2008年2月29日金曜日

〆鯖と梅錦

「タイミング合えば一ヵ月振りに『ふくべ』でも行くか」
後輩O君とそういう話になったが、生憎(あいにく)彼も忙しいようで姿も見えないので帰宅の準備をしてエレベーターに乗った。
すると偶然にも途中の階からO君が乗ってきて互いに驚いた。
仕事が手待ち状態だったとのことで下界に煙草を吸いに行くところだった。

エレベーターホールで別れ、しょうがないので品川駅前の中華料理屋に入りカウンターに陣取る。
で、野菜炒めと餃子とライス大盛りを頼んだ。
不味いなぁと思いながらも腹は減っていたのでガツガツと食っていると後方のテーブル席からなにやら聞き覚えのある声が。
笑い方やイントネーションや論旨展開や突っ込み方を聞いてみると、さっきオフィスで別れたO君ではないか!
O君がタクシーを飛ばせば先に着いてメシを食っているというのもありえない話でもない。
ギョッとしつつもさりげなく振り返って見ると、当たり前であるが似ても似つかぬ30代くらいのしかも禿げあがったにぃちゃんだった。

しかしながら私が面倒くさがらずに食事を中断してまでして確認してあげたおかげで彼の名誉が守られたわけである。
今度『ふくべ』で〆鯖と梅錦をおごってもらわねばなるまい。

2008年2月28日木曜日

こんぶ

ああ、、、今日も晩飯時間なく、慌ただしく5分で立ち食いそばだ。
さすがに二日連続は厭(いや)になる。

玉葱(たまねぎ)と人参(にんじん)のかき揚げそばを“葱(ねぎ)多め”(こう頼むあたりは立ち食いそばの達人だ)、あとはこんぶのおにぎり。

あっ!
あっ!

一回目の“あっ!”は、こんぶがカウンターにこぼれたときに発した“あっ!”だ。
二回目の“あっ!”は、思わずこんぶを箸で拾い上げて食べてしまったときに発した“あっ!”だ。


朝、駅に向かっていると時々道端に酔っ払いの嘔吐(おうと)物が放置されていることがある。
そしてたいていカラスが競って食べている。
“頭がいい”と言われるカラスが、どこの誰が“リバース”したか分からないものを食っている。

夏に満員電車で汗だらだらのデブ男がいたら誰も近づかないだろう。
もしデブが何を思ったか頭をプルンと振って汗が飛び散ろうものなら、そのあたりは逃げ場を失った人々の阿鼻叫喚(あびきょうかん)で地獄絵図となることは間違いない。
しかし仮にデブのまわりにいるのが人間ではなくスプリングボック(鹿みたいな動物。別にここは鹿でもいい)だったら「ん?」程度で終わりだろう。
ミーアキャットだって「えっ、なに?」程度だろう。

仮に頭をプルプルしたのがデブではなくて、天気予報の市川さんやモーグルの上村愛子さんだったなら、男は挙(こぞ)って飛び散った汗を浴びたいと願うだろうし、もしその恩恵に浴することができなかったら自らの不運を天に呪うだろう。
しかし、イボイノシシはもちろんのこと頭のいいオランウータンだって「ああ市川さんの汗!」とか「これぞトリノの汗や!」とは喜ばない。
だから人間は偉大なのだ。

なのに私はこんぶを拾って食べてしまった。。。

2008年2月27日水曜日

パッチ

ふだん普通に使っていてあとでそれが韓国語と分かった言葉がいくつかある。
パッチやパチキやチョンガーだ。

チョンガーは全国的に頻繁に使われているような気がする。
独身と言う意味だが、パッチやパチキが使われるのは関西だけかもしれない。
パチキはパッチギから転じたものと思われるが、頭突きやヤンキーの兄ちゃんの後ろからも見えそうな剃りこみの意味で高校時代は使っていた。
井筒和幸氏が監督した映画「パッチギ」はもともとの韓国語の“乗り越える”や“突破する”の意味を拾って日本人の少年と在日の少女の恋を描いたようだが私は観ていない。
パッチはズボンの下に穿(は)く防寒着だ。
関東(こっち)では、ももひきと呼ばれているものがそうかもしれない。

私は子供の頃からパッチを愛用している。
冬はとにかく異常な寒がりである。
部屋でもやたらと石油ファンヒーターの温度を上げようとして、原油高に異常に目を光らせる細君から阻止される。
始終「寒い寒い!ああフグが食べたい」と女々しいことこの上ない。

では私が女々しいだけかと言うとそうではない。
夏になれば暑がりに豹変する。
細君の目を盗んではエアコンのスイッチを入れようとして、「昼間っからエアコン入れたら電気代がいくらになると思ってんのよ」と阻止されるいたちごっこを演じている。
始終「暑い暑い!バニラビーンズたっぷりのアイスが食べたい」と騒いで団扇(うちわ)をバタバタしている。
俄然雄々しくなるのだ!

