2008年1月17日木曜日

山側・浜側

阪神淡路大震災から今日で13年である。
初めての家族四人でのハワイ旅行の最中だった。
兵庫の実家に何か用があり電話したが通じないのでおかしいなと思ったがCNNニュースを見て驚いた。
一時間ごとのNHKニュースでは、“兵庫県南部で大地震”との報道で高速道路は倒れるは、伊丹市ではペシャンコになった家の屋根に少年が乗り家族を呼んでいる映像が繰り返し流れた。
どうりで日本のどこにかけても通じないはずである。
実家の赤穂の状況は皆目分からない。
仕方がないのでいつもと同じようにビールを飲んで寝た。

翌朝、細君は私に言った。
「自分の親の安否も分からず、よくグースカピースカ寝られるわね」
グースカピースカでなくスヤスヤだったはずなのだが、情報を得る方法がないのだから寝るしかない。
実家のある赤穂は震度4程度だったが、神戸の親戚宅は全壊、伯母家族の命があっただけ幸いだった。

NHKアナウンサーの住田功一君は予備校のクラスメートだが、同日はたまたま神戸の実家に帰っていた。
実際の経験はないだろうが、寺の鐘を突くあの太い棒で、真下からドンと突き上げられたような衝撃を受けたらしい。
そして職業柄というべきか、咄嗟(とっさ)に揺れる秒数をカウントしたというから恐れ入る。
私なぞは細君と結婚前にレッドロブスターで食事をしていたら、急に地震がいて(地震はいつも急だが)怖くてテーブルの下に頭を入れた。
こういうことは、のちのちまで
「私よりも自分が大事なのね」
と言われた。

住田君は外に出た。
遠くで何箇所か煙が出ているようだが、まだ暗くてよくわからない。
「ヒッチハイク」で乗り継いで浜(神戸は六甲山と瀬戸内海に挟まれているので山側・浜側という言い方をする)の方へ向かった。

悲惨な光景がそのあたりに。
全壊の家屋、倒れた高速道路の下敷きになった自動車から血が流れている。
しかし救急車などの緊急車輌が走ってくることもなく、シーンとしている。
状況から言ってそうなるのが頭では理解できても、なぜか不思議でしょうがなかったらしい。

人が出始める。
OLらしき人が話しかけてきた。
「電車動いてるでしょうか?会社に行きたいんですけど」
「こんな状況ですから、仕事にならないと思いますよ。家に帰って連絡を待ったほうがいいですよ」
人は、あまりにも環境が急変すると正常な判断ができなくなるのだ、と思ったという。

そのあたりで電話が通じた家を見つけて局に連絡を入れて、そこに来るまでの被害状況と現在のまわりの状況を話してそれがNHKラジオでオンエアされた。

阪神・淡路大震災の“第一報”である。

0 件のコメント: