2007年12月9日日曜日

二足獣

『ベトナム戦記』開高健著(朝日文庫)を読み終えた。
ここのところなぜか忙しく、貴重な読書タイムであるはずの通勤電車内でも読まねばならない資料や雑誌の類があり、この本を読了するまでに延べ10日ほどかかってしまった。

子供のころ、総理と言えば佐藤栄作、大統領と言えばニクソン、横綱と言えば大鵬、四番と言えば長嶋、ニュースと言えばベトナム戦争だった。それらはずっと変わらないのではないか思っていた、とすべてが変わったあとで思った。
ベトナム戦争は少年時代にそれほど身近でありながら、80年代にベトナム戦争を見直す気運が米国で高まり、映画がさかんに作られてその何本かを観ることはあってもやはりピンと来ることはなかった。
本書を読もうと思い立ったのは、開高氏が晩年モンゴルに興味を持ち、チンギスハーンの墓を発掘することをライフワークにして志半ばで逝ったとのNHKの特集番組(多分、再放送)を最近見たことがきっかけであった。

戦場は「嫌でもリアリズムと対峙しなければならない場所」と聞くが、ベトコンの少年兵が処刑された直後に開高氏は自己嫌悪に陥って次のように書いた。
~人間は何か《自然》のいたずらで地上に出現した、大脳の退化した二足獣なのだという感想だけが体のなかをうごいていた~

そして本書の最終章でこの戦争の本質をこう看破している。
~漠然と私はアメリカの武器商人が古くなった武器の倉庫の戸をサイゴンに向けて全開しているのだという印象を受けた~

米国が戦争を続ける「宿命」について、カナダ人ジャーナリスト ベンジャミン・フルフォード氏は開高氏と同じ観点、すなわち歴史的に見て米国は軍事産業のために戦争する理由を見つけ、あるいは捏造してきた、との見解を、昨年の著書『暴かれた9.11疑惑の真相』の中で書いている。

人間が二足獣なのではなく、二足獣が人間の中に紛れ込んでいるのだ。

日経新聞コラム「春秋」によると、今日は開高氏の命日だという。

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