散髪に行った。
H理髪店には、もう5年ほど通っている。
散髪屋の選択には一家言ある。
まず腕がいい。
当たり前じゃないかと言われそうだが、下手な散髪屋は意外と多い。
特に私の髪の毛は全部前に向かって生えているのでセットしにくいらしい。
昔、横浜の散髪屋に入ったら若いやつだったが「いやぁ、お客さんの髪の毛は床屋泣かせだよねぇ」と自らの腕を棚に上げて苦笑している。
もちろん、二度と行かなくなった。
複数の散髪屋がいるのも選ばない。
切る人によってコンディションが変わるのが嫌なのである。
あと職人気質の親父さんの店がいい。
「どうしますか?」とか「鏡うしろからあてますが、いかがですか」と面倒くさい。
座れば黙って切ってくれる。
あとは地元の四方山話を、うるさくない程度に話せればOKである。
当地では本当はA理髪店に通っていたのだが、そこの親父はどうしたことかいきなり神主になると言って廃業してしまった。
「それは、こまる」と言ったが聞き入れられるはずもない。
「それなら、次から私はどこに行けばいいのか。腕のいい店を教えていただきたい」と言ったら3軒教えてくれた。
最初の店。読売ジャイアンツのジャビット君が置いていていやな予感がしたが、やはりやたらベタベタと話しかけてきて、落選。
二軒目、清潔な店内。嫌な予感が。
親子でやっていた。落選。
三軒目、古くさい店。
あっ!シャンプーするのに、席を移動させられている!
子供の頃、大人たちはいつもシャンプーするのに移動して湯沸かし器のある席に座らされていた。
これこそ大人の席だと思い、子供心に「いつかあの席へ」と一種の憧れをもってその時期を待っていた。
そしてあの白い陶器の器で泡立ててそれを顔に塗ってもらい髭を剃ってもらう瞬間を夢見た。
高校生になったころやっと髭を剃ってもらえる顔になった。
ジュワー。
なんと泡だて器は電動になって、トンネルのような半円形のクチから出てくる泡を刷毛で取って顔に塗りつける。
そんなぁ・・・
大学生になり、さぁシャンプーだ、と思ったら、席を移動するシャンプーは姿を消し、席にそれぞれシャンプー台が・・・
H理容室は、腕のいいおやじのみならず、泡だて器も、シャンプーの席移動も、満たしていたのである。
テルテル坊主のように首だけビニールシートから出してシャンプーの席に移動するとき、いつも子供のときの散髪屋を思い出し、意気揚々と移動する。
店がいつも空いているのは気になるが、おそらくこの店が有名になると、いつも待たされてこまることになる。
「黄昏流星群」がゆっくり読めるようになるかもしれないが。
「こないだ小野リサさんのコンサートがご懐妊とかで中止になりましたね」
「そうだよね、小野リサ好きなの?」
「いやまぁボサノバは嫌いではなくて、でも小野リサのお父さんがやっている店には行きましたよ」
「あっ確かサッシペレレだよね。昔俺も行ったよ。十何年前だけどまだあるの?」
「ええあるはずですよ、私が行ったのは数年前ですから」
「そうかぁ。小野リサのコンサートも行きたいなぁ。こないだ中止になったのも土曜日だったよね。仕事があるからなぁ」
「行けばいいじゃないですか」
「そうだよね。何年に一回の話だものね、たまには早仕舞いしてね」
「そうですよ。それくらい」
サラリーマンは気楽な稼業ではなくなったのかもしれないが、やはり自営業はサラリーマンとは比ぶべくもない、大変なのである。
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