人間、バランスが大事だが、本当に私はバランス人間だと思う。

2008年2月26日火曜日

茶畑

一度、事故か何かで新幹線がノロノロ運転になったことがある。
場所は静岡付近。

天気のよい日だった。
さして急ぐ旅でもなかったので、まぁいいか、なぞ。

できれば特急料金払い戻し対象になるくらい遅れてくれればいいのに、と祈った。
昔は1時間遅れで払い戻してくれたが、今は2時間遅れないと払い戻されないはずだ。
JRにとって2時間の遅刻は許容範囲ということになる。

とにかくその時は景色を愉しむことにした。
おお!
新幹線が走るのが山間部、そして高架のせいもあると思うが、茶畑が見事なのだ。
刈り込みが綺麗で本当に見ごたえがある。
キラキラと輝くお日様に照らされて茶葉の鮮やかなことと言ったら。

矢張り、ゆるりと行くことの効用は大である。
JRは「のぞみ」「ひかり」「こだま」に続く第4の新幹線『ゆるり』でも作って、たまには景色を愉しませるサービスがあってもよい。

2008年2月25日月曜日

Valentine 始末記

先週は地獄の忙しさで、Yさんから15日にいただいたチョコをついぞ食べることができなかったが、やっと今日の昼休みにいただくことができた。
美味い!
美味い!
生チョコである。
冷蔵庫に隠していた生チョコである。
美味い!

冷蔵庫の近くで一人で食べていると後輩女子Y(勿論Yさんではない)がニヤニヤと笑いながら近づいてきて
「ああぁっ、バレンタインチョコですねぇぇぇ」
と、含み笑いをする。
「あぁ?うむ、まぁ」
と、誤魔化そうとするが、せんないことゆゑ、心中で“はよ、あっち行け”と祈った。

すると続いて後輩女子Tが近づいてきた。
冷蔵庫に用があるようなので、仕方がない。
機先を制して
「美味しそうなチョコであろう?これは冷蔵庫に入れておかねば溶けてしまう高級チョコであるぞ」
と、Yさんからいただいたときに“冷蔵庫に入れといてくださいねぇ~”と言われたことを思い出しながら、勝ち誇ったように告げた。
しかしTはいつもの無表情のまま(特に月曜日は無表情だ)こう言った。
「はぁぁぁぁ、そうでもないんじゃないないですかぁぁぁ。だって義理チョコですよねぇ」
「うぬ!何を根拠に義理チョコと申すか?言うに事欠いて義理チョコとは無礼であろう?!」
と質(ただ)した。
「じゃ、義理チョコじゃないんですかぁ?」
「うっ、、、、もうよい、下がれ」
と言って私が引き下がった。

まったく風流を解さぬ女子たちには、こまったものぢゃ。

2008年2月24日日曜日

質量保存の法則

何かで読んだことがあるが、どこかの国でこんな実験がなされた。
人が死ぬ瞬間、体重がどう変化するか測定したのだ。
すると驚くべきことに臨終の直後に300gか500gほど体重が落ちたという。
つまり物理的に魂が存在する可能性があるということだ。

そうだとしたら大変なことである。
この宇宙は“質量保存の法則”で規定されている。
相対性理論によって質量はエネルギーに変わり厳密には保存されないとされているが、質量がエネルギーに変わるだけでトータルでは同じことだ。
つまりこの世の魂は決まった数だけあり、それらがこの世に生を受けた人間を巡っていることになる。
だから“前世”や“生まれ変わり”という考え方は、決しておかしなことではなくなる。

いや、生まれ変わるのは人間に限らないかもしれない。
あらゆる生き物にも言えるだろう。
しかしあらゆる生き物の間でランダムに魂が入れ替わるとしたらややこしいことになる。
長澤まさみや長谷川京子なら、可憐な朝顔やスィートピーの生まれ変わりかもしれないが、中には“ふんころがし”や“イボイノシシ”の生まれ変わりも存在するかもしれない。

絶滅する動植物は増える一方で、地球の人口は増え続けている。
質量保存の法則だ。
どうりで回りに、“ぬらりひょん”や“こなきじじぃ”の生まれ変わりが増えたわけだ。

2008年2月23日土曜日

Leave me alone

いつからか短髪がお決まりになった。
大学時代はカーリーヘアにして肩まで伸ばしていたのに。
髪が前に向かって生えている散髪屋泣かせの髪質なので、長いとセットが大変なのが大きな理由だ。
短いとセットもクソもない。
朝起きて髪の毛を濡らして、それで終わりである。
髭(ひげ)を剃って朝食を食べている間に乾いてセットされる。
それでも夜お風呂に入りすぐ就寝せねばならないときはドライヤーを使う。
姫たちはいつもガーガーガーガーと長時間かけて乾かしているが、私は30秒を超えたことがない。
姫たちは
「そんな髪にドライヤーなんて必要ないじゃん」
と言う。
ほっといてくれ。

2008年2月22日金曜日

下から2番目左から3番目

仕事でテレビ東京に行った。
この局に行くのは初めてだ。
他の局と比べるとかなりこじんまりとしていて、警備も緩く驚く。

大学で上京した80年頃は、この局は東京12チャンネルと言っていた。
番組の作りはかなり荒く、山科けいすけ氏の4コママンガでこんなストオリィがあった。
①ニュースで“遂に核戦争が始まりました”と流れる
②見ていた人は“えっ!!!”と驚く
③どこのチャンネルを回しても、核戦争が始まったニュースだ
④東京12チャンネルに回すとゴルフ番組が流れていて、なぜか安心する
それに、お色気番組が多かった。
大学生にとってはオアシスのようなチャンネルだった。
夜中に放送が終了するとき、東京12チャンネルは決まって女の子が碁盤の目のような中に20人くらい映って品(しな)を作る。
高校友人のS谷は
「なっ?あの下から2番目左から3番目の女の子、かわいいやろ」
と、毎回同意を求めた。
そんなチャンネルだったのである。

