2008年4月19日土曜日

はい、さようなら

年明けに読み始めた『世に棲む日日』司馬遼太郎著(文春文庫)全4巻を読了した。
途切れ途切れに読んでも、集中力は途切れないくらい読み応えのある内容だった。
長州(いまの山口県)の吉田松陰の生い立ちから始まり、やがて登場する高杉晋作の活躍が描かれ、明治維新という「革命」が長州人の独特の気風と高杉という天才によって開始されたことが、よく分かる面白い本であった。

この本で最も印象的だった箇所が4巻目にある。
革命成功が見えたあとに、高杉は高位高官を求めるのではなく、その場から去ろうとする。
曰く
「人間というのは、艱難(かんなん)は共にできる。しかし富貴は共にできない」

昨今、「その場の雰囲気を読めないだめなやつ」という意味で“空気読めない”の頭文字KYなる言葉が跋扈(ばっこ)している。
高杉にしても松陰にしてもまた坂本竜馬にしても、もし彼らがKYでなかったら、空気を読んで幕藩体制に安住あるいは諦念してしまっていたら、維新回天は屹度(きつと)実現していなかっただろう。

27歳8ヶ月で天に召された高杉は、多くの人が見守る病床で辞世の句の上の句を書いた。
おもしろき こともなき世を おもしろく

ひととき高杉をかくまって世話をしたこともある女流歌人野村望東尼(ぼうとうに)は続けた。
すみなすものは こころなりけり
高杉は満足して絶命したと云う。

おもしろき こともなき世を おもしろく 生きて愉しや はいさようなら

破天荒な高杉の生涯を読んでみて、私ならこう詠んだだろう。

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