2008年4月24日木曜日

ペットボトル

「恋愛は、性欲の詩的表現に過ぎない」芥川龍之介『侏儒の言葉』より
高校の同級生K月が、自分がもてないことを逆恨みしてか、ガールフレンドのいる友人に向かって多用した言葉だ。
もちろんそんなことを云われる側の方は、むしろ余裕綽々(しゃくしゃく)である。

K月に拓郎の歌の話をしても
「音楽なんて空気の振動に過ぎん」
と取り合わない。
と云いつつ彼は月刊『明星』(今の『Myojo』)の付録である新曲の冊子に収められていた麻生よう子のデビュー曲“逃避行”(1974年日本レコード大賞最優秀新人賞受賞曲)の歌詞をコピーさせてほしいと懇願してきたが。

帰りに駅のホームで電車が入ってきたとき、手に持っていたミネラルウォータアのペットボトルが電車の音に呼応して振動した。
細かな震えを手で感じたとき、
「成る程、音は空気の振動だ」
などと感心していると、ふとそんなK月のことを思い出した。

“坂本竜馬も一人の男に過ぎなかった”
数多(あまた)ある幕末モノを探せば一ヶ所くらいそんな表現がありそうな気がする。
どうやら
「○○なぞ○○に過ぎない」
の称号を獲得するのは、
「○○と云えば○○」
の称号を獲得するよりも難易度が高そうである。

そうか、K月は本当は拓郎が好きで、それでもって彼は彼なりに“恋に恋していた”に違いない。

それにしても
「女と云えばハセキョー」
「動物園と云えば王子動物園」
「芝居と云えば忠臣蔵」
などは、世間も納得するだろうが
「性欲と云えば恋愛」
では、どうにも締まらない。

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