2007年12月24日月曜日

おれの足音

池波正太郎の『おれの足音 大石内蔵助』(文集文庫)上・下巻を読了した。
上巻382ページ、下巻376ページ、活字も小さいので長編と言えるのだろうか、なんだかんだ言って10日ほどかかってしまった。
普段から併読、というか、貴重な読書時間である通勤電車も、毎朝日経新聞を読まねばならないし、毎週はNewsWeek、毎月は文藝春秋、それに手元に届く数多(あまた)の雑誌に目を通し、あっ!それに5日と20日に発売のビッグコミック・オリジナルなど読むと、読みたい本があってもなかなか集中できない。

が、初めての池波ワールドを堪能させてもらった。
この文の運び方は面白い。
小説でありながら、出典を明らかにして史実のように描き、かといって小説としての描写は臨場感溢れ、それでいてスッと視線を現代に戻し「これは、今で言う○○・・・」と、テレビドラマのナレーションのような小技も盛り込んでいて飽きさせない。

大石内蔵助は郷里の英雄であることも手伝って、わが人生の師である。
と言いつつ、ちゃんと読んだ忠臣蔵本は大佛次郎の「赤穂浪士」くらいなのは、私のいい加減なところである。

読書をしていて、これはあとで何かの役に立ちそうという箇所には付箋を貼ることにしているが、本書はかなり多くの付箋を消費した。

中でも唸らされたのは、
上巻168ページ
~大石内蔵助は国家老として、こまかいことには、あまり口を出さぬことにしている。他の家老たちも老巧な人物だし、家臣たちも、それぞれの役目を忠実に遂行している。そうした人びとの人柄を見ておればよいのだ。人柄が正しければ、役目も正しくつとめているのきまっている。だから内蔵助は、こまかいことに口をさしはさまぬことにしていたし、種々の帳簿などを見ても、すぐに忘れてしまう。内匠頭はまた、実にこまかい。微にいり細をうがって質問をしかけてくる。~
下巻264ページ
~「人間のことで、ただ一つ、はっきりわかっていることは、人の一生が死に向かって歩みつつあることで、それ以外のことは何一つ、先のことなどわかることではない」これが、内蔵助の持論なのである。~

実に細かい内匠頭、とは5万3千石の殿様でありながら、江戸城で刃傷に及び赤穂藩を取り潰しの憂き目に遭わせた若輩者である。

世に、リーダーシップ論や人生論が溢れているが、前者は上巻の、後者は下巻のそれを心がけていれば、8割がた大丈夫であろう。

何事も「ゆるりと」が肝要かと。

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