪魔してきた。
相手は、殿方から惜しまれながらも人妻になってしまったが、変わらずS出版で良書を生み出す宮崎美人の編集者Hさん。
昨年の12月5日以来、久しぶりの再会だ。

入店すると、ネットに書かれていた通り
「いらっしゃいませ」
ではなく
「おかえりなさい」
と云われる。
席について飲み物を注文すると、ネットに書かれていた通り、お通しが3品供される。
今夜は、アスパラを湯がいたものにマヨネーズドレッシングがかかったものと、烏賊(いか)を炊いたものにおろした生姜が添えられたもの、それにお造りは湯引きした鯛が一切れと烏賊だ。
まぁまぁいける。
ネットに書かれていた通りの凍結酒を注文して飲んだ。
以前、古酒を凍結させたものを飲んだときは感動したものだが、こちらは普通の酒を凍結させたものなので、単に普通の酒の味だ。

それにしても、ネットに書かれていた通り、常連のための店だ。
一見さんが冷遇されるという意味ではなく、常連がこの店をなにやら拠り所にしているような雰囲気で、“家庭は大丈夫か?”“仕事は大丈夫か?”と心配したくなる。
余計なお世話か。
常連が入店し、退店するたびに
「おかえりなさい」
「行ってらっしゃい」
と店主や店員が声を掛ける。
聞いているうちに、店の外にトイレがあって、そこに出入りしているように思えてきた。
大きなお世話か。

9時過ぎになって河岸(かし)を変えたくなった。
Hさんに
「ギネスの美味い店があるのでいかがですか」
と云ったら快諾して呉れたので2軒目へ。
おそらく6、7年振りになる『What the Dickens!』へ。
相変わらず混んでいた。
そしてこの非日常空間が愉しい。
この店ではタバコが煙いとか云ってられない。
ロックの生演奏が響き渡る。
ギネスが美味い。

あっ!
いかん!
一寸(ちょっと)ロマンチックだ。
下心と云うものは、男たるもの常に携行していなければならないが、この店の選択にあたっては、それは意図していなかったので、複雑な気持ちになる。
などと勝手な妄想を抱きつつ、11時が過ぎたので退店。

Hさんは、遅くまで働いている旦那さんと待ち合わせるとのことで、反対方向の電車に乗って行った。
後ろ姿を見送った。

2008年5月29日木曜日

青葉繁れる

帰りの電車でのこと、珍しく普通の女性が私の傍(そば)に立った。
“珍しく”と書いたが、そういうことが珍しいからだ。
なぜか女性、特に若い女性、特に美人は、私を敬遠するようなポジションに立つことが多いように思えてならない。

井上ひさし氏の大傑作『青葉繁れる』(文春文庫)の冒頭にこんな件(くだり)がある。
主人公の稔が朝登校するときに、近くの女子高生に妄想を抱きながら、
~にやりと笑いかけた。女子高生は目にはっきりと敵意をあらわして稔を睨(にら)みつけながら通り過ぎて行ってしまった。無論どんなに冷(ひや)やかで厳しい拒絶が撥(は)ね返って来ても、未来妄想劇の相手役は後から後から陸続(りくぞく)とやってくるのだから、稔はいささかもこたえない。~
笑ってしまった。
こういう考えが許される?ことを知って、意味もなく安堵して、名文だ!と思った。

件(くだん)の美人は週刊ダイヤモンドを読み始めた。
朝、日経を読む女性は増えてきたが、帰りに週刊ダイヤモンドのような経済誌を読む女性はなぜか魅力的だ。
左手薬指には結婚指輪。
落ち着いているわけである。
ふと鼻腔をくすぐる官能的な香りが。
あっ!
某大手新聞社のやり手の美人記者、Tさんのコロンと同じではないか。
Tさんも結婚している。
帰りの電車では、経済誌など読むだろう。
よって、この女性もマスコミ人に違いない。
屹度(きつと)敏腕記者だ。
など、この程度の妄想は愉しい。

サザエさんに出てくる登場人物、そこまで遡(さかのぼ)らなくても、赤塚不二夫さんの『おそまつくん』や『天才バカボン』に出てくる人も、外見だけで職業が分かるように描かれていた。
例えば、魚屋さん、八百屋さん、植木屋さん、作家先生、警察官、どろぼうなど。
それも昔の漫画の、特徴のひとつだ。
最近は漫画の世界だけでなく、現実でも外見だけで職業や人柄を判断するのが困難になってきた。
そのスジの人がゴルフに来ているのかと思ったら、本物の坊主だったりする。

とはいえ、身に纏(まと)っているコロンも、案外、職種によって好みが収斂(しゅうれん)するのかもしれない。
まぁ、今日の“ダイヤモンド美人”がマスコミ人とは限らないのだが。
こんなことまで妄想してしまうから、美女が寄りつかなくなるのだ。

えっ?
違う?
視線がいやらしいから?

2008年5月28日水曜日

ワンイヤールール

私は賭事や株式投資を基本的にやらない。
先を見通す力が皆無だからだ。
昔から女性と付き合ったりするといつも
「この女性とは、きっと何十年も続く」
と、確信するのだが、たいてい一年で愛想を尽かされる。

まるで企業会計原則のワンイヤールールのようなものだ。
一年以内に、恋は見事に“流動性”を発揮して、スピンアウトしてしまう。
あるいは、女性にとって私の耐用年数は一年、と会計法規集で定められているのかもしれない。

とにかく、バクチや株に手を出さないのは、冷静で冷徹な自己分析の賜物だ。

ただ、今もってわりと簡単に女の子を好きになるのは、先を見通す力が皆無であるからに他ならない。

2008年5月27日火曜日

裁判員制度

たまにテレビで聞いたり、新聞や雑誌などのコラムで読むコメントにこう云うのがある。
「もう時効だから云うけど・・・」
この本人は、本当に時効の到来を六法全書や裁判の判例集などでちゃんと調べてから云っているのだろうか。
柿を盗んだとか、海外の旅先でつい禁を破ってなど、たいてい他愛もないことが多いが、もしその事実が立証され、時効が到来していなければ、それは立派な自白だ。

また
「もう時効だから、告白するが」
なぞと、昔の“火遊び”など、したり顔でゆめゆめ口外してはならない。
世の細君には時効なぞ法律論が通じるはずもなく、成文法ではなく山の神たちの定めた勝手な慣習法によって終身刑が下される。

一般人まで裁判に駆り出される裁判新制度が来年5月21日にスタートするということで、法務省なぞのPRが喧(かまびす)しいが、刑法を知ったような顔をして
「もう時効だから」
なぞ、生兵法(なまびょうほう)は大怪我(おおけが)のもとなのである。

2008年5月26日月曜日

変身

今日、道を歩いていて不思議な感覚に陥った。
これは初めてではない。
むしろ何度もある。
それは、歩いていて何故前に進むのだろう、という疑問が湧くのである。
右足を着地する。
右足は地面に着いている。
右足は地面で止まっている。
今度は左足を着地する。
左足も地面に着いて止まっている。
しかし、上に乗っかっている体は前に動いていく。
足は、瞬間は止まっているにも関わらず。

申し訳ない。
もう少し分かりやすく解説する。
ブルドーザーや戦車。
あれはたいていキャタピラで動くようになっている。
キャタピラを見ると、駆動輪は確かに回っているが、地面に着いている部分はハッキリと止まっている。
しかし上に乗っかっているボディーは前へ前へと進んでいく。

足も、キャタピラもズルズルと滑っているのなら、上に乗っかったものが前へ進むのは理屈が分かる。
しかし、地面に接している部分は止まっているのである。
なのになぜその上にある部分が移動していくのか、分からない。
そんな不思議な感覚に時々陥る。

基本的には違う話だが、感覚としては同じような種類に、駅のホームに滑り込んできた電車の中の景色がある。
ボーッと見ていると、瞬間ストップモーションのように中の様子が見える時がある。
しかしどんなに頑張って目で追おうとしても、速すぎて絶対に見えない。
決まってボーッとしているときに、時々起こる不思議な現象だ。

これに関してヒントになりそうな話を本で読んだことがある。
『進化しすぎた脳 中高生と語る〈大脳生理学〉の最前線』池谷裕二著(講談社)に書いていたと思うが、人間は死に直面したとき、例えば事故に遭って車が横転する瞬間、風景がスローモーションのように見えて、今までの出来事が走馬灯のように見えると云う。
これは決して不思議なことではなく、脳生理学的には説明のつく話との由。
つまり人間は生命危機に晒(さら)されると、聴覚や視覚は働くことを止め、脳神経がフル稼働するのだということが書いてあったように思う。
随意筋で目玉を動かして景色を見るのではなく、視神経で捉えた景色を脳が直接画像処理するのである。
そして走馬灯の話は、脳の深層に封印していた記憶を、呼び覚ました結果だとも。
非常に興味深い話であった。

私の脳は極めて原始的な働きを、たかが駅のホームで果たすようである。
人類(ホモサピエンス)が生まれてせいぜい20万年。
それから今の私まで、サルが雲梯(うんてい)をするように、間違いなくどの瞬間も途切れることなく祖先が繋(つな)がって私に至った。
そして私はいまこの地球に留まっている。
20万年前からしたら、恐ろしいほどのスピードで歴史が動いてきたにも関わらず。

もっと遡(さかのぼ)れば、地球誕生の46億円年前は、私はおそらく塵(ちり)のような存在だったはずだ。
それから何か奇跡があって、アミノ酸みたいなものに変身したに違いない。
それからはミジンコのようになり、三葉虫くらいまで進化した時代もあっただろう。
三葉虫が、私になったとしたらカフカもびっくりである。

矢張(やは)り私と云う存在が偉大であることが、この一事でもよく分かる。

2008年5月25日日曜日

泣ける話

琴欧州が夏場所を制して初優勝した。
見た目も格好いいのだが、あの物腰の柔らかさが好きで、こっそりと応援していたので気分がいい。
恩師でもある先代の琴桜の肖像画に毎朝手を合わせていたという。
この手の逸話は大好きで、泣けてくる話だ。

高校時代、通学電車で一年先輩のS田さんが
「あの娘(こ)、琴桜に似てるやろ」
と云った。
私が以前からかわいいと思っていた娘である。
しかし、そう云われると確かに似ている。
美人と琴桜は紙一重という真実を知った瞬間だ。

最近、仕事で一緒になったある女性。
彼女は水戸泉に似ている。
しかし彼女は自分では小雪に似ていると云う。
そう云われると小雪と水戸泉は、似てなくもなくもないかもしれなくもない。
認めたくないが。。。
泣けてくる話だ。

2008年5月24日土曜日

春夏秋冬

昔、武田鉄矢さんだったか、インドに行ったときの話をテレビでしていた。
電車には冷房がなく、蒸し風呂のよう。
しかし誰も窓を開けようとしない。
窓を開けたらどうなるか。
外の熱風が吹き込んできて、大変なことになるからとのこと。
みな、凝(じつ)と目を閉じて黙っている。
インドの仏教というか、瞑想文化というのは、こういう気候から生まれたのではないかとの由。

昔、栗原小巻さんがテレビ朝日『徹子の部屋』だったかで、こんな話をしていた。
極寒のシベリアで映画を撮影したときのこと。
息も凍る厳冬の中で感じたこと。
それは“あんな厳しい環境の中では、愛なくしては生きていけないことがよくわかった”との由。

先日買ったサザンのベストアルバム『Yeah!!!!!!!!!!』のカヴァアに、小さな小さな文字で何か書いてある。
悲しいかな、眼鏡を外さないと読めない。
ところどころで虫眼鏡も動員した。

A planet called the earth, which I've ever visited, had a spectacular season, the summer.
In the summer there, numbers of flowers have bloomed all over, numbers of aventures have rolled out, and numbers of sweet music have performed.
I do believe the season will never ends to the future.
Glitters of a ripple in the sun, sounds of wind, girl's whispers, mysterious of the ever lasting sea, smells of love and the blue blue endless sky.
“ALL I NEED IS SUMMER”

嘗(かつ)て私が訪れた、そう“地球”という名の星には、妖(あや)しい光彩を放つ“夏”と云う季節がある。
至るところに鮮やかな花が咲き乱れ、その香りに誘われた男女は次々に恋に落ち、どこからともなくBGMが流れてくる。
この季節は、“この恋は永遠だよ”と男女に信じ込ませ、容赦のない“演出”はまだ続く。
 ギラギラ照りつける太陽
 束の間の涼風
 誘いを待ってる女の子
 格好のステージは決まって海
 恋の予感
 今年の空も底が抜けている。
やはり夏には、、、そう!夏が欠かせない!
(訳:円齋)

なるほど夏はいい季節だ。
寒くて萎縮してしまう冬と違い、パンツ一丁で過ごせる夏は、昔から大好きだ。
この季節を愛せるか、“嫌な季節がやってきた”と天を睨(にら)むか。
これが青春の分かれ目だ!

外は雨が降っている。
書斎の窓を少し開けてみる。
空気の匂いを嗅ぐ。
うん、もうすぐ夏だ。

「汝は、まだ夏を愛していますか」
「汝は、これからも夏を愛することができますか」
自問してみる。

ウッシ!
大丈夫だ。

2008年5月23日金曜日

男好き

細君と同い年だが未だにバアビィドオルのような美しさを保つ、メイルルウムのKさんに電話をして、月曜日に必要な朱肉を借りに行った。
期待通り、歌人の黛(まゆずみ)まどか似で男好きのする美人Yさんがいた。
私の顔には“期待通り、歌人の黛まどか似で男好きのする美人Yさんがいた”と書いていたらしく、Kさんはニヤッと笑い朱肉をYさんに渡す。
Yさんも心得たもので
「どうしようかなぁ、貸してあげようかなぁ、何か甘いもの食べたいなぁぁぁ」
と、朱肉を玩(もてあそ)びながら云う。
「そぉかぁ、ではこんど何か買ってこないとねぇ」
おそらく私の顔はみっともないくらい、脂(やに)下がっていたことだろう。
矢張(やは)り、女性は美人で少し意地悪なくらいなのが、蠱惑(こわく)的である。

