2007年11月30日金曜日

バチッ!

子供のころは感じなかったのに冬になると静電気に悩まされる。
営業車に乗っていたころは、得意先で降りるたびごと悩ましかった。
急いでいなければ、ドアの金属部分に触れたまま地面に足を着き、そっと椅子からお尻を上げた瞬間に弱い電流が指に流れて「無罪放免」となるが、急いで降りるとひどい「洗礼」を受けることになった。

海外旅行に行くとホテルのカーペットのせいか、よく静電気の被害に遭う。
空気が乾燥している米国西海岸は特にひどい。
握手でバチッと火花が飛んだこともあった(><)
1657年に起きた江戸の大半を焼失したという明暦の大火は、因縁のある振袖を供養のため和尚が寺の火に投げ入れたら火柱が上がり、そこから燃え広がったという言い伝えから「振袖火事」とも言われている。
西海岸ではさしずめ「握手火事」いやシェイクハンド・ファイヤーが起きてもおかしくない。

最近はホテルのエレベーターのボタン脇に静電気予防のシールまで登場した。
静電気のバチッはそれほど嫌われているのである。

水資源保護のためか、経費節約のためか、トイレの水道は自動止栓装置付きが増えてきた。
それが、なんと!水が出て手に触れた瞬間に“バチッ!”とくることも。
水だけに乾燥とは無縁のはずなのに。。。
「むちゃするなよ」と突っ込みたくなる静電気現象である。

2007年11月29日木曜日

SMOKIN’ CLEAN

私はタバコを嗜(たしな)まない。
むしろ、忌み嫌っているくらいである。
それでもテレビドラマ「大都会」の渡哲也になりたくて、一週間ほど吸ったことがある。
が、体に合わないなと思い、渡哲也になるのは断念した。
それで真田広之になったわけである。

それにしてもタバコはやめておいてよかった。
ただでさえ堪え性のない私である。
いまの世の流れ、スモーカーをタバコ難民にような仕打ちを受けたら、本当に悔しい思いをするところだった。

2007年11月28日水曜日

東京タワー

オフィスの窓から東京タワーが見える。
ペイペイには決まった机がないので、気まぐれに今日はそんな席にすわってみた。

よく、テレビでグラビアアイドルがゲスト出演して、自分の水着の写真集を司会者にプレゼントしたりする。
やおら写真集を開く司会者。
水着写真を見ながら実物とも対面する、というのは至福の贅沢だろう。

きっと今日座った席で、映画『続、Always三丁目の夕日』のDVDを見たら、窓に映る実物東京タワーも同時に見ることができて乙(おつ)な気分に浸れたかも。。。
んなわけないか。。。

あの映画は懐古趣味でヒットしているが、ふと考えた。昭和30年代にも映画はたくさんあり、日常風景を描いた傑作もあるはずだ。黒澤作品とか木下作品とか。
そうすると、CGを駆使した映画を観なくても、リアルな昭和30年代がそこにあるのだ。
CGには、自由に表現できるバーチャルとしての強みはあるが、やはり本物にはかなわない。
いつか人々は気付くのだろうか。
「三丁目」ではなく、本物を再評価することの大切さを。
なんでも新しければいい、というわけでなく、古いものを守ることこそ大変だが大切なのだ、という基本的なことを。

2007年11月27日火曜日

鏡よ、鏡、鏡さん・・・

細君は私に向かって「あなたはナルシストだ」という。
とんでもない誤解である。
確かに私は世界で一番私のことが好きである。
鏡を見ていても飽きない。
けっこう男前だと思う。
世の中の女性がこの私固有の価値観を認めないだけである。
仕事振りも上岡竜太郎氏ではないが「仕事は一流、出世は二流、給料は三流、恵まれない天才ビジネスマン」だと思っている。
ただ怠け者なだけである。
また私はキリストのように心がやさしい。だが細君は「あなたは冷たい」と言う。それではキリストも冷たかったかもしれない、ということであり、キリスト教への冒涜である。

ある日のことである。三面鏡をなにげなく触っていたら、鏡写しではなく、その逆のいわゆる写真と同じに見える角度になったので、いつものように鏡に向かって微笑みの貴公子をやってみた。
驚いた。
そこに写っているのは私ではない。歯はガチャガチャ、クチにしまりがなく、顔は非対称に歪んで、なんとなく目つきもいやらしい。
そうなのである。私は長年鏡写しの顔ばかり見ていたので、いつのまにか脳が自分に都合のいいように修正していたのである。
そういえば、写真は本当の顔であるはずだから、写真を見たときに気づいてもよさそうなものであるが、単に私は写真うつりが悪いのだ、と思っていたのである。

案外世の中のみんなもそうかもしれない。脳は自分の都合のように修正するのだ。自分の容姿に自身のある女性ほど「私なんてかわいくありませんよ~」などという。脳内で修正されてその程度なのだと思ったほうがいいのである。

畢竟(ひっきょう)、皆ナルシストなのである。
私などまだかわいいものである。こんなに自分好きな私でも、ときどき真田広之の外見になっていたら人生は変わっていただろうと思うのだから。残念ながら彼が一番で私が二番(以降)である。だから、私は決してナルシストではないのである。

2007年11月26日月曜日

往来、オーライ!

今日のお昼はいつも行く定食屋へ。
オフィスから出る時間が遅れたので一人で。
食べ終わった客が爪楊枝を使い始める。
町の定食屋なので、どこにでもある爪楊枝ケース。
一見鉛筆削りのような円筒形で、真ん中に小さな穴の開いたプラスチック製のあれである。
まるでディファクトスタンダードのような爪楊枝ケース。
ひっくり返すとうまくいくとスンナリ1本出てくる。
最近はずいぶんまともに使われるようになったが、あれが出始めた頃は逆さまに、いわゆる尖ったほうを上に向けて楊枝が入れる店も多かった。
口に入れるほうがケースの底につかないように、という配慮は分からなくもない。
しかしそうすると尖ったほうが何本も穴を目指して出てくるので、結局詰まってしまい、なかなか出てこない。
おまけに何本か先が顔を出して、つまみ出そうとする指に触れるので、かえって不衛生である。
配慮が裏目に出るということである。

