今日yahooでこんなニュースが流れた。
1983年から小学館『ビッグコミックスピリッツ』にて連載されている人気マンガ『美味しんぼ』の主人公・山岡士郎と、長年の確執がある父親で美食家の海原雄山が12日(月)発売の同誌で、ついに和解した。
思うに、あんな鋭敏な味覚の持ち主がいれば、船場吉兆の使いまわし事件など起こらなかったろう。
ある新聞のコラムでは、この事件を100%非難していなかった。
“勿体無い”の精神から、手もつけていないものを客に出すのは論外としても、せめて若手の料理人が勉強のために食べるとか方法があったのでは、なぞと選択肢を示している。
確かにそれは一理あると思った。
しかし、まずは私は客に文句を云いたい。
刺身のツマまで全部食べろとは言わないが、折角出された刺身や鮎の塩焼きを、それこそ使いまわされるほど、全く手を付けないというのはいかがなものか。
あと、店の責任としては、折り箱を用意して、持ち帰りを推奨すべきだったのではないか。
子供の頃、神戸の親戚に行ったときだけしか食べることができなかった本格中華では、必ず食べ残しを折り詰めにしてくれて持ち帰ったもの。
また、結婚式の披露宴で出された料理の食べ残しも必ず持ち帰ったものだ。
最近は食中毒がどうのこうので、あまり推奨されてないらしいが、そんなもの家に持ち帰って食べるぶんには大丈夫に決まっている。
ある有名人(誰か忘れた)の記事で、東京の吉兆によく行くらしいが、記事には“吉兆で食べ残しを持ち帰るのはこの人くらい”と、記事のトーンとしては、吉兆もその人を特別扱いしているような内容で、つまり吉兆では“そんなことは、本来は認めていないけど、この人だけは特別ですよ”と言わんばかりだった。
それはやはりいかんだろう。
食料自給率の異常に低い国なのだから、食文化を支える事業者はその辺まで心を砕くべきだ。
それにしても、米国では食べ残しを持ち帰るとき、店が準備してくれる容器をドギーバッグと云うと聞いたことがある。
食べ残しを持ち帰るのを恥として“あくまでも犬に上げるんだからね”と、お互いに分かっていながら八百長のような会話で持ち帰るとか。
米国でも、そういう“恥”の文化が存在することにまず驚くが、実際問題、人間の食べるようなご馳走を犬にやるのは、栄養過多になり当世では「虐待」みたいなものらしい。
皮肉なものだ。
そういえば先日美人のYさんに推薦図書を差し上げたが、Yさんは
「あの本には、合コンでの男の子の持ち帰り方まで書いてありましたよぉ」
と嬉々としていた。
男の子の持ち帰りは自由だが、その男の子と結婚して喧嘩なぞしても犬も食わないということは、改めて教えておかなくてはならない。
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