目覚まし時計をセットしない週末の睡眠は無上の喜びである。
昨夜は若干酩酊気味で帰宅したので、だらだらとして就寝が3時、今朝11時頃に一度トイレで目覚めて、あと30分ばかりうたた寝するかとベッドに戻って、起きたら2時半だった。
医学的に寝溜(ねだ)めはできないと聞いたことがあるが、ウソである。
寝溜めはできるし、寝不足を取り戻すこともできる。
昨夜は久しぶりに後輩O君と一杯飲(や)りに繰り出した。
O君とは特に趣味が同じでもなく、価値観が近いわけでもなく、しかも私よりも少しだけもてる男にもかかわらず、うだうだと過ごしていても苦にならず、後味もよい。
こういうのをウマが合うとでも言うのだろう。
O君は私と同じくルーツがモンゴルで、モンゴリアンネームをサンパック・ガーンと云う。
ちなみに私のモンゴリアンネームはラフカディオ・ハーンで、クリスチャンネームはヨーゼフ・バブチストである。
O君は世情に聡(さと)い。
なので私がどこからか仕入れてきた美談や醜聞を話すと、
「いや実はその話には・・・」
と、その裏話を教えてくれる。
美談だと思っていたことが、とんでもない食わせ物だったり、眉をひそめるような醜聞も、実はそうでもないことが分かり救われるような気持ちになることもある。
まるで伝説の雑誌“ウワシン”こと『噂の真相』の発行人岡留(おかどめ)氏のような凄みがどことなく感じられる。
岡留氏とは一度名刺交換したことがあるが、実際の岡留氏は噂通りの、本当にあのままの人だったので驚いた記憶がある。
北山修が作詞し、加藤和彦が作曲したフォーククルセダーズの名曲に『あの素晴しい愛をもう一度』がある。
命かけてと 誓った日から
すてきな想い出 残してきたのに
あの時 同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度
この歌には(噂であるが)“誕生秘話”がある。
フォーククルセダーズのはしだのりひこ氏はお金に対して“しっかり”していることで有名で、よくコンサートでもネタにされていたが、あるとき作詞家の北山修氏がはしだ氏に金を貸したが結局踏み倒された。
友情を裏切られた悔しくも悲しい思いをこの歌に託したというのである。
それを知ってこの歌を聞くと、また趣も変わろうというものだ。
シャボン玉とんだ
屋根までとんだ
屋根までとんで
こわれて消えた
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
うまれてすぐに
こわれて消えた
風、風、吹くな
シャボン玉とばそ
誰でも知っている『シャボン玉』である。
明治の詩人野口雨情の作詞であるが、野口の子供が生まれて1週間で死んでしまった悲しみの中で作った歌であることを知ると、ただの童謡とは思えないであろう。
平板だと見ていた世界も、“世情”“裏話”“秘話”を知ると、一味違ってくるものである。
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