人に食べ物をよそるとき、箸を逆さまに持ち替える人がいる。
あれは、やめてほしい。
よそるものが、水気の少ないものならまだ許せる気がするが、何かつまんでベタベタになったほうが上になるのを見るのは忍びない。
結局、直箸(じかばし)のほうが、フレンドリーである。
かわいい女の子だと、「一方通行」とはいえ間接キスのようでうれしくもあるのだ。
もっとも、「一方通行であっても嫌だ」と考えてわざわざ直箸を避けている可能性は十分あるが。
食事作法の本を読むと、箸を逆さまに持ち替えるのは、手を触れていた側を使って相手に渡すことになり失礼にあたるので、そのままよそるか、菜箸を使うのが正しいとのこと。

こちらが直箸でよそってあげた食べ物を、女の子がさっきまで食べていたのに箸をつけようとしないのは、「往復」間接キスだと思ってきっとドキドキしてしょうがないのだろう。

2007年11月25日日曜日

男の信念

一年経って今年も空手の試合に出場してくださいとメールがきた。
無論、丁重にお断りした。
そしたら「昨年同様、司会をお願いできませんか」と懇願された。(昨年は、選手として出場したが、司会も頼まれ満足にウォームアップもできず、よい言い訳ができた)
どうやら選手としてよりも、司会がいなくてこまっていたようである。
腕は立たないが、口は立つことがバレている。
久しぶりの大会の雰囲気は独特である。
目にパンチを受けて病院に行ったら眼底剥離寸前の選手や、男子の大切な場所を蹴られてのたうち回る選手、鼻に膝蹴りを受けて血を流す選手、と相変わらずの「絵巻」である。
司会者でよかった。
みな、この世界こそすべてである、この時間だけは。
みなと別れたあと、帰りの駅で見た一般人はみな平和な顔である。
夢から覚めたように、ホッとする。

帰宅したらテーブルの上に私の好物がズラリ。
菊正宗のワンカップ樽酒、うなぎ、あとチョコの入った紙袋も。
一週間遅れで誕生日を祝ってくれるらしい。
細君は大雑把な人で、何か記念日になってからそれを思い出す。
私は繊細な人間なので、自分の誕生日の一週間前からケーキのろうそくを百均で買い求めておいた。
今年は48本必要なので10本入りを5パックである。
毎年のことであるが大雑把な細君は今年も「なんで太めのろうそく4本と細めのろうそく8本じゃだめなのよ?!」と叱責する。
とんでもない話である。
40歳を過ぎたあたりから毎年同じことで言い争って、細君の執念深さには閉口する。
名曲「22才の別れ」も17本目から一緒に火を点けたのだ。太いの2本と細いの2本では歌にならない。
小さな子供とお風呂に入って「さぁ100数えようね」と言って子供が「10、20、30、40・・・90、100」と数えるのを容認するようなものである。
「あのねぇ、こういう大量のろうそくは芸能人みたいに大きなケーキに挿すものなんだよ」
続けて一姫が「肺活量が老化して5回もかかって消すってどうなのよ」
二姫は「ああ~、もう、ろうがケーキに垂れるぅ!」
信念の男はそれでも負けない。
細君がケーキを切り分けながら「この部分!!この蜂の巣みたいになったとこはパパの分だからねっ!!」と吠えようとも。。。

2007年11月24日土曜日

ピアス

「週課」となったジムに行った。
いつものように、柔軟体操。前屈から。
いつものように、指先がやっと床に着く程度。
私の足が長すぎるのである。
開脚してもあまり開かない。
しかし、足が長いので開いた幅は普通の人より広い。
小学校低学年の普通の人であるが。

通っているのはジムはジムでもボクシングジムである。
ボクササイズではなく、いわゆるプロが通うジムである。
だから独特の雰囲気がある。
当然エアロビをやっているジムの華やかは微塵もない。
汗臭い。早いビートの音楽が常に鳴っている。
時計のブザーは3分と30秒(休憩はあえて短めに設定している)ごとに鳴る。

空手道場は幽霊会員になって久しいが、空手道場に通う人とボクシングジムに通う人は動機や雰囲気がかなり違う。
空手は当然礼儀正しい人が多い(礼儀も稽古のうちかもしれないが)が、案外喧嘩に強くなりたいからという動機の人が多い。
ボクシングはもともと喧嘩に強い人がそれを生業(なりわい)にするために来ている気がする。
当然、礼儀は二の次となるが、案外折り目正しい青年が多いのも事実である。
空手はサラリーマンがほとんどなので、外見は普通の人が多い。
ボクシングは刺青(いれずみ)のにーちゃん(兄ではない)やおばちゃんが普通にいる。

空手道場に通っていたころは、心のどこかで「道場破りが現れたらどうしよう」という潜在的恐怖心のようなものがあったが、ボクシングジムにいるとそれはない。
空手道場に殴りこんで名を挙げることは可能かもしれないが、ボクサーはみな試合で見せるために仕事でやっているのだから、そこに勇んで来ても意味がない。

空手道場とボクシングジムに通って、共通の思いがある。
男はたいていそうであるが、スーパーマン願望のようなものがある。
作家の村松友視氏が「男はみな、強い者への憧憬があり、本当に強くなれる者はひとにぎりという事実からすると、男のほとんどは挫折者なのである。」という独特の屈折した(好きであるが)意見を書いておられた。
本当にそう思う。
私など一人で黙々と練習していると、すごく強くなったような気がするのだが、プロのスパーリングを見るとその気持ちは雲散霧消する。
空手も同じである。
だから、道場でもジムでも、若い人には愛想よくして手加減してもらおうと姑息になる。

今年の夏は暑かった。
空手道場で、若い人に「暑いね」というと、きっと返ってくる答えは「押忍(オス)」だろう。
この夏にロッカーのところで金髪でピアスのにーちゃん(兄ではない)がいたので「暑いね」と言った。
「まじ、ヤバいっすよ」
こういう答えにも慣れていかねばならない厳しい世界なのである。
ほんと、マジっすよ。

2007年11月23日金曜日

泣き別れ

昨日は新宿の出版社Bで打ち合わせがあった。
デザイナーYさんからの構成案を確認するためである。
構成案2案を見せられた。
一渡り見る。ため息が出る。素晴らしいのである。
「痺れました・・」一言。
Yさんが安堵の微笑みを見せる。
プロは凄い。。。。
本作りというのは面白い。
随所に、例えは悪いがブービートラップが仕掛けられている。
フォントにしても、同じ明朝でも見出しは、わざとインクがボテッとした感じに出るようなものを使用していたり、本文中の漢字は今のものを使いながら平仮名部分は3世代前のものを使い柔らかさを出す、という具合だ。
パラグラフの最初の見出しを本文の4行ほどに食い込ませるデザインだと、ページの最後で新しいパラグラフに移ろうとしても、最低5行分の余裕がないと余白にして新しいページに改行せざるをえない。こういうのを「泣き別れ」というらしいが、さすが印刷物はグーテンブルク以来のテクノロジーだけあって、古臭いが趣のある符丁を使うものだ、と妙なところで感心する。
先月の打ち合わせのときには、進捗が遅く憮然として出版社Bをあとにしたが、昨日はすがすがしい思いで外に出た。
寒い。冬の到来を認めたくなくて秋物スーツでオーバーコオトなしで頑張っているが、そろそろ限界である。しかしこの夜は熱燗が待っている。