受付の前に『世界卓球2008中国』の看板と卓球の台が置いてある。
フジテレビだとF1マシンが置いてあるのかもしれない。
やはりこの放送局は、庶民目線かもしれない。

2008年2月21日木曜日

I’ve never been to me

今日、日比谷線に乗ったら、放送で“北越谷行き”と車掌は告げた。

1987年ニューヨークからの帰り、JFK国際空港で出会った女性がいた。
飛行機に慣れていないようだったので、チェックインを私がして隣の席に座って帰途いろいろと話した。
Sさんという北越谷幼稚園の先生だった。
Charlene(シャーリーン)の歌“I’ve Never Been To Me(邦題「愛はかげろうのように」)”が大好きだと話すと、偶然にもそのカセットテープをそこに持っていた。
再会のためにも絶対に借りる必要があったので申し出ると貸してくれた。
そして日本に帰ってからお食事に誘ったらOKしてくれた。
ちなみにS先生はリコーに勤務する友人と二人連れであったが、残念ながらその人の記憶はほとんどない。

日比谷線の車中、この線路は北越谷に続いているかと思うと、腰骨に甘酸っぱいものが走る・・・。

1987年、郷ひろみと二谷友里恵のビッグカップルの結婚は話題であった。
当時の郷ひろみの告白によると3回目のデートで“この人だ”と思い、プロポーズしたらOKしてくれたとのこと。
私もS先生との3回目のデートで、結婚を前提に付き合って欲しい旨を告げると断られた。
耳を疑った。
なぜ郷ひろみはOKだったのに、私がNGなのか理解できなかった。
しかし考えてみればあの二人は結局離婚したのだから、これも神様の導きだったかもしれない。

一瞬私を1987年に誘(いざな)った日比谷線に感謝。

2008年2月20日水曜日

ジワリ

今日は帰りが遅くなった。
厭(いや)になる。
腕時計を見ると22:45なのにまだ横浜駅だ。

あっ!
腕時計のカレンダーの日付がジワリと動き始めている!
なんちゅうこっちゃ!

飲んで帰るときは気にならないのに、仕事で遅くなってカレンダーが動き始めるというのは、なんだか腑に落ちない。

2008年2月19日火曜日

秘すれば・・・

戯れに電気を消して風呂に入ってみた。
居間と脱衣所の間のドアも閉めて、脱衣所の電気も消していたので、風呂の電気を消すと一瞬真っ暗になった。
給湯温度と時間を示すオレンジ色の明かりだけがボンヤリと浮かんでいる。
浴槽に浸かりしばし瞑想する。
薄目を開けてみるが、さほど視界は変わらない。
またしばらく瞑想する。
今度は少し長めだ。

目を開くと
「おお!見える!」
少し目が慣れたようだ。

よし、たまにはこのまま幽玄の世界で体を洗うのも一興ぢゃ、なぞ。

“ガチャ”
「ちょっと!お風呂に入ってるの?なんで電気消してるわけ?」
「いや、、まぁ」
「洗濯物干すんだから電気点けるからねっ!」

幽玄は有限なのであった。

2008年2月18日月曜日

弱虫

目覚まし時計は、目盛りが細かく合わせづらい。

おまけに私は子供の頃から朝が弱いので目覚まし時計は二つある。

ただ子供の頃から、遊びに行く用事のあるときは朝に強くなるので、完全に弱虫ではないようだ。

最近、特に細かい目盛りが見づらくなった。
「あっ!また行き過ぎた!」
もう一回ひと回ししてやり直し。
あっ、また失敗。

この微妙な調整で朝5分間ゆっくり寝られるのだ。

調整に手間取っていると5分間過ぎた。

2008年2月17日日曜日

昭和53年

衣服に関して、あまりの急激な変化に驚愕することがある。

たとえば愛用のダウンコオト。
急にチャックが動きづらくなった。
確か5万円はしたはずの高級品にも関わらず、である。
こまったものだ。
あとスーツのズボン。
太ももの根元が擦れ合うあたりに穴が開いた。
一応Brooks Brothersなのに、である。
確かに長く愛用し過ぎている私にも問題があるのかもしれない。
ダウンコオトは確か昭和53年の冬に購入した筈だから、もう30年になる。
ブルックスのスーツもかれこれ20年だ。

しかし、カシミアのコオトはまだ10年ほどであるにも関わらず、左わきの下の部分が破けていることに気づいた。
ジャスコの吊るしとはいえ早過ぎないか。
デイパックをコオトの上から背負って、ほぼ毎朝駅まで走るのだが、確かにわきの下に当たる部分にデイパックの留め金があるので私の使い方に問題があるのかもしれないが、とにかく見られると恥ずかしいくらいの大きな穴である。
つり革は専(もっぱ)ら右手で持つことにした。
当然ながら一週間ほど前には右側にも小さな穴を発見してしまった。
電車でつり革を持つことにさらに慎重になった。

