2007年11月22日木曜日

It’s a SONY

方向音痴である。
自分でも重症だと思っている。
スクランブル交差点の歩道橋など、下から目指す方向を見定めても、階段を登り180度ターンをしたらもうどこで降りていいか分からなくなる。
歩道橋は上から景色が見えるのでまだ修正可能であるが、厄介なのが地下鉄である。改札を出て地図を確認して出口番号を確認して出てからの方向を確認して、と念を入れても結局地上に出てから付近の地図を探すことになる。
高校三年のころだったか、学校から帰りにダイエーの中にあるゲームセンターに寄って、ダイエーから出たらまた学校のほうに戻りかけて友人のA立君から注意された。
「お前、学校から駅まで一本道やのになんでまた学校のほうに戻るんや?!」
中高一貫校なので、足掛け6年毎日歩いた道で迷ったことになる。A立が怒るのも無理はない。

もちろん車の運転も例外ではない。まず主要な道しか通らない。
懇切丁寧に教えてもらった裏道を駆使できるようになったときは誇らしかったものであるが、自分から裏道をマスターしたことはない。道に迷って裏道を発見したことはあるが、二度とそこには戻れない。よくこれで営業をしていたものである。かなり効率が低かったと思うが、好きな定食屋には不思議と迷わず行けた。
会社後輩の村上ショージ似のS藤君など「初めての道でも一度走ったら絶対に忘れませんね。きっと僕はタクシーの運転手になっても大丈夫ですよ」と豪語していた。大したものである。

関係ないかもしれないが、ルービックキューブが苦手だったのも方向音痴だったからかもしれないと思っている。高校友人のF原君などは女の子にもてるためであろうが、けっこう熱中してなかなかの腕前になっていた。彼が私にレクチャーしようとして、二手詰め、いわゆる6面そろった状態からカシャ、カシャと二回動かして「いくらなんでもこれはできるよね」と渡されたが、八手詰めくらいにして返却する始末であった。

ただ、方向音痴にも効用はある。家の近所でも道に迷うことができるので、どこでも新鮮な気持ちで歩けるのである。へぇ近所にもこんな場所があったのか、と発見の楽しみがある。細君は「単に記憶力が落ちているだけでしょ」というが、私がテレビなど見ながら「あそこにはむかし一緒には行ったよね」と言っても「私は行ってない。他の誰かさんと行ったんでしょ」と冷たい視線で言う。細君の記憶力にもこまったものである。
旅行に行ったときなど散策すると初めての土地であるのだから間違いなく道に迷う。国内ならいいが、海外など治安の悪いところに紛れ込んでしまって、そのスリルたるやシャレにならないこともある。サンフランシスコでは、道に迷ったのでケーブルカーで帰ろうとしたら、ますます分からないところに行ってしまって、結局タクシーでホテルに戻ることになった。

SONY元社長の大賀さんは70歳になってからジェット機の免許を取得されたという。
私も飛行機の免許が欲しいな、と思うことがあるが、空で「あれっ?」と迷うわけにもいかない。
なので、空を飛ぶイメージはうまく湧いてこない。

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