急ぎ地下鉄で東京駅へ向かい、なんとかビルの開店のおかげでごった返している八重洲北口を抜け、後輩のO君と合流、酒呑みの店「ふくべ」へ。
樽酒をキュッとひっかけ、〆鯖(しめさば)とぬたをアテに梅錦を熱燗で飲む。熊本の銘酒美少年など三合ほど飲(や)ったあと、日本ビルにある「築地寿司清」でO君の部下で妙齢+αのMさん、OGのSさんと合流する。
Sさんは昔から好きだったので、場が華やぐ。
空手道場に通っていた頃、昇級審査の前には必ずSさんにあるお願いをした。
漫画「めぞん一刻」で五代君が響子さんにやってもらっていた「頑張ってくださいねっ!」の一言である。
「級なし」の白帯から青帯の8級、8級から7級、7級から黄帯の6級、6級から5級、5級から緑帯の4級と、いつもSさんにはお世話になった。恩人である。
一年前に初めて空手の試合に出場したときは、もうSさんはいないので、好きなIさんに「頑張ってくださいねっ!」をお願いしたら、怪訝な表情でやんわりと断られた。
まぐれで準優勝できたが(私の出場したライト級は、出場選手4人でおじさんばかりであったが)、もしSさんがいたら優勝できていただろう。
そんなことを思い出しながら、昨夜はSさん(O君、Mさんもいたと思うが)と泣き別れた。

2007年11月22日木曜日

It’s a SONY

方向音痴である。
自分でも重症だと思っている。
スクランブル交差点の歩道橋など、下から目指す方向を見定めても、階段を登り180度ターンをしたらもうどこで降りていいか分からなくなる。
歩道橋は上から景色が見えるのでまだ修正可能であるが、厄介なのが地下鉄である。改札を出て地図を確認して出口番号を確認して出てからの方向を確認して、と念を入れても結局地上に出てから付近の地図を探すことになる。
高校三年のころだったか、学校から帰りにダイエーの中にあるゲームセンターに寄って、ダイエーから出たらまた学校のほうに戻りかけて友人のA立君から注意された。
「お前、学校から駅まで一本道やのになんでまた学校のほうに戻るんや?!」
中高一貫校なので、足掛け6年毎日歩いた道で迷ったことになる。A立が怒るのも無理はない。

もちろん車の運転も例外ではない。まず主要な道しか通らない。
懇切丁寧に教えてもらった裏道を駆使できるようになったときは誇らしかったものであるが、自分から裏道をマスターしたことはない。道に迷って裏道を発見したことはあるが、二度とそこには戻れない。よくこれで営業をしていたものである。かなり効率が低かったと思うが、好きな定食屋には不思議と迷わず行けた。
会社後輩の村上ショージ似のS藤君など「初めての道でも一度走ったら絶対に忘れませんね。きっと僕はタクシーの運転手になっても大丈夫ですよ」と豪語していた。大したものである。

関係ないかもしれないが、ルービックキューブが苦手だったのも方向音痴だったからかもしれないと思っている。高校友人のF原君などは女の子にもてるためであろうが、けっこう熱中してなかなかの腕前になっていた。彼が私にレクチャーしようとして、二手詰め、いわゆる6面そろった状態からカシャ、カシャと二回動かして「いくらなんでもこれはできるよね」と渡されたが、八手詰めくらいにして返却する始末であった。

ただ、方向音痴にも効用はある。家の近所でも道に迷うことができるので、どこでも新鮮な気持ちで歩けるのである。へぇ近所にもこんな場所があったのか、と発見の楽しみがある。細君は「単に記憶力が落ちているだけでしょ」というが、私がテレビなど見ながら「あそこにはむかし一緒には行ったよね」と言っても「私は行ってない。他の誰かさんと行ったんでしょ」と冷たい視線で言う。細君の記憶力にもこまったものである。
旅行に行ったときなど散策すると初めての土地であるのだから間違いなく道に迷う。国内ならいいが、海外など治安の悪いところに紛れ込んでしまって、そのスリルたるやシャレにならないこともある。サンフランシスコでは、道に迷ったのでケーブルカーで帰ろうとしたら、ますます分からないところに行ってしまって、結局タクシーでホテルに戻ることになった。

SONY元社長の大賀さんは70歳になってからジェット機の免許を取得されたという。
私も飛行機の免許が欲しいな、と思うことがあるが、空で「あれっ?」と迷うわけにもいかない。
なので、空を飛ぶイメージはうまく湧いてこない。

2007年11月21日水曜日

手のひらに、一冊のエネルギー。

今日は、S出版の宮崎美人Hさんとお昼をご一緒した。
新丸ビル5階にある“酢重DINING丸の内”
銅釜で炊くご飯が、美味しい。おかずも美味しくご飯が進む。眺めもきれいで、久々のゆるりとしたランチタイム。
話題はもっぱらHさんの結婚話。
魅力的な方から順番に嫁いでいくのは必然の法則。
来春結婚されるHさんに「先輩」として事前レクをした。
ただ私が気の利いたアドバイスなどできるはずもなく、願わくばこの『ゆるりとのぉ。。。』を反面教師として学んでいただくのみである。
Hさんに幸あれ!

1971年発売のレコード(多分実家にある)「北山修・ばあすでい・こんさあと」復刻盤CDの中で北山氏が詩を朗読する。(ちなみに北山修氏は。『戦争を知らない子供たち』『あの素晴らしい愛をもう一度』などを作詞した人で精神科医でもある)
以下、かなり 端折っているが・・
結婚-結婚はもののはずみ。結婚式の前夜、花嫁は考えた。私の人生は終わった。私の青春は終わった。でも、違うんじゃないかな。実は何も始まってなかったんじゃないかな。結婚して初めて青春が始まった。青春に終わりはないのだから。始まりだけなのだから。

当時はよく分からなかったが、いまはそんな気がする。
結婚は、化学反応であり、以前とまったく違う性質に変化する(せざるを得ない)。
トイレでは、ドアを閉めなければならなくなるし、姫たちが年頃になると、カギまで閉めろと強要される。
姫たちが小さい頃は休みの日に朝寝できなくなり、最近は起こされることこそなくなったが起きても食べるものがない。さらに新聞が先に読まれた形跡があり、ペリペリと新品の感触がない。
テレビのチャンネル権を喪失する。
バニラアイスクリームを家族分購入せねば罵詈雑言を浴びせられる。
浴室で気持ちよく歌っていると苦情が入り、無視して歌い続けると電気が消える。
納豆のおぞましい臭いが漂う日がある。
バナナは一日1本と決められる。
アラビアータのパスタソースを見つけて「あっ♪」と喜ぶと裏返される。
食べる量が多すぎて家から食べるものがなくなると文句を言われる。
とにかく、新たな世界なのである。

“酢重DINING丸の内”は、ご飯が自慢だけあって本当に美味しかった。あまりに美味しくて当然ながらご飯をおかわりした。すると驚いたことに、店のにーちゃん(兄ではない)は新たな伝票を持ってきた、つまりおかわりは有料だったのだ。
経営者は、島田紳助氏の「ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する」(幻冬舎新書)を読んで勉強して欲しいものである。
私がご飯をおかわりしても、ニコニコとしておられたHさんは、いい奥さんになることは間違いない。

2007年11月20日火曜日

私をブログに連れてって

映画のワンシーンのような場面に遭遇した。
会社のYさんという女性の話である。

映画のようなシーンとは、帰りに見たオフィスの一階にあるコンビニ内で起こった出来事である。
ありがちなことかもしれないが、ふと店内を見るとYさんの後姿が見えた。誰かと話しているようである。
相手は店員で今風の色白の、店がベーカリーを併設しているためか、パン職人のような格好のにーちゃん(“兄”ではない。ヤンキーの“にーちゃん”のような三人称である)である。
最初は、買い物で店員に何かを尋ねているのかと思った。
私は、会社の自転車置き場に行き、鍵付きチェーンを外して、夜なので着脱式のライトを装着して外に出てもう一度コンビニの前に来た。
なんとまだ話している。しかもにーちゃんは楽しそうである。
あらら、いつも昼時は弁当を陳列している棚に肘を掛けて談笑モードである。
これだけ見ればまだ良心的に想像できる。
・いつも行くコンビニのにーちゃんと親しくなったのだろう
・知り合いがたまたまコンビニで働いていたのだろう
・実は親戚のにーちゃんである、等等

話は数ヶ月前に遡(さかのぼ)る。
ある日の夕方、会社で階下へ行くのにいつものように非常階段を使おうとバックヤードへ行った。
そこには荷物専用のエレベーターもあるので配送業者も通る。
と、Yさんがやや顔を紅潮させてこっちに来て、私の横を通り過ぎていくと、配送業者の今風の日焼けしたにーちゃん(“兄”ではない・・)は、いかにもバツの悪そうな顔をして「あっ、、怒っちゃった・・・」とつぶやいている。
これだけ見ればまだ良心的に想像できる。
・いつも来る配送業者のにーちゃんと親しくなったのだろう
・知り合いがたまたま、、、、しつこいのでやめる。。
“点”が“線”で結ばれた。
Yさんの性格はサバサバしているが、誰とでも急接近できる無用心なタイプではない。
「狙った男の子は、私にかかればイチコロよ」というタイプとは対極の、むしろ殿方とは一定の距離を置き慎重に振舞うくらいの人である。
しかし、私が見たふたりのにーちゃんたちは、完全に「落城」していた。骨抜きになっていたと言ってもいい。
それにしても不思議である。
オフィスのバックヤード、地上階にあるコンビニ、普通であればわざわざそんな場所でしかも外部の人間と親しげにするものであろうか。行動学的見地から言って説明は極めて難しい。
そこにひとつの仮説を立てれば氷解する。
つまりYさんのそのときの行動は、普通の人(にーちゃんも含めて)からは見えていないのである。
配送業者のにーちゃんも私が見えていなかったのだ。
そしてコンビニのシーンを見て確信した。あまりに不自然なのである。
店員であるにーちゃんが閉店後のような雰囲気で何分もリラックスして無防備に客と話していた。回りの店員も客もそれに気づいている様子がなかった。まさに映画のワンシーンに見えた所以(ゆえん)である。
私は知っている。
Yさんは天使なのである。しかも悪戯が好きな。
公称3X才だが、きっと1万と3X才に違いない。
にーちゃんたちは、儚(はかな)くも楽しい時間を過ごせたようだ。
今日、Yさんが天使の笑顔で「私のこともブログに書いてくださいよ~」と言ってきた。
私が神の使いであることにまだ気づいていないようである。

2007年11月19日月曜日

雨宿り

急に雨に降られた。
家路にはアーケードはなく、軒先も少ない。
必然、雨が降って、傘がなければ、濡れることになる。
しかし、私は走らない。

ケーブルテレビのDiscovery Channelで、ある実験番組をやっていた。
くだらないが、どうなんだろう、という疑問を実際に実験で確かめてみようという番組である。ある日は「雨の日には、走ったほうが濡れないか、歩いたほうが濡れないか」という実験であった。正確を期するために、屋内で雨を降らせる施設で、均等に雨が降るなか同じ距離を歩いたあと走ったあとで衣服の重さを計測するのである。驚いたことに歩いても走ってもほとんど差はなく、わずかに歩いたほうが濡れなかったので番組は「歩いたほうが濡れない」と結論付けた。

たまに木陰があると、そこでは濡れず安堵感がある。
不思議なものである。葉っぱなど小さくスカスカであるのに、雨は幹に向かうのか木陰の地面はほとんど濡れない。
かりそめの雨宿りであっても、まことにありがたい自然の恵みである。案外、「となりのトトロ」を生み出した宮崎駿の映画の原点もこんなところにあるのかもしれない。

それにしても新聞の天気予報は当てにならない。今宵は☆マークだったのに。。
今朝は早かったので、フジテレビの「めざましテレビ」の愛ちゃんの天気予報を見られなかったことが悔やまれる。しかし仮に愛ちゃんが「今日は傘は要りません」と言っていたとしてもきっと許していただろう。
天気予報のお姉さんが美人かかわいいのは視聴率のためでもあるが、外れても苦情が来ないようにするためではないのだろうか。
テレビ朝日の「報道ステーション」の市川さんが予報を外しても誰も文句は言うまい。