失言癖のある私であるが、わきの甘さは禁物だ。

2008年2月16日土曜日

とうとうみ

昨夜は犬の安眠に貢献する企業に勤めるT氏と会食。

3年ぶりくらいであろうか、武蔵小山の割烹『川よし』へ。
さすが女将さんは私のことは忘れずにいてくれて相変わらず愛想がよい。
時の流れを感じたのは、小上がりが掘りごたつ式になっていたこと。
ありがたい。

ここは鰻の店らしいが、名物はなんといっても河豚(ふぐ)である。
寒い夜とはいえ、まずはキリンラガービール中瓶を頼み乾杯。
ボリュームのあるお通しをアテに喉を湿らせ、すぐに目当てのひれ酒を頼む。
まもなくてっさ(ふぐの刺身のこと)が二人前運ばれてくる。
ここの店の素晴らしいところは、てっさの真ん中にてんこ盛りになっている皮の湯引き。
“みかわ”も“とうとうみ”も、十分堪能できる量なのである。
“みかわ”はふぐの身にくっついていた皮で、“とうとうみ”は外の皮と“みかわ”の間についていた皮で、“みかわ”よりも歯ごたえがある。
個人的には刺身よりも皮が愉しみである。
ちなみに“とうとうみ”は“遠江”と書き、静岡県大井川西部の昔の地名で、三河の国の隣にあった。
“みかわ”にくっついていたので“とうとうみ”となったのである。
私は確かに皮の湯引きが好きであるが、どうもT氏のてっさを食べるスピードが速い。
しかも二枚いっぺんに食べるのは『川よし』ならではの贅沢であるが、彼は時々三枚食べていたような気がする。
しかも早々とひれ酒を飲み干し、ひれの残った器に継ぎ足す継ぎ酒(つぎしゅ)を頼んでいる。

てっさを食べ終わり、定番のから揚げを二人前頼んだ。
幸いなことに一人前づつ皿が分かれて出てきた。
しかしそれで私のから揚げが確保されるとも限らないので目が離せない。

二人とも食べるほうなので、続いてかき揚げと蒲焼を頼む。
ボリュームのあるかき揚げには海老がふんだんに入っていて、アテとしては最高だった。
鰻の蒲焼もタレが辛めで、酒飲みにはたまらない。

けっこうおなかは落ち着き、てっちり(ふぐ鍋)は一人前にしておいた。
T氏はやたらと
「このネギ、甘くて美味しいでぇ」
と言ってネギを勧める。
無視してふぐを食べていると
「なんかふぐばっかり食ってないか」
とイチャモンをつけながら、鍋の中のふぐを探っている。
T氏の継ぎ酒は、私よりも1本多いペースまで行っている。
周回遅れのレーサーの気分だが、都内に住むT氏に合わせていたら大変だ。

最後の雑炊にはおもちがたっぷり入っている。
これも一人前をシェアしても十分な量だ。
T氏がもちで火傷(やけど)するのを願いつつ口に入れたら私が火傷した。
しかし火傷もまたふぐ雑炊の醍醐味のひとつだ。

ふぐは、本場下関や博多では、福とかけて“ふく”と呼ばれる。
3年ぶりのふぐ、文字通り至福の夜であった。

2008年2月15日金曜日

ノードストローム

1971年6月19日、大阪毎日ホールであるコンサートが開かれた。
北山修の25歳を祝うコンサートである。
その模様は『北山修・ばあすでい・こんさあと』としてライブレコードとなって発売された。
高校同級生S田から彼の姉のものとされるそのレコードを借りて数十年、所有権は私に移った(ものと信じている)。
昨年、文教堂の中のレコード屋さんで、そのレコードが復刻版としてCDになっているのを見つけて購入した。
これは借りずに購入したのであるから正々堂々私の所有物である。
狭い会場しか借りられず観客に不自由な思いをさせていることに対して、北山修氏が観客に向かって喋っている。
「ほんまにすいませんねぇ。もっと広い会場、借りたかったんですが、ここしかなかったんですよ。6月18日なら空いてますとか、6月20日なら大丈夫ですよとか言われて(笑)。そやけど、この6月19日という日は、6月19日じゃないと意味がないんですよ。ね、だから我慢してくださいねぇ」
当時はアイドルのような北山氏であるから、観客の女の子たちからは
「かまへんよー、サム(北山氏の愛称)」
と、黄色い声で激励されていた。

今朝、ダイアナ妃に時々似ているYさんが紙袋を持って近づいてきた。
紙袋から包丁を出して刺されると思い“栄光に満ちた私の人生もこれまでか”と覚悟を決めたが、Yさんは意外にも
「あのぉこれ・・・」
と言ってチョコレートを呉れたのである。
寛大な私のことであるから、昨日のバレンタインズデイからなぜ一日遅れたかについてはあえて追及しなかった。

10年ほど前であるが、米国の海外出張から戻って姫たちへのお土産や自分へのお土産やガールフレンドへのお土産をこっそりスーツケースから出していたとき、細君が聞いてきた。
「私のはどれかしら」
その瞬間、私は凍りついた。
“しまった、忘れた・・・”
しかし、そんなことを口に出せる筈がない。
頭の中のスーパーコンピューターはフル回転した。
“そうだ、ガールフレンドへのお土産の口紅は確か3本セットだったはず。セットとは言っても確かセロファンで包装されているだけで、ばらせば大丈夫なはず”
「もちろんあるよ。口紅を買ってきた」
と言って1本手渡した。
「ちょっと私には派手じゃない?」
「そうかなぁ、まぁアメリカのデパート、そうノードストロームの店員の趣味なので、日本人より派手かもね」
などと、細君は知らないであろうデパートの名前なぞ駆使して冷や汗を隠しながら事なきを得たことがあった。