Yさんの服のセンスは頗(すこぶ)るよい。
今日は、淡く退色させたようなアロハシャツの生地のワンピースだ。
すかさず
「今日は『稲村ジェーン』みたいですね」
と、褒(ほ)め上げた。
YさんとKさんは
「ふふふ」
と笑って目を合わせた。
やおらYさん、Kさんに向かって
「稲村ジェーンって、どんな人ですかぁ?」
思わずKさん、こちらを向く。
目を合わせた私とKさん二人の心中
「そうだ。世代が違うんだ・・・」
Kさん
「あ。。。サザンの映画の題名でね、、、えっと、、、その洋服が湘南っぽいねって」
「あぁ、そおですかぁ、どぉもぉ(笑)」

30年ほど前だが、毎日放送の名物ラジオ番組『ヤングタウン』を聴いていたら、笑福亭鶴光氏が、“はぁ~っ、しゃいなら~っ”で一世(いっせい)を風靡(ふうび)した漫才師平和ラッパ(1909-1975年)の話題を出した。
アシスタントの女の子は
「はぁ、そういう種類のラッパがあったんですね」
鶴光氏とアナウンサーの角(すみ)淳一氏は
「時代が、違うんやなぁ」
と、突っ込むこともしなかった。

1984年、社会に出て初めて合コンを経験した。
出身地の話になり、私は
「兵庫県の播州赤穂の出身で、ほらあの赤穂浪士の町ね」
すると同席の女の子は
「えっ?ア・ク・オ・ロ・シですか?」
「いや、赤穂浪士」
「えっ?わかんな~い」
「えっ?ほら、元禄時代の有名な忠臣蔵の・・・」
「あっ、私って歴史は苦手なんですぅ」
「いや、歴史という話ではなく」
大学時代から合コンで鳴らし、合コンで細君まで射止めた高校友人H原が、何か云って流れを変えたような気がする。

だんだんと言葉が通じなくなっていくのは、世の常である。
Yさんに“期待通り、歌人の黛まどか似で男好きのする美人Yさんがいた”と云っても屹度(きつと)こう云われるのが落ちだ。
「あっ、歌人って、歌手のことですよね?」
「『雲にのりたい』を歌った人ですよね?」※黛ジュンの1969年の大ヒット曲

そしてこう云ってふられる。
「ひど~い!私のこと男好きなんて!」

2008年5月22日木曜日

木の鼓動

不本意にも、まことに不本意ながらも、仕事で連日遅くなると云う、堕落した日々を送ってゐる。
自宅の前にある体育館跡地まで来て、大きな木を見上げる。
怒りもせず、不満もぶちまけず、嫌な奴と話す必要もなく、しかし笑うこともなく。
泰然自若としてゐるから、この生物は、世俗に塗(まみ)れた動物なぞとは出来が違い、長生きするのかもしれぬ。

大きな動物も小さな動物も、一生の鼓動の数はほぼ同じ、などという話を聞いたことがある。
ネズミなどの短命な動物は、なるほど早鐘(はやがね)のように鼓動を打つ。
では人間様も、鼓動を早めるスポーツなるものは、命を縮める愚行かと云うと、そう単純な話ではなく、適度な運動は心臓の働きを強め、日常の脈拍を遅くする。
ゆゑに適度な運動は、寿命を延ばし、過度な運動は却(かえ)って体を害するとの由(よし)。

なるほど、何千年も生きる木の鼓動や、如何に。

ゆっくりすぎて、人の耳では聞き取れぬものかもしれぬ。

2008年5月21日水曜日

鉄火巻

東京駅丸ノ内口、今の新丸ビルが建つ前、ビルの名前は知らないが、あの一等地にしては古ぼけたビルが最近まで建っていた。
正面なのに目立たぬ階段があって、地下に潜ることができた。

数軒の飲食店があり、いつも空(す)いていたので、いざというとき重宝したものだ。
一軒ワインバーらしきものがあって、ワインこそたくさん並んでいたが、造作(ぞうさく)は地方都市の駅前の喫茶店だった。

美人の店主がおり、男どもは鼻の下を伸ばして、見栄でそこそこのワインを頼み、満足そうに飲む。
つまみはチーズやサンドウィッチなど軽食中心だったが、メニューを見ると、ワインなどには縁もなさそうな客を見透かすように鉄火巻があり、丸の内一等地にこの店があることの違和感をさらに増幅させてくれ愉快であった。

今、未来都市のようなビルになって、あんな店作りや品揃えは許されないだろう。
垢(あか)抜けたというより、街が余裕を失ったように見える。

2008年5月20日火曜日

休止宣言

19日朝刊での15段(1面)ぶち抜き、サザンオールスターズの休止宣言の広告には驚いた。
なにせ17日の土曜日にベストアルバム『Yeah!!!!!!!!!!』を購入したばかりだ。
処分品のゴンドラの中にあって10%offの表示、アルバム2枚なら15%offとのことだったので、思い切って『キャンディーズ ゴールデン☆ベスト』も購入した。
もしも休止宣言のニュースが流れたあとだったら、屹度(きつと)サザンのCDは売り切れていたか、値引きのシールは剥(は)がされていたに違いない。
相変わらず私の霊感はすごい。

そのあと同じ駅ビルの本屋に立ち寄ってふと『「残業ゼロ」の仕事力』吉越浩一郎著(日本能率協会マネジメントセンター)が目に入ったのでつい衝動買いしてしまった。
吉越氏は1992年から2006年までトリンプ・インターナショナル・ジャパンの社長を務めた方だ。
読みやすく、もう読み終わってしまったが、なかなかに箴言(しんげん)が散りばめられていた。
~(仕事の)優先順位を考えたり、スケジュール表を作ったりするひまがあるなら、その前に仕事の一つも片付けたほうがいい~
~残業があるかどうかは、仕事の内容ではなく組織の風土による~
~要するに、にぎやかで活気あふれるオフィスというのは、誰も仕事に集中していない状態なのです~

快哉(かいさい)を叫びたくなるような、そう、ある意味でサラリーマン川柳を読むときのようなシニカルな内容が満載であった。
書斎に同社が40周年(2004年)に作成した8cmCD-ROM、キャンペーンガール池端忍のスクリーンセーバーがある。
こんな残業ゼロを実現した経営者がいた会社だからこそ、男性にも配慮した記念品を配ってくれたのか。
脱帽である。

ひとつ私も“休止宣言”するか。。。
収入が15%offでは、済まなくなるところが辛いところだ。

2008年5月19日月曜日

一寸の虫にも五分の魂

昨日ジムに行ったら、ジムの会長から
「お知り合いの方が、昨日体験入門に来られましたよ」
「えっ?!誰ですか?」
「Oさんって女性です」
「あぁ!大学の同級生です」
今年私が親しい人に送った年賀状は、私が上半身裸でファイティングポーズを決めている写真をデザインしたのだが、なんでも私の腹筋が割れているの見て、意を決して門をくぐったとのこと。
さすが旧姓H中さんである。
昔から行動派だ。

それにしても、後にも先にもこれほど評判の悪かった年賀状はない。
「新年早々、気持ち悪いものを送ってくるな」
「すぐポイしました」
「家にシュレッダーがあってよかった」
「最低のナルシストだ」

これだけ評判が悪いと、却って気持ちが良かった。
昔から“抱かれたい男”にランクインする男は、たいてい“抱かれたくない男”にもランクインするものだ。
ただ“抱かれたくない男”にだけ顔を出す常連が存在することは、少し気になるところだが。