2007年11月18日日曜日

いまいち君

小饅寿本舗の饅頭は1個10円であるが、本当に美味しい。好物のひとつである。
ここの「名物」に“いまいち君”というのががあるらしい。
蒸しあがったあとに形が悪かったり破けたりしたものを半額の5円で売るのである。
30分で売り切れるらしく、家族で食べる人や、女子学生に人気のようである。

日本の消費者は、野菜でさえ形の悪いものは買わないから、生産者も苦労するという報道を目にしたことがあるが、なかなか世間はそうでもないのである。
それともあまりに老舗や有名企業のインチキが多すぎて、外見よりも「実(じつ)」を取る人が増えてきたのであろうか。

小雪やハセキョー、長澤まさみ以外の女性も美しく見える心の広い私になれる日がひょっとしたら来るのかもしれない。
それにもまして、女性の価値観の変化で私がモテモテになる日も近いかもしれない。

「実」がないのが、ばれなければ、、、だが。

2007年11月17日土曜日

ヨドチョーさん

11月16日の誕生日から2時間半ほど過ぎた。

誕生日が来ると必ず思い出す話がある。
30年ほど前であろうか、ヨドチョーさんこと映画評論家の淀川長治さんがラジオで話しておられた。
「みなさん、自分のお誕生日がくると、お祝いしてもらいますね。私は違うんです。私の誕生日は母と過ごすんです。誕生日がおめでとう、と祝われる日ではなくて、自分を産んでくれた母に感謝する日やと思うんです。だから一日、母親孝行するんです」
生涯独身を貫かれたヨドチョーさん、それ故に実行できたこともあるのかもしれないが。
その話を聞いたときは「なるほど。そんなもんか」と思ったものだが、自分に子供ができるときに細君の様子を見ていると、なるほど赤子を産むのは大変だと分かったので、「なるほど」の度合いが大きく変わった。

「なぁるほど!」くらいに。

2007年11月16日金曜日

SEME

セーメとはイタリア語で種の意味です。
と、SEMEに書いてある。

通信販売のダイレクトメールに時々入ってくるミニコミ新聞のような媒体である。
健康についていろいろな話題が書いてあるのだが、無料で送られてくるわりには内容が濃く面白い。
無料といっても年間購読料1000円と書いているので宣伝のためでろう。
毎月10、20、30日の3回発行で一部10円と記されている。
???じゃ一年で360円のはず。残りは送料か。。

11月2日増刊号(増刊号だからタダなのかもしれない)に「現代病のストレス」という企画がある。
~ ストレスの症状と兆候 ~
【朝の目覚めが悪い】
熟睡感がなく、布団から起きだすのがとてもおっくうに感じる。
【恒常的にだるい】
激しい運動をしたわけでもないのに、からだがだるい。
【気力がわかない】
差し迫った仕事があるのに、やる気にならない。
【常に疲労感がある】
休息をとっているつもりなのに、体の疲れがいつまでも抜けない。

これを読んでショックを受けた。
私はストレスの病気だったのである。
しかも、ひとつひとつこの症例より悪いのである。
◆熟睡しても、布団から起きだすのがとてもおっくうに感じる。
◆ほぼ毎週ジムで激しい運動をして、からだがだるい。
◆差し迫った仕事があるわけでもないのに、やる気にならない。
◆休息は十分なのに、体の疲れがいつまでも抜けない(気がする)

この診断結果によって、私の嫌いな怠惰な暮らしや享楽の世界に
浸らなければならなくなりそうで、考えただけでウンザリする。
さて、何をして遊ぼうか♪

2007年11月15日木曜日

小夜奈良

さようなら・・・

中国語では再见
日本語通りの意味が語源なら、粋な別れの言葉である。
「再び会おう」というふうに読める。
再会が前提となった別れである。

英語のGood Byeは、GodがGoodに、ByがByeに転じた言葉であり
「主がいつまでも汝のそばにいますように」という意味を含んでいると
聞いたことがある。
軽い別れの挨拶のようでもあるが、二度と会えないかもしれない
旅立つ人へのはなむけの感がある。

そういえば、むかし深夜映画で「再会」という映画をやっていて、原題が
“Re-united”だったので、うまく訳したものだと感心した。

さて、日本語のさようなら。
諸説あるのかもしれないが、「さようならば、これにて失礼いたしまする」
の最初だけが残ったと何かで読んだことがある。
さようは左様であるから、「その通り」くらいの意味か。
そうすると日本語の別れの言葉は「そういうことなら、あばよ」のような
捨て台詞にも聞こえてくる。

当て字だと思うが、小夜奈良でさよならと読ませる
なぜか艶っぽい言葉もある。

2007年11月14日水曜日

Forget me not

昨日、一姫が台湾から帰ってきた。高校の修学旅行!である。
どんなに異国気分に浸っていても、帰宅すると早速携帯三昧。
画面を見ながら「ねぇパパ、Forget me notってどういう意味?」
「それは勿忘草(わすれなぐさ)である。憶えておきなさい」
「ふーん」
「Forget me notって、なんかおかしな文章だと思わないかえ?」
「・・・」
「忘れないでって、普通はDon’t forget me.でしょ。」
「、、、まぁそうだよね、、(すでにウンチクを警戒して一姫は引いている)」
「昔、恋人同士が海の崖のそばを散歩していてね、崖にきれいな花が咲いていたの。
女の子が男の子に“ねぇあの花取ってきて”って頼んだら、その女の子のこと
好きだった男の子は崖を下りていって花を取ろうとしたのだけど、ちょうど花を
つかんだところで足を滑らせてしまったの。」
「ふーん」
「とっさに男の子は、僕のことは気にしなくていいよ、と言いたくて
“Forget me!”って叫んだの。でもやはり女の子のことが好きで
そのあとの“Not!”ってつけて“忘れないで!”って言ったのよ。
って伝説からその花の名前がForget me notになったの」
「へぇ~っ!!(けっこう身を乗り出している)」
「実はね、それはパパの友達の作り話なの」
「なんだ!でも作り話でも、いいね、その話は」

11月7日「超能力者の告白」で登場するK橋君の作り話であるが
中学か高校の英語の授業で勿忘草の単語が出たあとに彼がその話をして
私が「へぇ!」と感心したら「俺の作り話やけど、おもろいやろ」と言われ
そのときはムカッとしたが、なぜか記憶に残っている。