Yさんも昨日はチョコの儀式を一通り終えたあと
“しまった・・”
に近い感覚で私を思い出したのかもしれない。
思い出してくれたのならまだいいが、あえて一日ずらしたということも考えられる。
チョコを受け取った私から交際を迫られたとしても
「なに言ってんすか、それは勘違いってもんすよ。だって私が渡したのは14日じゃなくて15日だったでしょ。普通の日にあげたんすから、バレンタインチョコじゃなくて3時のおやつっすよ」
と逃げることができるわけである。
確かにそうである。
バレンタインチョコは2月14日だからバレンタインチョコなのであって、13日や15日のチョコは、カカオから作ったチョコレートであって血中糖度を上昇させるあのチョコレートなのである。

とはいえ、こうしてチョコを呉れたのだから、Yさんは“義理”堅い女性である。
m(ーー)m

2008年2月14日木曜日

ソーライス

オフィスの1階にはコンビニがテナントとして入っている。
ある日、張り紙を見て驚いた。
“通り抜けご遠慮願います。他のお客様の迷惑になります”
確かに昼時は混んでる。
しかし、他の時間帯はオフィスビルの1階であるから当然ガラガラである。

昭和恐慌が吹き荒れる1930年頃の話であるが、食堂でライスだけを注文してソースをかけて食べる“ソースライス”なるものが流行したという。
客単価の低さを嫌がった食堂の多くは“ライスだけの注文お断り”の張り紙を出した。
そんな世間の姿を見た梅田の阪急百貨店社長小林一三は、従業員の反対を尻目に大食堂に“ライスだけのお客様歓迎”の張り紙を出した。
かくして阪急百貨店の大食堂の“ソーライス”は裏メニューとして人気を博した。
その頃の客は、景気回復後みな阪急のお得意様になったのは言うまでもない。

件(くだん)のコンビニは旧財閥系不動産S社の傘下とのこと。
財閥解体は終わっていないようである。

2008年2月13日水曜日

よぉ!

もうだいぶ以前からだが、男性トイレの“小”の方には人体感知機能が付いて、便器から離れると自動的に流れるようになった。
ご丁寧なトイレになると、便器の前に立っただけで“とりあえずビール・・”みたいな感じでサ~ッと流れて、離れると本格的に流してくれる機種まである。

夜遅くにオフィスのトイレに行くと勝手に流れていることがある。
最近知ったことだが、しばらく立つ人がいないと、目詰まり防止や洗浄などの目的で、自動的に流れるらしい。

なんだ・・・である。
てっきり幽霊かと思っていた。
恐いので、流れている便器の前あたりに「よぉ!」って強がってあいさつしてたのに。。。

2008年2月12日火曜日

夜明け前

テレビを見ていて気になることがある。
出演者が喋っていると出てくるあのテロップではない。
どうせならアメリカの報道番組のように、生放送でもテロップをやるくらいの気概が欲しいくらいだ。

私が気になるのは、ボカシである。
ヌードが出てくるわけでもないのに、街中(まちなか)や家の中の場面で急にボカシが入るようになった。
番組スポンサーの競合企業の製品を映さないよう「配慮」(強制されているのかもしれない)しているのが見え見えである。
洗剤などの日用品や飲み物などを隠しているケースが多いように思う。
なんと了見の狭いことか。
トヨタの提供番組に、トヨタ以外の車にボカシを入れていたらどうなるのだ。

日本でも“ポルノ解禁前”は、海外雑誌のヌードのある一部分は黒く塗りつぶされていて多感な高校生であった我々をずいぶん悩ませた。
ベンジンや細かいサンドペーパーなどさまざまなテクニックを駆使して、黒い魔物を除去しようとしたが、すべて徒労に終わった。

とにかく塗りつぶしたりぼかしたりすることは精神衛生上よろしくないのである。

2008年2月11日月曜日

挨拶許可証

今日も愛犬(正確には二姫の愛犬だ)の散歩に行ってきた。
彼女のマイペース振りは相変わらずだ。
こっちがウォームアップのつもりで最初はゆっくり走ろうとしても、いきり立ってダッシュする。
こっちの体が温まってジョギングのペースで走ろうとしたら、やたらとそのへんの匂いを嗅ぎまくるために立ち止まる。
走りにくい砂浜ではちょっと自分が四本足で走れると思って調子の乗ってスピードを上げる。
“Slow down!”
叫ぶと、チラッと後ろを振り返るが、そのまま走り続ける。
そういえば柴は日本犬だった。
「ゆるりと!」
チラッと振り返るがやはり走り続ける。
そういえば相手は犬だった。
グイとリードを引っ張りペースダウンさせる。

