以前よく出張に行っていた関係で、ホテルから持ち帰った安全かみそりが溜まっている。
なので、ゆったりとした気分で入る土曜日のお風呂タイムには、たまに安全かみそりで髭(ひげ)を剃(そ)る。
今夜も剃ったのだが、顔に塗りつけたのがボディーソープと思っていたのだが、剃り終わってからシャンプーであることに気づいた。
まぁ全然問題なかったので、よしとした。
私が子供の頃、祖父はたまに間違えて、当時まだあった固形の洗濯石鹸で顔を洗っていた。
面(つら)の皮の厚い祖父も、さすがに顔が荒れるようで、クリームを塗っていた。
固形の洗濯石鹸は、必ず家にあって、汚れのひどいものは、塗りたくって洗濯板でゴシゴシと洗っていたものだ。
昭和40年代当時の洗濯機なぞ、クルクル水をかき回すだけの機械だったので、当時の主婦は少しばかり便利になっただけで、本当は固形の洗濯石鹸を信用していたのかもしれない。
昭和40年代後半だったか、我が家に餅つき機が登場した。
餅つき機が来ると云うので、子供心に興奮したが、その動きを見て驚いた。
餅つき機と云うから、臼(うす)と杵(きね)があって、モーターや歯車が駆動してペタンペタンとやるのかと思っていたら、大きなすり鉢のような器の真ん中に小さな羽根が付いていて、蒸したもち米をそこに入れると、グルグルと回転してかき混ぜるだけなのだ。
しかし、不思議とネバネバと混ぜ合わさって、餅になった。
それまでは、我が家では大きな石臼と、木であるが重い杵でついていたので、準備も大変だっただけに、その文明の利器の登場に一家で歓喜したものだった。
ところが、いきなり馬脚を現した。
硬くなった餅を焼いても膨らまないのだ。
確かに柔らかくはなるのだが、あの独特のプゥ~ッが失われてしまったのだ。
所詮はそんなものかということで、餅つき機はあくまでも“代用品”となった。
今も回りを見回すと代用品花盛りだ。
木の舟皿に盛られていたたこ焼きは、発泡スチロールのトレイに乗るようになった。
竹の皮で包まれていたおにぎりは、セロファンで包まれるようになった。
駅弁の美味しさを後押ししていた折箱は珍しくなってしまい、身近なところでは崎陽軒のシウマイ弁当くらいでしか楽しめなくなった。
多くのすし屋での玉子焼きも、なにやらプラスチック製のような画一的な、美味くもない黄色い物体になってしまった。
夏になると虫取りに行っていた子供たちは、それをテレビゲームの中でやるようになった。
山歩き川遊びなどの“冒険”も同じで、汗もかかない、虫にも刺されない、蜘蛛の巣が顔につかない代用品の世界での冒険だ。
ルミネ・ザ・よしもとで、生で演芸を楽しんだとき、テレビが代用品であることが分かった。
私が今夜飲んだKIRINの発泡酒『円熟』も、美味いことは美味いがビールの代用品だ。
人は徐々に徐々に代用品で満たされる“虚構”の世界に迷い込んでいるのかもしれない。
元を知っている人間はまだそれが“虚構”であることが分かるが、代用品で育つ世代のとってはそれが代用品ではなくオリジナルになる。
虚構ではなく、現実になるのだ。
そんなことを考えながら“現実”の世界であるリビングルームに入っていくと、細君がテレビを見ていた。
『オーラの泉』だ。
Oh!No!
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