2008年7月9日水曜日

フルーツ牛乳とチキンライス

『ALWAYS 続・三丁目の夕日』のDVDを借りてきて観た。
前作同様、もうボロボロに泣きながら観た。(勿論、書斎で一人でこっそりとだ)
一平の家に預けられていた一平の“はとこ”の美加が父の元に帰る時、薬師丸ひろ子扮する一平の母に
「お母さん」
と言った時には、不覚にも
「あぅっ」
と、嗚咽(おえつ)を上げてしまった。
みな、貧しくとも(貧しいという実感はなかったと思うが)幸せだった、としみじみと感じ入った。

1958年営業開始の東京タワー。
前作では未完成だったが、本作では完成していた。
東京タワーは子供の頃からの憧れだった。
“東京=東京タワー”の感さえあった。
1980年に大学に入学して上京、横浜に住んだので行こうと思えばいつでも行けたが、いつでも行けると思い、行かなかった。
初めて登ったのは、東京タワーも42歳になった確か2000年だったか。
エレベーター含めて全体的な設備の古臭さがまたなんともよかった。
来場者は“おのぼりさん”という絆で結ばれていることで、連帯感と安心感が生まれる。

地上階にある老舗『タワーレストラン』では昭和40年頃からの味を守り続けているチキンライスがある、と何かで読み、数年前にわざわざ食べに行ったことがある。
感動した。
あの船底の形をした型でパカンと皿に盛った伝統的な味のチキンライス。
“稜線”には数個のグリーンピースが設(しつら)えてあった。
あのあと数回訪問したが、、、メニューから消えていた。
また一つ昭和が消えた思いだ。

本作品では、小雪扮するヒロミが乗る特急こだま号の再現も話題になった。
こだま号と云えば、あの伝統あるフルーツ牛乳のような色が思い浮かぶ。
1958年11月11日に誕生したこだま号は、1964年9月30日、東海道新幹線開業に伴う東京・大阪間の在来線特急廃止によってフルーツ牛乳の『こだま』は役割を終え、1964年10月1日から新幹線で引き継いだ、と記録にはある。
小学校の修学旅行は京都と奈良だった。
その時のバスガイドさんが、クイズを出題した。
「新幹線のひかり号とこだま号は、どうやって見分けるでしょうか?」
われわれ児童はキョトンとなった。
問題の意味が判らないのだ。
誰かが言った。
「色で!」
みな、当然だと思った。
愚問だ、という空気がバスに流れた。
バスガイドは
「ざんねーん。色は同じです。ひかり号は16輌で、こだま号は12輌です。ねっ、これですぐ分かりますね」
みな釈然としていなかった。
みんなのこだま号は、依然フルーツ牛乳だったのだ。
小学校の修学旅行は1971年、こだまが“消えて”からもう7年も経っていたことになる。

1971年といえば大阪で万国博覧会が開催された翌年で、もうモノが溢れているように思っていたが、やはり貧しかったのだ。
それでも心は満たされていた。
よほどの事情でもなければ、新幹線に乗る機会なぞ、みな無かったのだ。
いや、待てよ。
赤穂市立尾崎小学校の児童があまりにも田舎者だったのかもしれない。
今もって謎である。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

わたしゃ、小雪が「こだま」の社内で小説を読んだシーンが大泣きでしたぜ