2007年11月13日火曜日

二十世紀論

ブログは、日記のことらしいが古い話を書く。この秋のことである。

細君からいきなり詰問された
「ひょっとして梨食べた?一人で」
「食べた」
「あのさぁ、そういうの、やめてって言ったじゃない!」
「どういうの?」
「そうやって一人で食べちゃうことよ!何度言ったらわかるの!」
「しかし、まえに君と姫たち二人が食べたときは私にはくれなかったじゃないかね」
「欲しいって言わなかったんじゃないの」
「言った」
「じゃあ、パパの分はなかったんじゃないの」
「4分の1は私にくるべきだった」
「そんなの理屈よ」
「理屈が通ってないのはそちらではないか」
「そんなことないよ。いつも屁理屈はパパじゃない」
「屁理屈の話ではなく、私がしているのは梨の話である」
「だからどうしたの」
「つまり3人で全部食べておいて、私一人が食べられないのはOKで、私が一人で食べるのはNGというのは理不尽ではないかということを言いたいのだ」
「ねぇ、家族で住んでいることを忘れてない?なんで一人で食べるわけ?」
「だから家族なら私にも梨をくれるべきではなかったのかね?」
「もういまさら言ってもしょうがないじゃない。しつこいわね。」
「ではさっきの梨の話も、もう言ってもしょうがないのだね」
「はいはい、もう勝手にすればいいでしょ」

・・・二十一世紀に入って久しい。新たな時代を感じる高尚な会話であった。
あの梨が二十世紀だったか、幸水だったか知る由もないが。

2007年11月12日月曜日

DUCATI

ブログって日記のはずなのに、古い話が多いと、後輩女子Tから文句を言われたので今日の話を書く。

家への帰宅の途、イタリアの二輪の銘車、赤のDUCATIが、ドッドッドッと独特の重低音を響かせながら横を走っていった。
日本のモーターバイクは優秀というけれど、あのデザインやエグゾーストノオト(排気音)はどうしてもかなわない。

“カシュッ”

ギアをシフトアップした音が聞こえてきた。エンジンがむき出しの二輪車ならではである。
しかし、急に恥ずかしくなった。何が恥ずかしいのか分からず自問自答する。
やはり分からないがそんな羞恥の気持ちがなぜか湧き起こった。

四輪車なら勿論ギアを変える音は聞こえてこない。旧式の軽でない限り。

そう、やっと分かった。
見透かされる恥ずかしさなのである。

「いま私に会いたくて電話したいと思ってたけど我慢してたでしょ」
「いま、私にKissしたいと思ってるでしょ」
そういう見透かしは、ありがたい。
しかしさっきは「あっ、いまギアをひとつ上げたでしょ」と私に見透かされたのである。
もちろんあのライダーはそんなことを知る由もないが、あのライダーの恥ずかしさをおせっかいにも私が勝手に感じてあげたのである。私が見透かしたにもかかわらず。
DUCATIの音は小気味いいのに。

2007年11月11日日曜日

Saci Perere

散髪に行った。
H理髪店には、もう5年ほど通っている。
散髪屋の選択には一家言ある。
まず腕がいい。
当たり前じゃないかと言われそうだが、下手な散髪屋は意外と多い。
特に私の髪の毛は全部前に向かって生えているのでセットしにくいらしい。
昔、横浜の散髪屋に入ったら若いやつだったが「いやぁ、お客さんの髪の毛は床屋泣かせだよねぇ」と自らの腕を棚に上げて苦笑している。
もちろん、二度と行かなくなった。
複数の散髪屋がいるのも選ばない。
切る人によってコンディションが変わるのが嫌なのである。
あと職人気質の親父さんの店がいい。
「どうしますか?」とか「鏡うしろからあてますが、いかがですか」と面倒くさい。
座れば黙って切ってくれる。
あとは地元の四方山話を、うるさくない程度に話せればOKである。
当地では本当はA理髪店に通っていたのだが、そこの親父はどうしたことかいきなり神主になると言って廃業してしまった。
「それは、こまる」と言ったが聞き入れられるはずもない。
「それなら、次から私はどこに行けばいいのか。腕のいい店を教えていただきたい」と言ったら3軒教えてくれた。
最初の店。読売ジャイアンツのジャビット君が置いていていやな予感がしたが、やはりやたらベタベタと話しかけてきて、落選。
二軒目、清潔な店内。嫌な予感が。
親子でやっていた。落選。
三軒目、古くさい店。
あっ!シャンプーするのに、席を移動させられている!

子供の頃、大人たちはいつもシャンプーするのに移動して湯沸かし器のある席に座らされていた。
これこそ大人の席だと思い、子供心に「いつかあの席へ」と一種の憧れをもってその時期を待っていた。
そしてあの白い陶器の器で泡立ててそれを顔に塗ってもらい髭を剃ってもらう瞬間を夢見た。
高校生になったころやっと髭を剃ってもらえる顔になった。
ジュワー。
なんと泡だて器は電動になって、トンネルのような半円形のクチから出てくる泡を刷毛で取って顔に塗りつける。
そんなぁ・・・
大学生になり、さぁシャンプーだ、と思ったら、席を移動するシャンプーは姿を消し、席にそれぞれシャンプー台が・・・

H理容室は、腕のいいおやじのみならず、泡だて器も、シャンプーの席移動も、満たしていたのである。
テルテル坊主のように首だけビニールシートから出してシャンプーの席に移動するとき、いつも子供のときの散髪屋を思い出し、意気揚々と移動する。
店がいつも空いているのは気になるが、おそらくこの店が有名になると、いつも待たされてこまることになる。
「黄昏流星群」がゆっくり読めるようになるかもしれないが。

「こないだ小野リサさんのコンサートがご懐妊とかで中止になりましたね」
「そうだよね、小野リサ好きなの?」
「いやまぁボサノバは嫌いではなくて、でも小野リサのお父さんがやっている店には行きましたよ」
「あっ確かサッシペレレだよね。昔俺も行ったよ。十何年前だけどまだあるの?」
「ええあるはずですよ、私が行ったのは数年前ですから」
「そうかぁ。小野リサのコンサートも行きたいなぁ。こないだ中止になったのも土曜日だったよね。仕事があるからなぁ」
「行けばいいじゃないですか」
「そうだよね。何年に一回の話だものね、たまには早仕舞いしてね」
「そうですよ。それくらい」

