2006年4月24日発行の『原宿新聞』(Web版)の見出しにこうある。
~70年代原宿の象徴 「ペニー・レイン」が復活~
記事には“原宿の伝説的ロックカフェ「ペニー・レイン」が、来月5月2日復活する”とある。
ビートルズの『ペニー・レイン』を店名に1974年にオープンしたロックカフェで、同年末に吉田拓郎が『ペニー・レインでバーボンを』を発表してからは、修学旅行生の人気スポットにまでなったらしい。
拓郎ファンの私も当然旅行や受験で上京したときには訪店し、その後も何度か足を運んだ。
『原宿新聞』によると、原宿はその後80年代に入りローティーン好み中心の街に変貌してしまい、84年には拓郎をして“もうペニー・レインには行かない”と原宿との決別宣言までさせたとのこと。
そして“ペニー・レイン自体も固定ファンが徐々に離れ、70年代原宿の象徴とも言える同店も、1990年にはその役割を終える形で閉店した”とあった。
10数年前だったか、ケーキ好きが高じてフランスにまでパティシエール(パティシエは男)修行に行った愛くるしいFさんをT崎氏と誘って原宿で会食をした。
その折にペニー・レインに行ってウンチクを傾けようと狙ったのだが、原宿駅からキディランドに行く手前の路地を曲がったところにすでにペニー・レインはなく、時の流れを感じたものであった。
1977年発表の拓郎のアルバム『大いなる人』の中に『カンパリーソーダとフライドポテト』という曲が収録されている。
1978年か79年頃に高校友人F原君とペニー・レインを訪れた際に、一度はカンパリーソーダなるものを飲んでみようと思い注文した。
しかし、言葉の勢いというか「カンパリーソーダと・・・」と、あとつまみを注文しなければと思いつつ「フライドポテト」と続けてしまった。
店の女の子に、クスッと笑われたことで救われた気分になった。
昨夜、後輩O君と約一ヶ月振りに『ふくべ』を訪ねた。
いつものように梅錦(愛媛)と〆鯖(しめさば)を頼んだ。
なんだかワンパターンのようであったが、この組み合わせは譲れない。
それにO君にこの組み合わせを奢らせようと公言していたせいもあり、美少年(熊本)や住吉(山形)、塩辛には目もくれず迷わず注文したのだ。
ふとペニー・レインで「カンパリーソーダとフライドポテト」を注文した時のことを思い出した。
常連客から織田信長と渾名(あだな)されている店主は、そんなことを知る由もなく、ちょうどよい塩梅(あんばい)の燗をつけてくれた。
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