まぁ、それくらいの“抵抗勢力”は、計算済みである。
メタボを克服した記念に、どうしても撮って、自慢したかったのだから仕方がない。
宮沢りえだって若いころ“記念”に脱いだのだ。
私が記念に脱いでも許されて当然である。

酷評された年賀状であったが、捨てる神あれば拾う神あり、一寸の虫にも五分の魂である。
H中さんに審美眼があって、本当によかった。

来年に向けて闘志が湧いてきた。

2008年5月18日日曜日

湯の町慕情

最寄り駅の近くでは、コンビニとスーパーがほぼ隣接している。
ふとコンビニを見ると、あまりにシステマチックな店構えに違和感を覚えてしまった。
同じお金を払うにしても、スーパーへは商品の対価だが、コンビニへはコンビニのビジネスモデルを維持するための利益供与のような不思議な気持ちが芽生えた。
コンビニ、、、見た目に美味しそうなサラダを買って帰って食べ始めると、容器がすり鉢(ばち)状になっていて表層的な豪華さに騙(だま)されていたことが分かる。
お惣菜などに、防腐剤、保存料不使用と謳(うた)いつつ、裏の表示を見ると夥(おびただ)しい種類の添加物が表示されている。
確かに“嘘”はついていないが、釈然としない。

スーパーは、生鮮品や見切り品は、値引きする。
損して得取る昔ながらの商売が生きているが、コンビニでもたまにやるがどうにも似合わない。
ましてや八百屋や魚屋でよくある
「はい、320円ね。いいよ、300円で」
という端数切り捨てなど、コンビニではありようもない。
田町駅近くのコンビニでは、店の前に置かれたテーブルで酒盛りしている若人たちまでいる。
屹度(きつと)酒の肴(さかな)までコンビニで調達しているのだろう。
居酒屋の命運やいかに、である。
そのうち若者の中には
「私は生まれてからコンビニでしか買い物をしたことがありません」
と云い切る輩(やから)が出てくるに違いない。

以前、あるテレビのインタビューで、米国人に“湯船に浸かるという意味で”
「お風呂に入ったことがありますか?」
と質問したら、大多数は
「時々ね」
という答だった。
これだけでも
「時々?!」
と驚くのに
「一度も入ったことがない。シャワーだけ」
と答えた人もいて驚愕(きょうがく)。
そんな人には、バイクで冬にツーリングしてやっと宿に着き温泉に浸(つか)かったときの愉悦(ゆえつ)を説明しても分かってもらえない。

だからか、たまに武蔵小山商店街に行くと、華やかなりし頃の温泉街の風情がある。

2008年5月17日土曜日

憂きことの

昨年、ジムの会長にいただいた本に、やっと取り掛かることができ、読み終わった。
『ラッシュの王者 ― 拳聖・ピストン堀口伝』山崎光夫著(文藝春秋)だ。
ジムの会長は、この拳聖と呼ばれた稀代のボクサーのお孫さんにあたる堀口昌彰氏。

本の帯には“昭和史に眠る連勝記録の謎”“不世出の大ボクサーがいた”とある。
日本連勝記録でもある47連勝(1933~37年)は驚異的だ。
総勝ち星も138勝で日本記録、194試合の最多試合ももう破られることはないだろう。
彼に関する本やビデオは数点持っているが、久しぶりに彼の記録を辿(たど)ると溜息が出る。
本書は、発見された彼の日記を、著者が借りることができ、その内容を転載することによって、人間臭さを表現することに挑戦している。
彼がボクシングと云うものに出合った昭和6年から3年後、まさに絶頂期の昭和9年1月1日の日記にこう記(しる)している。
~憂きことの なほこの上に つもりかし 限りある身の 力ためさむ。そうだ、今年はこの意気でやるんだ!~
引用した歌は、山中鹿之助の作というのが有力だ。

ピストン堀口のデビューからの試合もつぶさに見てきた評論家の郡司(ぐんじ)信夫氏は、10数年前、堀口昌彰会長が現役で日本チャンピオンに挑戦して惜敗したあとに、このように云っている。
「これだけ科学的ボクシングが普及するとどのジムでも指導法にそう違いはありません。ロードワークやスパーリングなどメニューは似たりよったりで、それをこなせばどの選手もある程度のラインには到達する。ところがチャンピオンになるボクサーは何かが違うのです。差はほんの紙一重です」
「結局、自分をどれだけ知るかでしょうね。知り尽くせば迷いはなくなります。それと勝負への執念です。人が飛躍するのは技術を磨いたときじゃありません。チャンスのとき、捨て身になれるかどうかです。ゼロになってかまわないと、すべてを賭ける気持ちで相手に当たらねば勝利は摑(つか)めません。精神力の差が勝敗に表れます」

多くの世界チャンピオンを育てた名伯楽エディ・タウンゼント氏も同じ意味の言葉を残している。
「・・・世界チャンピオンになれる、なれないは、どれくらいの差があるの?」
人差し指と親指を摘(つ)まむように見せて
「これだけよ。ほんとうにこれだけの差よ。わかる?」
“もうだめだ”と諦めるか、“あと少しだけ”と思って頑張れるかの差だと強調したと云う。

心身ともに僅(わず)かながら減退を感じる今日この頃、気張らず、焦らず、ゆるりと前進してまいろうぞ。

2008年5月16日金曜日

蹴りたい背中

昨年、花王石鹸のミュージアムを訪問したら、顔の皮膚の状態を測定する機械があった。
好奇心旺盛な私であるから、早速測定してもらった。
判定は[オイリー]&[乾燥]。。。
案内してくれて、測定機器を操作した女性は説明を躊躇(ちゅうちょ)していたが、どうやら私の顔は油っぽくて、干からびているということのようだ。

まぁ、そういう顔なので、タオル地のハンケチを持参して、時間があれば一日に数回は顔を洗うようにしている。
石鹸も使わず、ただの水でだが。
今日も給湯室で顔を洗って拭いていると、人の気配がした。
頑固だが美人の後輩女子Oがやってきて、凝(じつ)と私の臀部(でんぶ)を見つめている。
屹度(きつと)フリオイグレシアスか誰かと勘違いしているのだろうと思ったが、Oは呟(つぶや)くように云った。
「そのおしり見てると、無性に蹴りたくなるんですよね」
「まるで芥川賞やな」
「は?」
「ほら、綿矢りさの小説でそんなこと云ってた。あれは“おしり”ではなく、“背中”やったけど」
「まぁ、とにかく蹴りたくなるんですよ。このスカートじゃ無理だけど」
そう云うと、不敵な笑みを浮かべて、去って行った。

オフィスに戻るとキュートで清楚な後輩女子Nちゃんが、保険会社かどこかが発行している無料の小冊子を配ってくれた。
パラパラとめくると、日立の広告頁(ページ)が。
“あの木なんの木、気になる木”の、あの木が載っていた。
私はNちゃんに
「あっ、ここ5年前に行ったんやで」
「へぇ~っ!ここって岩手ですよねぇ」
「・・・いや、確かにイワテと同じ三文字やけど、オアフなんやで」
「へぇ~っ!ここってハワイなんですか?ずっと岩手だと思ってました~(笑)」
「・・・なんでまた岩手やと?」
「えぇ~っ?!なんとなくですぅ~」

