昨夜は「ニッポンを支える会社」に勤めるMさんを誘って、Kさんと3人で会食。妙齢の美女二人を伴って、というのも、運を使い果たしてしまいそうで複雑な気分である。
Kさんは好きになって足掛け3年くらいで、熟年夫婦にも近い感覚であるが、Mさんは好きになって足掛け9年である。私のロマンチスト振りも大したものだと自負しているが、単にしつこく未練がましいだけだ、とも言われる。
3人はそれぞれで知己であったが、3人一緒に会うのは初めてである。こういうシチュエーションは独特の緊張感を伴うので、般若湯(はんにゃとう。坊さんの隠語で酒のこと)がその緊張感を溶かしていく快感は格別である。
私の人生はかくのごとく好きな人ばかりに囲まれていて幸せこの上ない。嫌いな人とは付き合わないからであるが。。
初めて行く新橋の「橘鮨」は、隠れた名店(昨夜“名店”として格付けした)
箸袋を見た瞬間、私の蘊蓄(うんちく)癖が頭をもたげる。
そらんじている伊勢物語第六十段を披露する。
“五月待つ花橘の香をかげばむかしの人の袖の香ぞする”
出世街道の宮仕えをしていた夫のもとを離れ今は都落ちして地方の接待役をする男と再婚したある女。元夫が出張でそこに行って再会する。昔のことを知っているのは二人と今のダンナ。まわりの客は誰も知らない。そこで「昔の男」は酒の肴に出ていた橘を手にとって「五月を待って咲く花の香りをかぐと、昔愛した人の袖の香りがすることだ」と吟じた。橘の香りを嗅いで昔愛した女の袖の香(こう)の香りを思い出したことをさりげなく伝えるあたりはなかなかの男である。
「3年のKさん」には、いつかこういうシチュエーションになりたいというメッセージ、「9年のMさん」には(残念ながら元妻ではないが、“長い”というだけで)まさにこうじゃないの!というメッセージをさりげなく送ったつもりであるが、途中から聞くのをやめて二人で話し始めていたので、メッセージは残念ながら届かなかったようである。
アメリカ同時多発テロやマリリンモンローの追悼セレモニーで朗読され、日本では新井満の作曲により大ヒットを記録した作者不詳の詩「千の風になって」。女優の木村多江が日本やアメリカ、イギリスなどをたどりその詩のルーツに迫るという番組の再放送が今日NHKで流れていた。
最近は秋川雅史の歌を爆笑問題がマネしてネタになるようになってしまったが、私は加藤登紀子の歌う「千の風になって」が好きである。
早くに最愛の父上を亡くした木村多江が「幸せになることに罪悪感を感じた」と番組の中で述べる。20年前に漁師だった夫を水難事故で失ったイギリスの女性はそれを聞いて「誰でもそう思うもの。しかし人生は生きるためにあるのだから。でも感情のルールは必要。その人のことをいつまでも忘れないことが大切。私の夫も歌詞のようにきっとそばにいる。だから私は墓には行かない」と。
楽しかった昨夜を思い出しながら、KさんもMさんも私のお墓の前で泣かないでください、と思った。
なぜか替え歌が思い浮かび“私のオナラのあ~とで、こかないでくださ~い♪”と大きな声で歌ったら、細君の予想以上に大きな怒声が飛んできた。
0 件のコメント:
コメントを投稿