2008年3月20日木曜日

いかなごの釘煮

昨日は、図らずも好きな情景や状況を自分の中に発見した一日だった。
“雨で煙る景色”“駆けつけるさま”“携帯の電波が悪い”の三つである。

オフィスのある都内は生憎(あいにく)の雨、夕方にもなると視界の悪さは増す。
高層ビルから見える景色は煙っている。
「煙る」
なんといい響きなのだろう。
霞(かす)んで見えるビル群に明かりが滲(にじ)む。
美しい。

約束があったので早々にオフィスを飛び出し、銀座に向かう。
東京湾の安全を守る会社に勤めるS木君と高松のテレビ局のアナウンサー艶女(アデージョ)I田さんに会うためである。
この3月で3人が神戸YMCA予備校を卒業してはや29年だ。
I田さんがキー局の日本テレビに出張だったので約1年半振りに集まることにした。
銀座8丁目にあるスペインバル『マルコナ』に予約した時間7時半より5分ほど早く入店した。
ほどなくS君も到着。
I田さんは局での仕事次第ということで、しばし野郎二人で旧交を温める。
日本レコード大賞にまだ権威があった頃だから、かなり前の話だが、あの頃はレコード大賞と紅白歌合戦が連続する時間編成だった。
紅白歌合戦のオープニングの時には、会場に揃(そろ)っている歌手はもちろんいたが、レコード大賞の会場から駆けつける歌手もいて、その様子も中継されていた。
その慌しさが、なぜか格好よく思えたものだ。
だから8時半頃にやっと駆けつけてくれたI田さんが眩(まぶ)しかった。

I田さんは道に迷ったみたいでS木君の携帯に電話を寄越してきた。
S木君は外へ迎えにいった。
I田さんは到着するなり私に向かって
「もう、メールしたのに、なんで迎えに来てくれへんのよぉ」
と29年前と同じように膨(ふく)れっ面(つら)で睨(にら)む。
「えっ、メール?来てへんよ」
すると美人の店長
「あっ、ここ電波状態が悪いんですよ、すみません」
まぁ、こんな時はこまるが、携帯の電波が悪いというのは“おいしい”。
世間と遮断してくれるのだから、現代の贅沢だ。
うん。

楽しいときは、時計は意地悪だ。
長針短針ともに駆け足で進む。
自然、神戸の話で盛り上がる。
いかなごの釘煮(くぎに)という関西では有名な佃煮は美味い!という意見は一致した。
I田さんはいかなごの釘煮とキャベツか何かの千切りをマヨネーズで和(あ)えてトーストに乗せるともう絶品なんて話をしていたが、和えるのがキャベツだったのか記憶が曖昧なので確認せねばならない。
生粋の神戸っ娘だったI田さんの言葉に、ときどき讃岐(さぬき)の訛(なまり)が入り、時の流れを感じる。
11時過ぎになり店を出た。
美人店長から名刺を兼ねた店のカアドをもらう。
宮本慶子さん。
“けいこ”という名前でブスに会ったことがない、とあるラジオ番組でチンペイさんが言っていたが同感だ。
ソムリエ(JSA認定)チーズアドバイザー(CPA認定)とある。
店に一人で来ていた場違いな中年男が二人いたが、ワインやチーズ目当てではないのは明白だ。

店を出たところで、互いに思い出したようにS木君と名刺交換をした。
I田さんにも渡そうとすると
「えっ?別に名前が変わったわけじゃないよね(笑)そしたら連絡はちゃんと取れるからええよええよ」
そういえば、20代30代の頃は名刺の肩書きを競い合っていたような気がする。
ビジネスに関係ない同級生などとの名刺交換は、つまらぬ虚栄心を満たすための儀式だった。
この年齢になってやっと肩書きなど関係なく、ただ時間を共有したい人と会うだけだ。
それでも条件反射のように名刺交換するのは、オトコの未熟な証左だ。
I田さんは虚心坦懐に巧(たく)まざる諫言(かんげん)をしてくれた。
もちろん本人はそんなこと毛の頭ほども思っていないだろうが。

I田さんは傘を持っていなかったのでS木君と私が傘を差し掛ける。
おもむろにS木君は
「近くの店で、また正月の挨拶に行ってない店があるから行ってくるわ」
と、中年のいやらしい微笑を浮かべて銀座の街に消えていった。
さすが給料の高い会社である。

I田さんは品川プリンスホテルに宿泊とのことで、新橋から東海道本線で品川まで一緒に行く。
私も一旦下車してホームで見送る。
「じゃ、また」
近くで互いに振る手が、かすかに触れた。
屹度(きっと)I田さんは振り返るだろうから、階段の下から後ろ姿を見送る。
I田さんは、踊り場で見返りこちらに手を振る。
あと一回振り返るのは分かっていたので、そのまま後ろ姿を追う。
階段の一番上に辿(たど)りつき、視界から消える地点でこちらに大きく手を振った。
29年前と全く同じ笑顔で。

帰宅して冷蔵庫を開けると、実家の母からいかなごの釘煮が届いていた。

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