OはこんなNちゃんの先輩で、一緒に仕事をしている。
良くも悪くも対照的。
宝塚で云うと、男役と娘役か。
世の中、うまく出来ているものである。

2008年5月15日木曜日

細菌兵器

今日、エステ大手T社のNさんと打ち合わせしていて、猛毒のボツルヌス菌を注射して皺(しわ)取りをするボトックスの話になった。
私よりも10歳下の昭和44年生まれ、K1-MAXの魔裟斗(まさと)選手とそっくりの男前Nさんは、昨年秋頃にボトックスの施療をおでこに受けたらしい。

最初はおでこにガムテープを貼られた感覚で、全くおでこの肉(皮膚?)が動かせなくなり、やっと最近(!)普通に動くようになったとのこと。
なんのことはない、筋肉を麻痺(まひ)させて、皺を防ぐのだ。

元々はロシアの細菌兵器の研究から始まり、顔面神経痛の治療に転用され、やがて美容整形に使われ始めたとか。
この施療、目尻には注意が必要だと云う。
笑っていても、目が笑っていない表情になるらしい。
これは笑えない笑い話だ。
かと云って、笑っていても目が笑っていない嫌な輩(やから)は結構居るものだが、彼らがボトックスを受けたとは思えない。

逆説的だが、目尻の皺は、豊かな人間性の、そして愉(たの)しい人生の証(あかし)なのかもしれぬ。

2008年5月14日水曜日

手助け

20歳も年下だが、大人っぽくて艶っぽい美人のTちゃん。
そんなTちゃんに話しかけた。
「ちょっと手を貸してほしいのだが」
「それは、手助けしてくれってことじゃなくて、手を握らせろってことですね」
「手を貸して欲しいと云ったら、まずは手助けのことを思い浮かべるのが普通ではないのかね」
「でも、手を握らせて欲しいんでしょ。答えは“やだ”」

Tちゃんは子供の頃から、大人に云われていたらしい。
「Tちゃんに見つめられていると、すべて見透かされているみたいだよ」
と。
どうやら、読心術と云うのは、生まれつき天から与えられるものらしい。
恐ろしい。

2008年5月13日火曜日

ドギーバッグ

今日yahooでこんなニュースが流れた。
1983年から小学館『ビッグコミックスピリッツ』にて連載されている人気マンガ『美味しんぼ』の主人公・山岡士郎と、長年の確執がある父親で美食家の海原雄山が12日(月)発売の同誌で、ついに和解した。

思うに、あんな鋭敏な味覚の持ち主がいれば、船場吉兆の使いまわし事件など起こらなかったろう。
ある新聞のコラムでは、この事件を100%非難していなかった。
“勿体無い”の精神から、手もつけていないものを客に出すのは論外としても、せめて若手の料理人が勉強のために食べるとか方法があったのでは、なぞと選択肢を示している。
確かにそれは一理あると思った。

しかし、まずは私は客に文句を云いたい。
刺身のツマまで全部食べろとは言わないが、折角出された刺身や鮎の塩焼きを、それこそ使いまわされるほど、全く手を付けないというのはいかがなものか。
あと、店の責任としては、折り箱を用意して、持ち帰りを推奨すべきだったのではないか。
子供の頃、神戸の親戚に行ったときだけしか食べることができなかった本格中華では、必ず食べ残しを折り詰めにしてくれて持ち帰ったもの。
また、結婚式の披露宴で出された料理の食べ残しも必ず持ち帰ったものだ。
最近は食中毒がどうのこうので、あまり推奨されてないらしいが、そんなもの家に持ち帰って食べるぶんには大丈夫に決まっている。

ある有名人(誰か忘れた)の記事で、東京の吉兆によく行くらしいが、記事には“吉兆で食べ残しを持ち帰るのはこの人くらい”と、記事のトーンとしては、吉兆もその人を特別扱いしているような内容で、つまり吉兆では“そんなことは、本来は認めていないけど、この人だけは特別ですよ”と言わんばかりだった。
それはやはりいかんだろう。
食料自給率の異常に低い国なのだから、食文化を支える事業者はその辺まで心を砕くべきだ。

それにしても、米国では食べ残しを持ち帰るとき、店が準備してくれる容器をドギーバッグと云うと聞いたことがある。
食べ残しを持ち帰るのを恥として“あくまでも犬に上げるんだからね”と、お互いに分かっていながら八百長のような会話で持ち帰るとか。
米国でも、そういう“恥”の文化が存在することにまず驚くが、実際問題、人間の食べるようなご馳走を犬にやるのは、栄養過多になり当世では「虐待」みたいなものらしい。
皮肉なものだ。

そういえば先日美人のYさんに推薦図書を差し上げたが、Yさんは
「あの本には、合コンでの男の子の持ち帰り方まで書いてありましたよぉ」
と嬉々としていた。
男の子の持ち帰りは自由だが、その男の子と結婚して喧嘩なぞしても犬も食わないということは、改めて教えておかなくてはならない。

2008年5月12日月曜日

緑のインク

オフィスの朝。
早くカフェインを摂取せねばダメだ!と、あせってキッチンへ。
すると美人のYさんが何やらごそごそと。
私が来たことで、人の気配には気づいている筈だが、Yさんは無用な会話は好まないので、気づかない振りをして、黙々と作業を続けている。
どうやら食器洗剤の詰め替えをしているようだ。
凝(じつ)と見ていると、やっと私であることに気づいてくれ、微笑んでくれる。
「あっ!」
急にYさんは、関西のおばちゃんが驚いたような顔をして、そこから離れた。
私は珈琲を淹(い)れる作業を続ける。
暫(しばら)くすると戻ってきて、何やら私に渡す。
「あのぉ、これどうぞ」
「あっ、こりゃどうも」
と、なんでも受け取る私。
お返しに明治チョコレートを一片差し上げる。
「あ~、ありがとうございま~す」
Yさんの笑顔はいつも花が咲いたようだ。

徐(おもむろ)に包みを開けてみる。
OKICHIHIROBAのハンケチをいただいた。
先日プレゼントした本のお礼だと思うが律儀な娘(こ)である。
食器洗剤の詰め替え作業も、誰から云われたわけでもないのにやる、いまどき出来た女性である。

作詞が喜多条忠、作曲は吉田拓郎で梓みちよが歌った『メランコリー』
~緑のインクで、手紙を書けば、それはサヨナラの合図になると、誰かが言ってた~
なんて歌ってたが、それを云うなら、ハンケチをプレゼントするのは別れの合図、というのはもっと古典的だ。
しかし、一応そんなことを云ってみた。
「そういうことですかねぇ・・・」
と、絡(から)み辛(づら)そう。
髪を切った女の子に
「失恋したの?」
と尋ねるのと大差ないコメントを反省した。

そんな私の失態をカヴァアしてくれるように、Yさんはハンケチのデザインを説明してくれた。
「その折りたたみ方が、かわいいでしょ。ほら豆シャツって書いてあるでしょ。シャツの形になるように折ってあるんすよ。ネクタイはシールみたいに貼り付けてるだけだけど」
と云ってクスクスと笑う。
そうか!ネクタイをプレゼントするのは、“あなたに首っ丈(くびったけ)”というのも、同じく古典的な合図だ、などというコメントは、さすがの私も我慢した。