サラリーマンは気楽な稼業ではなくなったのかもしれないが、やはり自営業はサラリーマンとは比ぶべくもない、大変なのである。

2007年11月10日土曜日

HONOLULU ZOO

11月8日の読売新聞に“天敵のにおいで逃亡、哺乳類の先天的行動…東大チーム”の見出し。
記事によると、
~哺乳(ほにゅう)類が、天敵などのにおいをかいで逃げるのは、生まれつきの行動であることが、東京大の小早川高(こばやかわ・こう)・特任助教(分子生物学)らのマウスを使った実験で分かった。
こうした回避行動はこれまで、生まれた後に天敵に遭遇するなど危険な目に遭って学習するものだと考えられてきた。8日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。~
とのこと。
5年ほど前のことであるが、家族でハワイに旅行した。
旅先では動物園に行くのが好きなのであるが、ホノルル動物園はなかなかゆったりしていてよい作りである。
広場を歩いていたら、飼育係が大きな羊を散歩させていて、大人や子供が近寄って撫でている。
私も我が家の姫たちと近づき「かわいいねぇ・・」と撫でようとしたその瞬間、そのおとなしそうな羊が飼育係の持っていた太いロープをものともせず脱兎のごとく走って行ったのである。
飼育係は「Oh!」と英語で叫び、羊を追いかけて行った。
姫たちは納得するように「やはりパパの獣臭はすごい」と感嘆している。
姫たちは、よくそういう言い方で私の加齢臭を揶揄してきたが、さすがの私も「そうかもしれない」と思ったものである。
そして図らずも今回の記事がその論点を強化するものとなった。

やさしい動物から恐れられてしまう私であるが、不思議と猫からはあまり恐れられない。
野良猫は人間に対してかなり警戒心を持つものであるが、私が近寄ってもあまり逃げようとしない。
朝などゴミ捨て場に近づく猫の近くを歩いていると、むこうも歩調を合わせて横を歩いているくらいである。不思議なのでそのまま一緒に歩いていると、ある瞬間にハッとしたように私を見つめて「あっ、お前、人間だったのか?」という目でそそくさと離れてしまう。
学生時代のことであるが、夜にゴミ捨て場でゴミ袋に頭を突っ込んで何かを食べている猫がいた。
私は近づいていった。きっと気づいて逃げるだろうと思ったが、逃げない。
結局、手の届く距離まできたので、その猫の肩をトントンとたたいた。
さすがに猫もこの世の終わりのような顔をして猛ダッシュで去って行った。
不思議な経験であった。
どうやら私の前世はネコ科で、勇敢な虎だったようである。

2007年11月9日金曜日

人生の綾

出社すると、見慣れた姿であるが、パソコンのコードがからまっている。
ほどくのは本当に毎日面倒である。
コードがからまるほどパソコンを持ってビールマンスピンなどしていないし、
コードがこれほど悩むほど難易度の高い仕事もしていないつもりである。

なんで?
ほどきながら考えてみた。

分かった♪

“放っておく”と、からまるのである。

人間関係も、、、

そして夫婦関係も同じか。。。


人生のあやよのぉ

2007年11月8日木曜日

後輩I君

後輩のI君は私のボケを上手にひろって突っ込んでくれる。
少々教養が必要とされるようなボケにも、さすが学習院卒である、キチンとひろってくれる。
爆笑問題の田中さん、キャイーンの天野さんの血を引いているのでは、と思うくらいである。
本当にいいやつなのに、、、友達がいないらしい。
それはよくいうと孤高の徒なのかもしれないが、要は彼は人間嫌いなのである。

そんな彼と同じ部署になったときのこと。
「友達がいないから年賀状も来ないんですよー」と自嘲気味に苦笑していたが、それなのに彼は年賀状を寄越してきたのである。
私は就職してから、会社関係の年賀状ばかりが増え、友人の枚数を席巻していくことに危惧を覚えていたので、ここはキチンと言っておかなくては癖になると思い、新年の仕事始めの日に「おい、なんで年賀状を寄越すのだね。もう来年から送らなくていいから」と温かい言葉をかけてあげた。
I君は私がキツいボケをかましたときと同じように目を丸くして「信じられない先輩だ!今まで“なんで年賀状を寄越さないんだよ!”と文句を言う先輩はいたけど、さすがに“年賀状送ってくるな”って言われたのは私も初めてですよ」と呆れていた。
彼はそれからしばらくそのネタを人に言いふらして笑いをとっていたので、ずいぶん私の株も上がったと思う。
それにしても彼のコンピュータリテラシーはすごいと思った。
営業支援の仕事をしていた関係か、エクセルやパワーポイントを駆使していろんな資料を作ってしまう。
しかも私のパソコンが急にフリーズするときは、必ずそばにいて大笑いしている。
つまり彼は手元に私のパソコンをダウンさせる秘密のスイッチを持っていたことになる。
それを見抜いて非難しても「バカ言わないでくださいよ。そんなことができるわけないじゃないですか」と絶対にクチを割らなかった。
ひょっとしたらゴルゴ13の血も引いているかもしれない。
私はH市に念願の一軒家を建てたのだが、最近どうもおかしいと思うことがある。
最短コースを使えば信号は一回しかない至極便利なところに家はあるのだが、朝は気にならないのだが、帰りにはもう少しでその信号というところで、必ず赤に変わるのである。
I君は勤務地の東京を真ん中にして私とは正反対の方面に住んでいるはずである。
しかし現実には、私を苦しめる彼の魔の手は、ここまで伸びていたのである。
I君恐るべしである。

2007年11月7日水曜日

超能力者の告白

私には予知能力がある。霊感も強い。時空を超える能力もある。
いや、それらの能力を持っている、と少なくとも自分自身では信じている。
しかしその能力によって、すごく得をしたことはない。
やはり悪用はできないようになっているようだ。
せいぜい、ある女の子の名前がなんの脈絡もなくふと口から出ると、曲がり角からその女の子が現れたくらいのものである。
これには高校友人のK橋君も驚いていた。