今度は砂浜の匂いを嗅ぎまくる。
岐度(きっと)牡犬のおしっこなのだろう。
彼女の日々の優先順位で、匂いというものはエサの次にあるのではないかというくらい、匂いを嗅ぐことに執念を燃やす。
そしてお気に入りの牡犬が来ると凝(じつ)と見つめ、すれ違ったあとも振り返り振り返り未練たっぷりの視線を送る。
美人とすれ違ったあとの私のようで嫌になる。
犬が私に似てしまったのか。
私も犬も所詮は同じ生き物なのか。
単に私に自制心がないのか。

その謎を残したまま昨年夏に海岸で出会った美人のことを思い出した。
犬はまことに便利なツールである。
犬を連れている者に限っては、挨拶や会話の許可証の役割を果たす。
昨夏、海岸で会話をした美人はボクサー(ボクシングをする人ではなく、犬の種類である)を連れていた。
お互いに犬を連れていなかったら絶対に会話できないどころか、私など犬抜きで海岸を歩いていたら警戒されかねない。
上品そうな多分30才がらみの女性で、美人ゆえに行き遅れたか、もう許婚(いいなずけ)がいるか、いずれにしても地元のまぁまぁいいとこのお嬢さんの風情であった。
ディズニーアニメ『101匹わんちゃん』では公園で会った飼い主同士が恋に落ちたのに、なぞと当時妄想したことを思い出し、「許可証」を引っ張ってまた海岸を走った。

それにしても犬は砂浜ではよく走る。
とてもじゃないがついていけない。
時々、犬は振り返り
「どないしたんや、その走りは?それじゃセサミストリートのビッグバードよりみっともないやないか」
と軽蔑のまなざしをこちらに向ける。
「くそっ、10年も経てばおまえもばぁさんや。その時は憶えていろよ」
と思ったが、10年経てば自分もじぃさんの領域に入っていることに気づいた。

2008年2月10日日曜日

ある休日の過ごし方

『大人の見識』阿川弘之著(新潮新書)を読了した。
よかった。

DVD『トゥモロー・ワールド』を観た。
泣けた。

DVD『16BLOCKS』を観た。
まぁまぁ。

ピストン堀口道場、鈴木選手が日本ミドル級チャンピオンに挑戦したが惜敗した。
めちゃくちゃ残念。

2008年2月9日土曜日

播州地方

昨夜は美人セラピストのIさんとかつては東京の海を守り今は青葉城城主のSさんと久々の会食。
寒いのでおでんでもと探して訪問したのが八重洲口から近くの「ザ・おでん あきやま」。
奇を衒(てら)ったような店名だが、店内は地方都市の駅前食堂のような、なんとも懐かしい雰囲気で、ガヤガヤもしておらず、うるさいBGMもなくテレビがつけっぱなしで、気のよさそうなおやじさんとおかみさんの家族経営という趣き。
実に落ち着ける。

Sさんは仙台から“はやて”で向かってきており、最初はIさんとデート気分。
「東京駅で、見るからに不倫カップル!これからどっかに旅行か?っていう中年のカップルがいてね」
など、楽しそうにIさんが語る。
なるほど、ふむふむ、3連休に個室露天風呂のある旅館など、ハセキョーのような女の子と行ってみたいものである。

まずはキリンの生ビールで乾杯。
おでんタネは、関東では珍しい牛スジや焼き豆腐もあり、うれし涙がチョチョ切れる。
初めての店だが聞いてみた。
「おろしショウガをいただけませんか」
おかみさんが気安くすりおろしてくれた。
子供の頃からおでん(関西では関東炊きという)は、独特の甘辛いタレに浸してから食べていた。
店で食べる場合でも夜店の屋台であってもそういうタレが供された。
おでんに味付けがされていて、なんでわざわざタレ?などと考えたこともない。
家庭で作る場合はショウガ醤油が一番近い味かもしれないので、家で食べるときもショウガ醤油を準備する。
この店ではショウガ醤油はさすがに申し訳ないと思い、おろしショウガだけを頼んだわけだ。
ちなみに私はおでんに辛子を付けない。
ショウガもそうだろうと言われそうだが、辛子はおでんの味を変えてしまうからだ。
江戸時代から辛味には唐辛子や塩や大根などが用いられてきたが、ショウガも辛味には必須だ。
おでんに一番合う辛味は辛子ではなくショウガだと思う。

以前新聞で全国のおでんが特集されていたが、それを読んで驚いたのだが、なんとショウガベースの甘辛いタレに浸して食べるのは播州地方のごく一部だけらしい。
そんなディープな食べ方とは知らなかった。

Iさん、試してみてくれた。
「合う!これは新しい味だ」
と賛同、次々に来るタネに乗せて食べてくれる。
なんだかうれしいものだ。

早々にショウガがなくなった。
「すみません、ショウガの追加をお願いしてもいいですか」
「ごめんなさい、もうないのよ」
しょうがない。

2008年2月8日金曜日

男の未練

青春ドラマで「俺たちの旅」という名物番組があった。
大好きであった。
若き日の中村雅俊が主役で、1975年から始まりが終了したのが1976年。

そして1985年に『俺たちの旅 10年目の再会』として約10年ぶりに続編としてキャストを呼び戻して制作された。
すごい企画だと思った。
1995年には『俺たちの旅 20年目の選択』が制作され、40代になった彼らの脂ぎった感じが鼻につき始めたが、やはり見てしまった。
2003年になんと『俺たちの旅 30年目の運命』・・・
青春を謳歌した彼らも50代とのこと。
BGMは昔の曲のままでなかなかいいのだが、さすがにストオリィに感情移入するには厳しい。