2008年5月11日日曜日

カミさんの悪口

小説『カミさんの悪口』と云う村松友視氏の名作がある。
『カミさんの悪口』という題で、本を書かねばならなくなった彼(村松氏)自身が、どう書こうかと考えながらストオリイが展開しつつ、なかなか怖くて?書けず、結局最後まで悪口は出なかったと云う、一種の愛妻物語であった。

わが細君も“良妻賢母”からは約200億光年ほど離れているが、なかなかに良い所もある。
いや、あった。
結婚しても大丈夫かなと思ったエピソオドがある。
結婚したのは平成元年なので、それより少し前の話。
当時の企業は一人一人のパソコンなどなく、資料は殆ど手書きだった。
細君の会社の先輩女子が苦労して作ったあるリストを、細君が借りた。
そのあまりの労作振りにコピーするのを憚(はばか)られ、結構な分量を手で書き写したと云う。
写経のごとく。
この一つを以(も)って“この女は信用できる”と思った。
データをパソコンとパソコンの間で、交換や共有できる今の世は、隔世の感だ。

大事な資料を手で書き写す律儀さを持ち合わせた細君であるが、昔の彼女の大事な写真を私の鞄(かばん)から発見すると、姫たちとまるで魔女狩りで無罪の女性を焼き払うように、ヒヒヒと不気味な笑いを浮かべて燃やしたのだった。
「あ゙~っ!」
と、云っても
「未練でもあるわけ?」
と、一瞥(いちべつ)して燃やし続けた。
そして
「ああ、最近の写真でもあれば、たんまり慰謝料取って離婚できるのに」
と、夢見るように思案顔だ。

慰謝料をたんまり払えるほど甲斐性もないが、気分は(天文学的慰謝料を払った)ポール・マッカートニーだ。

2008年5月10日土曜日

グラスの底

夜空を見上げるとオリオン座が見える。
ふと、歌が口をついて出る。

 ひとつふたつみっつ 流れ星が落ちる
 そのたびきみは 胸の前で手を組む

さだまさしの『線香花火』だ。
昭和51年11月発売とのことなので、私が高校二年生の時の歌だ。
理由もなく、この歌詞に出てくる女性が、理想の女性像だと、当時思っていた。
線香花火を見つめながら、その“星”の雫(しずく)が落ちるのを見つめて手を合わせる少女を、理屈抜きに愛(いと)おしいと思った。

いつか藤本義一さんが言っていた。

男は度胸、女は愛嬌なんて申しますが、女の愛嬌というのはほんまに大事です。
愛嬌というのは、ユーモアということです。
例えば、喫茶店で一緒におったとします。
男なんて、たまに黙っていたいことがあります。
そんなときに、
「どないしたん?!ムスッとして。私といて楽しくないのん?!」
という女性はあきません。
「何考えてるのん?分かった、私のことでしょ?」
というのが、ユーモアです。

河島英五のそんなに有名ではないが『約束』という歌の3番。

 帰りにひいた おみくじふたつ
 お前は吉 おれは凶
 青い松の木に 重ねて結んで
 これで半分づつの 幸せねと
 泣かずに 泣かずに
 わらって みせた
 少しずつ すこしづつ
 幸せに なるんだと

「これで半分づつの幸せね」
というのは、男泣かせのユーモアだ。

手を合わせ、おみくじを重ねる。
そんな女性とグラスを傾けてみたい。

2008年5月9日金曜日

ハイサイおじさん

先輩女子Kちやん、後輩女子Tと3人で行くべく、四谷三丁目の広島風お好み焼き『わいわい』を予約せり。
Kちやんは遅れるとの事で、Tと二人で食べ始めしが、Kちやん仕事が忙しく出席を断念、結局久々にTと二人で食事をすることとなつた。

20歳も年下のTだが、少し変わつたところがあるので、話して居ても飽きない。
敢えて“芸風”と云へば、爆笑問題の太田氏だ。
目が大きくなかなかかわいいところもあるので、昔は年の離れたガアルフレンドとして妄想して居たが、その後は年の離れた妹感覚となり、今では年が離れて居て当たり前の伯父と姪(めい)の感覚だ。

後輩女子Kさんは、私とKさんの事を
「熟年夫婦のやう」
と戯(たわむ)れに云つて呉れる。

昔、Tに
「君にとつて私は如何なる男也や」
と、問ふたところ
「近所の親切なオジサン」
と応へられ、少し凹(へこ)んだものダ。
が、昔も今も屹度(きつと)さうだらう。

2008年5月8日木曜日

ジャイアント台風

横浜の『旬菜くらち』で会食。
ご一緒したのは、会計士K嶋さん、先輩Kさん、それに葬儀屋に勤める熟女Y子さんだ。
Y子さんは、性格は肝っ玉母さんだが、マリアン似の湘南美女で、今も変わらず魅力的だ。
K嶋さんは、相変わらずトークがゆっくりである。
平安時代の貴族は屹度(きつと)こんな調子で話していたのではないかと推察されるが、かといって彼が優雅というわけではない。
茅ヶ崎出身なので、湘南ボーイののんびりとした育ちの良さが滲み出ているようで、話していても楽しい。
それにしても、相変わらず発する言葉はゆっくりだ。
彼がオフィスに電話を入れた時に
「も し も し、 K し ま で す け ど」

「も し も し」
あたりで、相手は誰から電話なのか、すぐ分かると有名だ。

むかしジャイアント馬場さんをモデルにした『ジャイアント台風』という劇画があった。
テレビでは誰がどう見ても彼の動きはスローモーそのもので、あの空手チョップが当たって本当に痛いのだろうかとみな疑っていた。
いや、すでにそんなことを疑うのは野暮だったのかもしれない。
『ジャイアント台風』の中で、スタンハンセンだったか外人レスラーが対戦して心中の言葉が吹き出しに出る。
「うっ!テレビで見ているとゆっくりに見えるが、対戦してみると早いっ!手足が長いからスローな動きに見えるのかっ!しかも当たると想像以上にダメージがあるっ!」
この荒唐無稽さがたまらない魅力だった。

K嶋さんの話は時に鋭く、そして当意即妙で面白い。
公家さんというよりも、ジャイアント馬場さんと遠縁かもしれない。

2008年5月7日水曜日

おつかれさま

さすがに連休明けである。
予想はしていたが、ここまでだるいとは思わなかった。
こんな日は・・・
「そうだ!『デヴィコーナー』のカレーだ」
電話でいつものチキンカレー弁当を注文し、三田から自転車でR15をひた走り品川へ。
「どぉもー」
「ハイ、デキテマスヨォ(インド人なので片仮名だ。芸が細かい)」
「えっと、750円でしたよね」
「アッ、スミマセン、ハッピャクエンデス」
「あっ、値上げね」
と、苦笑。
ガソリンがリッター30円上がるだけで、自動車で列をなして並んでいるニュース映像を見て
「たかだか、節約できても一回の1500円くらいのもの。そんなの飲み屋のつまみ2品や」
と、大物発言をしていたが、デヴィコーナーの50円の値上げは応えた
(><)

