2008年3月30日日曜日

花は桜木

桜が満開である。
花見の季節である。
不思議と目を奪われる。
魅力的な花である。
花?
花という感じがしない。
桜は、木か。
梅も木のような。
花というものは、柔らかい茎に咲いていてこそ、花という言葉がしっくりくる。
私だけだろうが。
何故だろう。

『同期の桜』という有名な軍歌がある。
♪咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ国の為♪
桜の散り際の潔(いさぎよ)さをモチーフに、“さぁ軍人さん、未練がましいのはいけません。桜のようにパッと散りましょう”と戦場に行く人を鼓舞した歌(だと思う)だが、最近その矛盾点に気づいた。
そう、桜は確かに潔く散るけれども、一年後にはまた咲くのである。
次の年も、その次の年もである。
春になると忘れず咲く。
これは潔いというよりも、むしろ強(したた)かである。
人びとが「そろそろかなぁ」と思ったころには、ちゃんと仕事をする、そう、竹内まりやや桑田佳祐みたいな、強かさを感じる。
いずれにしても、桜を潔さの象徴にするのはおかしなことである。

今でも、上野公園では乱痴気騒ぎをするのだろうか。
若い社員に場所取りをさせるような会社がまだあるのだろうか。
そうだとしたら、桜にとっては不本意だろう。
桜はそういう花見を好まないような気がする。
私の花見は専(もっぱ)ら“たまたま派”だ。
歩いていてたまたま見えるか、電車の車窓からたまたま見えるか。
それでも一度やってみたい花見は、穴子の押し寿司をアテに赤ワインを飲みながらする花見だ。
今でもあるのかどうか分からないが、西武池袋百貨店の地下食品街にあるテナント『瀬戸』の穴子の押し寿司は美味だ。
関東では珍しいちゃんとした焼き穴子が乗っている。
焼き穴子には、重めの赤ワインか日本酒なら濃い味の、、、そう!『磯自慢』か『田酒』が合うような気がする。

軍歌だ、酒だ、と言ってみても、桜に一番似合うのは学校だろう。
その年によってまた地区によって、卒業して行く生徒を見送る桜もあれば、入学を祝う桜もある。
どちらも本当によく似合う。
絵になるのである。
ずいぶん昔のことだが、新学期はアメリカに合わせて9月にしてはどうか、などという議論が起こったことがある。
何故そんな議論が起こったのか、よく分からない。
冬に受験するよりも、夏の明るい季節にするほうが受験生の自殺が減るのではないかなど、冗談にもならない意見もあった。
そんな議論は不要である。
新学期の境目には矢張り桜が必須である。

そうか。
桜は木に宿って、毎年児童や生徒を見守っているのかもしれない。

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