2007年11月23日金曜日

泣き別れ

昨日は新宿の出版社Bで打ち合わせがあった。
デザイナーYさんからの構成案を確認するためである。
構成案2案を見せられた。
一渡り見る。ため息が出る。素晴らしいのである。
「痺れました・・」一言。
Yさんが安堵の微笑みを見せる。
プロは凄い。。。。
本作りというのは面白い。
随所に、例えは悪いがブービートラップが仕掛けられている。
フォントにしても、同じ明朝でも見出しは、わざとインクがボテッとした感じに出るようなものを使用していたり、本文中の漢字は今のものを使いながら平仮名部分は3世代前のものを使い柔らかさを出す、という具合だ。
パラグラフの最初の見出しを本文の4行ほどに食い込ませるデザインだと、ページの最後で新しいパラグラフに移ろうとしても、最低5行分の余裕がないと余白にして新しいページに改行せざるをえない。こういうのを「泣き別れ」というらしいが、さすが印刷物はグーテンブルク以来のテクノロジーだけあって、古臭いが趣のある符丁を使うものだ、と妙なところで感心する。
先月の打ち合わせのときには、進捗が遅く憮然として出版社Bをあとにしたが、昨日はすがすがしい思いで外に出た。
寒い。冬の到来を認めたくなくて秋物スーツでオーバーコオトなしで頑張っているが、そろそろ限界である。しかしこの夜は熱燗が待っている。

急ぎ地下鉄で東京駅へ向かい、なんとかビルの開店のおかげでごった返している八重洲北口を抜け、後輩のO君と合流、酒呑みの店「ふくべ」へ。
樽酒をキュッとひっかけ、〆鯖(しめさば)とぬたをアテに梅錦を熱燗で飲む。熊本の銘酒美少年など三合ほど飲(や)ったあと、日本ビルにある「築地寿司清」でO君の部下で妙齢+αのMさん、OGのSさんと合流する。
Sさんは昔から好きだったので、場が華やぐ。
空手道場に通っていた頃、昇級審査の前には必ずSさんにあるお願いをした。
漫画「めぞん一刻」で五代君が響子さんにやってもらっていた「頑張ってくださいねっ!」の一言である。
「級なし」の白帯から青帯の8級、8級から7級、7級から黄帯の6級、6級から5級、5級から緑帯の4級と、いつもSさんにはお世話になった。恩人である。
一年前に初めて空手の試合に出場したときは、もうSさんはいないので、好きなIさんに「頑張ってくださいねっ!」をお願いしたら、怪訝な表情でやんわりと断られた。
まぐれで準優勝できたが(私の出場したライト級は、出場選手4人でおじさんばかりであったが)、もしSさんがいたら優勝できていただろう。
そんなことを思い出しながら、昨夜はSさん(O君、Mさんもいたと思うが)と泣き別れた。

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