続編シリーズ3作目の『30年目の運命』で中村雅俊扮するカースケの恋人だった金沢碧扮する洋子は死んだ。
金沢さんは「もう付き合いきれない」と思ったんじゃなかろうか。

RockyはRocky Finalで6作目。
この最後の作品でタニア・シャイア扮する、ロッキーの奥さんエイドリアンは死んだ。
タニアは本作品に出たがっていたということだが本当だろうか。
「さすがにもう私はいいよ」と身を引いたような気がしてならない。

男は未練がましく続編を作り続ける生き物か。
女は“付き合いきれない”とばかりに、さっさと「自ら死を選ぶ」のだろう。

そういえば、男は昔の女からもらったものを後生大事に取っておこうとするが、女は昔の男からもらったものはさっさと捨てるか、誰にもらったか忘れて使い続ける、ということを聞いたことがある。

2008年2月7日木曜日

グレート東郷

今夜も相変わらずワンパターンのバラエティ番組が流れている。

お笑いタレントの出川哲郎氏が他の出演者からいじめられている。
うれしそうだ。

昔から悪役レスラーもこんな感じだった。
戦後まもなくに活躍したヒール(悪役レスラーのこと)グレート東郷もそうであったに違いない。

意気揚々と登場してきて非道の限りを尽くす。
そして善玉の逆襲に遭い、お約束のように命乞いする。

岐度(きっと)出川氏も同じ気持ちでやっているのだろう。
“道化(どうけ) is money!”の気概だ。

2008年2月6日水曜日

GREEN GUM

電車に乗るときはよくガムをかむ。
お気に入りはLOTTEの昔ながらのGREEN GUMだ。
最近はツブのガムが主流のようであるが、私は板ガム派だ。
まず注意書きの“2、3粒づつお召し上がりください”が気に喰わない。
それなら最初から1粒で済むような、そう、“ガチャガチャ”で出てくるような大きなやつにしといてほしい。

あとはトシのせいかもしれないが、ツブガムはツルンと喉に行きそうで恐いのだ。
「まぁガムでもどうぞ」と言われて引き抜くとバチン!と指を挟まれるB級イタズラ玩具があったが、もしあれの防止のためにツブガムが普及しているとすれば、板ガムも立つ瀬がない。

2008年2月5日火曜日

略奪愛

外出先から遠回りして道草を食ってオフィスに戻っていたら、近くにはないと思っていたスーパーマーケットを発見した。
うれしくなりすぐ入店。
残念ながらサラダなどの惣菜の品揃えは悪かったが、みかんが安かったので特売の炭焼き珈琲と一緒に買ってオフィスのあるビルに帰った。
エントランスが見えてきたころだが、そのあたりでキラキラ輝いている部分が見えた。
近づいてみると、輝いていたのは妙齢の美人Yさんの笑顔であった。
まるで私とのデートを待ちわびているようにニコニコしながら手を振ってくれた。

玄関で「お帰りなさい」と手を振る美人の若妻と、スーパーで買い物を頼まれてみかんと炭焼き珈琲を買って帰ったハンサムな旦那の構図である。
当然、美人の若妻はハンサムな私を家庭から略奪したということになる。
「お風呂沸いてるわよ」
「おお、そうか」
「ビールも冷えてるよ」
「おお、そうか」
「あなたの好きな鰻も買っておいたわよ」
「おお、そうか」
「半分はそのまま食べて、残りは丼にするわね」
「おお、そうか」
「肝もあるから、山椒を振りかけてね」
「おお、そうか」
「奈良漬もあるからバッチリでしょ」
「おお、そうか」
そんな妄想をしながら近づくと
Yさんは開口一番
「あんまり眠かったから、外の空気吸いに来たんすよぉ」
「おお、そうか」
「なんすかその袋?あれ?聞いちゃまずかったっすか。あっ、みかん、美味しそうじゃないっすか」
「おお、そうか」
「もちろん、私にくれるんですよね」
「おお、そうか」
「えっ、全部くれるんですか、って嘘ですよぉ!」
「おお、そうか」
「あっ、珈琲まである。えっ“6+1袋”の増量パック?じゃひとつは私のじゃないですか」
「おお、そうか」
「なんだ、一箱全部くれるんじゃないんっすか。まぁいいや」
「おお、そうか」

次々と持っていかれるさまは壮観でさえある。
これぞ“略奪愛”である。

2008年2月4日月曜日

阿川泰子の悲劇

むかしあるテレビ番組で大橋巨泉氏が
「ジャズくらい顔に関係なく聴きたいなぁ」
とコメントした。
阿川泰子さんが歌っている映像を見てのコメントである。
それは阿川泰子さんの歌が下手だと言っているわけではなかった。
たとえば歌手に限らず、スポーツ選手でも、棋士でも、小説家でも、同じ力量ならどうしても美人の方に人気が出る。
そしてその人気が本来の勢力図やランキングを邪魔してしまいかねない。
実力の世界のはずが、外見で得をして下駄を履いたのと同じ状況になる。
大橋氏も美人が好きであろうが、それゆえに、好きなJAZZの世界くらい外見は“マスキング”して味わいたかったのだろう。
しかし阿川さんにしたら、いい迷惑である。
美しいがゆえの悩み、とも言えないし。

