高校の世界史のH先生、大学を出て間もない若い先生だったが、ある日の授業でわれわれに向かってこう仰った。
「今になって云えることやけど、社会に出るとなかなか忙しくて本が読めなくなる。せやから若いうちにとにかく一杯本を読んどいたほうがええよ」
今になって思う。
そんなことないな、と。
世の中の本、それはそれは面白い。
けど、やはり本は読み手によって、値打ちが変わってしまう。
本を読むためには、それなりの土壌が必要である。
土壌を作るために必要なものの多くは学問や読書!かもしれない。
しかし決定的なものは、人生経験だろう。
使うに容易(たやす)く、稼ぐに辛(つら)いお金の苦労。
旅行に出かけて人と出会ったり、はたまた途方に暮れてみたり。
世の中にこんな素敵な女性がいたのかと、胸を焦がしたり。
大切な人との永遠の別れに涙したり。
1冊の本も、感想が百出(ひゃくしゅつ)するのは当然だ。
しかし一人の人間でも、人生のどの過程で読むかによって、同じ本でもまったく感じ方が変わるものだ。
いま私は、読書適齢期ではないかと思う。
健やかにそして爽やかに、そうキアヌ・リーブスのように性慾が残っており、またローレンス・オリヴィエのように老いと云うことも判り始めている。
だから本への感受性も、イチローなみに守備範囲が広い。
H先生は、その後結婚を宣言した。
新婚旅行から帰ってきて第一声はこうだ。
「え~、、、新婚旅行というものは、疲れるものでして」
まるでネタのようなコメントだが、われわれにご祝儀の気持ちもあったのか、ドッとウケた。
しかし、疲れた発言が本音だったとしたら、H先生は昭和史に残る“品行方正”な人だったことになる。
「え~、、、あまり若いうちから一杯本を読まないように。お楽しみはこれからだ」
くらい、云ってくれたら、われわれの間で名前を残せたかもしれない。
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