細君と同い年だが未だにバアビィドオルのような美しさを保つ、メイルルウムのKさんに電話をして、月曜日に必要な朱肉を借りに行った。
期待通り、歌人の黛(まゆずみ)まどか似で男好きのする美人Yさんがいた。
私の顔には“期待通り、歌人の黛まどか似で男好きのする美人Yさんがいた”と書いていたらしく、Kさんはニヤッと笑い朱肉をYさんに渡す。
Yさんも心得たもので
「どうしようかなぁ、貸してあげようかなぁ、何か甘いもの食べたいなぁぁぁ」
と、朱肉を玩(もてあそ)びながら云う。
「そぉかぁ、ではこんど何か買ってこないとねぇ」
おそらく私の顔はみっともないくらい、脂(やに)下がっていたことだろう。
矢張(やは)り、女性は美人で少し意地悪なくらいなのが、蠱惑(こわく)的である。
Yさんの服のセンスは頗(すこぶ)るよい。
今日は、淡く退色させたようなアロハシャツの生地のワンピースだ。
すかさず
「今日は『稲村ジェーン』みたいですね」
と、褒(ほ)め上げた。
YさんとKさんは
「ふふふ」
と笑って目を合わせた。
やおらYさん、Kさんに向かって
「稲村ジェーンって、どんな人ですかぁ?」
思わずKさん、こちらを向く。
目を合わせた私とKさん二人の心中
「そうだ。世代が違うんだ・・・」
Kさん
「あ。。。サザンの映画の題名でね、、、えっと、、、その洋服が湘南っぽいねって」
「あぁ、そおですかぁ、どぉもぉ(笑)」
30年ほど前だが、毎日放送の名物ラジオ番組『ヤングタウン』を聴いていたら、笑福亭鶴光氏が、“はぁ~っ、しゃいなら~っ”で一世(いっせい)を風靡(ふうび)した漫才師平和ラッパ(1909-1975年)の話題を出した。
アシスタントの女の子は
「はぁ、そういう種類のラッパがあったんですね」
鶴光氏とアナウンサーの角(すみ)淳一氏は
「時代が、違うんやなぁ」
と、突っ込むこともしなかった。
1984年、社会に出て初めて合コンを経験した。
出身地の話になり、私は
「兵庫県の播州赤穂の出身で、ほらあの赤穂浪士の町ね」
すると同席の女の子は
「えっ?ア・ク・オ・ロ・シですか?」
「いや、赤穂浪士」
「えっ?わかんな~い」
「えっ?ほら、元禄時代の有名な忠臣蔵の・・・」
「あっ、私って歴史は苦手なんですぅ」
「いや、歴史という話ではなく」
大学時代から合コンで鳴らし、合コンで細君まで射止めた高校友人H原が、何か云って流れを変えたような気がする。
だんだんと言葉が通じなくなっていくのは、世の常である。
Yさんに“期待通り、歌人の黛まどか似で男好きのする美人Yさんがいた”と云っても屹度(きつと)こう云われるのが落ちだ。
「あっ、歌人って、歌手のことですよね?」
「『雲にのりたい』を歌った人ですよね?」※黛ジュンの1969年の大ヒット曲
そしてこう云ってふられる。
「ひど~い!私のこと男好きなんて!」
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