今朝、夢を見た。
会社で好きな女の子Kさんの夢である。
好きといっても20歳も年が違うので、勝手に好きになっているだけの話である。
では、Kさんだけが好きかといえば、Nさんも好きだし、Iさんも好きである。
社外ではS出版のHさんも、某経済団体のBさんも好きであるし、勇気をもって実名で言えば、小雪も長谷川京子も長澤まさみも、めぞん一刻の響子さんも好きである。
とはいえ、今朝はKさんの夢を見た。

~~~むこうからKさんが歩いてくる。
しかし、Kさんはこっちに興味を示さない。
よく見ると若い!初々しい。そうか、高校生の時のKさんが夢に現れたのである。
とっさに、あとでKさんに確認しようと思って服装を見た。
厚手の赤っぽいタータンチェックのスカートであった。
よし!これで確認できる。
通勤電車で携帯にメールを送った。
“高校生のころとか、赤系のチェックのスカートはいてた?”
“はいてましたよ。基本でしょ。(汗をかくマーク付き)”
あとで確認すると、つまり、「私たちの世代ではそのスカートは当たり前でしょ。ばかばかしい」というような意味の回答だった。
しかし、Kさんの時代の流行を知る由もないのであるから、私が時空を超えたことは間違いないのである。なんの役にも立たないことに変わりはないが。

先週の土曜日はこまったことに出勤になってしまい、リズムが狂っていつも日曜日に行くジムをサボってしまった。
気合を入れて今日行くぞ、と準備をして出社したが、帰る段になって上司の部屋で雑談に花が咲いてしまい、遅くなってしまった。
しかし気を取り直し、遅くなっても行くぞ、と気負って電車に乗ったが、前を走る電車が車輌故障でまた遅れて、もうジムに寄るのはやめようと決めた。
しかし、意思の強い私は家に帰ってから運動しようと帰宅して、いつものように、ハンドグリップからウォーミングアップを開始した。
するといきなりハンドグリップが折れたのである。
さすがにこれはもう今日は運動はやめなさい、との啓示だと思った。
きっと、このまま続けていたら、私は心臓麻痺で天に召されていただろう。
本当に私が超能力者でよかった♪

2007年11月6日火曜日

おかわりシスターズ

今日、都内某所に行くのに歩いていたら、戸板女子短大の前にさしかかり、ふと見上げると“TOITA FESTIVAL”の垂れ幕が。
そうか、文化祭の季節か、などと秋を感じつつ、女子大の文化祭に行くと、もてるかなぁ、などと妄想にふける。
1980年代前半、バブル華やかなりしころ、フジテレビで「オールナイトフジ」なる番組があり、司会は駆け出しから一歩抜きん出て売れっ子になったとんねるず。
いや、この番組でブレイクしたのだったかもしれない。
とにかく素人(当たり前だが)の女子大生がわんさかと出てきて、ワーキャーと、本当にバブル期に相応しい深夜番組であった。
こんな番組でもなければ、戸板女子短大という名前もきっと今でも知らなかったに違いない。
その頃は自分も就職して間もない頃で、女子大生といっても、これから適齢期を迎えようとする自分には「射程距離」であったので、自らを省みることもなく、いろいろ見定めたものである。
大勢の女子大生が出ると、適者生存・弱肉強食・優勝劣敗は世の常で、だんだん人気者も出てくる。
そんな中で、いまで言う(もう言わないか)ユニットを組む輩も出てきて、おかわりシスターズなる珍妙なグループまで誕生した。とはいえ、その中の一人はかわいかったのだが。
そのかわいかった一人は、かわいかったことが悲劇だったのかもしれないが、なんと卒業したらタレントになるといってやがて独立した。
しばらくはフジテレビも「責任」を感じてか他の番組にも出していたような気がするが、いつの間にか消えてしまったことは言うまでもない。

女子大の文化祭。。。
文化祭って今でもテキヤの集団みたいなのだろうか。
そうとすると、きっと私の娘と大して変わらない年の女の子たちに囲まれて
「ねぇかっこいいおじさん、焼きそば食べていって♪」
「ちょいワルおにーさん、ホットドッグ買ってよ」
「この古着そのジーンズに合いますよ、デートしたくなっちゃう」
とか、きっと篭絡されてしまうのだろうな、などと想像を巡らせると、、、

首をすくめて足早に立ち去るのみであった。

2007年11月5日月曜日

袖ふれあふも他生の縁

風呂に入る前にはメガネの手入れをする。
手入れといっても、適当に拭く程度だ。
独身時代の癖なのか、単に適当なのか、目の前でヒラヒラしているもの
たとえば下着であっても、タオルであっても、Tシャツであっても
それでちゃちゃっと拭いてしまう。

しかしメガネを外していてよく見えなかったこともあるが
不覚にも今夜はその姿を細君に見られてしまった。
「ちょっと、なにやってんの?!」
「え?いや、なに」
「いま、タオルでメガネ拭いてなかった?しかも洗濯の終わったキレイなタオルで」
「あっ、そうかもしれない」
「そうかもしれないって、そうじゃない!」
「いや、まぁ、袖ふれあうも他生の縁、てなことを言って、昔からほら」
「なに、わけのわからないこと言ってんの?!」
「いや、ほら、目の前でヒラヒラしてると、それで拭くのが人間の習性というか」
「そんな話、聞いたことないわ!信じられない」
「いやぁ!大石先生、失敗の巻だ、はっはっはっはっ」
「なに?そのバカ笑い。とにかく目を疑うようなことするの、やめてくれる?」
二十四の瞳の大石先生の名台詞を咄嗟に使ってウィットに富んだ幕引きを狙ったが、サバンナで遭遇したライオンに「話せばわかる」と言って徒然草を聞かせるような虚しい抵抗に終わったのである。

2007年11月4日日曜日

携帯で安息を得る

細君との会話
「携帯の本体が何万もかかっちゃうようになるのよね」
「へぇ」
「こまるよ、いままでは1円とかだったのに」
「そんなにこまるの?」
「そりゃそうよ。機種変更なんかの時に、すごくお金がかかるじゃない」
「機種変更するの?」
「すぐにはしないけど、するときにこまるでしょ」
「しなければいいのに」
「そういうわけにもいかないでしょ。パパはあんまり携帯使わないから分からないだろうけど」
「だいたい、いままでタダ同然だったものが、何万にもなるなんてその理屈がわからない。きっと前には料金で取られてたんでしょ?」
「そうなのよ。だからいっぱい話す人にはいいけど、うちはあんまり使わないから、結局損なのよ」
「さっき私はあまり使わないから、って言ってたけど。使わないならいいじゃない?」
「でも、携帯がボロボロになったら変えないとだめでしょ」
「使わないのにボロボロになるの?」
「そういうことじゃなくて、もう分からないのね」
「第一、ボロボロになってなんか不都合でもあるの?」
「あ~、もう話したくない!」
「えっ、納得してくれたの?」
「そうじゃなくて、もう話したくないの」
「相談する相手を間違ったのかな?」
「そうよ、パパに相談したのがいけなかった」
「つまり、神父と話して安息を得たって感じ?」
「だから、違うでしょ。ストレスがたまったってこと」
「けど、解決したんでしょ」
「あーもう話したくない」
「スッキリした?」
「もーしゃべらないで」
どうやら、細君は安息を得たようである。
しかし、言葉の端々はトゲトゲしていたような気もする。ゆるりとのぉ。。。