夕方はあまりにも腹が減ったので三田の慶應通りにある『長崎ちゃんぽんリンガーハット』へ。
長崎ちゃんぽんと餃子のセット、ちゃんぽんセットとチャーハンを注文。
カウンターで何気なく調理場を眺めた。
おばちゃんが電磁調理器で具の入ったスープを温め、乾燥麺か冷凍麺のような麺の塊(かたまり)を投入して、ピピピの音と共に器に盛り始めた。
横にあるドラム式洗濯機の中身だけのようなお釜がグルグル回っている。
中を覗くとチャーハンだ。
下から熱せられ、中の一枚の羽根でかき混ぜられる仕組みだ。
こちらは出来上がると自動的に停止して、店員が釜をこちらに傾けて皿に盛る。
なんだか人力で動く工場のようだ。
店を出るときに、長崎ちゃんぽんを単品で頼んだ客の品を見ると、私のちゃんぽんより器が大きい。
おかしいではないか。
セットのちゃんぽんは小さめだと表示すべきである。

こうして世間では、値上げしたりコストダウンしたり、企業努力をして生き抜いているのか。

自宅に帰る。
一姫が風呂に入っている様子。
「あっ、いまお風呂に入ってるけど、急いで出るって言ってたよ」
と、細君。
寛大な私は、風呂の中の一姫に向かって
「慌てて出ることはない。ゆっくり入りたまえ」
「えっ、何?何当たり前のこと言ってんの?」
「えーい、小癪(こしゃく)な。さっさと洗って出てまいるがよい!」

しばらく出てこなさそうなので、3階に上がり廊下で腕立て伏せをする。
二姫が犬を寝かせるために上がってきた。
まめ(柴犬の名前♀)が眠いのかテンション低めだったので、犬に向かって
「もう、スリーピングゥ?!」
と、エドなんとかのように親指と下唇を突き出して言ったら、二姫は
「ちょっとぉ!!何やってんのよぉ!!!」
と、プイと自室に連れて行った。

トレーニングを終え2階のリビングに戻る。
もうすぐ10時半だ。
テレビをつけ10チャンネルに合わせる。
私の“企業努力”は、空回りするが、天気予報の市川寛子さんだけは
「おつかれさま」
と、いう顔で癒してくれる。

2008年5月6日火曜日

休刊日

我が家では新聞は2紙取っている。
読売新聞と日経新聞だ。
リタイアしたあとの嬉しいことの一つに、日経を読まなくても済むことが入っているらしいが、同感だ。
但し、夕刊は結構面白い。
実家では今は神戸新聞を取っているが、子供の頃は産経新聞だったので、いまも産経を読みたいが、細君が巨人ファンなのでしょうがない。
私は、アンチ巨人だが。

GWも今日で終わりだ。
GWというのは、もともと映画を観るのに都合がいい連休ということで始まった呼称(何がゴールデンなのかは知らないが)だったはずだが、結局1本のDVDさえ見ることなくGWは終わろうとしている。
それにしても、こういう長連休になるといつも摩訶不思議なことが起こる。
新聞の休刊日である。
なんで一斉に休むのだ。
形を変えたカルテルではないか。
せめて休刊日を変えてくれれば、休刊日の違う2紙を取るのに。
しかも、なんでいつも連休明けなのか。
どうせなら、連休最終日にして欲しい。
連休最終日など、新聞などなくても一向に構わない。
通勤電車では、連休明けであっても、やはり新聞を読みたい。

休刊日は、新聞配達所の休暇のため、と何かで読んだことがある。
それなら、やはり新聞の系列によって、休刊日を変えれば済むことである。
欧米の有名紙は、休刊日などないと聞いたことがある。
ただ新聞の宅配というは、日本独自のビジネスモデルとも聞いたことがある。
新聞配達所のお休みのためなら、駅売りだけはやってもらいたいものだ。
もちろん、家でとっている人には、駅で新聞と交換できるクーポンを支給すべきだが。

しかし、4日間休むとさすがに休養できたという感じがする。
とはいえ、あと1日休んで、休養明けのために体を調整したいものだ。

2008年5月5日月曜日

磔刑

「市中引き回しの上、磔(はりつけ)獄門に処す!」
時代劇ではお馴染み、奉行が極悪人に沙汰を言い渡す時の決め科白(せりふ)である。
江戸市中を晒(さら)し者にして、江戸庶民に罪人を見せて、磔(はりつけ)にして処刑されるところを公開して、さらに3日間も晒し首にされるという、かなり厳しい刑罰である。
強盗殺人などに適用されていたようだが、秤(はかり)や枡(ます)の偽物を作る“経済犯罪”にも厳しく適用されていたようだ。
明治維新とともに廃止されてそうなものだが、維新後10数年は残っていたようだ。

それにしても、近年凶悪犯罪が頻発するのを見るにつけ、この江戸時代の刑罰はかなり輿論(よろん)や被害者家族に配慮されている気がする。
現在はと言えば、被害者の身上や顔写真は次々と報道されるのに、加害者の人権はかなり保護されて、報道も慎重だ。
また
「加害者も心から反省しており・・・」
など、片腹痛い判決文が朗読されることも多々ある。
犯した罪を反省して、それが判決に影響する意味が、いまだによく分からない。
あくまでも罪を犯した時点の事実のみを挙げて、その重さ軽さを論ずればよいことだ。

最近、来年5月に施行される裁判員制度が随分と広報されている。
世間の反応で多いのはだいたいこの2つだ。
「仕事が忙しいのに、選ばれたらどうしよう」
「凶悪犯罪が中心だというが、判決を下すには重圧がかかる」
当然である。
赤の他人にやらせようとするから、みな尻込みするのである。
被害者の親族で構成すればいいのだ。
何せ被告人は被害者に対して非道な行いをした咎人(とがにん)なのである。
「犯人を許さない」
とは、被害者家族の共通した思いであり、その心情を糊塗(こと)することは理不尽だ。
江戸時代のように仇(かたき)を全国追い回して、切りつけるわけにもいかないのだから、せめてあだ討ちは合法的にやらせるべきである。

人権に一見やかましいような米国でも、1995年に起きたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の例がある。
2001年、犯人が死刑執行される模様が被害者遺族に監視カメラを通じて公開された。
これぞ市中引き回しの後の“磔刑(たっけい)”である。

2008年5月4日日曜日

それでも恋は、恋

昨夜は高校同級生K橋と痛飲(彼は飲まないが)した。
数多(あまた)噴出した話題の中で、広美おねーさま(姉ではない)の話。
K橋の近所に住んでいたおねーさん(K橋にとっても他人である)で、K橋の近所のある寄り合いに呼んでもらって、そこで目にしたのが私にとっては最初で最後であるが、兎(と)に角(かく)、一般人であれほど美しい女性は見たことがない。
有名人で言うと仁科亜季子か。
K橋によると我々より5歳年上だったとの由。
あれからは私もK橋に倣(なら)い、当時大阪の音大生だった彼女のことを会話の中では広美おねーさまと呼ぶようになった。

