2007年11月24日土曜日

ピアス

「週課」となったジムに行った。
いつものように、柔軟体操。前屈から。
いつものように、指先がやっと床に着く程度。
私の足が長すぎるのである。
開脚してもあまり開かない。
しかし、足が長いので開いた幅は普通の人より広い。
小学校低学年の普通の人であるが。

通っているのはジムはジムでもボクシングジムである。
ボクササイズではなく、いわゆるプロが通うジムである。
だから独特の雰囲気がある。
当然エアロビをやっているジムの華やかは微塵もない。
汗臭い。早いビートの音楽が常に鳴っている。
時計のブザーは3分と30秒(休憩はあえて短めに設定している)ごとに鳴る。

空手道場は幽霊会員になって久しいが、空手道場に通う人とボクシングジムに通う人は動機や雰囲気がかなり違う。
空手は当然礼儀正しい人が多い(礼儀も稽古のうちかもしれないが)が、案外喧嘩に強くなりたいからという動機の人が多い。
ボクシングはもともと喧嘩に強い人がそれを生業(なりわい)にするために来ている気がする。
当然、礼儀は二の次となるが、案外折り目正しい青年が多いのも事実である。
空手はサラリーマンがほとんどなので、外見は普通の人が多い。
ボクシングは刺青(いれずみ)のにーちゃん(兄ではない)やおばちゃんが普通にいる。

空手道場に通っていたころは、心のどこかで「道場破りが現れたらどうしよう」という潜在的恐怖心のようなものがあったが、ボクシングジムにいるとそれはない。
空手道場に殴りこんで名を挙げることは可能かもしれないが、ボクサーはみな試合で見せるために仕事でやっているのだから、そこに勇んで来ても意味がない。

空手道場とボクシングジムに通って、共通の思いがある。
男はたいていそうであるが、スーパーマン願望のようなものがある。
作家の村松友視氏が「男はみな、強い者への憧憬があり、本当に強くなれる者はひとにぎりという事実からすると、男のほとんどは挫折者なのである。」という独特の屈折した(好きであるが)意見を書いておられた。
本当にそう思う。
私など一人で黙々と練習していると、すごく強くなったような気がするのだが、プロのスパーリングを見るとその気持ちは雲散霧消する。
空手も同じである。
だから、道場でもジムでも、若い人には愛想よくして手加減してもらおうと姑息になる。

今年の夏は暑かった。
空手道場で、若い人に「暑いね」というと、きっと返ってくる答えは「押忍(オス)」だろう。
この夏にロッカーのところで金髪でピアスのにーちゃん(兄ではない)がいたので「暑いね」と言った。
「まじ、ヤバいっすよ」
こういう答えにも慣れていかねばならない厳しい世界なのである。
ほんと、マジっすよ。

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