2007年12月12日水曜日

殿、電柱でござる!

雰囲気のある女性が前から歩いてくると、かならず顔を見る。
美人だとおそらく私の顔つきは豹変する。
どんなに豹変するかと言うと、まず三日間飲まず食わずの状態で、ハンバーグステーキ定食(もちろんポテトサラダが付いている)に出合ったような顔だと推察される。
そのあとに瞳孔が開きっぱなしになる。
一瞬にしてこれだけ賞賛のまなざしを、それこそイタリア男性以上に向ければ、その女性も喜んでくれてもよいものであるが、10人が10人みな敵意むき出しで、去っていく。
中にはバッグをギュッと胸に抱きかかえる人や、走り去る人までいる。
まちがっても、
「あっ、あの人ったら私のこと見てるわ。私に気があるのかしら」
などという反応は絶対にない。

そんな私も人間であるからミスを犯す。
「しまった、わざわざ見なければよかった」
と、後悔することが低くない確率で起こる。
一瞥(いちべつ)したときにその女性も視線に気づくようである。
が、相撲の間合いで“待った”をかけるように、私は目をそらす。
もちろん、女性は一瞬にして戦闘態勢に入っていたわけであるが、すぐに自分の「失格」を知ることになる。
素朴な疑問として、そういう場合、悔しいのだろうか。
「あんな男からも私は対象外かよ?!」
と、腹が立つものなのだろうか。

米国のある社会学者(白人男性)の実験を聞いたことがある。
変装して完全に黒人になりきって、街で一日過ごしたところ、本当に嫌な思いを何度もしたそうだ。
別の機会には、女性になりきって(“趣味”ではなく“学問”である)一日暮らしてみたところ、男性からの視線の多さに驚いたそうである。

もし真田広之の着ぐるみがあったら、それを着て一日いろいろ試してみたいものである。
出社すると、まず二階級ほど昇進するだろう。
昼食に出て定食屋でいつものようにご飯大盛りを頼むと、おかずを一品増やしてくれるだろう。
社内の女子は
「いままで私たちが間違っていました」
と、謝ってくるだろう。
それに対して私は
「もう町人の娘などには用はない」
と意味不明なことを言って、不敵な笑いを浮かべるだろう。

嗚呼、真田広之の精巧な着ぐるみ、ドンキホーテで3,980円くらいで売ってないかなぁ。
そんなことを帰宅途中に考えていたら、電柱にぶつかりそうになった。

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