直接聞いたわけではなくK橋からの又聞きだが、広美おねーさまは独特の“初恋理論”を持っていた。
~恋とは恋愛のことであるから、そもそも両想いのことである。だから初恋というのは、その人にとって初めて成就した恋のことを云うべきであろう。だから、世間で使われているような、初めての片思いを初恋と呼ぶのは、少し違うのではないか~
当時、この理論を聞かされ、中学生だった私が思ったことは、
“では、私の初恋はまだなのだなぁ”
“恋という言葉のハードルが上がったなぁ”
“年上女性、特に美人の云うことは、説得力がある”
“広美おねーさまの初恋は、もう存在したのだろうか”
など、どんどん妄想は広がっていったものである。

京都駿台予備校の名物講師(と勝手に思った)、古文の田中重太郎先生の夏期講習での授業(おそらく昭和53年)を受けたときのこと。
先生が恋について語り、黒板に恋の旧字体“戀”と大書された。
「漢字というものは、よくできてますねぇ。例えばこのコイという字。いとし(糸し)、いとし(糸し)という(言う)こころ(心)」
ほぉ~っ!と思った。

後年、私なりに持論を確立した。
いとしは、いとしいということで今の漢字は“愛しい”と書くが、もともとは“糸し”だったのではないか。
“糸し”は形容詞で、想う人と“(糸で)結ばれていたい、つながっていたい”と願う気持ち。
“糸し、糸し”と続けることによって、強調する気持ちと、糸を紡(つむ)いでいくような能動的な意志も加わるように感じる。
成就という“状態”ではなく、ひたすら好きな異性(私は同性愛を認めない)を“想う”ことが、恋なのではないかと考えるようになった。

昨夜、K橋と別れ、酩酊して茅ヶ崎駅のホームを歩きながら、ふとKさんのことが頭に浮かび“連休中は会えないなぁ”などと思ったら、少し胸が締め付けられた。
「これは・・・、もしや?」

狭心症の兆候かもしれない。
今度、医者に診てもらうか。

2008年5月3日土曜日

ストラディ・バリウス

1700年代初頭、アントニオ・ストラディバリによって製作されたヴァイオリンも名器ストラディ・バリウスはあまりにも有名である。
現代工学によって正確にそのフォルムを再現しても、製作当初は見事な音を奏(かな)でるが、経年とともに音が劣化してしまうところが、本物の妙と聞く。
・・・が、真偽のほどは定かではない。

今宵食したパスタは、茅ヶ崎では美味しいということで有名とのことだが、確かに出来たてを食べると程よいアルデンテで美味しかった。
・・・が、少し時間を置くと粉っぽくなって、平凡な味になってしまった。
今は閉店の憂き目に遭ってしまった都立大学の名店『Vegetable Magic』の見事なパスタはそんなことはなかった。

数日前、高校同級生K橋からメイルが来た。
「金はないが、閑(ひま)はあるので遊ぼう」
今日、茅ヶ崎駅で待ち合わせた。
13時待ち合わせ、の予定だったが、相模線沿線の僻地に住むK橋から
「電車に乗り遅れた。13時15分に変更頼む」
とのメイルを受信し、本屋で時間を潰(つぶ)し13時15分に改札で会った。
喫茶店2軒をハシゴし、イタリアンの“名店”で食事をして、茅ヶ崎駅に22時半頃に行った。
・・・が、時刻表を見ると、彼の次の電車は22時49分!
マクドナルドでまた喋り、改札で別れたのが22時46分。
一緒にいた時間、都合571分。

“味”が劣化することなく、長時間に渡って空気を共有することができる間柄だ。
これは、私とK橋の互いが熟成した人格を有し、且つそれぞれが確立したprinciple(主義・信条)を有する“本物”の人物である証左であろう。
・・・ということは、断じてなく、二人とも単に金がなく、閑があっただけである。

2008年5月2日金曜日

26cm

GW中の週末、品川駅コンコースの雑踏を横目に帰宅する。
みな、どこか年末の仕事納めのように浮き足立ったさまが心地よい。
いつもより幾分空いた車輌で、吊り革に頼ることなく揺れに身を任せる。

周りは平気なのに、なぜか私はよろめく。
バランスが悪いのか?
いや、足が小さいのかも。
靴サイズ26cmは小足というほどでもないだろうが、身長173cmとのバランスがよろしくないのだろう。

身長143cmだった中一の頃も、147cmだった中二の頃も、親戚のN子おねーさんは
「体の割に足が大きいねぇ。きっと背も伸びるよ」
と、励まして(慰めて)くれた。
そして高一の秋頃に、いまの身長に達した。
背丈(せたけ)が同じくらいの当世の若者の靴のサイズを見ると、やはりどうもかつて大きいと言われた私の足は小さいようだ。

ふと、漫才コンビのオール巨人・阪神の30年近く前のネタを思い出した。
巨人「いや、我々は若い頃からコンビ組んでましてねぇ」
阪神「そやなぁ」
巨人「自分で言うのもなんですが、プロになる前からけっこう有名やったんです」
阪神「まぁ、そうでしたかな」
巨人「“あれが素人(しろうと)か?!”なんて絶賛されてました」
阪神「そんなこともありましたな」
巨人「いまでも褒(ほ)めてもろてまっせぇ」
阪神「そうかいな?」
巨人「“あれが玄人(くろうと)か?!”ゆーてね」
阪神「そら、けなされとんのやないか!」

ことわざなのか、軽口(かるくち)なのか、“阿呆(あほ)の大足、間抜けの小足”という。
間抜けよりは、阿呆と云われる方がましな気がする。

2008年5月1日木曜日

あほかいな

『あほかいな』(日本図書センター)を読了した。
ご存知、昭和の喜劇王であり、借金で勇名を馳せたあの松竹新喜劇のプリンス藤山寛美(ふじやまかんび)の本である。

~なぜ、お客の入りが悪いのか、ということを考えていただきたい。ぼく考えてもらえばわかると思うんです。ぼく思うんですが、結局、その俳優さんたちが、お客さんというものをどういう目で見てるかということになるんじゃないでしょうか。それはみな、お客さんに感謝してることは確かですよ。感謝してると口では言うけど、じゃあ、してるとは一体、どうしてるんかと。じゃあ寛美、君は、お客をどう思ってるのかと問われたら、ぼくは、お客に食わしてもらってると思ってます。ですから、こんなに長い間、食わしていただいたお客に、どうすれば恩返しができるのか~

芸人魂というよりも、そこにマーケティングの原点を見た気がする。

~ぼくの一生は、芝居で始まって、おそらく芝居で終わるでしょう。もし、自分が舞台で、金よりも人情のほうが大事やちゅうてて、私生活で人情より金を大事にしてたら、ぼくは赤軍派より悪い。芝居、ただで見てもろんてんのやのうて、入場料とってますもの。ぼくが人情より金大事にしてたら、それこそサギや。役者はその役そのものやから、それでええやんかと言われるけど、豪壮な邸宅にはいって、義理人情、物より人の情けが大事やと言える?ぼくは言えない人種なんです。言える人種ももちろん、あるでしょう~

京都の伯母の家の近くに『稲垣』という表札の質素な家があった。
寛美の家だ。
お客を笑いの渦に巻き込み、1990年に60歳という若さでこの世を去ってしまった。

3月末に、新宿のルミネ・ザ・よしもとで、お笑いというものを初めて生で見て、大笑いした。
もし寛美の新喜劇を生で見ていたら、内臓がどうなっていたことか。
屹度(きつと)もたなかっただろう。
想像するだけで、恐ろしい。

んな、あほな