関西ではコメンテーターとして有名な放送作家で新野新(しんのしん)という人物がいる。
彼はラジオでこんなことを言っていた。
~テレビなんかの収録番組で司会者から何か聞かれたときにおばちゃんが“ご想像にお任せします”ってよく応えるけど、あれってどうなんやろね。誰も想像したくないよね。吉永小百合が“ご想像にお任せします”ってゆうたらわかるけど、やっぱりおばちゃんがあれを言うのはおかしいよね~
笑福亭鶴瓶は
「そんなん、ほっといたげーな!」(そんなの放っておいてあげなさい)
と思わず突っ込んでいた。

むかしJALがストライキをやったときのこと。
竹村健一氏はテレビでこんなコメントをしたことがある。
~僕は仕事柄よく飛行機に乗るけどね、スチューワーデスはほんまみんな別嬪(べっぴん)さんでやさしい。あんな綺麗な人らがストなんてやろうって言うはずがないからね。だいたい経営幹部が悪いんですよ、きっと~
まだ小池百合子さん(衆議院議員)がアシスタントだったころの話であるが、小池さんは苦笑いしていた。

阿川さんはもうおばちゃんの年代かもしれないけど、阿川さんのことは“想像”してみたいし、阿川さんならストもしないと思う。

2008年2月3日日曜日

ためいきの出るような

私は子供の頃から喉が弱く、そこから風邪をひきやすい。
また、毎日ちゃんと歯磨きをしていても、虫歯になりやすい。
おかしいと思っていたが、長年の研究の結果、理由が分かった。

私は“口呼吸派”なのである。

人間と言うのは基本的に鼻から呼吸するように体の仕組みができているらしく、鼻から息を吸うことによって、病原菌の侵入を防ぎ、冷たい外気が体内に入るのを阻止して喉や肺を乾燥から守る。
口で呼吸すると口腔内を乾燥させ、病原菌を殺す役割の唾液を乾かし、また喉も痛めるとのことである。

子供の頃の写真を見ると、ポカンを口を開いている。
生まれつきそういう体のようであるから、これはしょうがない。
マスクをうまく使ったり、鼻うがいをするといいとか、いろいろなものに書いているが、口をポカンとするように、人生もポカンとしているので、あまり対処する気にもなれない。

昔、谷村新司さんがラジオでこんなことを言っていた。
~小学校のときにテストで“息はどこでしますか”という問題が出て、私は“口”と書いたらペケになりました。先生に“なんで”と聞いたら“答えは鼻や”と言うんです。おかしいでしょ。口でも息をするんですから、ペケじゃなくせめてサンカクにするべきじゃないですか~

きっと谷村さんも“口呼吸派”なのだろう。
しかし、“口呼吸”をペケにした先生は、児童の健康を守るという意味では正しかったのかもしれない。

なるほど溜息(ためいき)は幸せを失くすはずである。。。

2008年2月2日土曜日

二十歳の原点

京都駅のキヨスクでのこと。
大学生らしき男が、タバコを求めた。
店のおばちゃん
「二十歳(はたち)過ぎてるよね」
男は憮然とした顔で
「見たらわかるやろ」

見ても判らなかったから聞いたということをこの男は分からなかったか、あるいは分かりたくなかったのだろう。

私もコンビニで酒を買い求める時は
「二十歳過ぎてるよね」
と問われないかといまだに緊張するので気持ちは解る。

タバコを自販機で買う時に必要な年令識別カード制度が昨日からスタートした。
誰が考えても滑稽な制度であるが、受け狙いだとすれば失敗だ。

カードを忘れた男が自販機に向かって
「見たらわかるやろ」
と文句を言うのを期待するしかない。

2008年2月1日金曜日

パンシロンでパンパンパン

30年ほど前であろうか、祖父がテーブルの前で胡坐(あぐら)をかいてテーブルに置いてある胃腸薬「パンシロン」(いまでもあるのだろうか)を見ていた。
何をしているのか私は尋ねた。
祖父は
「腐りかけの饅頭が勿体無いので食べた。腹が痛くなったらシロン(祖父はパンシロンをこう呼んでいた)を飲もうと思ってな」
私は呆れて言葉を失った。

明治の男とはいえ、さすがに幼少の頃より赤貧(せきひん)洗うが如しの生活をしていただけのことはある。
私にとっての凄み体験のひとつである。

今年の正月に帰省したときのこと。
母曰く
「最近は賞味期限がどうのこうのと、うるさ過ぎる。食べ物など少し嗅げば腐っているかどうか分かるし、食べてみて酸っぱかったらやめればいい」
これも戦前生まれの凄みのある言葉である。

饅頭屋で働いた経験もある母は続けた。
「最近内部告発なんてよくあるけど、あんなものは従業員を大事にしてない証拠。よっぽど性質(たち)の悪いのは別にして、食べ物なんてそんなに神経質になる必要はない。私が行ってた饅頭屋だって、余った饅頭の皮を剥いてアンコはまた釜に戻して炊いてた。あんな砂糖を使ったものはそうそう腐らない。従業員を大事にしてたら騒いでいいものかどうか、ちゃんとわきまえるもんや」

昔やっていたように、食べ物をクンクンする癖を復活した。